スウィーティ・パイ/3




団長室のソファにふんぞり返ってコーヒーを口にしていたリヴァイは、向かいに座るエルヴィンととりとめのない話をしていた。
不意にドアがノックされたので、エルヴィンは「どうぞ」と返事をする。
しばらくしてもドアが一向に開かれないのでリヴァイは眉間の皺を更に深くして、ドアを見た。
エルヴィンはふっと軽く笑うとコーヒーカップをソーサにそっと戻し、席を立った。
ギィ、と音を立てて、重たくて背の高いドアを、彼は難なく開ける。
そこにあった光景にエルヴィンは顔をほころばせると、ドアを開けたままそこにいた彼女と同じように、廊下にしゃがみ込んで書類を拾い上げた。

「あっそんな、やめてください・・・!エルヴィン団長・・・」
「いや、いいんだ」

廊下に散らばった書類をおろおろしながら拾い謝るなまえに、エルヴィンは微笑んだ。
それにしてもかなりの量の書類が足元に散らばっている。
きっと彼女は両手に抱える程の量の書類を持ってきたのでドアがうまく開けられず、開けようとしているうちにそれを落としてしまったのだろう。
にこにこと書類を拾う手伝いをしているエルヴィンを眺めて、リヴァイは呆れたようにもう一度、コーヒーを口にした。

書類を全て拾い団長室に入ると、なまえは順番が変わっては困る書類がないかどうかチェックをするため、リヴァイとエルヴィンが腰掛けている応接セットのテーブルに書類を広げて確認を始めた。
お話し中お邪魔してしまい本当にすみません、と彼女は半泣きで書類の順番を必死に揃えている。
その姿を眺めながら、リヴァイはいかにも鈍くさそうな女だ、とげんなりした表情を浮かべた。

「なまえ、良かったら君もコーヒーでも飲んでいくかい?」

書類を揃え終わる頃エルヴィンがそう言ったのでなまえは慌てて立ち上がると、滅相もありません!と返事をした。
気にしなくていいのに、とエルヴィンは言ったけれど、彼女は固辞して書類を恭しく彼に手渡すと、「本当にすみませんでした」と言い残して団長室を後にした。

「・・・お前、ロリコンだったのか」

リヴァイはドアが閉まったことを確認ししばらくしてからコーヒーカップをカチャリとソーサに戻すと、エルヴィンに憚らずに言った。

「なまえのことか?彼女はもう立派な大人の女性だよ、リヴァイ」

全く悪びれたり弁解するような様子もなく、エルヴィンはごく自然に答えた。

「鈍くさそうな女だ」
「はは、可愛いだろう?」
「・・・失笑もんだな」
「私は彼女が可愛くてたまらないよ。彼女を形作るものはすべて、やさしくてあたたかいものなんだ。彼女はきっと、私たちと違って、人を傷付けようなんてことを考えたことはないんだろうな」
「優しいオレをお前と一緒にするなよ」
「この私が、なまえといるととてもやさしい気持ちになる」

―――今はこの男に何を言っても無駄だ。
呆れ顔のリヴァイは「随分と女の趣味が変わったもんだ」と吐き捨てて、もう一度ソファにふんぞり返り、足を組んだ。



「もう遅いんだからいい加減にしなさい」と母親にたしなめられて、なまえはしょんぼりとしながらすっかり散らかってしまった自宅のキッチンの後片付けを始めた。
エルヴィンの誕生日を明日に控えて、なまえは必死に誕生日ケーキ作りをしていた。
なまえはエルヴィンの誕生日のお祝いに誕生日ケーキを贈ろうと決めた日から仕事から帰り夕飯が終わった後、毎晩1台ずつ練習のケーキを作っていたのだが、一向に上手くいかない。
膨らまなかったり火加減が分からず焼けすぎてしまったスポンジケーキを見ながら、なまえは何でこんなに自分は要領が悪いのだろうと毎晩泣きそうになっていた。

