シャワーを浴びている間小さなバスルームには勢い良く出る水音が響いて、誰か入ってきたような音は全く聞こえなかったのだけど、エレンがシャワーを浴び終えてバスルームを見回してみても、貸してもらえるという代えの服らしきものはまだ置いていなかった。
じゃあさっき見えた廊下の奥の部屋だろうかと、下着とパンツを履きワインに濡れた服を持ちバスルームを出て、恐る恐るそちらへ歩く。
辿りついた廊下の一番奥の部屋はやっぱりキッチンで、2人掛けの小さな古いダイニングセットとやっぱり小さな古いキッチン、そこから向かって左にはベッドが置かれ、そこはそのまま寝室になっているようだった。
ベッドサイドにはアンティークなナイトテーブルが置かれ、その上には小さな額に入った絵と、何故か、少し汚れた包帯が置いてある。
一人暮らしをしているらしい女の子の部屋に初めて入ったエレンは恐る恐る周りを見回してから、ダイニングセットの椅子を引き、腰掛けた。
部屋の床は古い木板でフローリングのようなニスも塗られておらず、かなり色あせている。
キッチンはかなり古い仕様で食器はいくつかが並べておいてあるががらんとしていて、あまり使われているような形跡はなかった。
あまり女の子らしく飾り立てられた部屋ではなくて、至ってシンプルな部屋だ。
正面奥の窓からはあたたかい光がいっぱいに差し込んでくるので、上半身は裸だけどそこまで寒くは感じない。

(早く来てくれねぇかな・・・)

エレンはとても落ち着かなかった。
部屋の主にそうしていろと言われたとはいえ、主のいない女の子の部屋で一人でいるというのがどうにも居心地が悪い。
はぁ、と肩を落としてもう一度周りを見回したとき、玄関のドアがガチャリと音を立てた。

「ごめん、おばあちゃんもうすぐ来るから」

彼が座っているところからは玄関が死角になっていたので姿は見えなかったが、なまえの声だった。
エレンが「ああ」と答えると、ガチャリとまた玄関のドアを閉める音がした。
この部屋に来てから20分は経っているだろうが、店はかなり忙しそうだったので無理もない。
なまえはわざわざことわりに来てくれたのだろうか。
手持ち無沙汰なエレンは椅子に掛けたまま落ち着かない風にしていたが、ふと気付いた。

(あ、しまった・・・鍵を・・・)

いつも自分の首から下げている鍵がない。
手に持っていた汚れてしまった服を広げて上下に振ってみたけど、何も落ちてこない。
きっと服を脱いだときに一緒に取って、バスルームに置いてきてしまったのだろう。
エレンは何の気なしに椅子から立ち上がり、バスルームに向かうとそのドアを開けた。

「!?!」

エレンは中に入った瞬間、バスルームが蒸気でこもっていることに気が付いた。シャワーカーテンが引かれ、ざーっと、シャワーの音がしている。
一瞬わけが分からず恐る恐る横へ目をやると、そこには確かになまえがさっき着ていた服やエプロンが簡単にたたまれ置かれていた。
しまった。彼女は自分におばあさんが来るのが遅れていることをことわりに来たのではなく、シャワーを浴びにここに来たのだ。
何しろ先程この自分が彼女の胸にりんごジュースを吹きかけてしまったのだから、彼女がシャワーを浴びにきたとしてもおかしくはない。
考えながら混乱している間にキュッキュッ、とシャワーを止める音が聞こえてきた。
(やばい)、エレンがすぐに立ち去ろうとしたときタイミング悪く玄関のドアがガチャリと音を立てたので、不意をつかれ驚いたエレンは反射的に“内側から”バスルームのドアを閉めてしまった。

「ボク、遅くなってごめんなさいね。服を置いていくわ」

さっきのおばあさんの声が聞こえて、足音がすぐそこを通過していく。
やっといま、貸してくれるというおじいさんの服を持ってきてくれたのだ。
おばあさんは恐らくキッチンの方へ向かっているのだろう。
その時、シャッ、と音を立て、シャワーカーテンが開かれた。

