カーテンがすっかり春らしくなった蜜色の陽射しを、ゆらゆらと部屋に運び入れる。 窮屈そうにびっしりと本の並べられた、天井まであるうず高い本棚。 この部屋の主によく似合う、大きくて立派な机。 その上に沢山積み上げられた、冬を引きずったような色の皮張りの分厚い本や、この部屋の主の目に通されるのを今か今かと待ちわびている書類たち。 温かくて柔らかな風が、角ばった重苦しい物でいっぱいのこの部屋に入り込んでくる。 春の陽射しを溜め込んだ金色の睫毛が、綺麗に上を向いている。 綴じられている瞼はゆったりと左右に動き、穏やかな寝息が規則正しく彼の胸を上下させる。 この部屋の主の端整な寝顔を、なまえはうっとりと見つめた。 (はぁ・・・何でこんなにカッコいいんだろ・・・) 団長室のソファにその大きな体を横たえて、エルヴィンは昼寝をしていた。 いつも穏やかな表情を浮かべつつ、ずっしり重い緊張感を漂わせている彼がこんな無防備な姿を人に見せるのは、とても珍しいことだ。 今日はきっと最高にツイてる日に違いない、となまえは思った。 彼と二人きりになったことだって数える程しかないのに、こんなラッキーなシチュエーションが天から降ってくるだなんて! 昼前、憧れのエルヴィンに「手伝ってほしいことがあるから、後で私の部屋に来てくれ」と言われただけで、思いきり舞い上がっていたというのに。 (疲れてるのかな・・・) 心配もそこそこに、なまえは今、貴重なエルヴィンの寝顔を堂々と盗み見るのに忙しい。 憧れの相手がいつも見せない姿を惜し気もなくさらしてくれているのだから、無理もないだろう。 艶やかなブロンド。 凛々しい眉。 しっかり鼻筋の通った、意志の強そうな鼻。 いつもは固く結ばれている、いかにも男性らしい唇。 その精悍な顔を、なまえはこんなにも間近に見たことはない。 大好きなその一つ一つをしっかりと目に焼き付けようと、なまえはまじまじと彼の寝顔を見つめた。 (・・・いいかな・・・、いいよね・・・?) 人はいつだって現状に満足できない生き物だ。 なまえも他聞に漏れず、うずうずと沸き出る自分の欲望の誘惑に負けてしまう。 そっとエルヴィンの肩に触れてみる。 ・・・彼は全く動かない。 すやすやと、やっぱり穏やかに寝息を立てている。 そこで、なまえの欲望はますます彼女を誘惑する。 ――――ここに属しているからには、自分の人生があとどれくらいあるのかなんて分からない。 短いか長いか分からないその間に、エルヴィン団長とキスできるなんて幸運が自分に訪れるなんて思えない。 それに、団長はこんなにも無防備に、自分の前で眠っているんだから―――― なんて。 息を止めて、なまえはゆっくりと自分の顔をエルヴィンの寝顔に近付ける。 近付くごとに、さっきしっかり空気を吸ったはずの息が、胸が、どんどん苦しくなっていく。 「――――!!!!!」 10センチも無いくらいに近付いていただろうか。 勢いよく顔を上げると、なまえは彼から思いきり顔を背け、大きく口をあけて胸いっぱいに空気を吸い込んだ。 はぁ、はぁ、と思わず呼吸が荒くなる。 (落ち着いて・・・これは一生に一度のチャンスなんだから・・・!) 両手を当てた胸を、大きく大きく上下させる。 隣に寝ているエルヴィンが穏やかな呼吸をしているのとは正反対で、何だかとても滑稽だ。 彼女の目標から顔を背けたまま、なまえは何度も深呼吸を繰り返し何とか息を整える。 (よ・・・よし。では改めまして・・・) 心の中では憧れの彼の名前を目一杯叫ぶ。 (大好きです、エルヴィン団長―――!) 強い気持ちのままに、なまえはエルヴィンに顔を近付ける。 さっきの反省を踏まえて、びゅっと素早く。 「・・・・・・!!!!」 もう戸惑わないよう、目を瞑って顔を近付けたというのに。 あと、多分、1センチくらいだっただろうか。 びたっ、と、なまえの唇は、エルヴィンの唇に触れる前に、金縛りにでもあったかのように、止まってしまった。 (・・・・・・私の、バカ・・・) なまえを誘惑していた彼女の欲望は、意気地なしと彼女を非難する。 彼女は泣きたい気分になった。 (まぁ、いいんだ・・・そもそも寝込みを襲うとか、悪いことだし・・・) もう、ありったけの勇気を使い果たしてしまった。 すっかり心が折れてしまったなまえは、彼女の人生の中で“ここしかない”チャンスを取りこぼしてしまった自分を何とか慰めようとする。 がっくりと肩を落とすと、なまえは涙目で、やっぱり彼女が最高にカッコいいと思うエルヴィンの寝顔を、メソメソとうらめしそうに見つめた。 ――――その端整な寝顔の下に、苦笑いが隠されていたことも知らずに。 (・・・まるで蛇の生殺しだな) これじゃ逆に、自分がなまえにキスをお預けにされているみたいだ。 ――――さぁ、どうやって目を覚まそうか。 おわり back |