(こんなのでちゃんと明日、エルヴィン団長に渡せるようなケーキが作れるのかなぁ・・・)

できれば前夜の今日のうちにスポンジケーキだけは完成させて、明日出掛けるまでに丁寧に飾り付けをして完成させたかったというのに。
明日からの週末は家族が親戚の家に出かけるというから、待ち合わせの14時までに、もし1台目が失敗したとしても2台目に心置きなく挑戦できる時間と環境がある。
それでもいまの状態ではとても上手くいく自信がない。
ケーキ型についたなかなか取れない焦げを擦りながら、なまえは大きなため息をついた。

翌日、彼女の不安は的中した。
1台目は少し膨らんだが焦げて硬くなってしまった。2台目は、全く膨らまなかった。3台目に挑戦する時間は、ない。
今日ばかりは、無残な姿のスポンジケーキにこらえきれず涙を落としてしまう。自分は何でこんなに要領が悪いのだろうと。
13時の鐘がなったので、なまえは涙を手で拭い、慌てて出掛ける準備を始めた。

(とりあえずお店に行って、帰ってからもう一度挑戦してみよう・・・)

少し早く店に着いたなまえは、カフェスペースのテーブルについて、落ち着かない気分でエルヴィンを待っていた。
ケーキが予定通り完成していれば、本当は今日はこのお店に入るつもりはなかったのだけど。
いつものぽっちゃりとした店員さんが注文を取りにきたので、少ししたらもう一人来ます、と伝える。
その時、なまえははっとして、彼女に話しかけた。

「あの・・・スポンジケーキって、どうしたら綺麗に膨らむんですか・・・?」

店員はその透き通るような白い肌に映えるピンクの頬をくっと上げてにこっと笑うと、「しっかり生地を混ぜることよ!」と言った。

「えっ?でも、生地はさっくり混ぜることってどの本にも書いてあるんですけど・・・」
「泡が潰れないように生地をさっくりと混ぜなきゃならないのはそうなんだけどね、きちんと全体が混ざってないと膨らまないのよ。軽くしか混ぜてないんじゃないの?生地にツヤが出るまで、しっかり混ぜる!」
「・・・・・・!」

ありがとうございます、となまえは目を輝かせた。
そうか、そうだったのか、と少し興奮した面持ちだ。
要領の悪い自分のことだからそれだけで見違えるように変わらないかもしれないけれど、彼女のおかげでぱっと視界が開けて前向きになれた気がした。
ぽっちゃりとした店員は、頑張ってね、となまえに微笑んだ。

「ひょっとして、最近一緒に来てる彼のため?」
「い、いえ!彼なんかじゃ、ないんです・・・」

なまえはうつむいて、顔を真っ赤にして答えた。

「そうなの?まぁ、最初は親子かと思ったものね」

店員は楽しそうにエルヴィンと彼女のことを聞きたがった。

「何だい?随分楽しそうだな」

店員と話している間にエルヴィンが現れて、目の前の椅子を引いた。
やはり、華奢な椅子に行儀よく腰掛けるがっしりとした体格の彼の姿はアンバランスでどこか面白い。
ぽっちゃりとした店員は愛想よく笑うと、いつものように注文を尋ねた。

「エルヴィン団長、あの・・・今夜って、おうちにいらっしゃいますか?」

突然のなまえの質問に、エルヴィンは目を丸くした。
その質問は自動的に、彼女が今夜自分に会おうとしていることを意味しているからだ。
こうして昼間に彼女と会うことはあっても、夜に彼女と出かけたり、会ったりしたことはない。

「珍しいことを聞くな、なまえ」
「あっ・・・その・・・、今日お渡ししたいものがあったんですけど・・・この時間に、間に合わなかったんです。だから、ちゃんと準備できたらエルヴィン団長のおうちにお届けしたいなって・・・」
「そうか・・・。申し訳ないんだけど、なまえ。今夜は先約があってね。家に帰るのは少し遅いかもしれない。明日じゃだめかい?君が夜遅くに出歩くのは心配だし」

