浮 か れ チ ェ リ ー / 3-1





深い森の香りにむせてしまいそうだ。
立体機動の演習が終わり、訓練兵たちは森の前に整列をしていた。
夕方になり、冷たくなってきた風がしっとりとした森の香りを運びながら、彼らの間を通り抜けていく。
今日の演習では成績優秀者が発表されることになっている。
大体上位にくる者たちの顔ぶれは分かっていたのだけれど、それぞれが緊張した面持ちで鬼教官を見つめていた。
その中でも彼は、ひときわ真剣な面持ちで固唾を飲みながらそれを待ちわびていた。
まるで卒業時の最終成績の発表を待っているかのように。
鬼教官はいつも通りの凶悪な顔で、助手の教官が集計したのであろう成績を書かれた紙を広げると、ひとつ小さく咳払いをした。

「本日の成績優秀者を発表する。5位サシャ・ブラウス。4位ベルトルト・フーバー。3位ライナー・ブラウン・・・」

(・・・どうだ、どうなんだよ・・・)

「2位ミカサ・アッカーマン」

(・・・・・・・・・)

彼は、冷や汗をにじませながら目を見開き、祈るように鬼教官を見つめた。

「1位ジャン・キルシュタイン」

「―――――――!!!!」

何とか叫びだしたかった声を我慢できて本当に良かった。
一瞬の間を置いて、彼は回りが驚くほどのガッツポーズをした。
本当はガスを極限まで噴かして立体機動で飛び回り森中にその雄叫びを響かせたい程だったのだが。
彼は演習が終わり整列が解かれると、きょろきょろと交差する人波の中に彼女の顔を探した。





時は、この間のめくるめく夜に遡る。

「な、なぁなまえ・・・あのよ・・・、」
「なに?ジャン」

血走らせた眼で迫るジャンに「また今度」とこれまた魅惑的な言葉でおあずけを命令したなまえは、ブラウスのボタンをゆっくりとした動作で掛け直していた。
ジャンは落ち着かない様子で名残惜しい彼女の胸元と手元を盗み見たり、床に視線を落としたりしている。

「今度の立体機動の演習で・・・成績優秀者の発表があるだろ?」
「うん」
「オレってさ・・・まぁ、立体機動は得意なんだけど。1番ってわけではないと思うんだよ。ホラ!ライナーとかさ、・・・ミ、ミカサとか、あいつらすげえじゃん」
「・・・うん」
「もしだな・・・それでオレがもし1番だったら・・・その、アレだ。ホラ・・・」

彼女は恐らくジャンの言い出すことが分かっていたのだろう。
少しまばたきを早めて、彼の顔を見つめた。

「お前のさ、胸を・・・、さ・・・触らせて・・・くれないか」

顔を真っ赤にして視線を合わせないジャンに、なまえは口元を手で隠し小さく笑った。
恐らくジャンと同い年の女子だったならば、怒っていたかもしれない。
ジャンが好きだったとしても、照れ隠しで怒ったフリくらいしていただろう。

(わ、笑ってんのかよ・・・いいのか?悪いのか?一体、どういう――――)

彼にとってはなまえはもう同じ人間とは思えないくらい、不思議な神秘的な、魅惑的な存在に思えていた。
たしかに彼女の思考など、彼の全く想像のつかないところにある。

「あは・・・うん。いいよ」

目を細めて微笑む彼女は本当に可愛くて美しくて、やっぱり天が自分に使わせてくれた性と美を司どる神なのだとジャンは思った。

「マジかよ!!よっしゃ!!なまえ、もう・・・オレ、マジで、マジで頑張るから・・・!」
「だ、だからジャン、ちょっと静かに・・・」
「ああ、す、すまん」
「・・・うん。今度の演習、頑張ってね」

なまえはまだクスクスと笑っている。
ジャンは彼女がそこにある扉を開けてこの倉庫に入ってきた瞬間のあの絶望感などはすっかり忘れ去って、いま自分は最高に幸せだと思った。
そして、必ずや立体機動の演習で一番を取ってみせると鼻息を荒くし、まだ治まらない股間をさらに熱くした。
外の様子を窺いながらもジャンはちゃっかりと次の休みの前の夜にここで会おうと約束を取り付けると、二人はこっそりと器具庫を後にした。





自分はこの104期生の中でも立体機動についてはトップクラスの実力を持っているという自負があったジャンだけれど、ライナーや彼の意中の相手であるミカサなど実践的な演習では凄腕のライバルが大勢いる。
事実、今まで成績が発表される演習において彼が一番になったことは一度もなかった。
けれど今回なまえと取り付けた約束への熱意が彼の力を十二分に発揮させたのか、達成は正直かなり厳しいと思っていた彼の熱望通りの成績を得ることができた。
もし「この喜びを誰に伝えたいですか?」とインタビューがあれば、ジャンは迷うことなく(むしろ質問を食い気味に)なり振り構わず「なまえに伝えたい」と絶叫していたことだろう。
わらわらと歩く104期生の波の中に、必死に彼女の姿を探す。
秘密の約束だし、それが果たされるのは今度の休み前の夜なのだから、今すぐ声を掛けたいというわけではない。
ただ、有言実行した自分のことを、彼女は一体どんな風に思っていることだろう。
彼女はいま一体どんな顔をしているだろう。
もし、彼女があの独特な妖艶な微笑みを浮かべていてくれたとしたら、自分はもう―――――
ジャンはどうしてもそれが知りたくて、立ち止まりキョロキョロと辺りを見回した。

