兵長とブラジャー






大変な事をしてしまった。
下着を風呂場に置いてきてしまった。
気付いたのは夜中。
さすがに皆就寝している。
夜明けにはオルオが日課の朝風呂を浴びに来るだろう。
女子かよ。
つまり、それまでに私のブラジャー―――下着を、取ってこなくてはいけない。

これには一大決心がいる。
まず、この旧調査兵団本部は、一大ホラーのセットのような古城であること。
そして、今は夜中で誰も部屋の外にいないこと。
それから何より、真っ暗であること。
つまり私は怖がりで、これらの恐怖よりも巨人と戦う方がマシだと思っている。

しかし、その恐怖を超えて私はブラ…下着を取りにいかなければならない。
着用済みだしもちろん洗濯もしていない。
私はここにいる兵士の中で一番下っ端なので、一番最後に風呂に入った。
しかも、ここにいる女性は限られているので持ち主は一瞬で判明してしまうであろう。
しかも発見すると思われるのがオルオであること。
奴が一体どんな行動を取ると思われるか。
悪いイメージしか浮かんでこない。

(やっぱり、行こう。仕方ない。どうしても奪還しなくてはいけない。下着への進撃。)

部屋を灯していた明かりを手に取り、恐る恐る寝室のドアを開けた。
闇の中をぽつぽつと一定距離で、壁に灯された明かりが頼りなくゆらゆら照らしている。
音が世界からなくなってしまったかのように、廊下は静寂に包まれている。
やっぱり無理かもしれない。
すごく怖い。
部屋に戻ろうか。
ドアを開けたままでぐらぐらと決心が揺れる。
だって、お化けでも出たら――――


「おい」


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


驚きすぎた時って、声が出ないんですね。
開けたドアの後ろから、リヴァイ兵長が突然現れた。

「リ、リ、リ、リ、ごごご、ご、ご、ご、」

リヴァイ兵長、ごめんなさい、と言いたかったのだが声が出ない。
心臓が、公を守る為に捧げた心臓が、こんなところで飛び出そうになってしまった。

「何を言ってやがる」

意に介さず。
それはそうだろう。

「あ、あ、あ、あ、あの、の、ご、ごめんなさい」

やっとの思いで「ごめんなさい」だけは伝えたのだが。

「お前、確か…」

そうですよね、調査兵団にほんの数年前に入り、大した戦歴もなくおめおめ生き残り、
手伝いの雑務兵で少し前にこちらに来たザコ兵士の私の名前など、人類最強と名高い兵長がお知りなわけもなく。

「なまえ・みょうじです」
「…なまえ、こんな夜更けにそんな格好でどこへ行く」

そんな格好、について触れておこう。
私はネグリジェを着ていたが、万が一の為にブレードを装備して風呂場へ行こうとしていたのである。

「あ、あ、あの、すみません。風呂場に…」
「風呂場に何故武装して行く」
「えっ…」

冷たい瞳のリヴァイ兵長の指摘に、そうですね、と冷静な言葉が出たものの、

「お化けが出るといけないので」

と念のため理由を答えた。

「てめぇは夢遊病か?」

真顔で彼は答える。
違うんです、風呂場に忘れ物をしまして、ほら、こんな場所合いでしょう。途中でお化けがいるといけないと思ったものですから…
と、真意を手短に伝えたのだが、寝言は寝て言えと侮蔑の瞳を向けられた。
しかし、そんなことは想定の範囲内だ。

「兵長は、どちらへ…」
「酒だ」
「そ、そうですか」

ここは、上下関係上「私が取りに行って参ります」と心臓を捧げるポーズをしなければいけないところである。
暫くの沈黙の後。

「兵長、わ、私が、取りに行って参ります…!!」

悲壮な決意で叫んだものの、
兵長はその三白眼で私の足のつま先から頭のてっぺんまでをゆっくりと白い目で眺めて、結構だ、と言った。

「はっ、そうおっしゃらず、私が…!」
「いいって言ってんだろうが削ぐぞてめぇ」

兵長の青い顔を見て、ひっ、申し訳ありません!と最敬礼をした。
彼はそのまま背中を向けると、さっさと廊下を歩いていく。

(…あれ、風呂場って、食料置いてある部屋の行き道じゃね…)

これは千載一遇のチャンスである。
神様が可哀想な私にくれたプレゼントである。

兵長の後に着いていけばいいんだ!!!

