浮 か れ チ ェ リ ー / 2-1




ジャンはあの日から、専らなまえのことしか考えられなくなっていた。


“もう・・・ジャンの、エッチ。”


彼女のその可愛くもセクシーな表情と、その男の欲望を掻き立てるセリフ。
彼の脳ではもうとっくに擦り切れてもいい程に、その瞬間が何千回も繰り返し再生されていた。
尤も、彼の持ちえる全ての想像力をそれにつぎ込んで、現実通りなのは彼女のセリフだけで、それを言う彼女の姿はひどく淫らな姿にアレンジされていたのだけど。

彼女のことが気になって仕方なくても、こういうことに関してはこと臆病で奥手な彼が彼女に声を掛けることなどできようもなかった。
彼女の胸、彼女のセクシーな唇、彼女のもの言いたげな瞳、彼女の細い指、彼女の腰、彼女の太腿、彼女の尻・・・
その全てがただならぬ色気を放つひどく妖艶なものに、ジャンの瞳にはうつる。
104期生の男子たち曰く、「なまえは存在そのものがエロい」のだと。
なまえを目にすれば彼女のことを舐めるように盗み見ていたし、目にしなければ専ら妄想していた。
そして、左手を眺め、大切そうにさすっては思い出すのだ。
確かにその手で鷲掴みにした、彼女の胸の感触を!

演習中や授業中など、体を動かしていたり教官がいれば気持ちを落ち着かせ目の前の課題に集中できる。
しかしその枷がなくなってしまうと、目の前の課題に集中しなくてはと思っていても、ふと彼女のことが思い浮かぶとどうしても悶々としてしまう。
自分が訓練兵で寮生活でなければ、きっと一日20回は一人で「いたして」いたところだろう。
その日も大切な宿題があるというのに、夜の寮でどうしようもなく気持ちが落ち着かず宿題が進まない。
マルコと二人顔を向かい合わせて取り掛かっていたのだけど、どうしてもそれに集中できない。
悶々としている自分に対して今は聖人にしか見えない彼の友人はさっさと宿題を済ませてしまったので、二人の勉強会を散会させると、仕方ない、いっちょヌいてからやるか・・・と心置きなく彼を解放できるようジャンは寮を抜け出し、グラウンドと寮の間にある小さな備品庫に忍び込んだ。


「・・・はぁ、・・・あ・・・」

彼自身をしごく音が狭くて埃っぽい備品庫に響く。
古びた棚に背を預けて座り込んでいるジャンは、恍惚とした表情で自身を解放していた。
やっぱり一人はいい。
部屋だと他のヤツらがいるから、布団に隠れてするにも皆が寝静まってからしかできないし、ふいに起きた誰かに音を聞かれる可能性だって高い。
トイレなんかに行ってしてもいいのだけど、それでもやっぱり変な声や音が聞かれてしまうのではないかという恐れもあった(恐らくみんなそうしているのだろうが)。
今日はそれで何とかできそうな程余裕がない。
ジャンは一人、今宵の月明かりが差し込む備品庫の中で、とびきり開放的な自慰を楽しんでいた。

やわらかかった、そして、見た目よりももっと大きく感じたなまえの胸をもっとリアルに思い浮かべよ!
ジャンの暴れる脳と下半身がビリビリと指令する。

「――――あぁ・・・なまえ・・・」

彼女の顔。彼女の唇。彼女の尻。
いい感じに、とっておきにエッチな彼女の姿を目の前に浮かべることができる。

そうか、なまえ。オレのこと、そんなに好きなのか。オレとそんなにエッチなことがしたいのか。
・・・ああ、めちゃくちゃ血が上ってきた。そろそろイきそうだ。

彼は左手の速度を上げる。

「・・・なまえ・・・、なまえ、なまえ、―――――っ!!」


その時、ガタガタと音を立てて、無情にも器具庫の建て付けの悪い引き戸が開けられた。


「・・・あっ、ごめん」

問答無用に開けられた扉から覗いた顔は、その言葉と驚いた顔とは裏腹に迷わずそのまま建物の内側に入ってきて、ジャンに背を向けて扉を急いで閉めた。

一瞬で凍りついたジャンは、世界のすべてが終わったと思った。
先程まであんなに熱を帯びていた彼自身は、まるで極寒の地に放り出されたようにジャンの体ごとぐにゃりと縮んだ。


