世 界 の す べ て / 1



(私の人生は何でこんなに退屈に溢れているんだろう)

なまえは調査兵団本部の庭をだらだらと歩きながら、大きなあくびをした。
歩みを進める度に、短い髪がサラサラと揺れる。

「――――勤務中にあくびとは何事だ!」
「はっ、申し訳ありません!」

掛けられた声に慌てて背筋を伸ばし振り返ると、かつての彼女の仲間であったリヴァイが小さなその顔に意地悪い笑みを浮かべて立っていた。

「何だ、リヴァイか・・・」

懐かしい顔に、なまえはほっとため息をついた。

「久しぶりだな、なまえ。憲兵団様がこんなところまでわざわざどうした」
「ああ・・・エルヴィンに会いに来た私の上官のお供で着いてきただけ。・・・相変わらず、ご活躍のようで。リヴァイ兵士長殿」
「別に」

リヴァイは鼻で笑った。

「私を調査兵団に入れてくれない?」
「一度出て行ったやつが何を言ってる・・・内地で平和ボケしてる奴が壁外に行っても巨人どものエサになるのが関の山だ」
「・・・ほんと、そうだね」

諦めよく、なまえは眉尻を下げて力なく笑った。

「相変わらず手厳しいね、リヴァイは。・・・あ、今夜ね、ハンジやエルヴィンたちと食事に行くよ」
「あぁ、オレも行く」

えっ、そうだったの?となまえが驚いたので、リヴァイは眉間の皺を深くして、行かねぇぞと毒突く。
今夜は久しぶりの再会を祝って、なまえのよく知る兵士達が食事会をすることになっていた。
ごめんごめんとリヴァイに彼女がケラケラ笑って答えると、彼の部下だろうか、遠くから若い兵士が彼に声を掛ける。
彼女の態度に不服なのか、いつも通りの仏頂面なのか、「じゃあ後でな」とリヴァイは去って行った。
今も彼の背中にある自由の翼は、変わらずに誇らしげだ。
自分の左胸のそれとは違うユニコーンの紋章に、なまえは弱々しく触れた。



旧知の仲であるはずのなまえの本当の名字を、リヴァイは知らない。

なまえは内地のとある貴族の娘だ。
その事実を知るものは、ここにはいない。
愛らしいその顔とは裏腹に昔からやんちゃな娘で、家族も従者達も苦労をしていた。
物心がつくと彼女は貴族らしい生活にうんざりして奔放に振る舞い、たびたび周りを困らせていた。
彼女にとっては貴族の生活が退屈そのものであったらしい。
夜は毎晩のようにパーティがあり、それを中心に毎日が過ぎていく。
遅くまでパーティに興じて明け方に床につき、目が覚めればゆっくりと食事をとり、それが済めばまたパーティに出かける為の準備をして、あとは同じことの繰り返しだ。
パーティにはもう参加したくない、と幼い彼女が言い出すのには時間がかからなかった。
それでも親が彼女に泣きつけば、親の為にと渋々参加をしていた。
けれど12歳になったある日、彼女は突然屋敷から姿を消す。

“お父さん、お母さんごめんなさい。この退屈な日々に絶望しました。静かに死なせて下さい――――なまえ”

ベッドにはバッサリと切り落とされた彼女の長い髪の毛と、短いメモが置いてあった。
それは彼女が用意周到に準備していた、退屈な日々からの脱出だった。
彼女からすれば“退屈な”、けれどこの世界で何不自由ない生活を与えられる貴族の娘たちに課せられる唯一の仕事は、婚姻関係によって家の格を守ったり、上昇させることだ。
けれど自分には兄弟姉妹がいるわけだから、自分一人がいなくなったとしてもこの家にはたいした不利益が起こらないはずだとなまえは考えていた。
なまえは確かに両親や家族や従者たちを愛していた。
けれど、ここで暮らしていくことにどうしても耐えられなかった。
生まれて12年過ごした生活でも、繰り返す毎日はどこか上滑りで、違和感しか感じない。
ここでの暮らしに、自分が生きているという実感をどうしても感じることができなかった。

首尾良く家から抜け出した後、彼女は訓練兵に出自を隠して志願した。
兵士になりたいと思った日から、賢いなまえは周りにそのことを決して話すことはなかったから、足がつくこともなかった。
ホームシックが無かったかと言えば嘘になる。
それでも、その道半ばで投げ出す者の多い厳しい訓練が繰り返される毎日も、彼女にとっては本当の自由を与えられたと感じられる、素晴らしい毎日だった。
すべてを自分で切り開くことができる喜びを、彼女は日々感じ訓練にひたむきに励んだ。
充実感いっぱいの3年間の訓練兵団所属を経て、彼女は兼ねてから希望していた、最も過酷と言われる調査兵団を志した。

死んだはずの娘を両親が発見したのは、数年前のことだ。
突拍子もない呼び出しに、嫌な予感はしていた。
なまえはある日突然王政府から内地への呼び出しを受け赴くと、そこにはすっかり老けた両親が待ち構えていた。
両親は突然姿を消した愛娘の死を信じることができず、方々探し回っていたらしい。
そして行き着いたのが訓練兵団、そこから彼女を捜し当てたらしい。

