兵長とシャンプー/2




兵長の補佐としての長い初日を終えて、たった1日だけど、「やりきった」という高揚感にも浸っていたその夜。
夕飯を食べ終わった頃、家の扉が力強くドンドンドン、とノックされた。

「なまえ、手が離せないから出てくれる?」

洗い物をしていた母親が、私に言った。

はーい、とデザートを食していたダイニングテーブルからしぶしぶ立ち上がり、ドアを少し開けると―――――


「!!!!!!!!!!!!!!!!」


半開きのドアから、物凄い形相の男の顔が覗いた。
ホラーでしかない。何てツラだ。この世の全ての凶悪を一手に引き受けたような凶悪な顔だ。
恐怖のあまり、私は反射的にドアを閉める。
が、強引にそれは阻まれた。

「・・・なまえてめぇ、また俺の指を挟む気か」

ギシギシとドアを押さえながら、聞き覚えのあるドスのきいた声が聞こえてくる。
よく見ると、左手でリヴァイ兵長がドアを押し戻している。

「あわわわわわ・・・リリリリヴァイ兵長・・・!!!ななな何でわたしの家知ってるんですか・・・!!!」
「そうじゃねえだろ、とっとと出てきやがれ・・・!!」

兵長はとんでもなく鬼の形相をしている。
今日散々怒られたけどそれ以上に怖い顔だ。
いつも怖い顔してるくせに。
子供なら一目見た瞬間にわんわん泣き出しているだろう。

えっ、私、今日、「お疲れ様でした」を言って兵長と別れてからは兵長に粗相なんてしてないよね?
だって兵長と本部で別れてからは会ってないわけだし。
この兵長の怒り狂い具合、命の危険すら感じられる。
だってあの大きな巨人だってこの人に一瞬で削がれて殺されるんだぜ・・・。

ドアの外の兵長に強引に腕を掴まれると私は乱暴に家から引きずり出され、そのままぐんぐん無言の兵長に引っ張って歩かされた。
ものすごい早足の兵長に引きずられ下半身は大股でぐるぐる回るように動かされて、私の足と股はすっかりバカになったみたいだ。
何が起こっているのか、全く分からない。
でも、私は恐怖のあまり何も言葉を発することはできなかった。
15分くらいひたすら限界を超える早足で歩かされただろうか。
突然、ある住宅の前で兵長が急に足を止めたので、私は兵長の背中にぶつかってしまった。

「わっ!?す、すみませ・・・?」
「こっちだ」
「?・・・兵長、こ、こっちだって・・・」
「――――俺の家だ、入れ」

意外と私の家から近かったのね・・・兵長のおうち・・・。
事態が飲み込めぬまま、強引に部屋に連れ込まれる。

(・・・一体、何事!?)

今日の仕事が終わったときのあの満足感と高揚感と、兵長のことをちょっと好きになったあのさわやかな気持ちが跡形もなく吹っ飛び、恐怖一色に変わる。
兵長は着ていたマントをまどろっこしそうに脱ぐと、あの几帳面な兵長が、そのマントをソファにそのままばさっと乱暴に投げつけた。
ま、まさか、これって、私、兵長に、襲われ―――――――――


「おいなまえ・・・オレの固定ベルトを外せ」


「・・・・・・・・・は?」

「固定ベルト外せって言ってんのが聞こえねぇのかこの野郎・・・!」


・・・・・・・・・・・・・・・あぁ!!!

青筋を立てて二度目の説明をした兵長に対して、私は暢気に「なるほど」、と手を打つところだった。(たぶん、手を打っていたら瞬時に頭をはたかれていただろう。)
マントやジャケットの脱ぎ着にも苦労しているのに、あの全身に巡らされた固定ベルトを取るなんて至難の業だろう。
よく見ると、兵長の固定ベルトのいくつかは留め具が外されていた。
恐らく相当苦労していくつかを外した後、あまりにも手間がかかることにイラついて、私の家まであの形相で走って来たのだろう。
ひょっとしたら今朝の遅刻も、固定ベルトを着けるのに手間取って―――――?

