強 気 チ ェ リ ー / 2




なまえのカフェの店内は男でごった返していて、エレンたちは6人掛けのテーブルと、4人掛けのテーブルに分かれて座っていた。
客は全部で30人くらいだろうか。その全ての客の目的がなまえにあることは明らかだった。
厨房ではおじいさんとおばあさんが飲み物や軽食を忙しそうに用意して、おばあさんも時々手伝いながら、なまえは注文を取ったり物を運んだり、忙しなく店内を動き回っていた。
やっとエレンたちのテーブルに飲み物が運ばれてきたのは20分以上経ってからで、しかも運んできたのはおばあさんだったので、おばあさんに「私でごめんなさいね」と言われ「いえいえそんな」と答えつつも、一同は残念な表情を隠せずにいた。

「なっ・・・!めちゃくちゃ可愛いだろ!」

幹事のうち一人の少年が、なまえの姿を目で追いながら得意げに言った。
テーブルには、その少年、ジャン、アルミン、エレンの4人が掛けている。

「あぁ・・・あれはすげぇな・・・」

半ばこのグループから離脱しようかとすら思った、そして、少しブルーな気持ちをぶら下げていたジャンも、美しい彼女の惜しげもないセクシーな姿に(来てよかった)と、今は心から思った。
思春期の少年はどんなに落ち込んでいるときでも、悲しいかな目の前の魅惑的な何かに常に慰められてしまうものだ。

「だろ?ジャン!オレたちの言葉にも納得だろぉ?あんなに可愛くてあんなに胸がデカくて腰がキュっとしてさぁ!まじたまんねぇよな!スタイルもめちゃくちゃいいけどさ、清純で、可愛くて、綺麗で・・・はぁ・・・マジ天使だ・・・」

なるほど、同じ“男心をそそる”体型の104期生にいるなまえはどちらかというと女性らしいしなやかな体型で、こちらのなまえは本当に人形のようなスタイルをしている。
彼は鼻の下をそれ以上伸ばせないであろう程に伸ばして答えた。
黙ってそれを聞きつつ、エレンはなまえへの熱気に溢れる店内に呆れていた。
そもそもこの店に来ようとしているこの集団から上手く逃げ出すつもりだったのに、あの女のせいで逃げそびれてしまい今自分はここにいる。

「・・・どこが天使だよ、どこが」
「えっ?何だって、エレン?」

うるさい店内ではぼそりとつぶやいたその声は隣に座るアルミンにしか聞こえなかったらしい。
アルミンは何とも言えない表情で苦笑いを浮かべた。
“天使”。もちろんエレンだってアルミンだって、最初に彼女を見た時には本当にそう思ったのだ。
彼女が口を開くその瞬間までは。
つい先程の出来事を思い返して、エレンは呆れたように引き攣り笑いを浮かべ、目の前のりんごジュースを口にした。

「・・・?」

ふと気付くと、このテーブルの3人の視線が自分の方へ注がれて半ば唖然とした表情をしている。
何事か、と彼らの視線に従って横へ振り向くと。

「ブハッ・・・!!」
「!!」

エレンが振り向くと目の前には、大きな胸の谷間があった。
考え事をしていたから気付かなかったけれど、今度はなまえが“10人連れて来てくれたお礼に”サービスのクッキーを運んできたらしい。
彼女がクッキーを山盛りに入れたバスケットをテーブルに置こうとした時、彼女がかがんでその惜しげもなくさらされている大きな胸が更に強調されたので、一同はそれに釘付けになっていたのだ。
それに気付かず突然なまえの立派な胸の谷間を間近にしたエレンは驚き、口に含んでいたりんごジュースを思い切り彼女の胸へと噴出してしまった。

