就寝時間前、布団の上で今日起こった出来事をあれこれと話していたはずの男子たちはいつのまにかいつも通りの猥談へと続いていく、くだらない話を始めていた。
今日の彼らのホットなお題は、「キス」らしい。
ファーストキスくらいはもう済んでいるだろう、という体で話は進んでいく。
まさかまだじゃないよな、済んでいるのなら相手は誰なんだ、今まで何人くらいとしたのか―――――
エレンはそろそろこのくだらない輪から抜けようかと思い始めていた。

「エレンももちろん済んでるんだろ?」

だしぬけに尋ねられ、エレンはぎょっとした。
どうやら自分の答える番が回ってきたらしい。

「どうせミカサだろぉ〜、分かりきってて面白くねぇよそんな質問」

呆れたように他の少年が答えた。

「あのなぁ、ミカサはそんなんじゃねぇよ」

エレンはムッとして答えた。
ミカサは確かに自分にとって家族で、かけがえのないとても大切な存在ではあるけれど、神に誓ってそんなことをした覚えはない。

「照れるなよエレン、誰もそんな話信じねぇぜ」
「大体、オレはキスなんか―――――」

からかわれて反論しようとした時、エレンは思い出した。
大体オレはキスなんかしたことない。と答えようとしたのだけど、ふと、記憶が蘇った。
した、ことがある。
そういえば、して、しまった。
エレンは落ち着かずに胸元に手をやった。
いつもそこにあった鍵はなく、すかされたような感覚になった。
そしてなぜそれがないのかを思い出し、ゴクリとつばを飲む。

「“キスなんか”、何だよ。ミカサ以外としたってのか?」

この間の“下らない外出”の幹事の一人の少年がニヤニヤと尋ねた。
本当にこいつは下らない下世話なことの好きなやつだ、とイラッとしたけれど、エレンは苦笑いを浮かべて口をつぐんだ。
言えるわけない。
すっかり忘れていたけれど、自分のファーストキスの相手が彼らの憧れのなまえだっただなんて―――――。






強 気 チ ェ リ ー / 3







「エレン、本当に行くの?」

アルミンはそのやや太い眉を、不安げに寄せた。

「ああ、頼むぜ。お前なら絶対上手くごまかしてくれる。ホント心強いぜ」

開け放した廊下の端の窓から差し込む月明かりを背に、エレンは落ち着いた様子で言った。
彼は今夜寮を抜け出して、この間なまえの家に置いてきてしまった“鍵”を取りに行くことにしていた。
いつも肌身離さずつけていたから、あれがないとどうにも落ち着かない。

「どうしてもあれを早く取りに行きたいんだ、アルミン。あれが一体なんなのかよく分かんねぇけど・・・どうしてもそうしなきゃいけねぇ気がして・・・」
「うん、分かってる。あの鍵はきっと、エレンのおうちにとって、エレンのお父さんにとって、とても大切なものなんだ。」
「・・・ああ、とにかく、あれがないと落ち着かねぇ」

自分の言葉にアルミンが深く頷いたのでエレンはニッと笑うと、窓から身を乗り出し、軽やかに地面へ着地した。

「(気を付けて)」

アルミンは小声で言うと、窓から身を乗り出しながら外に出た彼の親友にあかりを手渡し、小さく手を振った。
あかりを受け取り、ああ、というように手を上げると、エレンは足音を立てないように、走り出した。