(・・・・・・・・・・・・死のう)


天国から地獄へ。
腰を浮かせ体を折り曲げて今は額を古びた埃っぽい木の床につけているジャンは、穴という穴から血を出せそうな程に撃沈していた。
自分が生まれてから今まで築き上げてきた物が全てこの埃っぽい器具庫のような灰色に染まり、ガラガラと音を立てて瓦解していく。
何故、よりによってこのタイミングでこんなことが起こる。
いつだって来て欲しいときには妄想の中にしか現れないくせに(現れたからこうなったのだけど)、どうして、今ここにいきなり本物が現れたのだ。

(どうしてここになまえが・・・どうして・・・)

夢だと言ってくれ、と、半ケツを浮かせてその場にうずくまるジャンは何度も心の中で叫んだ。
取り返しがつかないことが起こってしまった。
この世に生まれて14年余、今までソツなく上手くやってきたつもりだった。
それなのに、さっきまでの順風満帆に思われた自分の人生は、全てどこか手の届かない遠くに行ってしまったようだ。
いまこの場で起こっている出来事は、ジャンの人生で起こった出来事の中で、間違いなく一番悲惨な事件だった。

「ごめんね、ジャン・・・外から寮にこっそり戻ろうとしたら教官に見付かりそうになって咄嗟に・・・」

扉に顔を向け、ジャンには背中を向けたままのなまえが小さな声で言った。
ジャンは絶望に押しつぶされ顔を突っ伏したまま、何も答えられない。
できれば床に顔を激しく打ち付けてそのまま死んでしまいたかった。
なまえは扉に耳を傾け外の様子を探るようにして、しばらく黙っていた。

「びっくりしちゃった・・・」

ジャンは額を床につけたまま、自分から見て横に佇んでいる彼女に少しだけ視線を向けると、小さく肩で息をしている彼女が胸に手を当てて呼吸を整えるようにしているのが見えた。
彼はあれだけ自分の淫らな妄想の中で欲していた彼女自身がすぐそこにいるというのに、いまは何も彼女に話したくなかった。
いや、話すのが怖かったのかもしれない。
だって、言い訳もクソもない状況なのだから。
月明かりの差し込む薄暗い器具庫に佇む彼女の後ろ姿は、星の彼方ほどに遠い存在に思われた。
彼が何も答えず黙っているので、彼女もまた黙っていた。

「・・・私と同じ名前の女の子が、好きなの?」

少しして、なまえが隠していた悪事が見付かりどうしたらいいか分からなくなってしまった子供をあやすような、穏やかな口調でそっと話しかけてきた。
ドキリとしたジャンは、何と答えようか迷った。
同期にはもちろん彼女と同じなまえなんて名前の女子はいないし、彼女のその質問に、うっすらとした希望が見えた気がしたからだった。
そう、見られた事実は変えられないしこんな失態を他人に、しかもおかずにしていたなまえ自身に見られてしまった自分の絶望も拭えないけれど、彼女側では自分程の一大事と捉えていないのかもしれないと思ったからだ。
それは、先日彼女の胸を鷲掴みにしてしまった前科に対しての彼女の寛大な対応もあったからで。

「・・・本当に、ごめんね」
「・・・・・・謝るなよ、余計に惨めになるだろうが・・・」

ジャンはまだ埃っぽい床に頭をつけたままだった。
彼女の顔を見て話ができるはずもない。
あまりにもダメージがでかすぎる。

「誰にも言わないから・・・」

彼女の言葉にまた少し視線をやってみると、彼女はまだ自分に背中を向けていたので、ジャンはとりあえずずり下げていた下着とパンツを元に戻した。

「・・・早く、寮に戻れよ・・・」

弱々しく彼女にそう言うと、なまえは「まだ教官が見回りをしているはずだから」と言った。
ジャンは彼女がこの部屋に飛び込んできてから、もう100年も経ったような気がしていた。

「だから・・・ジャン、続き・・・して、いいよ」

なまえの言葉に、一瞬ジャンは何を言われたのか訳が分からなかった。




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