[Sc.1] 「なまえ、大丈夫?」 ナナバは、トイレに行くと告げて戻らない友人を心配し、店のトイレの前に立っていた。 何度もノックをし、何度も声を掛けるが反応はない。 ドアに鍵はかかっていない。 酔い潰れて寝ているのだろうか。あるいは――――― 「・・・なまえ、開けるよ・・・?」 恐る恐る彼女がドアを開けると、そこには彼女の友人の姿はなかった。 エ ン ド ロ ー ル ・ ア ン サ ン ブ ル [Sc.2] 「ごめん、リヴァイ!ほんっと〜〜〜〜〜にごめん!!!」 週明けの朝、まだ本部にいる兵士の姿はまばらだ。 ハンジは部屋の主の大きな机に手をつき、机に頭がつくほど、深々と頭を下げた。 「別に気にしちゃいねぇよ、アイツも、オレも」 リヴァイは必死に謝る客人を全く気にする素振りも見せず、足を組み椅子に深く腰掛けたまま、朝日の差し込む窓の外を眺めていた。 「でもね、リヴァイ。あの時私が君に絡まなかったらね・・・」 彼女の言葉を遮り、後ろに控えていたナナバが言った。 「あの後、なまえが店からいなくなったんだよ。リヴァイは店の外で彼女と会わなかった・・・?」 あさっての方向を見ているリヴァイの瞳がわずかに動いたのを、ナナバは見逃さなかった。 「ショックだったんじゃないかな」 「・・・そう、何しろ・・・早すぎるものね」 彼は椅子をくるりと回転させると、不穏な空気を漂わせ始めた彼女たちの顔を、いつもと変わらぬ様子で見つめた。 「・・・オレの勝手だろう・・・それに、アイツが決めたことだ」 一瞬ナナバはやるせない表情を浮かべたが、意を決したように口を開く。 「二人の間に何があったか分からないけど」 変わらぬリヴァイの表情を確認して、続けた。 「どうして簡単になまえを手放しちゃったの?」 彼の表情は、やはり普段のそれとは変わらない。 「私には大方分かるよ。“あの子”につきまとわれて、言い寄られて、流されて付き合うことにしたんでしょう」 リヴァイは自分を糾弾しようとしているナナバを真っ直ぐに見つめていた。 彼女の何事の言葉もそのまま受け入れるような、全く、静かな瞳で。 「さすがは上の命令に従順なあなただけあるね。自分では何も決められないの?」 「ナナバ」 ナナバの隣で、同じくやるせない表情を浮かべていたハンジが聞いていられない風に彼女の言葉を止めた。 彼女はそれでも、と言いたげな顔でハンジを振り返ったが。 「・・・オレだって、何も感じてないわけじゃない」 カチャリと音を立て、言葉を失うナナバとハンジを尻目に、リヴァイはコーヒーカップを静かに持ち上げた。 [Sc.3] 彼の言葉を聞いたとき、しまった、と思っていたに違いない。 リヴァイの部屋を出てハンジと別れた後、ナナバは自分の言動を激しく後悔していた。 自分の言葉で彼を傷付けてしまったことは確実だった。 けれど、一人帰ったなまえのことを思うと、彼にそう伝えずにはいられなかった。 二人の間に何があったかは分からない。 だけど、長い歳月を共に歩んできたはずの二人が余りにも簡単に別れを選択してしまったものだから――――― ため息をつきながら回廊を歩いていると、なまえの姿が見えた。 話し掛けようかとそちらへ歩みを進める。 彼女がどうしてあの日突然店からいなくなってしまったのか、予想はついていたけれど、本人に聞いてやる必要がある気がしていた。 柱に隠れて見えなかったけれど、なまえは後輩らしき女の子と話をしているようだ。 どうしようか、と思ったとき、二人はすぐそこにあった部屋へ入っていった。 横顔を見て、ナナバは思い出す。(“あの子”だ)と。 彼女はゆっくりとした足取りでその部屋のドアの前に立つと、音を立てないよう慎重に、ほんの少しドアを引いた。 「ちょっと、いいかな?」 少し疲れた様子で出てきた“あの子”に、ナナバは話しかけた。 一瞬彼女は驚き目を見開いたが、「はい」と答えると、ナナバは「どこにしようか」と言い、二人は歩き出した。 「ごめんね、聞いちゃったんだ」 “あの子”は、ナナバを見つめる瞳を揺らした。 「なまえの話は本当だよ。彼女もリヴァイもお互い会うつもりなんてなかったんだけど、私たちのせいで偶然顔を合わせてしまって・・・。あなたを傷付けちゃったのは、なまえでもリヴァイでもなく、私たちのせいなんだ。本当にごめんね。」 いえ・・・と、“あの子”は力なく答えた。 彼女の目はまだうっすら赤い。 「・・・さっき、何であなたは泣いていたの?」 