あたふたとエレンはパンツのポケットからハンカチを取り出し、濡れてしまったなまえの胸を拭き始めた。

「あ・・・あぁ・・・わ、悪い・・・!」
「・・・・・・・・・」

なまえはきょとんとして、自分の胸を必死にハンカチで拭くエレンを見つめている。

「・・・ね、ねぇエレン・・・」

一同も彼女と同じようにしてきょとんとしていたが、真っ青な顔をして、アルミンがエレンに声を掛ける。

「な、何だよ・・・!」

アルミンの前に座っていたジャンは顔を引き攣らせて、笑った。

「お前・・・わざとか・・・?」
「あ・・・あぁ・・・?!」

そのジャンの言葉でエレンはハッとして、手を止める。
目の前にはなまえの大胆に露出されている大きな胸があって、自分はハンカチを挟んでとはいえ、思い切り大胆にそこへ触れている。
大きなマシュマロでも触っているかのような、やわらかなさわり心地。
エレンは硬直した。
そしてそのままガチガチとぎこちなく、きょとんと自分を見つめているなまえの顔を見上げる。
彼女の美しい瞳が、真っ直ぐ自分に落とされている。

「あ・・・あ・・・オ、オレ・・・」

たどたどしくエレンが何かを言わなければと口を開こうとした時だった。
彼の視界が急に、紫色に染まる。
ざっ、と、自分の頭の上から何かの液体が注がれているという感覚と共に。

「お前・・・なになまえの胸を大っぴらに触ってんだよぉ・・・!!!」

この情けない声には聞き覚えがある、とエレンは思った。
そして今度は自分の胸元を見てみると、服が紫色に染まっている。
今度は椅子ごと後ろを振り返ると、彼の記憶通り、先程なまえにこっぴどくフラれて泣いて走り去っていった大男だった。
彼は自分の酒袋から、エレンの頭めがけて中に入れていたワインを掛けたらしい。

「な・・・何するんだよ・・・!服が汚れちゃっただろうが・・・!!」

がたん、と音がして椅子が床へ倒れる。
前髪からまだパタパタと落ちてくるワインに構わずエレンは椅子から立ち上がり、大男を睨み上げていた。
ぽかんと口を開けてその様子を見ていたなまえはこの騒ぎにしんとしていた店内をちらっと眺め大きくため息をつくと、睨み合う二人に口を開いた。

「・・・ちょっと・・・、いい?」

なまえは親指を店のキッチンの脇にある勝手口の方へと指した。
大男は「あぁ」とすぐそちらへ向かおうとした。
「何なんだよ、一体」と不服そうに言いながらエレンは床に倒れた椅子を起こし座ろうとしたが、なまえはその彼の腕を持ち上げるようにして引っ張る。

「あんたもよ」
「は・・・はぁ?何でオレまで」
「いいから来るの!おばあちゃんごめん、ちょっとだけ出るね」

エレンの腕を引っ張り、なまえは二人を連れて、勝手口へと向かった。





「あんたさぁ・・・二度と私に顔見せないでって言ったでしょ」

勝手口をくぐり小さな裏庭に出ると、なまえは両手を腰に当て、仁王立ちになって大男の前に立ちはだかった。
彼女の1.5倍はあるんじゃないかという男の方が弱弱しく見えるから不思議だ。

「だって・・・このガキがお前の胸を無理やり触るから、オレが助けてやったんだよ・・・!」

大男は情けを乞うように弱弱しく言った。
なまえは鼻で笑うと、冷たく笑い彼に答えた。

「このコはいいのよ、だって私のカレシだもん」
「「はぁ!?」」

背中を丸めた大男とエレンの声がシンクロした。
エレンは青ざめてなまえと大男の顔を交互に見る。
もちろん自分は彼女と付き合った覚えなどないし、まともに話したことすらない。
この女は完全に自分を巻き込むつもりだ、とエレンは青ざめた顔のまま思った。
大男は唇をわなわなと震わせ、エレンの足のつま先から頭のてっぺんまでをじろじろと3往復程見回す。

「ウソだ・・・絶対にウソだ!なまえがこんなガキと付き合うなんてありえねぇ」

エレンはその言葉には不本意な部分もありながらも、(当たり前だろ)と呆れた。
少し冷静になって考えてみれば分かるだろう。ありえない彼女のウソに少しでも動揺するだなんて、頭の悪い男だ。女に相手にされないのも無理はない、とエレンは思った。