「すすすすみません、すぐお手伝いします!!!」

私は飛びつくようにぴょんと兵長の前に屈み、足元から1つずつ、留め具を外していった。
上半身の止め具を外す時は、兵長の体に抱きつくように腕を回したりもして、ベルトを外していく。

(あ、いいにおい――――)

帰り際に執務室で香った兵長のにおいがする。
何ドキドキしてるんだろう、と私は首を振った。

「・・・兵長、すみませんでした・・・こんなことにも気付かなくて・・・。固定ベルトの脱着、大変ですよ、ね・・・?」

兵長はげっそりした顔で黙っていた。
その様子を見て、私はとてつもなく申し訳ない気持ちになる。

「せっかくなので、おうちのことでお手伝いできることありませんか?」
「ない」
「お掃除とか―――」
「お前がやるより片手で自分でした方がマシだ」
「あっ・・・(そうですよね)」

潔癖症な兵長の家の掃除など、私程度の掃除で満足してもらえるわけがなかった。
お食事は大丈夫ですかと尋ねると、外で買ってきたものを食べたと言われた。
私は仕事上での不便さしか考えていなかったけれど、細かい動きの重なる日常生活でサポートがいない分、利き手を使えずかなりの不便を強いられているだろう。

「兵長、本当にごめんなさい・・・すごく不便ですよね、いつだって・・・」
「てめぇの不注意だけじゃねえ、目障りな辛気臭いツラはやめろ」
「でも・・・はぁ・・・本当にすみません。ご飯とか、お風呂とか、トイレとかだって、・・・大変ですよね」

あっ。
何をどさくさに紛れて何と下世話なことを!!
自分の口走ったせりふの下世話さに気付いた私は急に顔が真っ赤になった。
兵長はきょとんとしている。(彼のそんな表情を、初めてみた。)

「・・・そうだな、頭がしっかり洗えなくて気持ち悪ぃな。特に右側が。タオルでも上手く拭けねぇ・・・」

兵長が小さくため息をつきながらそう言ったので、私の罪悪感と使命感が突如増す。
あの潔癖症の兵長が、満足に頭も洗えないだなんて・・・。



「へ・・・兵長・・・!!よ、良かったら私、あの、シャンプー、お手伝いします!!!」



「・・・・・・・・・・・・・・あ?」

兵長の眉間にしわが寄った。
いや、大体眉間にしわを寄せてるような表情なんだけど、それが更に深くなった。

「うちの洗面台は小さくて頭なんか洗えねえよ」

最後の留め具を外せたので、兵長はやっと一息ついたようだった。

「あ、あの、お風呂でお手伝いします。大丈夫です。」
「何が大丈夫なんだよ」

兵長はスタスタ家の中を歩き、バスルームの扉を開けると中を見ろと指を差した。

シャワーブースに、固定式シャワー。

なるほど、手伝うには私も濡れないわけにはいかないだろう。

「いえ・・・さすがに体を洗うお手伝いをするのは無理ですけど、シャンプーでしたらノープロブレムです。固定ベルトの着脱も、シャンプーも、これからはちゃんとお手伝いします。ええ、この私めにお任せください!」
「おいお前誰が手伝えといっ・・・」
「 ノ ー ・ プ ロ ブ レ ム で す ! ! 」

鼻息荒く、私は嫌がる兵長を押し切り、強引に彼のシャンプーを手伝うことにした。





バスルームの扉に向かって「いいですか」、と声をかけると、気の進まないトーンの「ああ」という声が聞こえた。

「では兵長、失礼します」

扉を開けると、まだ湯を出していないシャワーの下に、タオル一枚を下半身に巻き、右手が濡れないようタオルでグルグル巻きにした兵長が立っていた。
分かってはいたものの、そして、自分から言い出したものの、あのリヴァイ兵長の裸にドキッとする。
最強の兵士の、美しい肉体美。
そして何という際どいこの状況・・・!
ごくりとつばを飲む。
いやいや私は自分から言い出したくせに何を照れているんだ!そして何とセクハラじみた視線を半裸の兵長に投げかけているのだ!

