世 界 の す べ て / 3


メイン会場である大広間は既にゲストでいっぱいになっていて、それぞれが優雅さたっぷりに談笑をしていた。
むせる程の花の匂いの中で、貴婦人たちの無数の深紅の唇が鮮やかに動いている。
華やかな装飾の会場に負けないくらいの華やかなドレスに飾られたゲストたちと、音楽と、花に溢れている空間。
幼い頃の彼女には全てが嘘臭く感じられていた、うるさくて退屈な場所。
大嫌いだったはずのその光景になまえは少しだけ、懐かしさを感じた。
大広間に入るなりみょうじ家と親戚関係の家が彼らを見つけ声を掛けてきたので、次第になまえたちの周りには人の輪ができた。
何て久しぶりなんだろうと口々になまえが話しかけられるうちに、ささやかな歓迎の演奏を終えた管弦楽団が、ぐんと大きな演奏を始める。
華やかな音の洪水が、舞踏会の始まりを告げた。

あれこれとお決まりの堅苦しい挨拶と儀式が並べられ、やがてダンスが始まる。
なまえは元々ダンスは嫌いではないのだが、何しろこうした場に出るのは大人と呼ばれる年齢になって以降は初めてのことだ。
屋敷を出る前に兄と少しだけ練習をしたが、彼女はどうも気が進まず壁際で優雅に踊る人々を眺めていた。

「みょうじ家の、なまえさんですね?」

よろしければ踊って頂けませんか、と、少し年齢が上だろうか。いかにも貴族らしいウェーブがかったブロンドの、小奇麗な男が声を掛けてきた。
なまえは、すみません、今少し酔いが回っていて・・・と、申し訳なさそうにした。
事実手持ち無沙汰のなまえは既にかなりの量の酒を飲んでいたので、多少は本当のことだ。
そうですか、と男はにこやかに答え、他へと歩いていった。

(だめだ、一人でつまらなさそうにしていると誘いが増える)

その時なまえは舞踏会でのマナーを思い出して慌てた。
女性が一人でつまらなさそうにしていると、男性は礼儀として踊りませんかと誘いにきてくれるのだ。
12歳の頃参加していた時とは訳がちがう。
少なくとも年齢上は、自分は既に立派な大人の女性になっている。

―――母親か、適当な誰かと話していなければ。

きょろきょろと周りを見渡すと、ある人物が目に入り、なまえは硬直した。
上背の多いこの大広間で一際小さな体、サラサラとした黒髪の、ここには似つかわしくないツーブロック、悲しい程に見覚えのある、目つきの悪い悪人面。


(リッ・・・リヴァイ・・・!!?)


ぎょっと見開いた目を逸らす前に、不幸にもなまえはリヴァイとぱち、と目が合ってしまった。
瞬間、なまえは慌てて手持ちの扇子で目から下を隠す。
タキシードを着た小柄なリヴァイは、人波をかき分けるようにしてこちらに進んできた。
小柄だが、スタイルの良さが手伝ってタキシードをとても美しく着こなしている。
王家主催の舞踏会は、貴族であれば招待されるというものではなく、貴族や有力者の中でも更にハイステータスな者達しか招待はされない、招待されることそのものが栄誉である行事だ。
何でここにたかが一兵士であるリヴァイがゲストとしているのだろうと、なまえは混乱した。

(――――そうか!)

しまった、となまえはわなわなと唇を震わせた。

1ヶ月前にウォールローゼで再会した時、エルヴィンとリヴァイは近々内地に来る予定があると言っていた。
だからその時にこちらで会おうと約束をしていた。
それは明日の夜と、明後日の夜。
考えてみれば彼らの用事とは、この舞踏会に参加することだったのかもしれない。
調査兵団を好ましく思っている訳ではないだろう王家が彼らを舞踏会に招待するだなんて、彼女が考えもしなかったのは無理も無い。
気付かなかっただけで、ここにはきっとエルヴィンもいるのだろう。
王は彼らを招待して恥をかかせるのが目的なのか、それとも希望の象徴と呼ばれるようになった調査兵団の若き司令塔と、人類最強と賞賛されるようになった若き兵士長、リヴァイに興味を持ったというのだろうか。
重たいドレスの下に冷や汗を垂らし、ぐるぐると考えを巡らせてこちらに向かってくるリヴァイを視界の端に捉えながらも、なまえはまだリヴァイが自分のところに向かっているのではないようにと祈っている。
しかし確かにこちらに近付いてくるリヴァイは、真っ直ぐに彼女を見つめていた。


