出来損ないの魔法使い
「今からお前に魔法をかける」

遠い意識の中、小さな囁くような声が聞こえる。
それは決して私の眠りを醒ますようなものではなく、とても優しい柔らかな、包み込むようなものだ。

「おれをすきになって」

優しい声は、魔法というよりは切なさが詰まった“お願い”で、

「おれをみて。おれにきがついて」

あまりに切なくて優しいその声は、まるで魔法のように私の意識を深いところへ運んでいく。
──意識は、フツリと途切れた。



「ん゛ぁっ!?」

途切れた意識は頭に強い衝撃を受けたことで覚醒した。

「いつまで寝てんだよい。昼休みは終わったぜ?」

その言いぐさに腹が立ち、起き抜けの不確かな視界に映る赤へとストレートをお見舞いする。
寝起きの機嫌が悪いことは元より、あくまで女子に対してそんな起こし方があるかという意味も含まれている。

「おまっ…起こしてやったのにそんな態度かよい!」
「起こし方にも問題はあったと思いますけど!?」

うまく躱した上にブーブー文句を言う赤に、ゴツッと鈍い音を立てて頭上からかなり容赦のない手刀が落ちた。犯人は私ではない。

「ブンちゃんも苗字もそこまでにしときんしゃい。昼休みが終わったっちゅーとったのはお前さんじゃろ?」
「にお!」
「…仁っ王てめー頭殴る必要はねーだろい!」
「殴ってはないぜよ。チョップじゃチョップ」
「だぁぁぁ!!何だって一緒だっつの!!」
「プリッ」

あまりに痛かったのか涙目で吠える赤に、銀はいつも通りの意味不明な擬音語ではぐらかす。
地団駄を踏むブン太を嘲笑いつつ、今回だけはそんな仁王に感謝する。因果応報だ!

「ほら、さっさと座りんしゃい。さっきからずっと教師がこっちのことを睨んどるぜよ」

仁王に軽くぽすりと押された頭を反動に、私は席に腰を落とした。

しかし、睨んどるぜよと言ったわりに、仁王自身は開始数分で堂々と寝始めていた。
英語なんていうワケを分かるつもりもない授業は最強につまらない。そんな授業をハナから放棄する態勢の仁王に共感を覚えつつ、暇潰しという名目の睡眠の邪魔のためににメッセージを投げる。
どうせ熟睡というわけではないだろうから気がつかないということもないだろう。
『そういえばね』という始まりの一言を書いた紙で第一投。
陽の光で煌めく髪に衝撃は吸収され、紙はその腕の中に落ちる。
大方気配で気づいているのだろうが、面倒なのか顔を上げない仁王に対し『そういえば』の後に続く会話で第二投。
二投目はあの綺麗な顔に当たり、これもまた腕の中に落ちていった。
さすがの仁王も顔面に対する攻撃には目を開けざるを得なかったのか、気だるげな眼がのっそりと瞼から覗く。
面倒だという態度を全面に押し出しながら「なんじゃ」と目で訴えてきた仁王に、机の上に乗った紙切れを指す。

──そういえばね、今日不思議な夢見たの──

暇潰し程度であるため、会話の中身は本当に適当なものだ。しかし適当な話題であろうと暇潰しの種。簡単に途切れさせないために『絶対返すこと!』と周到に手を打ってある。
…それがあの仁王に効くかどうかは甚だ疑問なところだが。
そして予想通り、読むことに時間がかかる筈はない手紙に対して仁王が動く気配は一向に見られなかった。

「………っ!?」
「…ほぁ?」

無視するつもりかと睨んでいると、仁王は動く気配がなかったことが嘘のように思いきりこちらを振り返った。
何故か焦ったような表情をしているし、その上顔色も青ざめているように見える。
あの仁王が、飄々としていてどんなとき(例えば修羅場とか)でもマイペースを貫き通していそうなあの仁王がだ。
しかも、ほんの僅かだが睨まれたような気がした。

「え、怒った…?」

睡眠を邪魔された程度で仁王がここまで怒ることは今までなかった。むしろそれは私やブン太の十八番だ。
かといって手紙に怒らせるような事を書いたつもりもない。世間話で怒られていたら私たちはかなり仁王を怒らせていたことになる。
理由が分からずに困惑していると、仁王らしくもなく授業中ということを気遣ってか口パクで言葉を伝えようとしてくる。が、私は読唇術の達人でも何でもないのだから伝わるわけもない。
更なる困惑を顔一杯に詰め込んで表すと、そこでようやく気がついたのか仁王は眉間にシワを寄せた。上に溜め息をつかれた。
訂正。溜め息の意味だけはよく分かった。