彼女は答えの代わりに下を向いた。 ナナバはこれから彼女に話そうとしていることについて思いを巡らすと、ますます自己嫌悪に襲われた。 「あなたはいま“彼女”なんだからさ、別れたばかりの“元彼女”にああいう話をするのも酷なんじゃないかなって・・・」 言いながら、ナナバはやるせなさに胸を締め付けられるような思いがした。 彼女だって辛いに決まっているのだから。 「―――――ちがうんです」 下げられた彼女の頭から、小さな声がした。 「付き合ってないんです。」 「・・・え?」 「私は、兵長の“彼女”なんかじゃありません」 “あの子”は、顔を上げナナバを見つめると、涙を流した。 [Sc.4] 「珍しいな、お前が仕事に関係のない読書なんて」 彼の上司の言葉に、リヴァイはしおりを挟むと本を机の上に置いた。 「チンケな本だ」 エルヴィンは小さく笑った。 「なまえの本か?」 「ああ」 そうか、と答えると、エルヴィンは彼から受け取った書類を手にソファに腰掛け、リヴァイに背を向けた。 その本は、リヴァイがずっと前に強制的になまえに貸し付けられた本だった。 彼に言わせるところ、“チンケな下らない”恋愛物。 こんなベタな話は登場人物の名前を挿げ替え言葉尻を変えて、別の物語としていくつも出されているのではないかとリヴァイは思った。 面倒だと断ったが、なまえはそれをリヴァイに押し付け帰ってしまった。 そのままその本は彼の部屋に居座り、今に至る。 (全くチンケな本だ) リヴァイはうんざりしながら再び本を手に取る。 (こういう下らねぇような、) 吐き捨ててやろうと思った後に、小さくため息をつく。 彼女は、「こういう」恋愛をしたかったということなのだろうかと。 何が足りなかったのかと、あの日彼女に別れを告げられた後考えていた。 自分が今までなまえに何を与えてこれたかを。 多分、自分ではだめだったのだ。彼女には足りなかったのだ。 あの日、“そうか”と答えた自分の心が、一番それを感じていた。 きっと、随分前から。 [Sc.5] 「私、フラれたんです。兵長は優しいから、しつこい私に仕方なく会ってくれてるだけです」 彼女の言葉に、ただナナバは困惑していた。 だったらリヴァイは、何故さっき弁解しなかったのだろう。 「あの日・・・ずっと兵長を待っていました。2時間くらい待ってて、何度も帰ろうかって思ったんです。でも、ひょっとしてもう少ししたら来てもらえるのかも、なんて思って・・・」 黙って聞きながら、ナナバはあの日リヴァイが「約束を忘れてた」と言った場面を思い出していた。 「兵長は来てくれました。・・・すごく嬉しくて・・・。思わず兵長の腕に飛びついたんです。そしたら、見ちゃったんです。兵長の肩越しに、みょうじさんが―――――」 “あの子”は、祈るように手を組むと、ポロポロと涙を流した。 「頭が真っ白になりました。兵長と食事をしたお店まで、どうやって辿りついたか覚えてません」 ナナバは彼女の言葉にただ頷いていた。 それ以外、何をすることができただろう。 彼女はなまえの姿を見てわざとリヴァイの腕から手を離さなかったらしい。 それまで彼と腕など組んだことなどなかったのに。 ただ、なまえが自分たちの後をついてきているそのことが怖くてたまらなかったのだと。 だから彼の腕にしがみついて離さなかった。 そのことで彼女は自己嫌悪を強めたのも事実だったし、同じくらい傷付いてもいた。 「兵長には、遅刻の理由を聞けませんでした。怖かったから・・・」 彼女は気付いていた。 リヴァイによく話し掛けるようになって、ふとした瞬間、彼の視線の先にはいつもなまえがいたことを。 何度も食事の誘いをして、やっとOKをもらった。 とても嬉しくて、幸せだった。 夢のような時間だったけれど、次第に彼女は不安になっていく。 目の前には自分がいるのに、彼は本当の意味で自分を見てくれていない。 ずっと遠くから見つめていたリヴァイにようやく近付けるようになったのに、見つめていた頃のような彼の顔を、目の前の彼は見せてくれない。 ―――――だってそれは、なまえに向けられていた顔だったのだから。 それに気付いたとき、彼女は深く傷付いた。 なまえでなければ、だめなんだと。 彼女は辛くて仕方なかった。 けれど、そこから抜け出したくもなかった。 「私じゃだめなんだってことくらい、分かってるんです。私がずっと兵長の隣にいても、兵長は私のことを見てはくれないんだろうって。