「・・・これ。店の一番奥にいるテーブルの人たちに渡してください。あと、下痢がひどいから帰るって伝えてください。」

私はさっきまでご飯を食べていた店の戸口で、そこの主人に、小さな包みを渡した。
中にはお金が入れてある。

「げ、下痢って・・・お客さん」
「あ・・・心配しないでください、おたくの料理のせいじゃないんで・・・」

心配しなくても食中毒の難癖なんて付けないし、おたくのトイレだって汚してないっつうの!
顔色を窺うようにおどおどする主人に私は無言で頭を下げると、とぼとぼと店を後にした。
その足取りの重いことと言ったらね!

泣きはらした私の目はボンボンに腫れすぎて、たぶん両目とも3の形になっている。
とてもじゃないけど、その顔ではあのテーブルには戻れなかった。

泣いて慰めてもらうの?
泣いてリヴァイの悪口を言うの?
泣いていじってもらうの?

どれも今の私には辛くて。
目に入る何もかもが、私の心を抉るように痛めつける。
周りの景色が見えないように、私はずっと下を向いて陰気に歩いた。
落ちてくる涙を止める努力は、もう随分前にやめていた。








エ ン ド ロ ー ル の 終 わ り に









「あの・・・みょうじさん。おはようございます」

本部で後ろから声を掛けられ振り向くと、かわいらしい女の子が立っていた。

「・・・?おはよう」

初めて見る顔。
でも、どこかで――――――あっ。

忘れるわけないよ。
服が違うから、一瞬分からなかったけど。
忘れられるわけもない。

「この間・・・見てました、よね?」

――――そう。リヴァイの新しい彼女。

「・・・あ、」

ギクリ、とした顔を、取り繕うことができなかった。
バレてたんだ。
あの日、彼女とリヴァイを“覗き見”したこと。

「少しだけ・・・いいですか?」

彼女は不安そうな顔で、すぐそこの部屋を指差した。





「あの日・・・兵長は、みょうじさんと会ってたんですよね?」

彼女は今にも泣き出しそうな、少し震えた声で私に言った。
ちょうどいい部屋があったもんだね。
何に使われているか分からない小さな用具庫。

「ううん、違うよ。あの、正しくはそうなんだけどね」

私は落ち着かなくて、挙動不審気味に目だけキョロキョロと辺りを見回す。
埃っぽくて嫌だなぁ。

「あの日はね、仲間内で集まってたんだけど。(本当に)運悪く、偶然ヤツと私が出くわしちゃって・・・」

彼女にちらりと目線をやると、彼女はこちらをじっと、すがるような瞳で見つめていた。
何とまぁ・・・母性本能をくすぐるというか・・・小動物的というか・・・守ってあげたくなるというか・・・可愛らしい子。

「だからね、ごめんなさい。私だってヤツとは決して会いたくなかったんだけど・・・偶然一緒になっちゃったの」

年下の子に話すのに、こんなに緊張したことはない。
私の一挙一動が、全て彼女に注視されている。
何を私はこんなに怯えてるんだろう。

彼女は黙っていた。
核心はそこじゃないことくらい、私にも分かってた。

「・・・二人を見てしまったのはね、」

あぁ、何て言えばいいんだろう。
どう言えば彼女は納得してくれるんだろう。
何かいいアイディアはないだろうかと傍らにあるモップを見る。
リヴァイを思い出す。
嫌な気持ちになる。
何か浮かばないだろうかとすぐそばにある埃のたまった棚を見る。
・・・リヴァイを思い出す。
・・・ますます嫌な気持ちになる。

「・・・・・・ごめんなさい」

浮かばねーよ!
と私は投げやりな気持ちになったけど、口から出た言葉と態度は裏腹に、覇気のない、力ないものだった。
小さな彼女に、私は無意識に頭を下げていた。
リヴァイにだってこんな風に大人しく頭下げたことなんてないのにさ!