“今夜は先約がある”。
なまえはその言葉にショックを受けて一瞬素直に固まってしまった顔を無理に笑顔に変えようとして、ぎこちない笑みを浮かべた。
恋人がいないと言っていたから誕生日にも予定がないんじゃないかと勝手に思っていたし、昼間はこうして自分とケーキを食べに来てくれたものだから、勝手に自分に都合の良い返事が返ってくるんじゃないかと期待してしまっていた。
誕生日の夜に約束があるというのは、どうしても彼にとって何か深い意味があるものに感じてしまう。
約束の相手というのは一体誰なんだろう。
まさか誕生日の夜の約束の相手と言うのは、仕事関係でも、男性でもないだろう。
目の前のエルヴィンがとても遠くに感じてとても悲しくなったのだけれど、誕生日ケーキを贈ろうと勝手に考えていたのは自分だし、この時間までにケーキを作れなかったのも自分だ。
エルヴィンにはひょっとしたら迷惑になってしまうかもしれないけれど、日ごろのお礼の気持ちをやっぱり形にして彼に渡したい。
やっぱりケーキを彼に贈りたいと思ったなまえは、ごく普通に振舞おうと努力した。

「明日・・・じゃ、ない方が・・・いいです。あの・・・エルヴィン団長のおうちの前に、置いておきますから。ダメですか・・・?」

不安そうな瞳にそれでも彼女の強い意思を感じて、少し困った顔をしてからエルヴィンは「君がそう言うなら」と言い胸からペンを出すとテーブルの上に置いてあったこの店のカードに自分の家の住所を書き、なまえに手渡した。
やがてケーキとお茶が運ばれてきて、この間までと同じように二人はケーキを口にしたのだけれど、この間までとはまた違った意味で、なまえはケーキの味がよく分からなくなってしまった。



(・・・できた!!)

オーブンを開けて、なまえは瞳を輝かせた。
次にお店に行ったときに、ぽっちゃりとした店員さんによくお礼を言わなければ。
彼女に言われた通り生地にツヤが出るまでしっかり混ぜて焼いてみたら、一発で、綺麗に膨らんだスポンジケーキが焼きあがってしまった。
今までの苦労は一体何だったんだろう、と興奮した面持ちで、なまえはスポンジケーキを取り出した。
これを冷ましたらデコレーションをして完成だ。
私のことだからまだ安心は出来ないけれど、と嬉しさに心躍らせながらも、なまえは気を引き締めてデコレーションの準備を始めた。

なまえは細心の注意を払ってケーキをデコレーションした。
スポンジケーキを上下二枚に分けて、シロップを塗る。
下のスポンジケーキにクリームを塗ってからフルーツを乗せて、隙間を埋めるようにクリームを塗る。
上のスポンジケーキを乗せたら、全体にシロップを塗ってからクリームを塗る。
全体にクリームを均一に塗るというのがどうにも難しくて、なまえは何度も何度もクリームを塗り重ねた。
仕上げにフルーツを上に乗せてから、最後の仕上げをする。

“お誕生日おめでとうございます エルヴィン団長”

失敗を恐れて何度も紙の上で練習をしてから、ケーキに文字を書いた。
緊張で手がぷるぷると震えたので、少しいびつになってしまったかもしれない。
それでも自分にしては、上出来だと思う。
ちょっと遠ざかってみたり、角度を変えてみたりして出来上がったケーキを眺めながら、なまえはケーキを作り上げられた嬉しさに満面の笑みを浮かべた。
あのお店にのケーキに比べたら全く足元にも及ばないけれど、やさしいエルヴィン団長だからきっと喜んでくれると思うし、日頃の感謝の気持ちだって伝わると思う。
彼の笑顔を想像して胸をときめかせながら、なまえは用意していた箱に慎重に慎重にケーキを入れた。


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