世 界 の す べ て / 11


彼女の部屋の大きな窓際でぼんやりと見つめる先では、枝に止まる鳥たちが戯れながら飛び立っていく。
飛んでいくその先を、なまえはやはりぼんやりと見つめていた。

なまえは今、家族と屋敷に住んでいる。
あの事件から半年が経つ。
これまでの10数年が嘘のように、彼女はここで毎日を穏やかに過ごしていた。
食事をあまり採らず体は痩せ細っていったので家族は心配したが、今までと違い体力を使わないから食欲がないのだと彼女は弱く笑った。

また皆に挨拶をするでもなく、所属していた場所を去ることになってしまった。
恐らくその本当の理由は知らされていないだろう。
きっとたくさんの迷惑を掛けているはずだ。
けれど、そうして憲兵団を去ることになってしまったのも自分の報いだと思ったし、また、家族が望むならそうしなければならないとも思っていた。
結局は家族に甘え、ああして心配も迷惑も掛けてしまったのだから、こうなっても無理はないと思った。

なまえはただ周りに望まれるように毎日を過ごしていた。
パーティに誘われれば出掛けるし、あれこれと頼まれることにも素直に応じた。
縁談があれば素直に応じようとも思っていた。
ただ、魂が抜けたようにぼんやりしていることの多くなった娘を心配し、家族は彼女が外に出ることをあまり強要しなかった。
家族は戻ってきた娘とまた一緒に暮らせるようになったことをとても幸せに感じていた。
けれど、なまえの瞳から以前のような輝きが失われていることも、言葉には出さずとも、確かに感じられていた。


「――――それでは、こちらか」
「あぁ・・・困ります、お客様!」

男の声と、ばあやの悲鳴のような声が聞こえてきた。
バン、となまえの部屋の扉が突然開かれる。
現れた姿に、ぼんやりと窓の外を眺めていた彼女は、虚ろな目を向けた。

「・・・リ、ヴァ、・・・イ・・・?」

目の前に現れたその姿に、なまえはまだぼんやりとした瞳を向けている。
リヴァイが、何故ここに。
頭の中でやっと目に映る彼の姿が現実であることを確認すると、なまえは掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。
リヴァイはすがるばあやを制止し何も言わずになまえにずんずんと向かって歩くと、そのまま乱暴に肩に彼女を担ぎ上げる。
彼がばあやを振り返ったので、なまえの長いスカートはひらりと揺れた。

「お嬢様!!お嬢様に一体何をなさるおつもりですか!!」

ばあやの悲鳴に一体何事かと、なまえの父親が姿を現した。
確かに見覚えのある小柄な兵士が、娘をその肩に乱暴に担いでいる。
遅れてなまえの部屋に辿り着いた母親は、青い顔で口元を覆った。

「き、君は――――――!!」
「この間はどうも・・・今日はその件でここへ来た」
「リ・・・リヴァイくん、君は、一体娘に何を――――――」
「・・・あなたはなまえを助ければ何でも褒美をやると言っていた・・・ならば、彼女をもらいたい」
「――――・・・正気かね、君は!」

担がれているなまえとリヴァイの顔を交互に見ながら、なまえの父親は事態が掴めずただ狼狽し、困惑した。

「あなたがあの時なりふり構わず助けを求めていれば、こんなことはしなかっただろう」

リヴァイの言ったその台詞はなまえには全く意味が分からなかったが、父親は彼が何を言っているのかが、痛い程によく分かっていた。
それが、父親が憲兵団への連絡を一時拒んだことを指していることは明白だった。

「この半年間、彼女を見てどう感じたか聞かせてもらいたい」

なまえの父親は、顔を青くしたまま沈黙した。
生気の抜けたように毎日をただ見送る娘の姿に、少なからず彼も心を痛めていた。
本当にこれで良かったのか、と。

「――――では、失礼する」

リヴァイはなまえの部屋の大きな窓を開け徐に立体機動装置のトリガーを引くと、なまえを担いだままあっという間に隣の木に飛び移る。
それは、さっきまで彼女がぼんやりと見つめていた場所だった。
背中からはばあやと、駆けつけた母親の悲鳴が聞こえてくる。

「あなた!何故止めないんですか!早く!あの子がまたさらわれたんですよ!」

半狂乱で、母親は泣き叫んだ。

「・・・あの子が憲兵団に入ることを許した時に、・・・いや、なまえが小さな頃からやんちゃを言う度に、いずれこうなる事も分かっていたのかもしれない」

呆然と立ちすくむ父親は、つぶやくように言った。

「何を、おっしゃっているの・・・」

母親は青ざめて父親にすがる。

「・・・この半年のあの子の姿を見て、お前はどう思った?」

一息ついて、父親は続けた。

「私たちは脅迫状が届いたとき、あの子とこの家の面子を天秤に掛けて、どちらを選んだと思う」



「・・・リヴァイ、何やってんの・・・」

半年前と、同じだ。
リヴァイが手綱を引く馬の前に再び乗せられて、なまえはやっとの思いで口を開いた。
馬を走らせる風にさらさらとその黒い髪をなびかせ、リヴァイはふっと笑った。

「お前をさらいに来た」
「・・・さらいにって、こんな・・・・・・」
「お前が頼んだんだろう、俺に」
「!!」

リヴァイの言葉になまえの頭にはあの夜舞踏会で2人、バルコニーで話していたことがよぎり、驚き彼を振り向いた。

「・・・リ、リヴァイ、あんた、まさか気付いて――――――」
「さぁな」
「――――な、何、さぁなって!」
「やな感じ、か?てめぇだろ、それは。下手な演技しやがって」
「・・・・・・!!!」

言葉を失うなまえを尻目に、彼はいたずらっぽく笑った。

リヴァイの肩越しには、遠ざかっていく屋敷が見える。
兵士になってもいつも捕らわれていたように感じたその家は、今はとても遠くに感じられた。

目を移すと、山々が広がり、美しい畑が広がっていた。
いつも窓から眺めていた、けれど、もうずっと見ていなかったような、風景だった。
光に満ち溢れ、空は澄んで、鳥たちが自由を謳歌するように、のびのびと飛んでいた。
人々が実った果実を手に、笑っていた。
子供が、追いかけっこをして楽しそうにはしゃいでいた。
顔を赤くした大きな男たちが、つかみ合いのけんかをしていた。

なまえには眼前に広がるその世界のすべてが、初めて見るような、とても美しいものに思われた。

「・・・なまえ。俺はお前を、お前に返す。だから、これからの生き方は自分で選べ。調査兵団でも、憲兵団でも、農民でも、商人でも、何でもいい。この世界には、たくさんの生き方がある。世界のすべては、これからはお前が自分自身で決めるんだ」

落ち着いたら過保護なお前の父親にも連絡を入れてやれ、と彼は小さく笑った。

―――リヴァイ、となまえは小さく彼の名を呟いたかもしれない。
彼は馬を止めるとなまえをもう一度振り向かせ、優しく、祝福のキスをした。


おわり

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