エレンとなまえはひどく困っていた。

まず、今、二人は食堂の隅にある、掃除用具を入れる小さなロッカーの中に無理矢理入っている。
何しろ狭いのでぎゅうぎゅう詰めで、窮屈でその上空気がこもって暑い。
しかもこんな所に二人隠れていることをどうしても気付かれてはいけない状況下にあるので、動いたり、何かを話すことはおろか、呼吸さえ、満足にすることができない。
尤もそれは、二人が今ここに隠れなければいけない原因とはまた別に、緊張の理由があったからかもしれない。

そもそも二人がこうして掃除用具のロッカーに身を隠さなければいけなくなったのは、二人でこの食堂を掃除していたついさっき、誤ってリヴァイのティーカップを割ってしまったからだった。
割るといけないからこれをキッチンへ持って行ってくれ。そう言ってエレンがなまえにリヴァイのティーカップを渡そうとした時、タイミング悪く二人の体はぶつかり、エレンの手からはリヴァイ愛用のティーカップがこぼれ落ちた。
床に落ちたティーカップは無惨にも真っ二つに割れている。
二人は顔を見合わせ、ただ青ざめ、身体をがたがたと震わせた。

「ねぇエレン、どうしよう」
「や・・・やべぇよな、これは」

とりあえず片付けなければ、と二人が慌てた時、食堂に近付く足音がした。
恐怖に跳び跳ねた二人は、目を白黒とさせたまま、近くにあった掃除用具のロッカーに無理矢理隠れた――――これが、今二人が置かれている不幸な状況のあらましだ。
そして今、彼らがぎゅうぎゅう詰めになっているロッカーのすぐ前のテーブルには背を向けたオルオがリヴァイそっくりに腰掛け、自分で淹れて来たのだろう紅茶を暢気にすすりながら、さっきリヴァイが読んでいたのと同じ新聞を読んでいる。
その足元には、エレンとなまえが割ってしまったリヴァイのティーカップが転がったままだ。
幸か不幸か、どうやらオルオはまだそれに全く気付いていないようだった。
扉の隙間から外の様子を注視していたなまえが、もう限界とばかりにひそひそと口を開いた。

(エレン、どうしよう・・・いつまでいるつもりなの、オルオさん)
(知るかよ・・・でも今更出て行けると思うか?)
(分かってるよ。でも狭くて苦しいし、暑いし、もう・・・)
(いいから黙ってろよ。ここで我慢できなきゃもっとひどい目に合うぞ)

うん、となまえは泣く泣く返事をした。
ロッカーの中の風通しの悪さと暑さで、掃除用具のにおいが充満している上に身体には汗が滲んでいる。
一人で隠れているならまだしも、今なまえの背中にはエレンの身体がぴったりと密着している。
彼女の身体には後ろからがっしとエレンの片手が回されているから、ぴったりどころか、ぎゅうぎゅうに。
自分の身体のにおいはこのロッカーの中のモップ臭いにおいでごまかせているだろうか、汗ばんだ身体がくっつくのを不快に思われていないだろうかと、なまえはますます泣きたい気分になった。
更に悪いことには、エレンの片手は何とも際どく、彼女の鎖骨から胸の上辺りを押さえている。
何とか二人で狭いロッカーに入るために、奥に入ったエレンがなまえの身体を自分に無理矢理急ぎ引き寄せた為だった。
少しでも身体を離せないかと彼女が動こうとしたところ、何とか閉まっていたロッカーの扉が開きそうになったので、慌てたエレンはもう片手でなまえの腰に手を回し、さらにぎゅっと自分に引き寄せた。

(!!!)

なまえの心臓は更に跳ねる。
ドキドキとして、座っているオルオも上下に揺れて見えた。

(バカ、扉が開きそうになっただろ!)