・・・彼女は、小柄で、華奢で、可愛らしくて。
ちびっこリヴァイと並ぶとちょうどいいね。
ヤツもさぞかしご満悦だろう。

チキンな私は頭を下げたまま、ただ彼女の言葉を待つ。
この沈黙が痛い。

「・・・みょうじさんが、兵長を振ったんですよね?」

―――――ああ、神様。

「・・・まだ、兵長のこと、好きなんですか?」

―――――なぜ、そんなに私の胸を抉るのですか。


(・・・泣いちゃだめ、絶対にそれだけはだめ)


私は頭を下げたまま、唇を噛んだ。
もう少しでウッて、声が出てしまいそう。
泣きたいのは、たぶん彼女の方だ。
自分で振っといて擦り寄ってくるような紛らわしいことしてくんなって話なわけよ。
私が彼女ならふざけんなって激怒して(リヴァイを)蹴り飛ばすだろう。


「・・・そう、だよ」


声を何とか押し出すようにして、私は答えた。

「もう、私たちはどうにもならなくなってたから・・・」

そう。
ずっと同じことの繰り返しで。
意地とか張って、傷付けあって。
仲直りをしても、そのたびにお互いを締め付けあって居心地が悪くなるばかりだと思った。
だから、リヴァイ。
だからあの時、「そうか」としか言ってくれなかったんでしょ?――――――

彼女は黙ってる。
何とか、話をしなくちゃ。
私の声が、少し震えているけど・・・

「・・・彼に対しては、」

あっ、泣きそう。

「・・・好きと嫌いが同じくらい、激しく、」

だめだめ、堪えるの!

「だって、一緒にいるのが当たり前な程、ずっと付き合ってたから」

目がじわ〜っと熱くて、足元が滲んでくる。(ほら、さっきからずっと下見てるから。情けない私。)

「彼に対して何も感じないようには、まだやっぱりなれなくて」

彼女に見えないよう、私はびゅんっとすごいスピードで顔を上げ、天井を向いた。
ああ、子供じゃないんだから。
バレバレだっつうの・・・、ね。

「だから、あなたを傷つけちゃったね。」

目をパチパチと早く瞬きをすると、だんだん視界がはっきりしてきた。
天井には大きなシミがいくつかあって、蜘蛛の巣も張り放題だった。
そうだな、後でここは思い切り掃除をしてやろう。

「ごめんなさい」

そこでやっと、私は彼女の顔を見ることができた。
彼女はやっぱり、私の顔をじっと、不安げに見つめていた。

「あの・・・分かってるんです。兵長にとって、みょうじさんがどれくらい大きな存在なのか・・・」

そうかな。
そうだといいけど。
・・・いや、むしろそうじゃなかったらあの時本気で「そうか」としか思ってなかったってことじゃんね。
本気で終わりが3文字かよって話じゃんね。

「だから・・・お願いです。もう、兵長に会わないでほしいんです・・・」

彼女は泣きそうな顔でゴメンナサイ、と言うと、深々と頭を下げた。

「・・・仕事仲間だから、会わないってわけにはいかないんだけど・・・」

と、とりあえずのマジレスの後、

「約束するよ、あなたと彼が付き合ってるのに、私から彼に“会いたい”って言う事はないし・・・」

今度は小さく震えている彼女の姿に泣きそうだ。
彼女の足元には、ぱたぱたと涙が落ちていた。
私は小さくごめんね、とつぶやき、彼女の背中をそっと撫でた。

「ヤツはね、付き合うと決めた女の子を簡単に傷付けるような事は、絶対にしないから」

あれ、何をフォローしているんだ、私は。
これじゃ彼女にも失礼だ。
(でもあんたたち別れたんでしょ、ってね)
今の言葉重いよね。
確かにそうだって、今でも思えるなんて。

「――――ホントだよ、だから、もう泣かないで・・・。」





・・・やっぱり本当に泣きたいのは、私の方だったのかも。






彼女はその後少し泣くのが治まるのを待って、部屋を出て行った。
私は彼女が扉を閉めたのを確認した後、傍らにあったモップを手に取り、とりあえず天井の蜘蛛の巣を取った。
それから、古ぼけた羽根はたきで棚の埃を落としていった。

すごい埃。
めっちゃ汚い。
何年この部屋掃除してないの?
一通り羽根はたきではたいて、今度は箒を手に取る。
あーあ、箒自体も埃をかぶっててすごく汚い。
でも、もういいや。
とことんここを掃除するんだから。


(ヤツはね、付き合うと決めた女の子を簡単に傷付けるような事は、絶対にしないから)


そうだよ。
ヤツは私を簡単に傷付けるようなことはしなかったよ。
ただ、小さなすれ違いとか、ムカつくこととか、溜まっていって―――――
意地を張り合って、それがどんどん大きくなっていって―――――
もっと、付き合ったばかりの頃みたく欲張らずにありのままを受け入れていられたら、こんなことにはならなかったんだよね。
「そんな小さなこと」って、きっと許してあげられてたもん。
客観的に考えてみれば、私がめちゃくちゃヤツに怒ってたことなんて、小さな小さな問題で。
だって、今思い返すとそれが何だったのか、すぐには思い浮かばない。
その積み重ねで、本当に大切なものが見えなくなって、大きな物を失って――――――