少し離れて、兵長の後についていくことにした。
何と心強いのだろう。
人類最強が私についていてくれるのだ。(正確には、私が勝手についていっているのだが。)
私は高揚した気持ちで寝室のドアを閉めた。

「…お前、さっきからカチャカチャうるせえんだよ」
「はっ…!耳障りでしたでしょうか、申し訳ありません」

一言も話さず、ただ「たまたま同じ方向に歩いている風」に兵長の後を静かについてきていたつもりだったのだが。
私が身につけているブレードの動く音が耳障りだったようだ。

「さっさと取って来い、お前の―――」

えっ、と声が出てしまった。
ここは風呂場の前じゃないか。

「…兵長、あの――?」
「さっさとしろグズ野郎、俺は気が短いんだ。置いていくぞ」

は、はひ!と返事をして、さっと風呂場へ踵を返す。
「ついていってもいいですか」も何も言わず、ただ兵長の小柄な背中を見ながら城内を歩いていたら、いつの間にか風呂場についていた。
静かにしていたつもりだが、ブレードの動く音がムカつくと怒られた。
そしたら、待っているからさっさと忘れ物を取って来いと言われた。

あの、兵長が…?
途中まではいつも通りの兵長だったのに。
あの、血も涙もない、冷酷な、口の悪い、ゴロツキの、潔癖症で、怖くて、顔も怖いし、粗暴で、ええと、あと…

兵長の思わぬ気遣いに動揺した為か、真っ暗な風呂場に一人で入り、無事ブラジャーを奪還することができた。

「兵長、無事奪還して参りました。お気遣い、あ、ありがとうございます…!!」

兵長は、入り口のところで私をちゃんと待っていてくれた。
取ってきた下着が見えぬようさっとポケットに入れ、私は彼に最敬礼をした。
顔を上げると兵長が心底軽蔑したかのような冷たい瞳を投げかけていた。
彼は何も言わずに背中を向けると、食料の置いてある部屋へ歩きだした。
私はブラジャーが飛び出さないよう片手でポケットをギュッと握り、もう片方の手でブレードを動かぬよう押さえ、彼の後を静かについていった。

兵長は酒を2、3本抱えると、部屋の隅で待っていた私に一瞥もやらず、来た方向へと歩き出した。

「兵長、それくらいお持ちします(両手は塞がっていますが)」
「いらん」
「でも、」
「お前、少し付き合え」
「は」
「酒だ。酌をしろ」


しゃ、く…。
酌くらいできますよ、できるけどですね…、あの兵長とサシで飲むって…
何という拷問。
今までろくに話したこともないのに。

何を話したらいい?
どのくらいのペースで注げばいい?
コップの水滴は拭きますか?
黙っていた方がいいですか?

招き入れられた兵長の部屋は、当然私の寝室より広く、部屋の主よろしくとても綺麗に整頓されていた。
この城に入り一週間経ち、生活臭が漂う私の部屋よりもその前からこちらに来ている兵長の部屋の方が、ずっと清潔感が漂っている。

(潔癖症ってくらい綺麗好きって知ってたけど、)
「おい何をキョロキョロしてる」
「あっ、すみません。さすが綺麗にしてらっしゃるな、と思いまして…」
「あぁ?」
「(えっ、私、何か怒られること言った!?)その、私の部屋より、ずっと綺麗です。兵長のお嫁さんにはなれないだろうな〜なんて…ハハ…」
「下らない戯言を吐いてる暇があるんならさっさと酒を注げ、グズ野郎」
「は、はっ!」

少し離れたデスクに目をやると、いろんな書類が山積みになっていた。
こんな時間までデスクワークをしていたんだ…。
兵長はソファにふんぞりかえると、スカーフを取り、胸元のボタンをいくつか外した。
最強の名をほしいままにしどんな任務でもこなす、誰もが憧れる、オフの姿など想像のできない、リヴァイ兵士長。
そのオンからオフへ移り変わる姿を見るのを許されたような気がして、ドキッとした。

