世 界 の す べ て / 9


しばらくして着いたなまえの家は、外から見るには明かりがついていないようで、真っ暗だった。
寝てるのかとナイルがドアを強めに叩くが、反応はない。
そっとノブを回すと、ドアが開いた。

「なまえ、ナイルだ。入るぞ」

大きく声を掛けると、ナイルは少し遠慮がちに中へと入っていった。
リヴァイとエルヴィンもそれに続く。
3人は手持ちのランプを照らし声を掛けながら、1つずつドアを開けていった。

「・・・いないみたいだな。あいつまさか、どこかに遊びに行った訳じゃねぇだろうな・・・」

憤慨しているのか、呆れているのか、全ての部屋を確認し終えたナイルがエルヴィンとリヴァイの元へ寄っていくと、2人は神妙な面持ちで床をランプで照らし、しゃがみ込んでいた。

「どうしたんだ、エルヴィン、リヴァイ」
「――――ナイル、すぐに上に連絡しろ」
「・・・何だと?」

先程までと違って、エルヴィンの声は低い。
ナイルの脳裏には、さっきから少しずつちらつき始めていた悪い予感がとうとう影を差した。

「これを見ろ」

エルヴィンが明かりを照らした先へナイルは視線を移す。
視線の先には、居間の床に落ちているいくつもの血痕が浮かび上がった。
その色からして、着いたばかりではないが、何日も前のものでもなさそうだ。

「・・・エルヴィン、これは――――」

彼の予感は確かにここに忍び寄り、現実になろうとしているのが分かった。
ランプがぼうっと浮かび上がらせる彼の表情はかなりホラーじみている。
彼の旧友の名を呼んだナイルの顔色が、サッと青くなったのが分かった。

「・・・出掛ける時に鍵を掛けない程あいつもバカじゃないだろう」

静かにそう言うと、リヴァイは立ち上がる。
躊躇っていたナイルは上への連絡もやむなしと、エルヴィン、リヴァイと共に玄関へ向かおうとした。
すると突然、目の前からいくつもの明かりが照らされる。
ドアの外側から多数の光が掲げられ、彼らに向けられた。

「貴様ら、何者だ!!」

年配と思われる見知らぬ男の声が彼らに投げ掛けられる。
同時に、暗がりでもその体格の良さが分かる数人が、驚き身構える3人を目掛けて急襲した。
3人はそれをがっしと受け止め、いとも簡単に捻じ伏せる。
リヴァイとエルヴィンはそれぞれ一瞬で2人の相手を済ませたようだった。
床に押しつけられた男達は、苦しそうに低いうなり声を上げている。

「な、何だ、貴様らは――――」

顔を上げると、身なりの良い、見ただけで貴族と分かる年配の男の姿が浮かび上がっていた。
その顔は動揺しきっていて、普通の様子ではない。

「あ、あなたは――――みょうじ卿ではないですか」

憲兵団の職務上その男の顔に見覚えのあったナイルが、襲い掛かってきた男を押さえつけたまま驚きの表情を浮かべた。
男は、なまえの父親だった。
なまえの父親は3人が兵服を着ていることを分かってはいたが、決して警戒を解かない。

「・・・私たちはこの家に住む兵士の仲間です。あなたこそ、何故このような場所に」
「・・・・・・君たちはなぜ、今ここにいるんだ」
「この家に住むその兵士が、今日職場に姿を現さなかったので――――こうして様子を見にきたのです」
「今日・・・その兵士は、いつから姿を隠しているんだ」
「・・・昨日は、普段通りに・・・」

無理も無い。
ナイルは目の前にいる貴族の男を怪しんだ。
そもそも何故貴族がこのような庶民の小さな家までわざわざ従者と共に現れる必要があるのか、と。

「それでは・・・本当なのか・・・」
「・・・何をおっしゃっているのですか、みょうじ卿」

怪しむナイルの声色に気付きつつも、なまえの父親は小刻みにその身体を震わせながら、独り言のように小さくつぶやいた。

「いつかこんな事が起こってしまうのではないかと・・・だからガードを付けると言ったのに・・・あの子は聞かなかった・・・」
「・・・こんな事?」

従者を床に押し付けていた足を緩め、リヴァイが尋ねた。
しばらく押し黙っていたなまえの父親は、ギュッと拳を握ると目を瞑る。
まだ迷うように声無く震える唇を小さく動かした後、口を開いた。

「・・・・・・これは、くれぐれも内密に願いたい。・・・決して、誰にも言わぬよう――――」
「・・・なまえの安否に係わることならば、お約束はできません」

黙っていたエルヴィンは、不安げななまえの父親にきっぱりと答えた。
彼の意思の強いその瞳が、それに関しての譲歩の余地はないのだということをなまえの父親に重く受け止めさせる。
なまえの父親は血の気が引いた様子で俯くと、従者たちにこちらへ引き上げるよう指示をした。
3人は既に緩めていた彼らの拘束を静かに解く。
押さえつけられていた男達は皆痛そうによたよたと彼らの主の元へと下がっていった。

「・・・君たちを信用して話す。なまえは・・・ここに住む、君たちの仲間は・・・私の娘だ」
「―――――な・・・!?」

ナイルは驚き、言葉を失った。
貴族の娘が兵士になっているなど、考えられないことだ。
なまえが長く過ごした調査兵団の同僚であったリヴァイやエルヴィンも、ナイル同様にそんなことを知る由はない。
けれど2人はじっと黙ったまま、表情を変えずになまえの父親を眺めていた。
なまえの父親は、唇を震わせて続けた。

