世 界 の す べ て / 5


「なまえ、今日はえらく酒臭いな。朝から飲むなんて珍しいじゃないか」

上官に指摘され、彼女はギクリとした。
夜明け近くまでたらふく酒を飲んでいたのだから、無理もない。
憲兵団では勤務中に酒を飲むような堕落した兵など全く珍しくない。
特に咎めもされなかった。
ただ、殆ど寝ていなかったので彼女の瞼は限りなく重い。
遠く力ない目に映る城に、昨日そこで行われた舞踏会にいたことなどまるで嘘のように思われた。

「なまえ!」

思い掛けない人物の声に、なまえはまた身を縮める。
遅れて、今日彼らが憲兵団本部であれこれと仕事があると聞いていたことを思い出した。
ビクビクしながらゆっくりと振り返ると、声の主であるエルヴィンは金色の髪を陽に輝かせ、爽やかに白い歯を覗かせてこちらに手を振っている。
同じ舞踏会に参加していたというのにボロボロな自分とは大違いだ。
後ろにちらちらと見え隠れしている小さな影がリヴァイだと分かったので、なまえは更に飛び上がりそうになった。
まさかリヴァイと朝から顔を合わせることになるだなんて。
夕べ(むしろ、さっきと言った方がいいのかもしれない)の今朝で、一体どんな顔をして彼と向かい合えばいいのだろう。
この間ウォールローゼで会った時のように、彼とまた普通に話せるだろうか。
今まで通りの態度で彼に接することができるだろうか。
なまえの脳裏には昨日のリヴァイとの情熱的なキスが蘇り、胸は痛いほどに音を立てる。
引きつり笑いを浮かべながら、なまえはさりげなく手櫛でボサボサであろう髪を整えた。

「お・・・おはよう」

なまえは酒臭いことを気取られぬよう、彼らから少し距離を取る。
おはよう、とエルヴィンは言った。
リヴァイは彼に続いて立ち止まると、早速意地悪く口の端を持ち上げた。

「さすがは憲兵団様だな、なまえ。朝からどれだけ酒を飲んだんだ、てめぇは」

彼女が咄嗟にした用心は、神経質で無神経な目の前の男には通じなかったらしい。

「えっ、ああ、昨日舞踏会の警備の後仲間内で飲んでたから・・・」

何とか平静を装って取り繕うも、リヴァイはただそれを鼻で笑う。
今までの彼女なら、彼に一言お返しをしてやるところだっただろう。
苦笑するエルヴィンは彼女の為にも、その話題は続けないことにした。

「なまえ、今夜もいつもの店でいいな?」

うん、となまえが答えると「じゃあ19時に」とエルヴィンは手を上げた。
建物の内部へと歩みを進める凸凹な二つの自由の翼が遠ざかっていく。
なまえはまだ治まらない鼓動を静める為、大きく深呼吸をした。



エルヴィンがこちらに来ると2人で来る店は大体ここがお決まりだ。
この辺りではかなり繁盛している人気の酒場。
今日も店は満員で活気に溢れ、客は皆大きなジョッキを高々と掲げて歌い、陽気に酒を飲んでいる。
賑やかな店内とは正反対に、リヴァイはいつものように不機嫌そうな顔で大きなジョッキを持ち上げていた。
朝の一件があったお陰か、なまえはリヴァイと狭いテーブルを一緒に囲んでも朝ほど緊張はしない。
ご機嫌らしくいつもより饒舌な隣席のエルヴィンの話も上の空に、なまえは斜め向かいに座るリヴァイを盗み見た。

(・・・あいつ、綺麗な指してるじゃん)

ジョッキの取っ手に絡められている彼の指は、小柄な彼の体格を反映してか男性にしては細く、しなやかだ。

(・・・髪も綺麗だし、顔も・・・)

ただの同僚であり友人でしかない彼をこんな風に見るのは、初めてのことだ。
なまえはまるで初めてリヴァイに出会い彼の容姿を値踏みするように、しげしげと見つめた。
すぐにでも、夕べ大広間のバルコニーで間近に見つめあった彼の端整な顔を浮かべることができる。
・・・やはり同じ人物だ。
あれはやっぱり夢ではなかったのだと、エルヴィンの話に耳を傾けているらしいリヴァイを見つめながらなまえはぼんやり思った。

「・・・なまえ」
「な、なに」

リヴァイが急にこちらを向き名前を呼んだので、なまえは飛び上がりそうな程ドキリとした。

「料理をこっちに回せ・・・冷めるだろうが」
「え?ああ、ごめん」

いつの間にかなまえの目の前に、新しい皿が運ばれていた。
炒めた野菜と芋が大皿にどっさり盛られた、見るからにヘビーな料理だった。
皿を真ん中に寄せると、相変わらず気が利かねぇ女だとリヴァイが悪態をつく。
なまえは自分が彼を見つめていたことを不審に思われていないかと内心びくびくしながら、自身も皿に手を伸ばした。

盛大に飲み食いをし店を出ると、3人はそこから程近いバーへと場所を移した。
そこでまた1時間ほど酒を飲み、気がつけば23時を回っていた。

「おい・・・もう一杯付き合え」

店を出て繁華街を家路へと歩いているうちに、リヴァイが彼の目に留まったらしい店の前で立ち止まり、珍しく3次会を提案した。

「リヴァイ、悪いが私は遠慮する。今日も朝方まで飲んでいたようなものだから、さすがにな。なまえ、付き合ってやってくれないか」
「えっ、私?!!」
「なまえは明日遅番だとナイルから聞いた」
「そ、そうだったかな・・・」