「え、ええと、すみません、では、こちらを付けさせて頂きます」

兵長の後ろに回りこみ、私は細長く折りたたんだタオルで兵長の目隠しをした。
そして、少しお待ちくださいとお願いをして、すばやくバスルームを出て、自分も服を脱ぎタオルを体に巻きつける。

「お待たせしました兵長、では、シャンプーしますね!」

兵長は私の勢いに押されてか、舌打ちが聞こえ、そのまま諦めたように黙っていた。

私の兵長シャンプー作戦はこうだ。
兵長にまず、先に服を脱いでもらいタオルを下半身に巻いてもらいシャワー前に待機してもらう。
服を着たままの私はその兵長に目隠しをし、バスルームを出て服を脱ぎ、タオルを体に巻いた上でバスルームに戻る。
それからシャワーを出し、兵長の頭をまず予洗いし、シャンプーし、洗い流し、私は外に出る。
自分で目隠しを取った兵長は自分で体を洗い、体を拭き、服を着て外に出る。
私が頭をきれいにやさしく拭いてあげる。(つもり。)

回りくどく面倒だと兵長には文句を言われたが、私がガンとして譲らなかったことと、やはり兵長自身も不便を感じていたからだろう、渋々私の言う通りにしてくれた。
いくら私がやるにしても、右手の使えない兵長が自分で頭を洗うよりは綺麗に洗ってあげられるだろう。

「お湯、熱くないですか?」

お湯が出て、兵長の頭を濡らす。
兵長の頭、首筋、胸元、そして下半身へとお湯が艶かしく滴っていくのを見て、ドキっとした。(少なくとも私には、艶かしく見えた。)

(何兵長のハダカをじろじろ見ちゃってんの、私!)

さっきからずっと、兵長を眺める自分の視線がセクハラじみている気がする。
でも、いつもの彼の人となりを知っているから、目の前の丸腰で無抵抗な彼に対して邪まな気持ちを多少浮かべてしまうのも無理はないと思いたい。

兵長に気付かれぬようぶるぶると頭を振ると、私はシャンプーモードに頭を切り替えた。
私は幅狭く噴出すシャワーと兵長の横側に立っているので、水量を増やさなければどうやらそこまでは濡れずにすみそうだ。
きれいな黒髪にお湯が滴り、とても艶やかできれい。
髪と地肌を簡単に洗い、シャンプーの入った瓶を手に取る。
ふわっと香る、清潔感のある、いいにおい。
・・・そっか。兵長のあのいいにおいは、このシャンプーのにおいだったんだ―――――
彼の秘密を知ったようで、私は何だかとても嬉しくなった。

(あの手じゃシャンプーを出すのも、大変なんだろうな・・・)

私は軽く手の上でシャンプーを泡立てると、兵長の頭へ乗せた。
うなじから耳の裏、額の際まで抜け目ないよう優しくシャンプーしていく。

「痛くないですか?かゆいとこあります?まだ洗ってほしいってとこありますか?」

兵長は、ねぇ、としか言わなかったので、部屋の掃除とは違って意外にもシャンプーは楽に終わりそうだ。
口うるさい兵長でも目が見えないという状況が、私に委ねるしかなくしているのかもしれない。

「じゃ、洗い流すので屈んでください」

いくら小柄な兵長でも、立ったまま頭を洗い流せば兵長にかかったお湯で私もそのままぐっしょり濡れてしまう。
兵長はそのまま素直に屈んでくれたので、シャワーをゆるく出して、シャンプーを丁寧に洗い落としていった。
しなやかで綺麗な髪だな、と流していたのだけれど。

(う〜ん。やっぱり嫌だろうな・・・。プライド高い人って、介護されるのとかすごく嫌がりそうだもん。申し訳なくて居ても立ってもいられずこんなこと強引にしちゃったけど、却って失礼だったかな、やっぱり――――)

冷静になると自分の作り出したこの、エロチックなような、異常な状況が突然リアルに感じてまたも心がそわそわしだす。
さっき振り切ろうとした邪まな心は全くどこにも振り切れていなかったようだ。
・・・だってだって、タオル1枚巻いて、ハダカで、この狭い空間に、「曲がりなりにも」男女が二人――――――

「あっ」
「あ?」

再び暴れだした私の煩悩のせいか、狭いシャワーブースのせいか、ラックに置いてあった石鹸に肘が触れ、床に落ちてしまった。
反射的に腰を屈め床に手を伸ばした時、屈んでいた兵長が私の声に反応し、こちらを向いた。

つまり。



“むぎゅ・・・。”



