淋しさをなくす魔法を求めて
お洒落なものというのは、どうしてこうも実用性に乏しいのだろうか。
頻繁に足を運んでいるお気に入りの雑貨屋で、そんな元も子もないようなことを考えながら店内を物色していると、サラサラの茶髪を肩のあたりまで伸ばした男の子と目が合った。私よりいくつか年下だろう。学生さんだろうか。清潔感があって、端正な顔立ちをしていて、知らない人にこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、王子様みたいだった。
「どっちが良いと思う?」
彼はまるで以前からの知り合いであるかのような親しげな調子で、それでも目一杯礼儀正しく声をかけてきた。その手には私の感覚ではあまり可愛いとは思えないアングラなぬいぐるみが二つ握られている。私は彼が右手で持っているカラフルな方を遠慮がちに指差した。黒を基調にしたもう片方より、愛想があって好いように思えたのだ。可愛くはないけれど。
「そっか、じゃあ…こっちは君にあげる」
そう言って彼はにこにこと笑いながらレジに行ってしまった。私が首をかしげている間に、会計を済ませ、緑と黒のラッピングを抱えて、もう一度私の元に戻ってきた。とても自然な動作で、私に緑の方の包みを渡す。
「お腹空かない?」
私は知らない男の子から貰った可愛くもないぬいぐるみを抱えたまま、半ば茫然と頷いた。彼は満足そうに頷いて、私の真似をするみたいに、黒い方の包みを胸に抱いた。

ルームサービスのランチプレートを二人でつつき合ってから、イングリッシュマフィンみたいな寝台に手を繋いで潜り込む頃になって漸く、私はこれが巷に溢れるナンパの一種だということに気がついた。
「そうだよ、なんだと思ってたの?」
不二くんはさも愉快そうに言って品良く首を傾げた。彼の名前はさっき食事中に教えてもらった。つまり、私は名前も知らない男の子とこんなところに来てしまった訳だが、相手が不二くんである以上これは軽率なことでもなんでもなくて、至極当然の流れである。行きずりの恋だって確かに存在しているのだ。
無人のロビーには小さな噴水があった。弾ける飛沫はパネルの光を反射してきらきらと輝いていた。それを見ても何の抵抗も感じない自分に少しだけ戸惑ったことは覚えている。魔法にかけられたみたい。不二くんは私に相談せずに、黙ってさりげなく部屋を選んだ。
「どうして私に声をかけてくれたの?」
ナンパなんかする理由は、大抵の場合「暇だったから」の一言に凝縮されるものだろうが、私が知りたいのはその先、何故私だったのか…だ。不二くんに選ばれた、というのは大袈裟かもしれないが、今ここでこうしている以上、少しくらい自惚れたっていいだろう。「たまたま手近に私しかいなかった」とか。「外見が好みだった」とか。私の貧相な頭で考え付く動機はそのくらいだが、あの雑貨屋には沢山の女性客がいたし、彼は私の姿なんて、ろくに見ていなかった。それだけは断言できる。
「どうしてだろう?一目惚れって言ったら、信じる?」
「信じない」
きっぱり否定してやったら、不二くんは誤魔化すように私の頬に口付けて、それから耳元で囁いた。
「…淋しそうだったからだよ」
照明の加減で、シーツはクリーム色に見えるのに、こちらに伸びてくる不二くんの腕はやけにくっきりと白かった。
「僕と同じだと思ったんだ」
同じ、ということは不二くんは淋しいのだろう。促されるままに瞼を落としながら、彼の言葉を咀嚼していく。私には自分が淋しいのかどうさえ、よくわからないというのに。


不二くんと再会したのは、近所の小学生さえも素通りするような寂れた公園だった。月極の駐車場がすぐ側にあり、何年も前から遊具が撤去されてここも駐車場になるという噂があるような場所。
「何してるの?」
「写真を撮るのが好きなんだ、言ってなかったっけ?」
彼は首から提げた一眼レフカメラを茶目っ気たっぷりに揺らしてみせた。カメラのことには明るくない私でも、それが随分と年期が入った品物であるとわかった。
「それ、高そうだね」
「そうかな?…親戚のおじさんが譲ってくれたんだ」
あの日は次の約束をすることもなく、暗くなる前に別れた。不二くんとはあれっきりになる予定だったので、私はこの状況に対して微妙に困っていた。私は彼のことを白昼夢だと思うようにしていたのだ。それもとびきり贅沢で奇運な。
「何を撮っていたの?」
仕方無く、私はあたりを見回しながら尋ねた。ブランコと滑り台、それからヒビの走るベンチ。色褪せたそれらが、此処にあるすべてだった。
「色々撮れたよ」
ファインダーを覗き込みながら不二くんは答えた。フェンスに向かって、シャッターを切る。私にとっては面白味のない風景に惜しみになく注がれる微笑は、勿体無いとすら思わせるものだ。
「…さっきまで野良猫が居たんだけど、君が来る前に居なくなっちゃった」
写真を撮り終えた不二くんは私に対しても笑いかけた。
「今日は淋しくなさそうだね」
軽い調子でそんな風に言う不二くんの綻笑は寂しそうに見えた。この人は笑ってばかりいる。まるでそれが義務みたいに。まだ二回しか会ったことがないのに、図々しくそんなことを思った。多分、三回目はないのに。
「ぬいぐるみ、ありがとう」
窓辺に座る私の部屋には馴染まないぬいぐるみの、チグハグな佇まいを思い出す。不二くんからの、最初で、おそらくは最後になるであろう贈り物。
「どういたしまして、大事にしてね」
今日は同じじゃない私にも、彼は優しく頷いて見せる。
「もう一個の方は受け取って貰えた?」
不二くんは答えなかった。きっと、今は私じゃない誰かの窓辺に腰かけているであろう、私が選ばなかった黒い人形。


それから一年後くらいに、件の雑貨屋の向かいの喫茶店で不二くんを見掛けた。
ありえないと思っていた三度目の邂逅。今度は声をかけなかった。彼は一人ではなかったし、私は道路を挟んで向こう側にいたから。驚くべきことに、彼は学ラン姿だった。それでも十分、王子様に見えたけど。彼が連れている女の子は背格好が私に似ていた。彼等は恋人同士ではないのかもしれないと思わせる絶妙な距離を保ちつつ、それでも並んで歩いていた。そして奇妙なことに、不二くんは笑っていなかった。不機嫌ともとられかねない頑なさで唇を引き結んで、それでも隣にいる相手に意識を集中させていることが見ているこちらにも伝わってきた。私と接したあの短い間に、一度も飄々とした微笑を絶やさなかった彼が、である。
彼に貰った実用性もなければ可愛くもない玩具を見詰めて、私はたまに考えてみる。あの女の子の隣でなら、不二くんは淋しくないのだろうか。それともやっぱり、当たり前に淋しいのだろうか。きっと淋しいだろう。みんな淋しいのだ。不二くんだけが特別なんじゃない。自覚があってもなくても、本質的にそうなんだ。私はもう大人だから、それを理解しているだけだ。今は子供の不二くんだって、いつか気付くだろう。それでも、私に魔法が使えたらよかった。そしたらあの日、キスもセックスもしなくても、彼の淋しさを少しでも取り除いてあげられたかもしれないのに。
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