就寝時間に外に抜け出すのは初めてではないけれど、町に行くというのは初めてだったので、多少の緊張はあった。
町は昼間とは全く違った顔を見せていた。
夜だというのに町は昼間のように明るく、人がたくさん歩いている。
お酒を飲んでいる人が多いせいか、独特のにぎやかな騒がしさがあるような気がした。
エレンはびくびくしながら歩いた。
ひょっとしてこの中に教官たちがいるのではないか、と危惧したからだ。
うつむき顔を隠すようにして目抜き通りの端っこを通りながら何とかなまえのカフェに辿りつくと、店にはまだ明かりがこうこうとついて店は賑わっていた。
店に入ってなまえを呼ぶなんて目立つことはできなかったので、エレンは仕方なく小さな店の裏庭に回り、彼女の部屋へ続く階段を上り、そのドアの前で座って彼女を待つことにした。
あの賑わっている様子からすると、まだしばらくここで待っていなければいけないだろう。
エレンはため息をつくと一旦あかりを消し、近付いている座学のテスト範囲の、暗記しなければいけない単語をぶつぶつとつぶやきながら復習をし始めた。

(しまった・・・借りた服を持ってこればよかった)

1時間くらい経っただろうか。おじいさんに貸してもらった服を持ってくるのを忘れてしまったと後悔していたとき、階段を上る足音が聞こえてきた。
足音と手に持つあかりと一緒に、なまえの小さな頭が近付いて来る。
その顔が現れたとき、なまえは足を止めて無言でエレンをあかりで照らした。

「・・・驚かさないでよ」

その声色は落ち着いていたし表情も全く変わらなかったので、エレンには自分がいまここにいたことについて彼女が驚いたようにはとても思えなかった。

「・・・鍵を取りに来たんだ」
「鍵?」
「・・・その・・・この間、シャワーを借りた時に・・・」
「・・・あぁ、あのネックレスか」

なまえはぴくりとも表情を変えずにエレンの前を通り過ぎると、エプロンのポケットから鍵を取り出しドアを開けた。
中に入ってもエレンはドアの前でなまえを見つめたまま立っていたので、「入れば」とそっけなく言った。
エレンは得体の知れない存在に思える彼女を少し警戒するようにして中に入ると、恐る恐るドアを閉めた。

すたすたとなまえは部屋の中へ入っていくと、明かりをナイトテーブルの上に置きエプロンを取り、ベッドの上に置いた。
それから腰の右側にある黒いワンピースのファスナーを下げると、そのままストン、とワンピースを床に落とした。
下半身が下着一枚になったなまえはそれを拾い上げると、エプロンと同じようにベッドの上に放るようにして置いた。

「なっ・・・!」

彼女についてキッチンまで来ていたエレンは、キッチンから続きになっている彼女の寝室でいきなり服を脱ぎ始めたなまえにぎょっとした。

「私、疲れてるの。仕事が終わって部屋に戻ったら一番に服を脱ぎたいわけ。探し物なら勝手にしたら?」

なまえは目のやり場に困りあたふたとしているエレンには全く構わず、今度は大きく胸元の開いている丸襟のブラウスのボタンに手をかけた。

(ホント・・・どーなってるんだよ、この女は!)

普通女が親しくもない男を家に入れて、彼女の習慣なのかは知らないが、いきなりその服を脱ぎ始めるだろうか。
目の前の信じられない光景に顔を赤くしつつ、エレンはあのバスルームへと向かった。

再びつけたあかりを手にエレンは小さなバスルームを見回し床にも這いつくばって鍵を探したが、見付からない。
何となくそんな気はしていたのだ。
たぶん、あの女が鍵を持っているのだと。
そして自分に意地悪をしているのだろうということも。

エレンは恐る恐るキッチンの手前から、寝室にいるであろうなまえに話し掛けた。
彼女のいまの姿を見てしまうのが怖かったからだ。

「あの・・・ないみたいなんだけど」
「そう、残念ね」

声が近い。
そう思った瞬間、目の前になまえが現れた。
上下、下着姿だ。(エレンはひょっとしたら裸なんじゃないかと思っていた。)
やっぱり大きな胸の谷間と、くびれた腰と、すらりと長い足を堂々とさらしている。
まさか目の前に彼女が現れるとは思っていなかったエレンは心臓をどきりとさせて、息を飲んだ。

