兵長とシャンプー/1





「ッて・・・・!!!」


「?」


本部の無駄に重たいドアをやっとの思いで勢いよく閉めたと同時に呻き声が聞こえて、驚きドアを開けると、ドアに右手中指を挟まれ痛みに絶句するリヴァイ兵長がいた。
その時私はすぐに事態が飲み込めず、「人類最強のリヴァイ兵長でも、痛がったりするんだ〜」と、一瞬暢気な感想がよぎったのを覚えている。
が、そんなのんきな気分と私の穏やかな日常は一緒に、一瞬で瓦解する。

「・・・めぇ、俺に恨みでもあんのか・・・!」
「!!リッ、リヴァイ兵士長!!!!すすすすすすすみません!!!」

リヴァイ兵長は、これ以上は立てられないという程にその凶悪な目元に青筋を立てて私にすごんだ。
そのままの顔で物凄く怖い顔だというのに。
どうやら私がドアを閉めた時にタイミング悪く、兵長の指を挟んでしまったようだった。
私はパニックで髪をむしり取れそうなほど両手で頭をがっしと掴んでどうしようどうしようとオロオロあたふた、兵長の前でただどうしようもなく慌てた。

「へ、兵長とりあえずお水で冷やしましょうか!?あっすごい腫れて黒くなって・・・動かせますか?動かせないですよね?!?どどどどうしましょう〜〜〜!!!」
「・・・ギャンギャンうるせえ女だ、黙ってろ・・・!」

彼にまとわりつき慌てふためく私に、兵長の表情は次第に鬼の形相からうんざりとしたそれへ変わっていった。
兵長には「いい」と言われたけれど、私は居ても立ってもいられず、結局医務室まで着いて行くことにした。
だって、はいそうですかなんて言ってその場で別れたら尚更恨みを買いそうじゃない。
執念深そうな怖いお顔をしていらっしゃいますし、兵長・・・。

「ん〜困ったなぁ。折れてるかもしれないね?とりあえず固定しておこう」

お医者様の判断で兵長の右手中指は添え木と一緒に包帯でグルグル巻きに固定され、医務室を後にした。
近いうちに壁外調査の予定がなかったのが、不幸中の幸いですねとお医者様は言った。
確かにこの怪我では今まで通りに立体機動装置を使いこなしブレードを振り回すのは無理だろう。
それでも、またいつ不測の事態が起こるかは分からない。
人類最強と言われるその戦力を、この私のせいで一時的にでも削ってしまうだなんて。
長い本部の廊下を歩きながら、私は半泣きで兵長の顔色を窺った。
兵長は、さっきからずっとオロオロ自分に纏わりつく私のことを、ちらりとも見ない。
たぶん私のことなんか、空気以下のどうでもいい存在にしか思っていないに違いない。

「兵長、本当に本当にすみません・・・私、一体どうしたら・・・」
「俺もヤキが回ったな、こんな怪我をするとは・・・マヌケすぎて誰にも言えねぇ・・・」

やはり私には全く視線をやらず、兵長は呆れた顔をして、独り言のようにつぶやいた。
私は一体どうしたらいいんだろう、どんな責任を取らされるんだろう。
兵長って、1旅団並みの兵力って言うじゃない。その戦闘力を削った私に、調査兵団という組織から、一体どんな懲罰が――――――

「お話のところ、失礼します。リヴァイ兵士長、エルヴィン団長がお呼びです。なまえ・みょうじも一緒に団長室へ来るようにと・・・」
「ひっ・・・!」

思わず恐怖の息が漏れる。
早速エルヴィン団長にはこの事件が伝わっていたらしい。
後ろから近付いてきた彼の使者と思しき兵士の声に、私は体が飛び上がるほどの恐怖を覚えた。





