指 輪 の 痕 ひょっとしたらその日は、私は最初からフワフワしていたのかもしれない。 久しぶりにベテラン組も混じった15人くらいの飲み会が開かれて、偶然エルヴィン団長の隣に座った私は何だかずっと落ち着かなかった。 ベテランでもなく新人でもない私だけど、普段エルヴィン団長と雑談をするようなことは殆どなかったから。 ごつごつとした木の柱の張り巡らされている天井からワイヤーでぶらぶらと適当に下げられているランプが、この店にぎゅうぎゅう詰めに座って酒を飲んでいる客たちのうるさい声で割れてしまうんじゃないだろうかと私は酔った頭でぼんやり考えていた。 年の瀬だからか、最近はどの店も夜は大賑わいだ。 私たちも多聞に漏れず、ベテラン組が混じっても構わず酒を酌み交わして大騒ぎをしていた。 「指輪・・・ゆるいのか?」 ゴトリと重たいジョッキをテーブルに置くと、エルヴィン団長は彼のジョッキのすぐ隣にある私の手元に視線をやった。 確かに私は指輪をはめているのだけど、それについてエルヴィン団長がだしぬけに尋ねてきた理由が分からず私は「はて」と首を傾げた。 それから「いえ」とぼんやり答えた私が、さぞかし不思議な顔をしていたのだと思う。 エルヴィン団長は笑った。 「癖か?さっきから君が指輪を抜いたりはめたりしてるのは」 「あっ、すみません。そうかも・・・しれません」 私はへらへらと笑った。 指輪を抜いたりはめたり―――私はそんな落ち着かない動作をしていたのか。 たぶん、慣れない団長の隣に座ったことで緊張して落ち着かず、無意識にそんなことをしていたのだと思う。 実際、今までこうした席でエルヴィン団長の隣に座ったことなんてなかったし、彼と話に花を咲かせたこともない。 どきどきとして何を話したらいいか分からず結局お酒に逃げひたすら飲んだ私が、酔っ払ったおかげで団長に変に気を遣わずに済んだことはありがたいことだった。 変に気を遣ったって団長もやりづらいと思うし、こっちだってせっかくの飲み会で気疲れしてしまうのも何だか馬鹿馬鹿しい。 酔っ払った頭はぽーっとしてあったかくてフワフワとしている。 ・・・とても気持ちいい。 エルヴィン団長だって隣にいる女の子が緊張して固まっているよりは、ニコニコしている方が気分がいいだろう。 「君が昔からずっとしている指輪だな、なまえ」 「わ、すごい。よく知ってらっしゃいますね」 「あぁ、知ってる。――――何でも」 何故だろう。エルヴィン団長のその台詞は私のフワフワとしている体にストンと矢を立てて、私はとろんとしてうまく開けられなかった目が急に開かれた気がした。 「・・・あは、やだなぁ、エルヴィン団長。それって、どういう――――」 ぎこちなく笑って答えようとしたとき、中締めをしようと幹事から声を掛けられたので私たちの会話はそこで終わってしまった。 彼の言葉にエルヴィン団長は穏やかな笑みを私に投げかけると、席を立ち、財布を出すのだろう。ジャケットの内ポケットに手を入れながら、幹事のいる方へと歩いていった。 冬の夜の町は嫌いじゃない。 冷たい空気と裏腹に、あたたかい色の明かりたちが競うように自己主張している。 寒さをごまかす為にも大酒を飲んで顔を真っ赤にした人群れで、町自体が浮かれているような気がする。 気持ち良く酔っている私は、酒のおかげで一次会の店に向かっている時には肌を刺すように感じた厳しい寒さも、今はさほど辛くは感じない。 二次会の会場を探す一行の一番後ろをフワフワとした足取りで歩きながら、私は前を歩く仲間たちの浮かれた様子を眺めて、何だか満たされた気持ちになっていた。 「ちぇっ、この店もダメだって!」 先遣隊がアタックした店は人がいっぱいで、入店を断られたらしい。 かれこれもう4、5軒は回っているというのに、どの店も客で賑わっていてなかなか店に入れてくれない。 ピークの時間帯に15人くらいのグループでアタックしては、断られても仕方ないだろうか。寒いから、早く次の店に入りたいのに。 