「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

予期せぬ事故に、いつも人は立ち尽くすものだ。
私のタオルで作った胸の谷間に、何と、人類最強様が埋まっている。
この事故はきっと、私に沸いた邪まな気持ちに対する罰なのだ・・・!
驚きのあまり、私は声が出ない。

「・・・なまえ、これは何だ」
「・・・え?」

落ち着け私、ダメージは最小限だ。
だって兵長は目隠しをしているのだから。

「すいません、あの、石鹸が――――」


べろり


その生々しい感触に、一瞬で体が硬直した。
胸にまだ顔を埋めている兵長が、そのまま私の胸に直に舌を這わせていた。
目隠しと鼻の下から覗く、兵長の赤い舌にぞくっとする。

(・・・何て、セクシーな――――・・・)

自分のガードの為に兵長にしてもらった目隠しが、却ってエロチックな気分を盛り上げる。
私は金縛りにあったかのように、体は硬直したままだ。
そのまま彼はその色っぽい赤い舌を、私の胸の谷間をなぞるように、タオルと地肌の境界線まで舌を動かし――――――――

「あ・・・っ・・・」

思わず声が漏れる。
兵長の舌が私の胸のラインをなぞったことで、私の体に巻いたタオルは軽くたわんでいた。

「―――――何だと、聞いてる」

「、な、な、んでも、ない、です!あの、シャンプーきれいに流せましたので・・・!!外で、待ってますね!?」

緩んだタオルに身の危険を感じ(というよりも、自分がその状況に流されてしまいそうな危険を感じ)、硬直していた体が解かれ何とか動けるようになった私は逃げるようにバスルームを出た。
(い、いまの、いまの、いまの、、)



心臓が早鐘のようにドクドクと鼓動を打つ。
体を拭き、服を着る手が震えてなかなか言うことを聞かない。
兵長が体を洗い、こちらの部屋へ出てくるまでに何とか落ち着かなくては。

私は勝手に机の上に置いてあったコップに水を入れ、3杯くらい一気に飲んだ。正直、バスルームを出てきた兵長が私にどんな態度を取るか、ビクビクドキドキソワソワしながら待ち構えていたのだけど。
バスルームから出てきた兵長は意外にも普通な様子で、特に何もなかったかのように、素直に私に濡れた頭を拭かれていた。

(何か、拍子抜け・・・って、私なんかガッカリしてるみたいじゃん!)

片手なら難しいのだろうけれど、両手ならば兵長の髪を拭くのは簡単なことだった。
何しろツーブロックなのだから、半分は一瞬で乾いてしまうし、兵長は小柄で頭も小さい。
座ってもらった兵長の後ろに立ち、タオルを頭にやさしくかぶせ、指を立てて地肌を優しく拭き、髪の長い部分はトントンと押さえて拭いてあげた。

さっきのことについて、兵長は何も言わない。
さっきのようなエロチックな雰囲気も全く持ち出さない。

「じゃあ・・・あとはお手伝いがなさそうなので、私はこれで―――」

何だかがっかりしたのかほっとしたのか気持ちの落ち着いた私は、やっぱり生活感の無い程に綺麗に掃除・整頓された兵長の部屋を見渡すと、玄関の方を向いた。


「おい」


兵長に呼び止められ、振り向く。

「なまえよ、お前、これから固定ベルトを外すのも頭を洗うのも任せろと言ったな?」

・・・はっ・・・。

「あ、はい、明日の朝、お手伝いに、伺います―――――。」

兵長ににじり寄られ、固定ベルトを外していた時くらいの距離まで、私は玄関のドアに追い詰められる。
ち、近い。兵長の息がかかるほど。


・・・そう、私は「夜の部」のお手伝いを意図的に避けて答えたのだけど。


(頭を洗うって、頭を洗うって、、兵長、さっきの今で、何かそれって――――――)

意味深。
そう思ってもおかしくないよね?

兵長の言葉は私にはただそのままの言葉の意味に感じられず、さっきの「事故」の時に襲われたあのエロチックな衝撃が蘇り、自分が言い出した事の確認をされただけだというのに、私はドギマギ動揺を隠せない。



「―――――そうか。そりゃ悪いな」



兵長は、私の耳元で囁くようにそう言うと、鼻のくっつきそうな距離で、不敵にニヤッと笑った。


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