「先程私の元に、切り取った一房の毛髪と一緒にこんな封書が届いた。・・・お前の娘であるなまえを、誘拐したと」
「・・・差し支えなければ、拝見してもよろしいですか」

エルヴィンはそう口を開くと、つかつかとなまえの父親の元へ歩み寄った。
なまえの父親は、彼へ素直に、なまえをさらったという犯人から送られてきたらしい、粗末な封筒を差し出す。
覗き込むナイルと共に手紙を開くと、なまえと同じ髪色の一房の髪と一緒に、「娘を返してほしくば相当の金品を用意しろ」と受け渡しの日時と方法の指示が書かれていた。
リヴァイが徐にその髪へ鼻を近づけると、自分が泊まっている宿に置かれていたシャンプーと同じ香りが微かに香る。
それが確かにその髪がなまえのものであることを証明していたので、リヴァイはそこで初めて僅かにその表情を険しく歪めた。

「金品を用意して渡せば相手がなまえを素直に返すという保障はないだろう」

リヴァイは冷たく言い放った。
なまえの父親はそれを理解していたかのように、何も言わず、俯いている。
それでも手紙の主から突き付けられている、得られる成果が不確実な要求を飲むこと以外、彼には打つ手が無いのは明らかだった。
崖から転げる寸前の大岩のように不安だけを背負って立ちすくむなまえの父親の姿に、ここで前に進まぬ話をグルグルと回しても事態は変わらないと、ナイルはとうとう腹をくくったようだった。

「・・・なまえは女性であるとはいえ、憲兵団に入るだけの力量を持った、立派な兵士です。そのなまえが簡単にさらわれるというのは普通考えられません。犯人はそれなりの計画をしてここに来たということでしょう―――お心当たりはないのですか」

ナイルはなまえの父親に真っ直ぐに向き直った。

「いや、全く・・・それは、憲兵団の君も知るところだろう。うちが何か危ないものに手を出しているような家ではないということは」
「・・・ではすぐに上層部へ連絡し、憲兵団でなまえと犯人の捜索に当たります」
「・・・いや、待ってくれ!それは困る――――」
「それなら、どうするおつもりか」

リヴァイがやや口調を強めると、なまえの父親はただ苦渋の表情を浮かべた。

「騒ぎになれば、お嬢さんが兵士であることが知れ渡るでしょうね」

答え倦ねているなまえの父親の心を代弁するように、エルヴィンが言った。
その声色は怖い程に落ち着いていて、ちょっとすれば冷ややかにさえ感じられる。それがみょうじ家にとってどうしても避けたいことでありそれが明るみになることを彼らは一番恐れるであろうと、犯人がみょうじ家の弱みを利用して今回の事件を計画したのであろうことは、明白だった。

「君たち・・・なまえの仲間なら、何とかしてくれないか」
「・・・・・・」
「出世のための口利きでも褒美でも何でもやる!お願いだ・・・なまえを助けてくれないか・・・望むものは何でもやろう、頼む、この通りだ」

なまえの父親は膝に手を当て、深々と頭を下げた。
硬い表情で黙ったまま3人は顔を見合わせる。
ナイルはエルヴィンとリヴァイの顔に静かに湛えられている意思を確認し「分かった」、と言うように頷いた。

「・・・私はナイル、憲兵団で師団長をしています。みょうじ卿には何度かお目に掛かったこともありますので、多少顔を知って頂いているかもしれません。」

ランプを持ち上げナイルの顔を照らすと、なまえの父親はああ、と少し安心したように頷いた。

「こちらはエルヴィンとリヴァイ・・・ご存じでしょう。2人は調査兵団の団長と、兵士長です」
「・・・・・・エルヴィンに、リヴァイ・・・!聞いたことがあるぞ・・・」
「私と彼らで、必ずお嬢さんを取り戻します。但し、万が一の為に上には今起こっていることを早急に報告する必要があります。上層部の誰もがお嬢さんがあなたの娘だと知らない訳はないでしょう」

なまえの父親は、青い顔で静かに頷いた。

「その幹部の名を教えてください。馬も要ります。私たちはこれからすぐに本部へ向かいます」
「・・・いや、待てナイル。情報が手に入りそうな場所に心当たりがある。俺はそっちへ向かう」
「リヴァイ!お前はまた勝手に――――これは憲兵団の管轄だぞ」

彼を諫めようとしたナイルの肩にエルヴィンは手を乗せ、リヴァイを止めようとした彼を逆に制止した。
そして一歩前に出て、なまえの父親に話し掛ける。

「みょうじ卿。従者の方たちが乗ってきた馬があるでしょう。それをこのリヴァイにお貸し下さいますか」

でも、とナイルはエルヴィンに食い下がったが、エルヴィンは時間が惜しいと首を振った。
現時点では、なまえが今一体どういう状況にあるかさえも分からない。
今は何よりも情報と、それを元にした素早い行動が必要とされている。
なまえの父親は従者に、馬を待たせている場所へリヴァイを案内するように指示をした。
エルヴィンとリヴァイは互いに目を合わせ小さく頷くと、リヴァイは従者と共に部屋を後にした。

「では、私たちは本部へ向かいます」
「・・・私も一緒に行こう」

部屋を出ようとしたナイルとエルヴィンを見つめると、決意したように、なまえの父親はそう低くつぶやいた。


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