「おまん…女子を捨てた顔してるぜよ」

とかなんとか思っているのがありありと分かるぞこの野郎。
そう思っているところに、ひょいと白いものが飛び込んでくる。当初の目的のお手紙だ。

──ほう、どんな夢だったんじゃ──

簡素に書かれた返信は、意外にも続ける意がある。そうだ。私はこれがやりたかったのだよ。

──…さっきの顔は中々に女を捨てとったな──

だろうな!!
沸々と滾る何かを抑えつつ、黒やぎさんならぬ銀のやぎにお返事を書く。授業が終わったら覚悟しておけ。

──なんかあんまりよく覚えてないんだけどさ……──
──頭なでられた夢?──
──誰かがずーっと私の頭をなでてるの──

書き上げたものを読み返して、本当に自分が適当だと思いしる。…投げる相手も適当だから気にする必要もないかと即座に思い直したが。
寝る態勢に戻るでもなく頬杖をついて窓の外を眺める仁王に返信を投げ返すと、今度は紙が机に乗っただけで大袈裟に驚かれた。
…そういえば何であんなに焦ってたのかを聞くの忘れてた。あまりにも普通の返事が返ってきたからついつい忘れてしまっていた。

「……まぁ、返ってきたときに書けばいいか」

けれど手紙はそこで途切れた。
びこーず、仁王が再び寝始めたからだ。
私は大人しく授業を受けるしかなくなった。



絶対文句を言ってやると構えていたのに、休み時間もホームルームもそれが達成されることはなかった。
何故なら文句を言うべき相手がことごとく行方を眩ましているからだ。

「あの野郎授業サボりやがって!」

いつものことであるにしろ、仁王のサボりでここまでイラついたのは久しぶりだ。
たしか前は日直とかであの英語のオバハンに探しに行かされた時だ。全然見つからないわオバハンは喧しいわであの時は散々な目に遭った。しかも思いっきり八つ当たりされた後にフラりとあのバカは戻ってきたのだ。あの時のことを思い出しただけで苛立ちに磨きがかかった気がする。

「畜生明日覚えてろ…!」

報復を明日に持ち越して、帰宅するために鞄を持ったところで、私は肩を叩かれた。

「苗字さん、ちょっと手伝ってもらえない?」

あれよあれよという間に英語のオバハンは私を英語科準備室に引きずり込み、掃除を押し付けると嵐のように去っていった。

「……厄日か……っ!」


世界最強生物であるオバハンにうら若き乙女が敵うはずもなく、渋々と掃除を終えると時間は本来の私の下校時刻より遥かにオーバーしていた。「もう嫌だあのオバハンに関わるとロクなことがないあの人嫌い……」

げっそりしながら置いてきぼりにしてしまってた鞄を取りに教室に戻ると、聞きなれた声がした。

「もうダメじゃ…ブンちゃん、バレたかもしれん………」

そのあまりに弱った声音に思わず私はドアを引こうとしていた手を止める。あの仁王があんな弱った声を出していたことに驚いたのもあるし、単純に好奇心もある。
盗み聞きは決定していた。

「…いや、むしろ俺は今までバレてなかったことの方が驚きだと思うぜい」

あんなに近づくのを躊躇する空気を出してたのによー、と思いきり呆れているのがブン太だと気づくと、今度は純粋に驚いた。
ブン太と仁王だと、ブン太が仁王を呆れさせることは山ほどあれど、その逆なんてほとんどなかったからだ。
…ブン太を呆れさせるなんて、仁王は何をやったのだろう。

「……爆睡してたら空気に気づくも何もないじゃろ」
「いやそこじゃねぇよ。あんな空気を出してたのに誰も苗字に聞いたりしなかった、ってことのほうが驚きだって言ってんだよい」
「……そもそも俺はそんな空気は出しとらん」
「あーソーデスカ」

…どうやらバレてはいけない相手とは私のことらしい。ゴメン仁王。ガッツリ聞いてる。
しかし近づくのを躊躇する空気ってなんだ。どんな空気だ。

「もうここまで来たら腹を括って言うしかねぇんじゃねーの?」
「ムリ」
「でもバレてるかも知れねーんだろい?」
「ピヨッ……」

今までになくえらく仁王が尻込みしている。こんなにウジウジしている仁王は初めて見るかもしれない。
普段は食えない奴という印象が強かったのだが、こんな一面もあるだなんて意外だ。