「リヴァイ、怪我の具合はどうだ」

団長室の立派な椅子に深く腰掛けて、我らがトップのエルヴィン団長は静かに兵長に尋ねた。

「3週間はこのままだそうだ」

兵長の言葉にエルヴィン団長はゆっくりと上体を起こし、机に肘をつき、手を交差するようにして頬杖をした。

「そうか・・・それは困ったな・・・不足の事態が起こらなければいいが」

小さく団長のため息が聞こえたので、私は少し前に立つ兵長の横顔を見た。
まるで私なんてここにいないかのように、兵長はエルヴィン団長だけを無表情で眺めている。
少しの沈黙が、部屋に流れた。

「・・・す、す、すみません・・・エルヴィン団長、リヴァイ兵長・・・すべて私の責任なんです・・・!!」
「なまえ・みょうじ、君だけの不注意で彼が怪我をしたわけじゃないことは分かってる。けれど、我が調査兵団にとっては彼は最も欠かせない重要な戦力だ。分かるね?」

エルヴィン団長は、子供を諭すように、びくびく半泣きの私に語りかけた。
はい、分かっております、と私は消え入りそうな声で答える。
怯えすぎて、情けない程に声に力が入らない。

「壁外調査がしばらくないのがまだよかった。不測の事態が起こらないことを祈ろう・・・ただ、」
「・・・ただ・・・?」
「君にはリヴァイの仕事を、怪我が治るまでの間、当面助けてもらう」
「・・・・・・・・・えっ」
「デスクワークもその右手では無理だろう。なまえ、助けてやってくれるな?」
「俺はゴメンだ、こんな鈍くさそうな女は」
「リヴァイ、他にお前付きっきりで補佐をつけられる程調査兵団には兵士がいない。お前は絶対にその指を動かさないようにして、一日でも、一秒でも早く直すんだ」
「・・・・・・・・・」

チッ、と兵長が忌々しそうに舌打ちをした。
私は頭が真っ白だ。
まず、たかが一兵卒の私が調査兵団のトップ、エルヴィン団長とリヴァイ兵士長と共に同じ空間で3人きりで話をしているということでそもそも私は緊張していた。(団長室なんて、初めて入った。)
そしてそんな状態で、殆ど面識のない、皆に恐れられているあのリヴァイ兵長をたった一人で補佐せよと命ぜられた。
もちろん拒否権などあるはずない。
だってそんな事態を引き起こしたのは他ならぬ、自分なんだから。
・・・あの、皆に恐れられている怖い怖い気難しそうな兵長を、付きっきりで、補佐・・・・・・。
地下街で有名なヤンキーだったって言うじゃない・・・。
多分、噂から推測するに、何をしても怒鳴られ、小姑のように難癖をつけられ・・・恐怖のあまり、1分でも一緒にいられないかもしれない。

「なまえ、いいな?」

(ひっ・・・。)

エルヴィン団長はいつも通りの穏やかな顔であるものの、有無を言わせぬ静かな迫力で私に念押しをすると、それから、と険しい顔にその表情を変えた。

「・・・この事は、極力他に漏らしたくない。リヴァイが怪我をしているということは、我が調査兵団の戦力の大きな低下に他ならない。その情報を外に漏らしたくない。つまり、リヴァイ。お前はなまえに逐一指示し全ての仕事をさせて、俺、医者、なまえ以外の人物とは極力接触するな。なまえは名目上、研修の為にリヴァイの補佐をさせるということにする。なまえの上官にもそう伝える。リヴァイ、お前は部屋の外を歩く時はマントを必ず着用するか被せるかして、右手を隠せ。お前はいつもマントを着用しているから、不自然ではないはずだ。いいな、これは、命令だ。」

