スウィーティ・パイ/2




「団長、ほんとにいいですから・・・!」
「おいおい、ここで団長はやめてくれよ、なまえ・・・」

ショーケースの前に立つ私服のエルヴィンは苦笑すると、4つほど、ケーキを店員に注文した。
懐から財布を出し、カフェで飲食した代金と一緒に持ち帰り用のケーキの代金も支払う。
店を出たところで先程エルヴィンが注文したケーキの入れられた小さな白い箱を彼から差し出されると、なまえは申し訳なさそうな顔をして、それを受け取った。

なまえがエルヴィンと「世界一おいしい」と彼女が思っているケーキ屋に通うようになって、3週間が経つ。
毎週休みの14時に、二人はそのケーキ屋でケーキを食べながらお茶をするようになっていた。
小さな店内のカフェスペースにはテーブルが3つしかない。
狭いスペースに体格の良いエルヴィンが行儀よく座っているのは、何だかアンバランスな光景のようにうつった。
ここのケーキなら一日何個でも食べられちゃいます、と初めてここを二人で訪れた時になまえが言ったのがきっかけで、エルヴィンはここでお茶をするたび、なまえに持ち帰り用のケーキを買ってやっていた。
エルヴィンから渡された小さなケーキの箱を両手で大事そうに抱えると、なまえは隣を歩く彼の顔をこっそりと盗み見た。

(・・・本当に、不思議な気分・・・)

自分の遥か頭上にある彼の精悍な顔は、とても自分のような随分年下の女の子とケーキを食べに行くようなものに感じられない。
ましてや、自分の憧れの存在であるエルヴィンと、大好きなケーキ屋に通えるようになっただなんて信じられない。
こうして二人でケーキを食べに来るのはもう3度目になるのだけれど、なまえはエルヴィンを目の前にケーキを食べると恥ずかしさからか、食べ方を忘れてしまったようにうまくケーキを口に運べない程、緊張してしまう。
せっかくのおいしいケーキなのに、口にしているケーキの味が分からないほど、どきどきとしてしまう。
彼が毎回おみやげにと買ってくれるケーキは家で食べるのでいつも通りおいしく食べられるのだけど、エルヴィンが自分に買ってくれたと思うと余計においしく感じられた。

「残念だなぁ。来週は壁外調査に出掛けるから、ケーキを食べに来れない」

上から降ってきたその声に、なまえははっとした。

「そうですよね・・・、兵士のみなさんは本当に大変ですよね」

しゅんとしたトーンの彼女の返事に、エルヴィンはやさしく目を細めた。

「生きて帰って来れないかもしれないから、今日が食べ納めでもいいように悔いなく食べたよ」
「!!」

彼の言葉に青ざめて絶句したなまえに、エルヴィンは肩をすくめておどけて笑った。

「ウソだよ。またこの店のおいしいケーキをなまえと食べられるように、生きて帰って来なきゃな」

エルヴィンは答えあぐねているなまえの肩をぽん、と叩くと、差し掛かった交差点で「じゃあな」と手を上げた。
ゆっくりと遠ざかっていく彼の大きな背中を眺めながら、なまえは彼にもらったケーキの箱を持つ手を少しだけ、強くした。



兵士たちが壁外調査に出かけてがらんとした本部の事務室は、いつもよりも少しのんびりとした雰囲気になる。
彼らが出かける直前と帰って来た直後が事務室の一番忙しい時期なので、そこから一気に解放されたような感じで落差が激しい。
ここで雇われるようになって2ヶ月が経ち、要領の悪いなまえも次第に小言を言われる回数が減ってきて、今はそこまで落ち込むような失敗もなく仕事ができるようになった。
彼女は要領が悪く飲み込みが人より遅いけれど、覚えることができればどんなに地味な仕事でも、しっかりとそれをこなすことができるようになる。
相変わらず団長室に行けばなまえは元気を充電できたし、たとえどんなに落ち込むようなことがあっても、休みの日にエルヴィンとケーキを食べに行けば元気になれるような気がしていた。
いまは不在のエルヴィンに会うことはできないけれど、みんながのんびりとした雰囲気で仕事をしているからそれほど辛いことはない。
だけど、「生きて帰って来れないかもしれないから」と言った彼の言葉は、彼からすればほんの冗談のつもりだったのだろうけど、なまえにはとてもショックなものだった。
壁外調査に行けば毎回3割の兵士が失われるということはここに来てたった2ヶ月のなまえでもイヤと言うほど分かってしまっていたし、エルヴィンはそれを率いる立場の人間だ。
普段は自分にあんなに穏やかに接してくれているけれど、彼は多くの人を従えて、率先して壮絶な世界で生きようとしている人だ。
小さな仕事でいっぱいいっぱいになっていちいち落ち込んでいる自分とは全く次元が違う。
それを自覚したなまえはエルヴィンがますます自分とは全く違う遥か遠い存在のように感じて、やりきれない気持ちを漠然と抱えながら、身近に彼のいなくなった毎日を過ごしていた。

この時期は専ら書類の整理がなまえの仕事になる。
ぱらぱらと今回の壁外調査に出かけた兵士たちの個人情報の書かれた書類をめくっていた彼女は、ある一枚に差し掛かった時、ほんの少し手を止めた。

(エルヴィン団長の誕生日・・・もうすぐなんだ)