「ホントよ。ねっ、エレン」
「!!!」

隣でそう言った彼女の綺麗な顔がそのまま自分の顔にすぅっと近付いてきて、ちゅ、と軽く唇が触れた。
もちろん、彼の唇に。
ふわり、と触れた彼女のさくらんぼのような唇の感触に、エレンは目をぎょっとさせた。

「バッ・・・お前、いきなり何するんだよ・・・!!?」

エレンは口元を袖口でゴシゴシと拭くと、青ざめた顔で立ち尽くしている大男に構わず、なまえに叫んだ。
驚いたように、彼女もやはり大男には構わず、エレンを向く。

「なに?あんた、私にキスされてうれしくないわけ?」
「当たり前だろ!いきなり知らないヤツにこんなことされて――――」

自分をよそに向かい合い見つめ合い痴話げんかを始めた二人に、大男は青ざめた顔をさらに引き攣らせて、地の底から響く声のごとく、声を振り絞るように言った。

「・・・もういい、とにかくこのクソガキは許さねぇ・・・」
「!」

そして胸元のポケットから小さなナイフを取り出すと、そのままエレン目掛けて突進してきた。
なまえは驚き身構えたが、エレンは冷静だった。
突進してきた大男の腕を払いのけるようにして掴み、そのまま地面へ引き倒す。
大男はどしん、と鈍くて重たい音と共に地面に引き倒され、じたばたとうごめいている。
頬に土を着けて男はエレンから逃れようとじたばた抵抗するが、エレンに抑えつけられてうまく抵抗できない。

「すっごおい・・・」

自分よりはるかに大きな男を取り押さえたエレンに感心したようになまえはその光景を眺めていたが、大男の手からエレンがナイフを振り払うようにして取り上げたので、彼女は地面に落ちたそれをさっと手に取った。

「おい、あんた・・・オレはこーいうのはよく分かんねぇけど・・・女の前でナイフを向けるような男、フラれても仕方ないんじゃねぇのかよ・・・」
「・・・・・・」

腕を掴み大男を地面に抑えつけながら、エレンは彼に語りかけた。
その言葉に、大男は黙って抵抗を力なくする。
ため息をつくと、エレンは少しだけ、その力を弱めた。

「そうよ、だからさっさとどっか行けっ」
「だから、またお前はそういう・・・」

こんな状況でもなまえは容赦ない言葉を彼に放つので、エレンは呆れたように彼女を見た。
すると、大男は大きくため息をつき、「分かったよ」とつぶやいた。
その言葉を確認すると、エレンは彼を解放してやった。
大男は身体に着いた土を払い力なく立ち上がりまた一つ大きなため息をつくと、自分がさっき繰り出したナイフを片手に持つなまえをまっすぐ見つめ、うなだれた。

「このガキの言う通りだな・・・。悪かったよ、なまえ・・・」
「分かればいいのよ。じゃあね、バイバイ」

彼女は振った男にとことん容赦ないらしい。
容赦ない言葉にも大男は力なく背中を向け、すごすごとそのまま裏庭を後にした。
弱弱しく去っていく彼のさびしい背中をやるせない表情で眺めるエレンとは対照的に、なまえはそれには全く興味がないようで彼の去っていく姿を見てさえいなかった。
やっぱりエレンは彼を気の毒に思って、隣で全く悪びれないなまえに呆れて話しかけた。

「・・・大体なぁ、あんたがあんなキツイ言い方したりとか、そんな格好してるから悪いんだよ。体よくオレを使いやがって・・・」
「何よ、私が悪いって言うの?あれくらい言わないとしつこいのよ、男は」
「せめて、もっと布の面積の多い服を着ろよ・・・」
「いいでしょ、私はこれが好きなんだから」
「はぁ・・・」