「よし分かった十数える内に腹を括っとけ」

耐えかねたのかブン太が仁王に強制的に覚悟を押し付けた。

「よーし、いくぞー…」

椅子から立ち上がる音が聞こえたと思ったら、仁王の覚悟を促すカウントダウンが始まる。

「いーち、にー、」
「いや、じゃからムリじゃって……聞こえとらんのか……」

あまりのブン太の雑さに今度こそ仁王が呆れているのが分かる。

「聞こえてるに決まってんだろい!…さーん、しー」

というか、だんだんブン太の声が近づいてきているような気がする。
もしかしてバレた?と思ってそそくさとこの場を離れようとした途端、ガラッと思いきりドアが開いた。

「げっ……」
「悪い仁王。五秒だった」

目測を誤っただのなんだの言っているが、とても悪どい笑みをしていたのに、どうして確信犯でないと言えよう。

「ほら、さっさと言っちまえ!」

苗字ももう気づいてんだろぃ?というブン太になんのことか全く分からないままに同意を示す。好奇心には抗えなかった。
すると、日に焼けたことがないような、女子も羨むほどの白い肌が急速に紅く色づいていく。

「え、な……、何でお前さんがここにおるんじゃ………」
「え、いや、何でと言われましても鞄置いてきちゃったからとしか…」

もしかしてバレてはいけないこととは仁王にとって相当恥ずかしいことだったのだろうか。ブン太でいう賞味期限切れのお菓子を気づかずに食べてお腹を壊した…みたいな。あれは爆笑した。

「仁王、さっさと言った方がスッキリするよ!」
「……お前、普通にひどいな…」

笑わないための覚悟をしていると、ブン太にものすごく冷たい目で見られた。励ましてるのに。
さらに顔を紅く染めた仁王は絶望したような表情になっている。…え、そんなに酷いことを言ったのだろうか。

「………ブン太は消えてくれんか」
「へーへー分かりましたよ。明日売店のパン奢れよな」
「気分次第ぜよ」

沈黙の末に放った言葉はブン太消えろで、さすがにそれは酷くないかい!?と私すら思ってしまった。
しかし奢る確約すら取れていないのに、本人はさして怒ることもなく教室を出ていったので、とりあえず気にしないことにする。
目下気にするべきを絶望したような仁王に絞った。しかしまた沈黙が場を包む。

「……あのな、何も言わんって約束してくれるか?」

待つだけ待った末に仁王が絞り出した言葉に、やはりかなり言いづらいものだと察する。凹んでいる仁王には悪いが、物凄くワクワクしてきた。

「うん。分かった分かった。約束する」

これでもかなり感情を抑えたと思ったが、言葉の端々が浮かれている感じがする。
しかしそれには気づかなかったようで、私の返答に安心したような仁王はおもむろに口を開いた。

「苗字が好きじゃ」
「…お、おおぅ」

なにかとても重大な秘密が打ち明けられる…!と思っていただけに、予想外のことで少し驚いて声が出てしまった。すまん、何も言わないって言ったけどムリだったっぽい。

「……え?仁王の言いたいことってそれ?」
「う、うっさい!」
「…え、えぇ……」

まるでどこかの乙女のような反応をするものだから、むしろそこに一番驚いた。
とりあえず、仁王が言いたかったのはそれらしい。

「え、それで?仁王それいっつも言ってないっけ?それがまた改まって……?」

仁王が言いたかったことが今一掴めないので、もうかなり喋っていることだしいいかと聞いてみると、こちらもこちらで私の言っていることが理解できないという顔をしていた。

「いっつもって……お前もしかして、寝た振り、しちょったんか……!?」
「…何が?」
「だ、だから!昼休みとか今まで全部寝た振りしちょったんか!?」
「いや…寝てるけど……」
「じゃあ何がいつもなんじゃ!」

なぜか途中から責められているような流れに気後れしつつ、半分パニックになっている仁王をどうどうと落ち着かせる。

「だって眠り浅いから……人が近づくと目が覚めちゃうわけで……。微妙に起きるというか……」
「それが寝た振りっていうんじゃ!」
「いや寝てるから!仁王が頭撫でてくるとすごい気持ちよくて寝るから!」
「…………………やっぱり寝た振りじゃ………!」
「えぇぇぇぇぇ……」

どうやら仁王は私が聞いているとは思っていなかったらしい。
目元を手で覆って天を仰いだ仁王は自分の魔法に意味がなかったことを気づいているのだろうか。

「あのさぁ仁王、私は仁王のこと見てるし気づいてるし、大体好意を持ってなきゃ大人しく頭撫でさせて寝てないよ」
「ああもう言わんでくれ……」

むしろ私は聞いていることを知った上で言っていると思っていたので、なんて面の皮が厚いのだろうと距離を測りあぐねていたというのに。

「かける魔法はもう少し効果があるものにしたほうがいいよ?」

きっとこの魔法使いは、出来損ないという部類にはいるのではないだろうか。



「じゃ、じゃあ、手紙で言っとった夢は」
「え、あぁ。あれはマジで夢。白い服着た女の人に延々と頭を撫でられてるっていうなんとも珍妙な夢でさぁ……」
「………」
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