兵長といても、いつも心が壊れそうに辛かった。一緒にいるのに、兵長はみょうじさんのことしか見ていないんだろうなって、悲しくて、心細くて。こんな気持ちを味わうくらいなら、勇気を出さなければ良かったって思いました。でも、どうしようもできなくて、どうしたらいいかも分からなくて・・・このままでも辛いけど、このままじゃなくなるのも辛くて・・・一瞬でもいいから、私を見てほしかった」 彼女の行き場のない気持ちに、ナナバは小さく息をついた。 [Sc.6] 「今年は、持っていらっしゃったのですね」 背の高い、いつものウエイターはにこやかにリヴァイの持参した花束を受け取った。 「墓に供える花みたいなものだ」 リヴァイはそう言うと、胸元のポケットから財布を出した。 「今日はあいつも来れないと思う。代金だけ支払わせてもらう」 一瞬の間を置いて、ウエイターは答えた。 「いえ、それならお代は」 「そういうわけにもいかない。その花もあの席へ飾ってもらう為に持ってきたんだ」 「・・・そうですか。では、せめてお茶でも召し上がっていってください。花もすぐに飾りましょう」 彼に促され、リヴァイは上着を預けるといつもの指定席へと歩みを進めた。 毎年二人で訪れていた店。 自分は一人で一体ここに何をしにきたというのだろう。 (――――いや、花を供えにきたんだ。墓標に) 席につくと、リヴァイは胸元から小さなカードを取り出し、自分に呆れたように笑った。 [Sc.7] 「ナナバ!ナナバ・・・!」 夜、突然の来訪者にナナバは驚いた。 ただならぬ、激しいドアのノックと、自分の名前を必死に呼ぶ声。 何事かとドアを開けると、ボロボロな姿のなまえがいた。 ヘアアレンジした髪は、走ってきたのだろう、大きく乱れ、着ていたワンピースは肩からずり落ち気味、泣きはらしてメイクはボロボロ。 片手には、花束が強く握られていた。 「一体どうしたの」 ナナバは彼女が泣いている原因は何となく分かっていた。 「ごめん、ナナバ・・・助けて」 彼女は肩で息をしながら、ナナバの腕にすがった。 「どうしたらいいのか分からないの―――――私、たぶんあいつを傷付けた」 「・・・落ち着いて、なまえ。何があったの」 目の前で取り乱している彼女が落ち着くような状態には、とても見られなかったのだけど。 「花を――――花をくれてたの・・・知らなかった・・・」 「花?」 「毎年記念日だけ行ってたレストランがあったでしょ」 「うん」 「テーブルに毎年二人のために花が飾られてて・・・用意してたのはリヴァイだったの。知らずに毎年お前が用意しろよって文句言ってたの」 「また・・・彼らしいね、それは」 「それを見てたら、気付いたの。ヤツとの、いろんなこと」 「・・・うん」 「あいつ、私のことをちゃんと愛してくれてたんだと思う」 「・・・当たり前じゃない」 「気付けなかった・・・分からなくなってたの・・・小さなことばかり気にしてて、分からなくなってた。だから言葉とか、目に見える何かがほしかったの。でも・・・」 「・・・・・・・・・」 「リヴァイは、ちゃんと私を見てくれてた。大事にしてくれてた。思い出したの、あいつの顔と、二人で大事にしてたものと、二人で過ごした時間たちのこと」 「・・・・・・・・・」 「だけど私、“あの子”に約束したの・・・もうリヴァイとは会わないって」 なまえはボロボロと両目から涙をこぼした。 アイラインが取れて、涙が真っ黒だ。 「・・・“あの子”はね、リヴァイともし付き合えたって傷付くだけだって分かってるよ」 ナナバは辛そうに口を開く。 「だって、リヴァイの中にはなまえしかいないんだから」 どんな顔をしたらいいか分からないように、なまえはナナバを見つめていた。 「いま私に言ったことを、リヴァイに伝えてごらん。彼女だって傷付いて、それでも分かってる。彼女は言ってたよ、自分はなまえのようにはなれないって―――――とても辛そうに、だけど」 なまえは小さくうつむいていた。 涙を拭き黒くなった指を擦るような仕草をした。 「・・・この間、二人の関係を壊しちゃったって言ってたね」 「うん・・・」 「リヴァイとなまえが二人で過ごした時間と絆は、そう簡単には壊せないよ。長い時間を掛けて、二人で歩いてきたんだから。時には死線をくぐりながら、時にはケンカしあって、笑いあって、ぶつかって、それでも支えあってきたんだから」 「・・・・・・」 「元通りにはなれないし、なかったことにはならない。