ナイルは何て余計なことを言うのだろう、とエルヴィンの提案に目を白黒させているなまえは思った。
それにきっと、疲れているから遠慮すると言いたいらしいエルヴィンなんかよりも、自分の方がずっとハードだったはずだというのに。

「尤も、遅番だからってあまり遅くまで連れ回すなと言われたんだが。明日はヤツも予定を合わせると言っていた」

二日連続の彼らとの食事の二日目は、彼女の上官でもありエルヴィンの同期でもあるナイルも一緒に食事をすることになっている。

「たまには珍しい組み合わせもいいだろ?」
「え、ええと・・・」

彼女が答えに困り口を開いたのとほぼ同時にチッ、とリヴァイが舌打ちをしたので、なまえは目を見開いて彼を見た。

「ねぇ、今舌打ちしたよね!?失礼じゃない!?あんたが次も付き合ってほしいって言ったんでしょ!?」
「・・・・・・・・・」

気持ち良く酔っ払っているらしいエルヴィンはいつもより大声で笑うと、急にいつもの調子でリヴァイにヒートアップしたなまえの肩をポン、と叩いた。

「悪いななまえ。苦情は明日聞こう」

仕方ねぇ、行くぞとリヴァイは言い、さも当然そうに目の前にあったバーの扉を開いた。



古ぼけた木の扉を閉めると、ギィと鈍い音がした。
さっきまでいた店とは違って照明も少なく、暗く落ち着いた雰囲気の店だった。
リヴァイはさっさと先を歩きカウンターへ座ると、店を見回しまだドアの前に佇むなまえにここへ座れと隣の椅子を引いた。

なまえは正直自分がリヴァイに付き合ってやりたいのか、付き合ってやりたくないのかよく分からなかった。
ただ、昨日二人でいたあの時間を思い返すと胸が騒ぎ、いつもの自分を装えるかが不安だった。

「・・・何か、いいお店みたい」
「・・・ここには来たことねぇのか」
「うん。リヴァイはあるの?」
「あると思うか?内地に滅多に来ねぇ俺が」
「だよね」

案外普通に話せるものだと、なまえは安堵した。
2人は酒を頼むと、今日もうエルヴィンと3人で何度も話した思い出話をぽつぽつと繰り返した。

「調査兵団に入った私の同期の子たちは、もう半分以上いないんだね」
「ああ・・・」
「私もまだ調査兵団にいたら、今頃巨人のお腹の中だったかな」
「さあな」
「えっ、それって私に見込みがあったかもってこと?」
「分かったことを。腹の中とは限らないって意味だ」
「あ、そっか・・・」

なまえは苦笑した。

「・・・それでも、・・・戻りたいなぁ・・・」
「・・・戯れ言はよせ」
「・・・“死んだ魚みたいな目だ”って言ってた」
「あ?」

グラスを手に包み、なまえはその中を覗き込んだ。

「私のこと。」

あぁ、とリヴァイは頷く。
この間ウォールローゼで彼らが再会を祝った席で、リヴァイがなまえに言った言葉だった。
お前は憲兵団に染まったと、彼は言った。

「すごくドキッとして――――正直、そーなんだろうなって妙に納得しちゃった」
「・・・・・・・・・」
「ねぇリヴァイ、毎日私が何してると思う?何を見てると思う?」
「まぁ、おおよそ検討はつくが」
「下らなくて、汚くて誇りも無い、最高に退屈な毎日。明日と今日が入れ替わっても何の支障も無い、繰り返しの毎日。・・・私はこんな毎日を送る為に、兵士になったのかな」
「・・・それなりの立場になったヤツが言う台詞じゃねぇな」
「・・・・・・・・・」
「てめぇは自分でそれを変えようとしたのか?」

少しの沈黙の後、なまえはそうだね、と呟いた。
今の自分は結局は、与えられた現状を嘆くしかしようとしないダメな自分にすぎないのだ。
リヴァイはそれ以上、何も言おうとしない。
自分を諦めたようにグラスを置くと、なまえは小さく笑顔を作り顔を上げた。

「・・・リヴァイはさ、結婚とか考えてるの?」
「馬鹿を言え」
「・・・恋人は?」
「・・・さぁな」
「何、さぁなって!嫌な感じ!」
「明日生きてるか分かんねぇ仕事をして、明日を考えなきゃいけないような事をすると思うか?同じ兵士でも憲兵団と俺達は違う」
「・・・ごめん」

“俺達”という言葉になまえはリヴァイからすっかり自分を突き放されてしまったような気がして、胸が痛んだ。
別に、とリヴァイは静かにグラスを傾ける。
―――そう、彼の仕事は自分たち憲兵団とは違い、明日も、次の瞬間も分からない現場に身を投じる仕事だ。
暢気に明日のことなど考えてはいられないだろう。
沈黙が続き、なまえはまたその横顔を盗み見る。
仄暗いこの店に浮かび上がる漆黒の彼の髪が美しく感じた。

「・・・そう言うお前はどうなんだ」
「・・・・・・・・・」

暫く黙っていたリヴァイが口を開いたが、なまえは沈黙を返す。
リヴァイがふと隣を見やると、なまえは机に突っ伏してぐうぐうと気持ちよさそうに眠っていた。


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