「!」

なまえは目の前にエレンを見つけて一瞬驚いた表情を見せたが、声を上げたりせず、すぐに無表情のそれになった。
そして驚くことに、その身体を隠そうともしなかった。
普通女性に自分の裸を不意に見らてしまうようなハプニングが起これば、その誰もが何とか自分の身体を隠そうとする素振りを見せるだろう。
エレンは自分を見つめる一糸纏わぬ彼女の姿に、顔を逸らすでもなく、目を覆うでもなく、ただ呆然として、その状況に立ち尽くしていた。
まだシャワーの滴っている白く豊かな胸、アンバランスにきゅっとくびれた高い位置にある細い腰、長い足、それから、初めてみる女の子の“あそこ”―――――
まるで絵に描いたような、本当に踊り子の人形を裸にしたような美しい彼女の裸体に、エレンは息を飲んでただ固まった。

古い木板をギッ、ギッ、と今度は玄関方向へと通過していく足音が聞こえる。
そして、玄関のドアが閉められた音がした。
なまえはそれを確認するようにしてから、冷たい表情のまま静かに口を開いた。

「ビックリ・・・覗きとかするようなタイプには思えなかったけど」

当たり前だけど、彼女の表情と同様に声のトーンは先程より冷たい。
それでもやっぱり、彼女は堂々としていて自分の身体を隠そうとはしない。
エレンはその姿から目を離せなくて、固まってしまった口をもごもごとしながらも、何とか動かした。

「ち・・・ちがう、オレはただ――――」
「ただ、何よ」

髪をまとめていたターバンをすっと取り、彼女の髪がさらりと下ろされる。
なまえはそのまま裸足でぱた、ぱた、と音を立て、シャワーに濡れたまま、エレンに向かって歩き出した。
バスルームの床に、濡れた彼女の足跡がひとつずつ、描かれていく。
彼女が一歩歩くたびに、その大きな胸が揺れる。
やがてなまえはエレンのすぐ目の前に立つと、真っ直ぐに彼の瞳を捉えた。
その瞳に、どきり、とエレンの心臓が大きな音を立てる。
自分の心臓はそのまま止まってしまうんじゃないかと、エレンは思った。
それは今まで味わってきた緊張とは全く違う種類の緊張だった。
よく分からない汗が、彼の裸の上半身を伝っていく。
バスルームの蒸気にむせているかのように、呼吸も苦しく感じた。

「か・・・鍵を・・・ここに忘れて・・・、し、知らなかったんだ、あんた―――なまえが、シャワーを浴びてるなんて・・・」
「・・・・・・・・・」

小声でたじろぐエレンに、なまえは無表情のまま彼を見つめ、黙ったままだ。
エレンはあまり身長が変わらない彼女にまるで見下ろされているかのような気持ちになった。
けれど冷たい表情で自分を間近に見つめている彼女のその瞳はまるで濡れているかのように艶っぽく、そして挑発的な色を秘めているようにすら感じられる。
その美しい瞳を、エレンはなすすべなく、半ば恐れを抱きつつ魅入られるように見つめていたが、どうしたらいいか分からない風にその瞳を下へと逸らした。

「!」

さっき路地裏で学習したはずなのに、目を逸らした先が、悪かった。
そこには言うまでもなく、路地裏で凝視してしまったときと同様に、彼女の大きな胸が露になっている。
今度は谷間だけじゃない。
シャワーに濡れた彼女の胸が自分の目の前に、むしろ、自分の裸の上半身にくっついてしまいそうなほど近くにさらされている。
なまえの首筋から垂れてきた水滴がすぅっと彼女の白く豊かな胸を艶かしく伝っていく。
やがてその水滴がうすいピンク色の胸の先端から床へと落ちていったのをまじまじと眺め、エレンはゴクリと唾を飲んだ。

「あ・・・その・・・」

エレンがたどたどしく言葉を紡ごうとしたその時、押し黙っていたなまえは冷たく目を細めて言った。

「早く出ていったら?」
「・・・は・・・、」

彼女の冷たい言葉に言葉を失い目をぎゅっと綴じると、エレンはごめん、と言い、バスルームを慌てて出た。
はやる心臓を押さえ早足でキッチンに戻ると、ダイニングテーブルの上に置かれていた男物の服を急ぎ着て汚れた自分の服を持ち、エレンは逃げるようにして彼女の部屋を出た。
階段を覚束ない足取りで駆け下り先程の裏庭に出ると、全身にかいていた変な汗のせいか、身体がひやっとした気がした。
エレンは少し立ち止まり呼吸を整えると、先程通った店の勝手口をくぐった。