「仕方ねぇな、次行こうぜ、次」 どうしようかと立ち往生していた一同は、再び歩き出す。 やっぱり彼らのお尻について、私も歩き出そうとした、が。 後ろから手を引かれ、私は立ち止まる。 振り返ったその光景は、まるで切り取られた絵のように私には映った。 にぎわう明々とした町を背に、私の手を引いたエルヴィン団長が白い息を吐きながら、ただ私だけを見つめていた。 ―――どうして私はここにいるんだろう。 エルヴィン団長に手を引かれるがままふたり入った宿の一室で、私は惚けた顔をして立っていた。 あの後、誰にも何も言わずに集団から団長と二人、抜け出してきてしまった。 あたたかい部屋と凍えるような外との温度差で端が白くぼんやりと曇っている窓の下を覗けば、先程まで私たちが歩いていたにぎやかな通りが見える。 外の喧騒はここには届かない。 寒くて騒がしい外界とはきれいに切り離されたような、ただあたたかくてただ静かな、非現実的な、ありえない、目の前のこの光景。 果たしてみんなは私とエルヴィン団長がはぐれたことに気付いているのだろうか。 「おいで、なまえ」 ジャケットを脱ぎ服の首元を緩めてソファにゆったりと座る団長は、リラックスした様子だけど私とちがって少しも顔が赤くない。 部屋を照らすフロアランプが、団長の美しい金髪を舐めるように照らしてオレンジ色に変えている。 物柔らかな笑みを湛えている彼の大きな瞳は不思議に爛々としているようで、この薄暗い部屋で浮かびあがって見えた。 やっぱりフワフワとした覚束ない足取りで、私は「おいで」と呼ばれた方へ素直に歩いていく。 団長の前で足を止めると、彼は口の端をゆるやかに上げ私の手を取った。指輪をはめている方の手だ。 無言で私の手を彼の顔に近付けしげしげとそれを見つめると、エルヴィン団長はおもむろにもう片方の手で、私の指輪に彼のごつごつとした親指と人差し指を掛けた。 すっ・・・と、指輪が抜かれていく。 私はただぼーっとして、それを見つめていた。 「・・・これは、誰かにもらった物か?」 彼の大きな太い指に頼りなくつままれている私の指輪は、まるで自分の知らない誰かの指輪のように、ひどく華奢で馴染みのないもののように映る。 そのときはじめて、私は喉が渇いているような気がした。 「・・・・・・何で、ですか・・・?」 私の渇いた声に、エルヴィン団長はさっきまでとは別人のような、ニヤリとした笑みを浮かべた。 人を落ち着かせるようないつもの穏和な笑みとは正反対で、どこか挑戦的だ。 普段のエルヴィン団長とは全くの別人のように、私の目には映る。 外した私の指輪をテーブルに置くと、エルヴィン団長はその指で私の指輪の痕をなぞった。 さっき団長が言った通り、随分昔からはめている指輪なので、そこにはしっかりと痕がついている。 「どちらでもいい」 凄みのある、そして言い知れぬ妖しい笑みを浮かべるエルヴィン団長は、私の手をますます彼の顔に近付けると、その指輪の痕に、まるで唇にするように、艶かしいキスをした。 指へのキスというのは、こんなにもぞくぞくとした官能的な刺激を与えるものなのだろうか。 そして彼はその強いまなざしを、また私に向ける。 決してその手に堕ちてはいけないと自分の中の何かがシグナルを送るような、危険な微笑みを浮かべて。 私の胸は甘い痛みと痺れに襲われて、一切の動きを許さない。 「あいつと別れたと聞いたよ」 エルヴィン団長はゆっくりと立ち上がると、射すくめられたように身動きのできない私の腰に腕を回し、引き寄せる。 シグナルを送る私の中の片隅にある冷静などこかとは裏腹に、私はただエルヴィン団長になされるがまま、身を任せようとしている。 ぴたりとくっつけられた体は、やっぱり現実感がなくて、フワフワとしていた。 「なまえ、君とずっとこうしたいと思っていた」 頬に彼の分厚くてあたたかい手が添えられて、彼の顔が私の顔へゆっくりと近付いて来る。 私は小さく震える唇を少しだけ開けて、その唇にやがて触れられるのを待った。 おわり back |