その言葉に、私は全身を打ちひしがれるようなショックを受けた。
リヴァイ兵士長の怪我というのは、私の所属するこの調査兵団にとって、そんな大事なのだ。
身内に、しかもこんな雑魚兵士の私が、あのリヴァイ兵士長にそんなことをしでかしてしまったなんて。
怪我をしたのが私だったら、良かったのに。
死のうが怪我しようが、私の身に何が起ころうとこの調査兵団には何の影響もない。
だけど、リヴァイ兵長は違う。
私は自分のしでかしてしまった事の重大さを悲しい程に痛感して膝はがくがくと震えだし、とうとう涙がこぼれだしてしまった。
被害者は私ではなくて、リヴァイ兵長だというのに。

「ほっ・・・本当に本当に申し訳ありません・・・!!!」

団長は苦笑を浮かべてため息をついた。
そして、「起こってしまったことは仕方がない。君にできる限りのことをしてもらうしかない」と私を諭すように語りかける。
何故ここまで情報を漏らすまいとするのか、私はその時確かに少し疑問に感じていたのだけれど、その理由はかなり後に分かることで。
その時の私は、大変なことをしてしまったというとてつもない後悔にただただ立ち尽くしていた。




その後、いまだ涙の余韻の残る息遣いの私と兵長は団長室を後にし、兵長の執務室へ向かった。
さすがに団長室よりはかなりコンパクトだが、ワーキングデスク、小さなソファセット、大きな書棚が備えられていて、驚くほど綺麗に整頓されている。
整然としすぎて、まるで生活感がないというか、何というか。

「・・・とりあえず、てめぇはこれから毎朝ここに出勤して、日が暮れるまで俺の手となり足となり働いてもらう」
「は、はい。本当に、申し訳ありません・・・何とかお役に立てるように、がんばります・・・」
「お役に立てるように、じゃねぇ。役に立たなきゃお前がいてもただ邪魔なだけだ」
「は、はい・・・!!」

そう、兵長のこなす仕事の100%が滞りなくきちんと回るように、そのために私は精一杯兵長の補佐をしなくてはいけない。

「お前・・・名前は何ていった・・・」
「なまえ、なまえ・みょうじです・・・」

兵長は小さくため息をつくと、「なまえ、頼んだぞ」とつぶやくように言った。


明日の業務について簡単に私に説明した後、今日はもう帰るよう団長から言われていた兵長は、帰り支度を始めた。
そして彼はエルヴィン団長の言いつけ通りマントを着用しようと左手で広げた、が。

(あ・・・、)

床にふわりと大きなマントが落ちる。
私は急いでそれを持ち上げると、少し緊張しながら、兵長にそっとそれをかぶせた。

「すみません、気付かなくて・・・片手では着にくいですね・・・?」

兵長の前に回り込み、マントのボタンをかける。
こんなに兵長に接近したことはない。(正確には、兵長の指を案じてオロオロとしていた時にこれくらいは接近していたのだけど、パニックでそれどころではなかった。)
妙にどきどきとしてしまう。
これで大丈夫です、と一歩下がると、兵長は小さく「すまんな」とつぶやき、左手でぎこちなくドアを開けた。

(すまんな、って・・・、あの兵長が・・・)

その小さな「すまんな」、が、私の心に小さな火を点ける。

(・・・明日から、ちゃんと兵長のお役に立てるよう、しっかり兵長のお仕事を補佐しよう。それしか私にできることはないもの・・・)

本部を後にする兵長の小柄な背中を見つめながら、私は妙な使命感が胸に浮かんでくるのを感じていた。









次の日の朝、兵長は30分程遅れて執務室にやってきた。
部屋の鍵は兵長が持っているので、私は部屋の外をさりげなくうろつきながら兵長の到着を待っていた。

「・・・悪い」
「あっ、いえ、とんでもないです」

兵長は機嫌がいいのか悪いのかよく分からない。
悪いと私に言ったくせに、イラついているような。
まぁ、まともに兵長とお話するようになって2日目なんだから気難しい事でも有名な兵長の顔色なんて分かるわけもないか、と私は気にしないことにした。
何から何まで難しそうな兵長の小さなことをいちいち気にしてたら仕方ないもんね!