「・・・この部屋、ほんっと汚い」

ほら、あんたのせいで、いつの間にか私まで潔癖症みたいな事言い出すようになったじゃないの。

箒で隅っこの方から少しずつ掃いてってるんだけど、埃が山のように出てくるもんだから、進めば進む程、ちゃんと掃けてるのかが分からない。
力強く掃きすぎかな。
ザッザッと、床を掃く音が部屋に響く。

「・・・汚すぎるんだよ」

何だよ、綺麗になってんのかよ。
それとも埃を撒き散らしてるだけなのかよ。
視界が歪んで、この部屋の全てが埃色に滲む。

「・・・ほんとに・・・どんだけ掃いたって、汚いんだから・・・」

埃まみれの床に、いくつもいくつも涙が落ちた。

(――――“彼”、だって)

ヤツのことをそんな風に呼んだことないわ。
何だか知らない人みたい。

「・・・“リヴァイ”」

(それはまるで、もう、呼んじゃいけない名前みたい)

もう一度ヤツの名を呼んでみようと思ったけど、上手く声にできなかった。

私は、いつの間にか埃まみれの箒にすがって泣きじゃくっていた。




(はぁ・・・本格的に病気だ・・・)

掃除を終えてドアを開けると、間近に人の気配を感じてドッキリした。

「!!!!!」

ナナバだった。
ドアの傍らに立って、まるで私が出てくるのを待っていたみたい。
ナナバは私に一歩近付くと、そっと私の髪から埃を取り、箒を振り回して乱れていたであろう髪を整えてくれた。

「頭・・・体も。埃、すごいね」

鏡を見てないから分からないけど、埃だらけの部屋を無防備で掃除して、私はまるで灰をかぶったようになっていることだろう。

「あ・・・ちょっと・・・掃除など・・・」
「訓練をサボって?」
「あ」

そうだ、訓練忘れてた・・・。
ナナバは呆れたように笑うと、急に真剣な顔をした。

「・・・“あの子”と一緒にこの部屋に入るのを見たよ」
「・・・可愛い子だよね」
「少し盗み聞きしちゃったよ」
「・・・・・・小さくて華奢でさ、私と違って守ってあげたくなるってゆーか・・・アイツにお似合いだよね」

私、いま普通に話せてるか自信がない。

「・・・ハンジが反省してたよ。自分のせいでなまえを傷付けて、顔を合わせられないって」

ああ・・・帰り際のリヴァイに絡んではしゃいでたことかな。
別にそんなこと、どうだっていいのに。

「ううん、全然気にしてないよ。それより、勝手に帰っちゃってごめんね」
「・・・お腹の調子はどう?」
「・・・・・・うん。良いダイエットになったよ、スッキリした」

バレてるね。
全然スッキリしてないし。
帰る口実に下痢だと言ったこと、ちょっと忘れてた。


「リヴァイの事だけどさ」


ヤツの名前に、心臓が悲しい程ドキリと音を立てる。

「あの子とね、付き合ってないみたいだよ――――少なくとも、今は」

「・・・・・・・・・・・・?」

あれ?
ナナバの言ったことが、よく分からない。
頭の中が真っ白になって、ナナバも、周りの風景も、よく見えなくなる。

「彼女が告白したことは事実なんだけど、リヴァイは断ったみたいだよ・・・そりゃそうだよね、これだけ長い間なまえと付き合って、すぐに切り替えるっていうのはいくらリヴァイでも」
「・・・あ、ごめ・・・よく・・・分かんない・・・かも・・・」
「彼女と会ってあげたりはしてるみたいだけど・・・付き合ってないよ、あの二人」
「・・・・・・・・・」
「なまえ?」
「・・・そっか」
「・・・うん」

そっか、と私はもう一度確認するように言った。

「でもね、ナナバ。私にはもう、どうにもできないよ」
「・・・・・・・・・」
「だって、あの子とヤツが付き合っていようが、いまいが、そんなことは問題じゃなくて」

落ち着かなくて、さっきナナバが整えてくれた髪を撫で付ける。

「私たちが別れたのは、彼女のせいじゃないし・・・一度私が壊しちゃった」
「・・・でも、それは」
「・・・うん、二人で少しずつ壊してきた結果なんだけど」
「・・・・・・」