でも、どうしてこうなってしまったか、今なまえにはそれが分かってるじゃない―――――」 [Sc.8] 店にカードを残してきたことに、リヴァイは後悔していた。 頑固な彼女があの店には来ることはないと思っていたから。 感傷的になった自分が女々しいことをしてしまったと思った。 (―――――間に合わねぇよ) 彼は心の中で静かに自分に言った。 帰り道、無意識に自分が去年までの帰り道を辿っていることに気付く。 レストランから、なまえの家に向かうために。 毎年こっそり手をつないで帰った道。花壇を見ていた路地裏、抜けたところにある、見晴らしのいい公園。 いつもレストランの帰りには、この公園を二人で訪れて景色を眺めていた。 引き返すこともできたのだけれど、彼の足はいつも二人座っていたベンチの前に止まる。 何をしているんだ、と小さくため息をつき、眼前の美しい景色に目をやった。 気付いていた。自分が店からここまで、知らず知らずになまえの姿を探していたことを。 目の前の景色に、いつも何かが足りないと思っていることを。 失った彼女の面影を求め、町を歩いていたことを。 本部でも、目に入るといつもなまえの姿を目で追っていたことを。 (大事にしてやれなかったんだろうな) していたつもりだったけれど。 彼女には伝わらない程度しか、してやれなかったのだろうと今は感じる。 「もう、遅い」 そう、何もかも、もう終わってしまったことなのだ。 声になったかならないか分からない程小さな声で、リヴァイはつぶやいた。 [Sc.9] 「ごめんね、何か・・・送ってもらっちゃって」 「いいよ、そんなボロボロの姿で一人帰らせるのもね」 ナナバはなまえを家に送り届けるため、家を出ていた。 二人歩く姿は、ひょっとしたら壮絶なケンカをした後のカップルに見えていたかもしれない。 「メイクすごいことになってるよ・・・ほんと恥ずかしい」 がっくりと肩を落として、泣きつかれたのだろう。ナナバの隣をふらふらとなまえは歩いた。 さながら悲喜劇のヒロインのように。 「あのさ、気付いてると思うけど・・・髪もボサボサだからね?」 「えっウソ!!」 目をぎょっとさせて、なまえは自分の頭をさわった。 少しさわっただけで、自分のアレンジした髪型が完全に崩れていることが分かった。 「何かごめんね・・・こんな哀れな姿の女に付き添ってもらってさ・・・」 「別に」 ナナバは笑った。 前を見る。 彼女ははっとした。 「・・・ほら、前を見てごらん」 「え?」 「なまえと同じくらいに、哀れな姿をしてるやつがいる」 なまえが息を飲んだのが分かった。 彼女は体を硬直させて、ただ立ち尽くしている。 「行っておいで。ちゃんと伝えてくるんだよ、さっき私に話してくれたことを」 ナナバはそっとなまえの背中を押した。 彼女はしばらく前を見たまま黙っていたが、少ししてナナバを見つめ返すと、意を決したように、うん、と頷いた。 [Sc.10] 「リヴァイ!」 突然自分を呼ぶ声に、リヴァイは驚き振り返る。 目の前に現れたのは、“探していた面影”。 「何してんの、うちの近くで」 「・・・別に。公園に用があっただけだ」 「・・・素敵な花、もらっちゃった」 なまえはぎこちなく微笑むと、手にした花を自分の胸元に大事そうに抱いた。 「・・・良かったな」 それは、確かに見覚えのある花束。 リヴァイは小さく息をつくように、笑った。 「――――リヴァイ」 「何だよ」 「・・・私ね、・・・・・・」 言葉につまったなまえの顔が、わずかに歪んだのが早かっただろうか。 リヴァイはなまえを抱き寄せていた。 彼女の泣き声が、彼の腕の中からわずかに漏れてくる。 なまえをしっかりと抱きしめしばらくリヴァイは目を閉じていたが、少し顔を上げると、なまえの耳にかかる髪をそっと上げて、耳元に向かってそっと彼の薄い唇を開いた。 掠れる声を、絞り出す。 “――――――――” [Sc.11] 送り出したなまえとリヴァイのそれからを確認することなく、ナナバはその場を後にしていた。 実を言うと、家を出たときから何となく、リヴァイがなまえの家の近くにいる気がしていた。 「・・・“あの子”と、失恋パーティでもやってあげようかな」 胸に何かがこみ上げてくるのを感じ、じんわりと笑うと、ナナバは澄んだ夜の空気を胸いっぱいに吸い込むように、大きく伸びをした。 おわり |