今日から兵長の補佐が始まる。
気合を入れて、しっかりと努めなくては!!

兵長が部屋に入りマントを脱いだので、私はそのお手伝いをし、ジャケットも一緒に脱がせると、ハンガーにそれをきれいに掛けた。
朝のキラキラした日差しが窓から差し込む。
よし、精一杯頑張ろう!
―――――と、思ったのだけど。

「・・・よし。なまえよ、羽根はたきを持て」

さあ仕事に取り掛かろうとした時、兵長の第一声は全く想像もしなかった言葉だった。一瞬意味が飲み込めず、目が点になる。

「・・・・・・はい?」
「羽根はたきだ、その窓の脇のフックにかかってる」
「・・・・・・えっ?」
「二度言わせるな、ぶっ殺すぞ」
「はっ、ははははははいっっっ!!!!!」


兵長の補佐になって驚いたこと。

兵長は、字が綺麗。
もちろん今日からはしばらく代筆で私が書類を書かなくてはいけないのだけど、自分のオンナノコっぽい字を確認のため彼に見せるのが恥ずかしくてたまらない。

兵長は、整理が上手。
どこにあるどの書類を、と指示されれば、今日から補佐についた私でも30秒もあれば、指示された書類を探し出せるほどにきちんと整理がされていた。

兵長は、綺麗好き(というか、病的に潔癖症)。
書棚の隅っこにもほこり1つない。木製の柄のついた綺麗な羽根はたきがカーテン脇のフックに掛けられており、朝と昼、窓を開けて書棚やデスク周りをそれを使ってほこりをはたく。
デスクはその後拭き掃除をして、朝はそれから床をブラシ掛けする。
作業は全て兵長の監督下で行われ、私は何度もこっぴどく口汚く罵られ怒られた。(あの執拗さは、嫁いびりかと思う。兵長は姑の才能があると思う。)
それでもお世辞にも綺麗とは言えない自分の部屋を鑑みると、この兵長の綺麗好きに従った自分の掃除ぶりは甲斐甲斐しいものだったと思う。
それよりも、この執拗なまでの掃除について初めて説明を受けたとき、あのリヴァイ兵士長がせっせと毎日これだけの掃除をしているかと思うと、危うく吹き出しそうになってしまった。(本当に吹き出さなくて良かった。初日に殺されていただろう。)

兵長は、いい主(と、補佐ではあるが今はそう呼びたい)。
指示が分かりやすくて的確。兵長の補佐をする上で私が一番重要だと思ったのは、その彼の指示をきちんとメモを取り、一つ一つを確認しきちんとこなしていくことだった。
そうすれば大体はスムーズに仕事が進んでいく。
ミスの指摘も明確な理由がある。二度同じミスをすれば怒られるが、理不尽なことでは決して怒られることはない。また、自分の判断で付け加えた事に関しては、大抵受け入れ評価してくれる。
そして、過度な気遣いは不要だと態度で示してくれる。
少し不便そうにしている姿を見て手伝おうとすると、ある程度の事は自分ですると制止される。
業務外で気兼ねなく頼んでくれるのは、コーヒーを淹れることくらいかな・・・。
雑談は殆どなくて最低限の必要なこと以外は殆ど話さなかったけれど、慣れてくると逆にそれが楽になった。



一日目はさすがに怒鳴られてばかりで凹んだりもしたけれど、昨日芽生えた妙な使命感からか、それでもめげずに今日中に処理をしなければいけない内容は全てこなせたし、何とか最低限は補佐ができたと思う。
全ての仕事を片付け帰宅の頃合いになると、私はさりげなく兵長がジャケットとマントを着るお手伝いをした。


今日は、心の準備ができているから接近してもあれほどは緊張しない。
ああ、何だか、「デキる男」っぽい、いいにおい――――。
私、思ったより兵長のこと、好きになれるかもしれない・・・。




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