「おい、ジャン。すごいじゃないか」

よく知る低い声が上から降ってきたので、ジャンはそちらを向いた。

「ああ、オレがやる気になればこんなもんだ」
「まさかお前が一位なんてなぁ。次は負けないぜ」

ライナーは快活に笑うとジャンの背中をバシ、と叩いた。

「お前最近なんっか調子いいよなぁ〜」

不満げなコニーが、両手を頭の後ろに回しながら立ち止まる二人に加わった。

「何かこの間からよ〜、上機嫌でやたら兄貴ぶったりよぉ・・・」

唇を尖らして小柄な彼はジャンの顔を恨めしそうに眺めた。
コニーの言う通りで、ジャンはこの間のなまえとの“めくるめく夜”から、上機嫌だった。
まず、やたら笑顔で親切になった。
彼らは気付いていないけれど、それはなまえの視界に自分が入っているときだけだったのだが。
そして毎日の猥談では童貞を卒業すらしていないし事実だけを並べてみればただ自分のオナニーをなまえに見られただけのことだというのに、ジャンはまるで性に対して自分以上の経験をしたものはいないというような態度で兄貴風を吹かせた猥談を繰り広げていた。
全般的にジャンの上から目線がひどくなったと思っている者も多かった。
しかし何しろ彼は上機嫌で今までの彼よりもずっと周りには(ジャン比で)物腰柔らかに接するようになっていたので(エレンとの衝突も減ったほどだ)、そこまで不快に思う者はいなかった。

「まっ・・・オレには女神がついてるからな」

フッと鼻で笑い格好をつけた彼に、ライナーとコニーは愛想笑いを浮かべた。
面倒そうだからこれ以上話を続けたくなかったからだった。

「!」

愛想笑いを浮かべたライナーとコニーの後ろに、探していたなまえの姿を発見してジャンはドキリと体を硬直させた。
歩いていく彼女の横顔はやっぱりセクシーで、素敵だった。
ジャンは思わず彼女のところへ寄っていこうかと思ったのだけれど、何とか思いとどまった。
彼女がたくさんの男に囲まれていたからだった。
一人で歩いていたのならば、こっそり「やったぜ」と伝えにもいけたかもしれないが。

普段なまえは彼女と同じくらいの、少し年上でちょっと派手な男子や女子にいつも囲まれている。
彼らのかたまりは、同期の中で他のグループとは一線を画している。
今までは彼らのことを落第者と心の中で蔑んでいたが、彼女のことしか頭になくなってしまった最近は、彼らに嫉妬をするようになっていた。

「ん?・・・ああ、なまえか」

振り返ったライナーは彼女の姿を認めると、ぽつりと言った。

「・・・ジャン、お前、なまえに惚れてるのか?」
「・・・あ?ああ?!」

顔を真っ赤にして、ジャンは狼狽した。
焦る彼の様子を見てか、男子たちが彼らの周りに輪を作り出す。
ガシリ、と肩に腕を回され、元気に笑う少年は楽しそうに言った。

「チキショー今日もなまえはエロくて可愛いなってか!」
「ライナー、なまえを好きじゃない男子なんていねぇよ」
「そーそー」

馴れ馴れしく肩に腕を回されたジャンは少しそれを不快に思ったが、彼らの言葉に「お前らとちがってオレとなまえは」、とますます優越感に鼻の穴を広げた。

「あ、オレさ、なまえのちょっとした噂を聞いたぜ」
「噂ぁ?まぁあいつにまつわる噂は常に事欠かないな」
「いや、それがさ・・・結構ショッキングなんだよ」
「何だよ、勿体ぶるなよ」

ライナーが少し顔をしかめたのを、ジャンは見逃さなかった。
恐らく、なまえの噂によくある「ただの色っぽい話」ではすまされないような予感がしたからなのだろうとジャンは思った。

「この間の休みの日の昼間によ・・・なまえが町で知らないオッサンと歩いてたって言うんだ」

この間の休みの日。
それは、なまえとジャンが器具庫でめくるめく夜を過ごした日だった。
ジャンはサッと自分の体温が下がったのが分かった。

「女子によると、その日なまえは夜の見回りの時に自分が寝てるように見えるよう自分の布団に何か入れておいてくれって周りに頼んでたらしい。実際あいつが帰ったのも相当遅い時間だったらしくて」
「何だよそれ、ひょっとしてそんな時間までそのオッサンといたってことかよ――――――」
「・・・そうとしか思えないんじゃねぇ?」
「あいつ、確かに同年代や年下よりは年上の方が好みのような気がするけど・・・」
「おいおい、いろんな意味で相当ヤバそうな話だな。教官にも絶対知られないようにしないと―――――」
「やべえ、なまえは昼間から夜まで、そのオッサンと一体何してたんだよ!」

めちゃくちゃエロいな、と彼は興奮した。
周りの男子たちも顔を上気させて、なまえとオッサンの関係を激しく妄想する。
いつもならジャンも彼らと同じように淫らな想像を楽しんでいたのかもしれない。
けれど、ライナーと自分だけが、少し顔を曇らせているのが分かった。
出自を詳しく明かさない彼女のことだから、何か秘密があるのかもしれない。
その一緒にいたオッサンというのも、それに関係がある人物なのかもしれない。
何か自分の気持ちの中に引っ掛かるものを感じるけれど、自分は今は彼女と自分の間にできたちょっとした特別な関係を大切にしたいし、それだけを考えていたい。
ジャンは自分の心の中にできた何かもやもやするものに蓋をして、今度は彼が回りに歩調を合わせるように、少しやりすぎな程に、愛想笑いを浮かべた。




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