すぐにまた、ぱらぱらと書類をめくっていく。
彼の誕生日の頃には兵士たちはこちらに帰ってきている予定だ。
しかもその日は休日で、この3週間の彼と自分の間にある小さな習慣がそのまま通りであってくれるのならば、ちょうど二人でケーキを食べに行く日ということになる。
初めてケーキを食べに行った日、なまえは自分の中の精一杯の勇気を出して、エルヴィンとこんな会話をしていた。

「あの、こうやって私に付き合って頂くのとかって、その・・・エルヴィン団長の恋人の方に、悪いなって、思うんですけど・・・」

顔を真っ赤にした神妙な面持ちでたどたどしく話したなまえにエルヴィンはぷっと吹き出すと、「残念ながら今はいないから、安心してくれよ」と答えた。
(そして、なまえがあまりにも分かりやすく頬を紅潮させ笑顔を作ったので、エルヴィンはますます笑った。)

恋人がいないのなら今度のエルヴィンの誕生日の日にも、この間までと同じように一緒にケーキを食べに行ってもらえるかもしれない。
ケーキをごちそうしてもらっているお礼に、何かお祝いをしてあげられたら。
そう思ったらなまえは急に視界がきらきらと輝きだして、胸がどきどきとしはじめたのが分かった。

(一人でも多くの兵士のみなさんと一緒に、エルヴィン団長が無事に帰ってきてくれますように・・・)

一人ひとりの兵士のデータの書かれた書類をなまえは丁寧に整理しファイリングすると、上司へと提出した。



鉛色の分厚い雲が一日中立ち込めていたせいで、その日はいつものように事務室の西向きの窓から夕日が差し込むことはなかった。
雨が降らないのが不思議だったなと、隣の席の事務員が窓の外を眺めてつぶやいた。
その日は本当の予定からいけば兵士たちが帰ってくるのにはまだ1日早かったのだけれど、昼を過ぎた頃、兵士たちが壁外から本部へと帰還した。
帰還を果たせた兵士は、やはり出て行った兵士たちの7割。3割の兵士たちは帰還が叶わなかった。その中でも、無言の帰還すら果たせなかった兵士が多い。
まず事務室は犠牲になった兵士たちについての情報を整理するのに忙しくなった。
この間なまえが整理していた今回の壁外調査に出かけた兵士たちのファイルを持って、慌ただしく事務員たちは確認作業を行っていた。
急にばたばたとし始めた事務室で自分の仕事を探していたなまえは、事務室長に呼び止められ、この書類をエルヴィン団長へ持っていってくれと指示を受けた。
団長室へ書類を持っていくよう頼まれるといつもならどんな時でも胸をときめかせてしまうのだけれど、今日ばかりは別の意味で胸がどきりとする。
壮絶な任務から帰って来たエルヴィンに一体どんな顔で会えばいいのか、なまえには分からなかった。

「失礼、します・・・」

なまえが団長室に入ると、疲れきった表情のエルヴィンはいつもと違い、応接セットのソファにぐったりとした様子で腰掛けていた。
ありがとう、そこに置いておいてくれ、と彼はいつもなら腰掛けているはずのデスクを指差した。
彼女はおどおどしながら不在の間に置かれた書類がたまってしまっているエルヴィンのデスクの分かりやすい位置に手にしていた書類を置くと、小さく礼をして、部屋を出ようとした。

「・・・なまえ、君は元気だったかな?」

ドアに手を掛けたとき背中にそう呼びかけられたなまえは、心臓を跳ね上げてエルヴィンを振り返った。

「は・・・はい。・・・・・・エルヴィン団長は・・・?」

やっぱりおどおどとしながら、なまえは答えた。

「元気だよ。今はとても疲れているけどね・・・生きて帰ってこれたから、また君とケーキを食べに行けるな」

疲れて下がっていた口角を力なく上げて、エルヴィンはなまえに弱く微笑みかけた。

「私のせいでまた多くの兵士を失ってしまったのだけど・・・君とまたケーキを食べに行ったりしたら、彼らに怒られてしまうかな」

意思の強さでいつも青く輝いている彼の大きな瞳は、今は疲労で、今日の空みたいに濁っているように感じられた。
彼が小さくため息をついたので、エルヴィンの心中を思い、なまえは胸が痛んだ。

「・・・エルヴィン団長は、立派な人です。・・・私はここに雇って頂いたばかりで、何も分からないただの事務員ですけれど・・・エルヴィン団長がここにいるみなさんに、強く信頼されて、誰からも尊敬されているっていうことは、私にも分かります。だから・・・。だから、エルヴィン団長がほっとされるような時間を持つこと、命を落とされてしまったみなさんだって、絶対に怒ったりしません」

偉そうなことを言ってしまっただろうか。
また、的外れなことを言ってしまっただろうか。
ぱちぱちと早めのまばたきをして、なまえはエルヴィンから自信なさげに、視線を外した。

「・・・ありがとう、なまえ」

彼女のたどたどしい言葉は不思議な程に、すっと自分の心に染み込んできた気がした。
エルヴィンはそれを噛み締めるようにそっと目じりを下げて、不安そうにドアの前に佇む彼女を見つめた。
――――なまえはまるで、ケーキや飴細工のようだ。
かわいらしくて、うっかり触れたら壊れてしまいそうな程頼りなさげで、彼女の存在そのものがやさしくて、甘くて、ふわふわとしている。

「次の休みを楽しみにしてるよ」

彼の言葉に頬を染めると、さっきの彼の言葉のせいかなまえは少し申し訳なさそうにしてから少しだけ笑顔を作り、はい、と返事をした。


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