「あら、よく似合ってる。遅くなってごめんなさいね」

勝手口脇の厨房にいたおばあさんはまだドキドキとしているエレンににこにこと話掛けると、紙袋を手渡した。
これに服を入れなさいということらしい。

「すみません・・・また返しに来ます」
「ええ、いつでも大丈夫だから。ごめんなさいね、なまえちゃんが迷惑を掛けちゃって」
「い、いえ、そんな・・・」

奥にいるおじいさんも愛想よくエレンに笑いかけた。
いかにも人の良さそうな老夫婦で、何だか全てが浮世離れしているなまえとは何だかとてもアンバランスな組み合わせのように思える。
だからこそ、この老夫婦はなまえと暮らしていられるのだろうか?
いや、でも同じ部屋に一緒に住んでいるというわけではないようだし――――
ぐるぐると考えを巡らせながらエレンは二人に小さく会釈をすると、客席へ戻った。
一緒に来た仲間たちのテーブルにはエレンを待っている間、サービスで出された飲み物が置かれていた。
一同はなまえから多少話を聞いたらしいのだが、エレンが戻ってすぐ店を出ると全員でエレンを質問攻めにした。
あの大男と一体あれからどうなったのか、今までどうしていたのか、なまえと一体どうなっているのか。(もちろんバスルームのハプニングのことは伝えなかった。)

「エレンだけ特別かよ、やってられないぜ」

同じテーブルに座っていた幹事の少年が頭の後ろで腕を組み、拗ねたように言った。

「バカ言うなよ、オレは訳の分かんねぇことに巻き込まれただけだぜ・・・」

自分の着てきた服を入れた紙袋を見てため息をつくと、エレンは力なく答えた。
集団はそれぞれ門限までに行きたい場所があったので、なまえの店から少し離れた交差点で解散した。

「エレン、大変だったね」

アルミンがげっそりとしているエレンを心配して尋ねた。

「ああ・・・ほんと、訳わかんねーよ、今日・・・」
「すごい女の人だったね・・・みんなが騒ぐだけあって、ほんとに可愛かったけど」
「いや、強烈すぎだろあれは・・・」

やはりげっそりとして、エレンとアルミンはようやく彼らの行きたかった書店にたどり着いた。
広い店内を歩き回り悩んだ末アルミンは2冊本を買うと、うれしそうにそれを抱えて帰路についた。
就寝前、それを夢中で読み始めたアルミンの隣で、先程まで必死にワインに汚れた服を洗濯して疲れきっていたエレンは布団の中でうとうととし始めていた。

綴じた瞼の裏に、自分を射抜くようにとらえていた、彼女の美しい、濡れたように艶っぽい瞳がまざまざと浮かんでくる。
確かにあの時、エレンは彼女のことを怖いくらいに美しいと思った。
そして生々しく、彼女の綺麗な裸体が思い出される。
あと少しで自分に触れてしまいそうだった豊かな胸、くびれた腰、長い足、初めてみてしまった女の子の“あれ”――――
そして間近にあった彼女の胸を艶かしく水滴が伝っていったのを思い出し、エレンは自分の下半身がみるみるうちに熱く、硬くなったのが分かった。

(な、なに考えてるんだ、オレは――――!)

確かに彼女は本当に可愛くて綺麗でスタイルがいいと思うけれど、本当に強烈で、変な、そして、厄介な女だ。
今日はあの女のせいで面倒なことに巻き込まれてばかりだった。
いつも着ている服を汚されて、初めて女の部屋に入り、シャワーを借りてあんなハプニングがあって。
しかも、鍵を―――――

「!!!」
「わぁ、何?」

横になっていたエレンが突然飛び起きたので、アルミンは驚いた。
悪い、とエレンは言い、また布団に横になる。

(しまった・・・!鍵、置いてきちまった・・・!)

あんなハプニングがあったので目的を忘れてしまっていたけれど、そもそもあの時バスルームに入ったのは、いつも首に下げている鍵をバスルームに置いてきてしまったからだった。
つまり、行方知れずの父さんと自分を繋ぐ気がしているあの鍵は、今も、あの女の部屋に――――

(ああ・・・最悪だ、もうあの女と顔を合わせたくないのに)

けれどどうしてもあれは取りに行かなければならない。しかも、少しでも早く。
エレンは苦虫を噛み潰したような顔をして、再び目を綴じた。
今度は彼女を思い浮かべてしまわないように、キースのおっかない顔を思い浮かべながら。


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