「なまえ・・・夢のようだ、よく生きていてくれた」

彼らがいっそ怒っていてくれたら良かったのだ。
涙を流して再会を喜ぶ老いた姿の両親に、なまえの心は揺れた。
どうか家に戻ってきてほしいと懇願する父親と母親をどうにか断ったものの、それなら調査兵団だけはやめてほしいという彼らの条件を飲むことになった。
そして彼女はそのまま出自を隠して憲兵団に所属することになり、今に至る。
貴族の娘が兵士になっていたなど、前代未聞のスキャンダルだ。
このことはごく僅かの上官にしか知られていないトップシークレットとして、全ての処理が速やかに行われた。
調査兵団には“優秀な”なまえを憲兵団が欲しがったのだと説明がされたらしい。

なまえにとっては再びの、退屈な日々の始まりだった。



「いやぁ、久しぶりだねぇなまえっ!!」

内地に呼び出されたまま別れることになったなまえとの再会を、ハンジは熱い抱擁をもって歓迎した。
なまえも嬉しそうに彼女の抱擁を受け止める。
同じくテーブルを囲む面々も、生き生きとした笑顔を浮かべていた(一人のお決まりの仏頂面を除いて)。

――――あぁ、変わっていない。

大声ではしたなく騒ぎ、酒を酌み交わし、通じているのか通じていないのか分からない会話をけたたましくやりとりする。
酒を飲む機会なら憲兵団での日常でだって飽きるほどある。
けれど、堕落した日々の中で酒浸りの毎日を過ごす彼らと、今目の前にある彼らとの酒の席は、全く異なるものだ。
すべてが生き生きとして、輝いていて、何より、心から楽しいと感じられる。
彼らのすべてがなまえの心に、かつて調査兵団の一員であったときの気持ちを簡単に蘇らせることができた。
自分が生きていることを一番感じさせてくれた場所が、今もここには確かにあった。

自分が調査兵団を去ってから程なくしてシガンシナに超大型巨人が出現した。
それからの惨状は知っての通りで、そこで彼女のかつての同僚も多く命を落としたことを聞いていたなまえは、何の役にも立てずただ内地にいるしかなかった自分を呪った。
そんなときの為に、自分は兵士を志したのではないかと思ったからだ。
ある日突然の憲兵団への移動とその後に起きたシガンシナの事件が彼女の心を挫くのは、容易いことだった。

「死んだ魚みたいな目をしやがって」

ご機嫌取りでリヴァイに酒を注ぎに行くと、視線一つ合わせず、リヴァイは言った。

「え?」

この騒がしい中でいつも通り陰気にボソボソと話す彼の台詞が聞き取れず、なまえは首を傾げる。

「・・・てめぇの目だ」
「私の、目?」

あぁ、とリヴァイは言った。

「早く注げよ」
「あ、うん」

なまえはリヴァイの言葉が分からず首を傾げたまま酒を注ぐ。
なみなみとグラスにそれを注ぐと、リヴァイはそれを傾けごくりと喉仏を動かした。

「騒がしいてめぇのことだ・・・てっきりあっちでも騒がしくやってるかと思ったが。すっかり堕落した憲兵団に染まっちまったのか?」

ドキ、となまえの心臓は音を立てた。
調査兵団にいる時は、意思を持って毎日を生き生きと過ごしていた。
今目の前にいる彼らと同じように、その二つの瞳をきらきらと輝かせて。
危険が伴っても、自分の命を賭す仕事と分かっていても、日々精一杯、楽しく、生きていた。
それはリヴァイを煩わせていたかもしれないけど、彼は仲間として、それなりに自分を認め、受け入れていてくれたと思う。

「あれだけ毎日ギャイギャイとうるさかったお前が、さっきは死んだ魚みたいな目をしてたな・・・とんだお笑い草だ」
「・・・だからさっき調査兵団に戻してよって、言ったんだよ」
「あ?お前が自らここを出て行ったんだろう、なまえよ。何が言いたいか知らねぇが、てめぇが決めたことだろうが」
「・・・そうだ、ね」

悔しいけど、リヴァイの言っていることは正しい。
たとえそれが両親や家の諸事情で決まったことであっても、それを最終的に受け入れたのは自分なのだ。
それを嘆くなんて、自分が一番なりたくない、人に運命を決められるだけの情けない自分の姿じゃないか。

「なまえ、うちに戻ってきたいって?」

目の前の椅子を引き、エルヴィンが腰掛けた。
白い彼の顔はわずかに上気している。
いつもの精悍とした顔は少しだけ、緩められていた。
エルヴィンとなまえは、数年前に彼が内地に来たときに再会を果たしている。
それ以来二人はたまに連絡を取り合い、エルヴィンが内地に来たときには二人で会うようになっていた。
久しぶりに調査兵団に赴くと彼女から連絡を受け、なまえが突然の調査兵団との別れに気まずい思いをしているだろうと気遣い、今回の宴席を計画したのは彼だった。

「やめておけエルヴィン。こんな女が今更帰ってきたところでとんだ足手まといだ」
「言うねー、リヴァイ。私だってひょっとしたら少し訓練したらすぐみんなに追いついちゃうかもよ?」
「はは、頼もしいな。君の上官に早速頼もうか」

大声で笑うエルヴィンに助けられたと、なまえはそっと胸をなで下ろした。

「そうだ。近々私とリヴァイが内地に行く予定がある」
「えっ、そうなんだ。いつ?向こうでも飲みに行こうよ」

そろそろ日付を跨ぐ頃だろうか。
いつまでもここにいたいと、なまえは思った。


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