「お疲れさまです…」

そう言いながらグラスに酒を注ぐと、兵長は黙ってそれを口にした。
何だろう、このうれしい気持ちは。
警戒心の強い、人に近寄らない野良猫に餌を与えて、素直に口にしてくれた時のような。

「お前も飲め」
「兵長、それは…」
「構わん」
「あ、いえ…私、お酒は嫌いじゃないんですけど、そんなには―――」

と、私の台詞を遮るように、お構いなしで、兵長はもうひとつのグラスに酒を注いだ。

特に何を話すでもなく、特に怒られるでもなく、静かに二人の宴席は進んでいき。

「お前…ポケットから出ているのは何だ」
「えぇ…?」

酒が回り、うまく働かない頭で考える。

「あっ」

私の…ブラ!!

咄嗟に隠すも、後の祭り、しかし、少ししか見えていないはずだ。

「何だと聞いている」
「いえっ、ご報告には及びません。大したことないものです」
「大したこと無いなら答えろ」
「いえっ、大したことはありませんが、個人的な事情で差し控えさせていただきます」
「ほお…」

そうか、という相槌の後、一瞬の攻撃。

「あっ」

びろん。

「なるほど」

兵長は私のブラジャーを片手に高く掲げ、下から興味深くそれを眺めている。

「えっ」

一瞬でポケットから奪われすぎて、そして、兵長と、私のブラジャーのツーショットが余りにもありえなくて、
私は一瞬ぼーっとしてしまった。

「ちょっ…返してください!返してください!!!!!!」
「何故だ」
「な、何故だも何も…汚いし!私のです!!」
「…お前、割と乳がでかいんだな」
「…………!!!!?」

兵長が、セクハラをしている。
あの、女にはまったく興味を示さない、ホモなんじゃないかという噂さえある兵長が、今、目の前で、私に、セクハラをしている。
そちらに驚き、一瞬戸惑ったけれど。

「…やっ、とりあえず返してくださぁい!!!」

ぶんっ。
兵長の持つブラ目掛けて両手を挙げた瞬間、兵長はその両手でむんずと私の胸を持ち上げていた。

「…お……おぉ………!?!?」
「なまえよ下着は着けておいた方がいいぞ、これだとそのうちババァになる前に垂れる」
「あ、あ、あ、…………?!?!?」

きっと兵長に付き合って大量に飲んだ酒が頭の混乱に拍車をかけている。
兵長も女に興味があるんですね?とか、おっぱい星人なんですか?という質問とか、夜は着けない派なんです、という回答が口の中には流れたのだけど。

口に出す前に、驚きぽかんとあいていた口は兵長に一瞬で塞がれた。
そして、先ほど鷲掴みにされた私の胸は、そのまま服の上からやさしく愛撫されていた。
何となく、こういう事には淡白そうなイメージの彼のキスは意外にも情熱的で、胸への刺激と相まって、神経がしびれるような感覚に陥る。

「……っは、へ、兵長……」

長い口付けの合間に、やっと声を出したのだけど。
兵長はそのまま私の首筋に舌を這わせ、ネグリジェの下に手を入れる。
敏感な部分に触れて、こらえようとしても吐息が漏れて―――

「なまえ…いいな?」
「あ、……」

はい、とも、イヤです、とも言う前に、体は勝手に兵長を求めていて。

兵長は軽々と私を抱きかかえると、パリっとしたシーツで綺麗にベッドメイキングされた、彼のベッドに横たわらせた。
私のネグリジェは、兵長の普段のぶっきらぼうさとは正反対に、優しく脱がされていく。
そしてひとつずつ、兵長のシャツのボタンが外されていく。
その綺麗な指先に、セクシーなそのヌードに、私は見とれて。

(これは…お酒のせい?)

ぼーっとする頭で考える。
ちがう、だって。
―――でも。



「なまえ、――――お前を抱きたいんだ、どうしてもだ」



はい、と答えたかもしれない。
私はぎゅっと目を綴じた。


おわり
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