勝手にしろ、とエレンは彼女に辟易して、呆れ笑いを浮かべた。

「あんた、すごいのね。びっくりしちゃった。何かやってるの?」

エレンの呆れ笑いに少し間を置いて、なまえは思い出したように彼に話しかけた。

「え・・・あ、あぁ・・・オレ、訓練兵だから・・・」

何だか少しバツが悪そうに、エレンは答えた。
訓練兵で学んだことをしょうもない男女のいざこざで発揮してしまったことが、とても情けなく感じていた。

「・・・訓練兵?」
「そうだけど、何だよ」

彼女の聞き方に、何かを感じたエレンはほんの少し眉根を寄せて答えた。

「・・・・・・ふーん・・・じゃあそのうち、調査兵団とかに入ったりするわけ?」
「!・・・バカにしてんのか、調査兵団を」

まず彼女の口から真っ先に“調査兵団”という言葉が出たのに驚いたけれど、エレンは彼女も他の市民たちと同様に調査兵団をバカにしているのだろうと思い、憚らずにムッとした。

「ううん、別に。驚いた。本当に調査兵団志望なの?キミ」
「悪いかよ・・・」
「いいんじゃない?私は別に嫌いじゃないわ」

なまえは意味ありげに笑うと、エレンの手を引いた。

「エレン、こっちに来て」

彼女の言葉の意味を推し量りかねてまだ少しムッとしているエレンの表情も全く気にせず、なまえは彼の腕を引いた。

「・・・そういえば何で、オレの名前・・・」
「さっきあんたの友達がそう呼んでたじゃない」
「あ・・・ああ・・・」
「シャワー使えば?そんな格好じゃ戻れないでしょ」

ワインに濡れた頭に触れ汚れてしまった服を見て、エレンはそうだな、と思った。
自分はここを出た後アルミンの行きたがっていた本屋に行くつもりだし、このまま町を歩き、そして帰るのはやはり恥ずかしい。
彼女は裏庭に面している階段を上ると、古い木の扉を開けた。
どうやら店の真上に位置している部屋らしい。
中に入ると、正面奥にダイニングセットが見える。
そしてなまえが開けた、廊下の左手にあるドアの中にはバスルームがあるらしかった。

「これ・・・あんたの部屋か・・・?」
「なまえ」
「は?」
「私の名前。なまえ。生意気なコね、年上に向かって“あんた”って」
「わ、悪い・・・“なまえ”・・・」
「・・・・・・私の、部屋よ」

自分の名前が呼ばれたのを確認したように、なまえは静かに彼の問いに答えた。
エレンには、この部屋を“私の部屋”というには立派すぎる気がした。
部屋自体は質素なのだけど、何しろちゃんとしたバスルームと、キッチンがあるように見えたからだ。
さっき店で見た様子だと、彼女の家族には厨房で忙しく働いていたおじいさんとおばあさんがいるはずだ。

「おじいさんとおばあさんと一緒じゃないのか」
「・・・あんた初対面のくせに、馴れ馴れしいね」

自分の言葉になまえの綺麗な顔がすっと冷たい表情に変わったのが分かったので、エレンは彼女の顔色を窺うようにして、「ごめん」と言った。
たぶん自分は、何か立ち入ったことを聞いてしまったのだ。
彼女はバスルームへエレンを案内すると、籐のバスケットから大きなタオルを取り出した。

「じゃあ、私は戻るから。服はおじいちゃんのを貸してあげる。おばあちゃんにここまで持ってきてもらうから、まだだったらあっちで腰掛けて待ってて」
「あ、ああ・・・悪い」

バスタオルをエレンに差し出すと、なまえはバスルームをさっさと出て行った。
エレンはバスルームをしげしげと見回す。
何しろ他人の家でバスルームを借りることも、女の子の部屋に来ることも初めてだったので。

(はぁ・・・何っか今日は面倒なことに巻き込まれる日だな・・・)

ワインに濡れた服を脱ぐとやはりワインに濡れてべたつく頭をわしわしと触り、大きなため息をつきながら、エレンはシャワーの蛇口を捻った。




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