何だろうね、ぐるぐると気持ちが回る。
頭の中を整理しようと思っても上手く捕まえられない。

「元通りにはなれない」

そう、元通りには戻れない。
一度壊れてしまったのだから。

「向こうがどう思ってるのかも、全然分かんない・・・自分がどうしたいのか、どうしたらいいのかも」

そこまで言って、やっと、何か言いたげな、でも言葉が出てこないような、そんな表情を浮かべたナナバが目の前に現れた。

「だってさ、ヨリを戻して同じことにならない自信なんかないし」

そう、元に戻ったってまた同じことを繰り返してしまうのかもしれない。
好きだ、好きに決まってる。
でも、それだけではどうにもできなくてこうなってしまったことも事実で――――――


さっきの彼女はまるで私のうつし鏡みたいだ。
どうしようもなく苦しくて辛くて、どうしたらいいのか分からないんだね。
自分の気持ちと、自分の置かれてる状況と、何が良くて、何が良くないのか――――――







今年に限って何でまさにその日に壁外調査がないんだろう。
エルヴィンに空気読めよとちょっとした小言でも言いたくなる。
いま壁外に行ったら、大活躍するか一瞬で死ぬか、どっちかだと思う。
巨人と対峙するよりも、人間とのいざこざで死ぬほど辛い思いをするなんて、何だか滑稽だ。

私とリヴァイの記念日の祝い方は、1年前からもう決まっている。
一年に一度、二人の付き合いだした記念日に、予約の取れないとっておきのレストランで食事をする。
それも、一段高くなっている緞帳のような高そうなカーテンの付いた、特別席で。
食事が終わると、1年後の予約をする。
お互いの無事と、来年も変わらない二人の関係を信じて。
(その日に壁外調査の予定が入ってくると予約をずらします。)


(ヤツがキャンセルの連絡をちゃんと入れてくれてるとは思えないな)


スケジュール帳を見て、ため息をつく。
毎年、めちゃくちゃ楽しみにしていたのに。

(・・・明日、なんだよねぇ・・・)

何も記念日直前に別れなくてもいいのにね。
でも、とてもじゃないけどヤツと幸せそうにあの席に座っていられる自信がなかった。

(キャンセルしようかな、理由なんて適当に言えばいいんだし)

そう、キャンセルなんて簡単にできるもの――――――





次の日、結局私はレストランへ出掛ける支度をしていた。
それでも、行こうか、行くまいか。
例年通り、18時の予約。
いまは19時。
それなりにお洒落もして、メイクもした。
去年までのように、リヴァイが迎えに来てもおかしくない。

(お腹、空いたな)

ぐう、とお腹が返事をした。

悲しくてもお腹って減るよね。
やっぱり行こう。
それで、美味しいご飯をたらふく一人で食べよう。
素敵なレストランで。
だって私、もう大人だし。
何だったら二人分、ヤケ食いしたっていい――――――



レストランの近くに、とってもかわいい花屋がある。
以前ここに向かう途中にリヴァイに花束をせがんだことがあるけど、断られた。
・・・あっ、やっぱ今思い出したらヤツにイライラしてきた。
「何で二人の記念日なのに、俺だけがお前に何かやらなきゃいけねぇんだよ」ってさ!
ムードもクソもねぇや。あいつは!
・・・と、ケンカをしながらお店に入ったところ、気を利かせたお店の人が「私どもから二人にお祝いです」と私たちのテーブルにお花を飾ってくれた。
それ以来、お店は毎年テーブルには花を飾ってくれている。
(そして毎年、私がそれを貰って帰る。)
こういう時に男性から花束を貰うのが憧れだったんだけどな。
でも、さすがは一流店って感じ。
今年もスパークリングをあのピカピカなグラスに注いでくれた後、「お二人の素敵な記念日を」ってウエイターさんが言うのかな。
悲しいかなもう一人でしか行けないんだけど。



「いらっしゃいませ、みょうじさま」

いつもの背の高いウエイターさんが、去年と変わらず、にこやかに私を迎えてくれた。
笑顔の素敵なナイスガイ。
遅れてすみませんでした、と言い、私は上着を預ける。
彼は私に何も聞かない。
まぁ、待ち合わせだと思ってるかな。