(・・・バレるわけない、私だと分かるわけない・・・)


心臓がドクドクと早鐘を打つので、なまえは自分を落ち着かせる為呪文のようにそれを何度も心の中でつぶやいた。
これから逃げようにも不自然すぎる。
もうすぐそこまでリヴァイは来ている。
彼が近付くほどに呼吸が止まりそうになって、なまえは必死に平静な呼吸の仕方を探った。やがて彼女の願いもむなしくリヴァイはなまえの前にすっと立ち止まると、静かに胸に手を当て、小さく頭を下げた。


「――――姫君。・・・私と一曲おど・・・、いかがですか」


何とたどたどしい誘い文句だろう。
恐らくその辺にいる5歳の子どもの方が上手くダンスに誘うだろう。
なまえは危うく吹き出しそうになり、扇子の下の口を堪え笑いに歪ませた。

(こ、い、つ!全然気付いてない・・・ていうか、リヴァイがこんな台詞を口にするなんて・・・やばい、笑いそう!)

あのリヴァイが、“姫君”だって!とすぐにでも大声で笑いだしたいなまえとは裏腹に、リヴァイは大人しく胸に手を当て小さく頭を下げたまま自分の前に控えている。

「・・・兵士がダンスなんて踊れるのかしら」

必死に笑いを堪えてしばらく黙っていたなまえはやっと笑いを噛み殺して、いつもとは違う、自分の中では貴族ぶったような、女らしい声で皮肉たっぷりに答えた。

「ならば、お試しを」

リヴァイは不敵に口の端を上げると、ゆっくりと手を彼女の前に差し出した。

―――他の男と踊るくらいなら、自分の正体に気付いていないリヴァイとでも踊っている方がましだ。

なまえは彼を焦らすようにゆっくり優雅に手を伸ばすと、そこに大きな薔薇でも載せるように、リヴァイの手にその手を重ねた。

軽やかなワルツに乗って、大広間にはたくさんの大きな花が咲き乱れるように、ダンスを踊るペアで溢れている。
―――彼は一体どこで練習をしてきたのだろうか。
意外にも、リヴァイのリードは上手かった。
彼に合わせてなまえもステップを踏む。
華やかな音楽に、華やかな場所。
ドレスアップした、いつもとは全く違う格好の、リヴァイと自分。
いつもの仏頂面が嘘のように、リヴァイの表情もどこか軽やかに感じる。
あまりにも非現実的で、なまえは夢の中にでもいるかのように感じた。

1曲、2曲。
久しぶりのダンスは楽しくて、あっという間に3曲をリヴァイと踊り終わっていた。

3曲目を踊り終えた時リヴァイが休憩を提案したので、なまえはそれに従い窓際でシャンパンを受け取ると、二人で涼みにバルコニーへ出た。
広間同様に白い大理石で造られた広いバルコニーには何組ものカップルが上手く空間を取って、彼らと同じように休憩をしている。
中からのまばゆい光がバルコニーを照らし、やわらかに光っていた。
リヴァイとなまえは小さくグラスを上げて乾杯すると、細いそれをくいっと傾けた。
琥珀色のスパークリングワインの中に、細かな気泡がゆらゆらと立ち上り美しい。
なまえはグラスを目の前に持ち上げると、少し夢見心地でそれを見つめた。

「・・・何故私が兵士だと?」
「有名な方ですから。リヴァイ兵士長様」

夢の中のようにふわふわとしていたというのに、リヴァイが自分の正体に気付いていないことを思い出すと、すぐに彼女は現実に返った。
なまえは落ち着いた態度とは裏腹に、心の中では普段からは想像もつかないリヴァイの(恐らく彼からすれば敬語相当の)口ぶりに、いつ吹き出してしまうかと思うほど、笑いを堪えていた。

「今夜は・・・リヴァイ様はなぜこちらに?」
「王より特別に招待を」

なまえはリヴァイと少し差しさわりのない話をした後、何故彼が今日ここにいるかを探った。
詳しい話を聞くに、やはり今回は王が彼(と、恐らくエルヴィン)に興味を持った為、舞踏会へ招待したのだろうと思われた。
彼らが悪意で招待された訳ではないだろうことを感じてなまえが密かに胸を撫で下ろしていると、彼らのグラスが空に近付いていたのに気を利かせたボーイが、銀色に光るトレーいっぱいに並ぶグラスをキラキラと輝かせながら、おかわりのスパークリングワインを運んできた。


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