「・・・なまえが、持ってるんじゃないのかよ・・・」

どきどきとしながらも、エレンは真っ直ぐに、少し睨むようにして、なまえの目を真っ直ぐに見た。

「・・・私のこと疑ってるの?」

なまえは表情をぴくりとも変えずに答えた。
その表情に彼女の疑いへの自信が揺らいで、エレンは一瞬戸惑った。
けれど、これまでの彼女の言動を見るに、彼女の言葉というのは全く信用ができない。
軽く拳を握り、エレンは言った。

「でも・・・あそこにないのなら――――」

その言葉に、なまえの口の端は意地悪く、少しだけ上げられた。

「!」

やっぱり、とエレンは思った。
そして、彼女を睨む。

「返せよ」

なまえは笑った。

「やだなぁ、人聞きの悪い。誰がいつあんたのネックレスを奪ったのよ」
「だって、お前が持ってるんだろ!」

初めて強い口調で、エレンは畳み掛けるように言った。
明白に、怒りを露にしている。
それでも彼女は笑っていた。

「そんなに大事なの?これ・・・」

なまえはおもむろに握っていた手を開くと、中からエレンの探していた鍵が姿を現した。
「ほら、やっぱりそうじゃねぇか」とエレンは毒づいた。

「早く返せよ」

口調を強めながらも強引に奪い返そうとはしないエレンになまえは意地悪く笑う表情を変えない。
意地の悪い笑みを不敵な笑みにすっと変えて彼女が自分に顔を近付けたので、エレンは反射的に身を縮めた。

「ねぇ、エレン。あんた、童貞でしょ」
「・・・は、はぁ・・・?!」

間近にある綺麗な顔から飛び出した突拍子のない言葉に、エレンは呆れたように口をあんぐりと開けた。

「今、それと何の関係があるんだよ」
「だって私の裸を見ても襲ってこなかったじゃん。それって、インポか、よっぽどの意気地なしか、童貞か、ゲイ。・・・あっ、エレン、ゲイなの?」

さっきまでの自分を見下ろすような意地の悪い顔から、急に子供のような無邪気な表情に変わる。
たぶん彼女は自分を困らせて遊びたかっただけなのだ。
エレンは彼女の奔放さに付き合わされて、どっと疲れた気がした。

「・・・何なんだよ、もう。ほんと訳分かんねぇ・・・。早く返してくれよ、オレの鍵・・・」
「まだ、私の質問に答えてないわよ」

さっきからずっと鼻がくっつきそうな距離のままのなまえの顔は、再び意地の悪い笑みを浮かべた。

「・・・そうだったら、何なんだよ」
「ゲイってこと?」
「・・・勝手に言ってろよ・・・」
「ふふ・・・そう。じゃあ、私と一緒ね」

エレンはムッとして彼女から顔を逸らしていたが、その言葉に顔をしかめて彼女を見た。

「ウソだ」

一緒、って、「したことがない」ってことだろ。人の前で平気で裸を見せるわ服を脱ぎだすわのお前のどこが処女だよ、とエレンは思った。
それに、こんなに立派な身体をしている――――と思わずすぐ目の前にある彼女の下着姿に視線を落としてしまい、エレンは顔を赤くして再び彼女から顔を逸らした。

「ホントよ」

なまえは笑う。

「確かめてみる?エレン」

その言葉に、ドキドキとしていた心臓が止まりそうになった。

「バッ・・・バカなこと、言うなよ!」
「してみたら分かるじゃない。私が処女かどうか」

彼女はそう言ってエレンからようやく顔を離した。
そして手に持っていた鍵を彼の目の前に差し出してから、そのさくらんぼのような唇を意地悪く開いた。

「私の言葉がウソだったら、返してあげる」
「!」

そうエレンに言うとなまえは鍵を自分の首に下げ、彼女の立派な胸の谷間に、その鍵を挿すようにして挟み込んだ。




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