ごめん、となまえはエレンにひどく落ち着かない様子で謝った。
完全に、後ろからエレンにぎゅっと抱きしめられているような格好だ。
ますます二人の身体が密着して、汗ばむエレンのにおいを感じる。
背中に感じる彼の身体の感触も一緒になって、彼の存在を更に生々しく感じた。

薄い扉を隔てた向こう側からは、パラ・・・、と乾いた、今は悠長に感じる、新聞を捲る音が聞こえてくる。
オルオはリヴァイのように眉間に皺を寄せ、難しい顔をしながら熱心に新聞を読んでいるようだった(真似だけの、ポーズだったかもしれない)。
なまえの頭の中はドギマギと分かりやすくパニックに陥りながらも、何とかエレンとしばらくの間、オルオの動向を固唾を飲んで見守っていた。
彼のすぐ足元にある割れたリヴァイのティーカップを見て、何てことになってしまったのだろうと、彼女はまた、しても仕方のない後悔をする。

(・・・・・・・・・)
(・・・・・・・・・?)

しばらく身を硬直させ黙っていたなまえは、自分の下半身に感じる何かおかしな違和感に、はてなを一つ、頭に浮かべる。
言葉を交わさずともさっきからエレンが何かそわそわとしているような気もして、なまえは急に、さっきまでとはまた別の意味で心臓をはやらせた。
ずっと二人必死に息を潜めて黙っていたというのに、急にこの沈黙が耐えられなくなってくる。

(あ・・・あの、エレン、その・・・)

何と言おうかなんて、分からない。
ただ沈黙に耐えきれなくて、なまえは口を開いてしまった。
ちょっとの間を置いて、何だよ、とエレンは言う。
何でもない、となまえは言った。

でも、何でもない訳ないのだ。
だって―――――

(!!!!!バッ・・・バカ、動くな)

そわそわ落ち着かないなまえが少し身を動かした時、エレンはびくりと動き、彼女に小声で、強く注意した。
少し物音がしてしまったのでなまえは驚き隙間からロッカーの外を見る。
暢気に外に座るオルオは一瞬不思議そうな顔をしたが、またすぐに新聞に目を移した。

(ごっ・・・ごめん、だって・・・あの・・・、・・・だって・・・)

もう適当に黙っていることも、気付かないふりをするのも耐えられない。
なまえは必死に何かいい言葉を探している。
目の前の人間にもじもじとされるのを嫌う、相手の心理を読むことが不得手なエレンでも、後ろめたさがあるからか、今回ばかりはなまえの言わんとすることが分かったらしい。
考え込んだ気まずそうな沈黙の後、エレンは開き直ったように応えた。

(・・・・・・仕方ないだろ、男なんだから)
(・・・――――!!)

やっぱり、と思ったなまえは一瞬でますます身体が熱く、固まったように感じた。
さっきから自分の尻の辺りに感じていた硬い物はやはり、エレンのそれだったのだ。
気まずさにそっぽを向いたらしい、自分の頭の右上にぴたりとくっつけられているエレンの顔を急に意識して、ますますドキドキとしてしまう。

(あの・・・はぁ・・・ご・・・ごめん)
(・・・・・・・・・)

呼吸も苦しく、動悸も激しい。
訳も分からずとりあえずなまえはまたエレンに謝ってしまった。
そっぽを向いているエレンは何も言わない。

――――あぁ・・・もう兵長にはどれだけでも怒られますから、オルオさん、早くどこかに行って!!

こんな状況で、エレンは自分に怒っているのだろうか。
ますますパニックに陥る頭の中で、また泣き出しそうになったなまえは必死に祈る。
それでもオルオの背中は動こうとする気配が無いので、なまえは絶望的な気持ちになった。

――――オルオさん、お願いします。早く・・・オルオさ――――?!

心の中で叫ぶように祈った時、自分の身体に起こった異変になまえはびくりと身を縮めた。
胸の膨らみが始まる辺りに置かれていたエレンの片手がゆっくりと下ろされ、やがて彼の手はなまえの胸を、しっかりと包んだ。



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