「・・・ごめんなさい、今日は彼、来れないんです」

恐る恐る伝えてみると、ウエイターさんは「そうですか」と言った。
彼は上着を掛けると、私を中へと案内した。
優雅な生演奏が店内に流れる中、いつもの、私とリヴァイの指定席へ。
薄暗い店内をキャンドルが照らして、とても素敵なムード。
もういっそ、この素敵なウエイターさんとご一緒しようかしら。

椅子を引かれ、私はいつも通りに着席する。
テーブルには、今年も素敵な花が飾られていた。
私の大好きな色。
とっても素敵な花たち。

「きれい・・・。毎年本当に・・・ありがとうございます」

もう来れないと思うんだけど、なんてとても伝えられない。
もうこの花をこうやって眺めるのも、それが飾られた素敵な席にこうして座るのも、これが最後なのだ。
まだ席に着いたばかりなのに、名残惜しさばかりがいっぱいに胸に浮かんでくる。
1年に1度しか来ないのにこんなによくしてもらって、素敵な思い出しかないこのお店に、私はもう二度と来ることはないんだろう。

「・・・いえ、それは、私どもからではありませんよ。」

ウエイターさんは、にこやかに言った。



「リヴァイ様からです」



一瞬の沈黙の後、その時私は、何か口から言葉を出そうと思ったのだけど、何も声にすることができなかった。
言葉を探すようにしばらくウエイターさんの顔を見ていたのだけど、やっぱり何も声にできない。
花にもう一度視線をやることもできない。

「・・・あの、」

やっとの思いで声を出す。
でも、それ以上何も言えない。
私が何を言いたいのか分かっているかのように、ウエイターさんはにこやかな顔で私に言った。

「先ほどまで、いらっしゃっていましたよ」

だめだ、それは、

「・・・・・・・・・」

・・・やっぱり何も言葉にできない。

「リヴァイ様からそう言われていたので今までずっとお伝えしていませんでしたが」

・・・・・・やめて、お願い。


「毎年ここに飾っていた花は、リヴァイ様がみょうじ様にとのご依頼で」


――――――ほら、今さらそんなことを。


私はしばらくテーブルの隅を見つめていた。
白くて、きれいなテーブルクロス。
心臓をぎゅっと握られたように胸が痛くて、うまく呼吸ができない。
「何で俺だけがお前に何かやんなきゃいけないんだよ」って言ってた、ムードもクソもないゲス野郎。
あいつは、本当にムカつくヤツだ。


「・・・あ・・・、」


やっとの思いで、声を出す。
ウエイターさんを恐る恐る見ると、彼はやっぱりにこやかな顔をしてこちらを見ていた。

「すみません」

普通に話しているつもりだけど、やっぱり声は震えていただろうか。



「―――――――オーダー、少し・・・待っていただけますか」



最近の私は、本当に泣き虫だ。
言った瞬間、大粒の涙がこぼれた。

ウエイターさんは頷いてくれたかもしれない。表情はもう分からない。
しゅる・・・とカーテンを下ろす音がする。
他から見えないように、彼がカーテンを下ろしてくれたのだ。


・・・リヴァイ、本当にあんたってずるい。
どうしてそんなことをするの。
目の前の花は、私にはもう涙で色のかたまりにしかみえない。
そんなことするキャラじゃないじゃん。
・・・あぁ、だから黙ってたのか。
あいつにとってもやっぱり「今日」は大切な日だったということだろうか。

たくさんの、あたたかい気持ちが涙と一緒に溢れてくる。
人間の記憶って本当に都合がいい。
最後、あんなに見るのもイヤだって思ったくせに、いま目の前に浮かんでくるたくさんのヤツの顔は、どれも、どうしようもなく愛しく感じる顔でしかなくて。

もうどうしようもなくって顔を覆って泣いてたんだけど、ちゃんともう一度、ヤツのくれた大切な花を見ようと涙を拭いた。
それでも花は歪んでしか見えないのだけど。
顔を覆っていた両手で、ゆっくりと涙をぬぐう。
すると、花瓶の下に、小さなカードが。
確かに、ある。
何か大きな期待に動かされて、私はそれを恐る恐る手に取ったのだけど、
開いた瞬間に涙で滲んで、その文字はすぐに見えなくなってしまった。目をこすってもこすっても、もう一度その文字を読むことができない。
涙がいくつかカードに落ちてしまったから、本当に文字が滲んでしまっているのかもしれない。

でも、確かにヤツの字でたった一言、書いてあったのだ。



“まだ間に合うのなら”