呪文は優しく唱えるものだ
好きな人がいると言うことは何の不思議もなく当たり前のことで、それが一方通行の片想いなのもありふれたことだ。その片恋には種類がある。“好きな人”がいれば毎日の学校生活がちょっとだけ楽しくなるからなんて、チョコレートが好きなのとさして変わらない想いや、なんとかして特別な関係性になれないかと自分の容姿や振る舞いを手探りで変えていく本気の想い。友達とああでもないこうでもないと比重の違う恋を持ち寄って駄弁るのは女子高生にとって日常の一部であるどころか、もしかしたら大半を占めているかもしれない。少なくとも、恋の行く末は中間考査より重大である。


「やばいかっこいい…」

「え、どこ。いないじゃん」

「いるじゃん、あのマンサクの横のへんに幸村くん」

「人多すぎてわかんない以前にそのマンサクわかんない。なにそれ」

「木の名前。ほらそこの、昇降口に一番近い木」

「あ、いた。木の名前なんて知らないんだけど。っていうかなんで知ってんの」


朝の教室から見下ろす昇降口周辺は、朝練終わりの生徒達でごった返していた。上から眺めて見ると、人並みに割り込んでいく生徒と列に並ぶようにして流れに従う生徒、ある程度収束するのを立ち止まって待っている生徒に大別出来ることがわかる。穏やかな性格であると知られている彼は、図書室の常連客柳くんと何やら言葉を交わしながらマンサクの木の横で立ち止まっていた。

私も例に漏れず好きな人がいる。その彼について友人と駄弁るのが朝の挨拶よりも先だ。ちなみにチョコレートの程度ではなく、どうしたらクラスも委員会も違う接点が乏しい幸村くんの彼女になれるんだろうかと考えるくらいには幸村くんが好き。だけれど彼の視界に映り込むタイミングがなくて、どこかで捕まえて話し掛けてみようにも言葉が浮かばなくて。行き詰まった結果、時間を戻して委員会決めのじゃんけんにグーを出すよう過去の自分に助言しに行きたい、とか可笑しなことを考えるくらいには好きなのだ。
そんな彼との面識は、一応持っている。


「そりゃあ、幸村くんに教えてもらったら覚えないわけにはいかないじゃん?」

「最近話したなんて聞いてないよ。いつの間に」

「いや去年の話」


去年、1年の前期に美化委員なんてものになったのがそもそもの始まりで、高校に入って初めての委員会活動は校内の植物達に提げられている老朽化したプレートの掛け替えだった。植物の和名と英名、学名や分類などが綴られたそれに加えて、新たなプレートにはその植物にまつわる何かしらの文章を添えると言うもの。その文章を考えるのも美化委員の仕事で、正直ハズレだと思った。美化委員会、めんどくさい。広い立海の校内にはたくさんの種類の草木があって、美化委員1人につき数種の草木を担当したわけだ。私も3つほど配当されて、2つは深く調べも捻りもせずベタに特徴や分布なんかを書いたわけだけど、あと1つは渡されたプレートに綴られた変わった英名に興味が湧いて少し調べた。
英名をwitch hazel、訳せば「魔女のハシバミ」になるマンサクと言う樹木。なんで魔女?と思い調べたのだけれど、本来の綴りは“魔女”ではなく、古い英語で“しなやかな”という意味のwychだったとか。マンサク属のwych hazelとは、「ハシバミに似て、しなやかな樹木」と言うのが本来の意味だ、なんて調べた事そのままを文章にした。

そして完成したプレート掛け替えの日に、私は初めて幸村くんと話したのだ。


「こっちが魔女のハシバミだと思うよ」

「え?」

「ふふ、ごめん。プレート見えちゃった。苗字さんが探してるマンサクの木はこっち」


美化委員が面倒だと思う程度には植物に愛着がない私なのだから、種類の異なる木を目の前にしてもどちらが“魔女のハシバミ”かだなんてわかるはずもなかった。どちらだろうかと既に旧プレートが撤去されていた昇降口横の2本の木を凝視していた時、後ろから伸びてきた腕が右の木を指した。

最初に委員会で彼を見た時、持ち上がりの子達が言うように随分と綺麗な男の子だと思った。それ以上の感情はなかったけれど、「いいね、その説明。学術的なのより読みたくなる」なんて私の顔を後ろから覗き込むように笑いかけられては、簡単に心が彼の方へと転がったって不思議じゃないはずだと今でも信じて疑わない。ということで、それ以来、幸村くんが好き。うっかりしたような始まりだったけれど、これは恋だと自負している。そうなればもっと近付きたいと思うのも必然で、2年に進学しても彼と同じクラスになれなかった私は毎日頭を捻りつつ友人に問うのだ。


「なんか良い方法ない?幸村くんと接触する方法」

「知り合いなら普通に話し掛けりゃいいじゃん」

「1年近く話してないのに無理……あーもう、あそこでグー出してたらなぁ…」

「いつまで言ってんの。現実見なさい、名前は図書委員」

「はい…」

「ってことでこれ返しといてー」

「えー…って、なんでこんな本…」

「カバーが綺麗だったから。扉の文が堅苦しくてそれ以上読んでないけど。」


1年の前期、やること少なさそう、なんて理由から選んだ美化委員は想定外に競争率が高く、高校から立海に入った外部組の私は謎人気の美化委員決めじゃんけんに半ば動揺しつつも勝利をおさめた。だけれど、今年は思い入れが強すぎたのか惨敗に終わって、流れ着いた図書委員と相成っている。

幸村くんを見ることも出来ない1日は、あっという間に放課後だ。そして私は現実を見詰め、図書館レベルの規模の蔵書を誇る立海の図書受付カウンターに向かうのである。今日は、図書委員の当番だから。

今日最初の仕事は、友達から朝に預かった本の返却手続きだ。
それはとても綺麗な装丁の本だった。藍色のカバーに金糸の装飾と、控えめに光る銀糸の文字は「まじないの本」。確かに手に取りたくなるのはわかるなぁ、とついでに表紙を開いた。1頁目に書かれていたのは右下に1本の木と、「まじないにおいて重要なのは言葉である」から始まる文章だった。堅苦しいと言うのは、なんとなくわかる。
続く文字を目で追えば、「呪文が大切だ。一番シンプルなまじないは、願いを現在形で口にすること。願いが、呪文となる」だなんて書いてあるものだから、ついつい私が今叶えたいことはなんだろう、と考えてしまう。


「願い…。幸村くんと話…してる」


…って、なにしてんだろ、小学生でもあるまいし。思わず現在形で付け足した動詞には、顔に熱が上がってしまった。口の中で呟いた程度の音量だとしても実践してしまったことが恥ずかしくて、弁明する相手もいないのに咳払いをしてから椅子に座り直した。
直後、開いたままの本を覆うように影が落ちてきて、反射的に顔を上げた。


「返却したいんだけど、いいかな」


ふわりと揺れた髪は深い藍色。久しぶりに聞いた声に全身が硬直したように、その声の主を仰ぎ見たまま口だけ動かした。


「は、はい…」

「俺のじゃなくて、友人のなんだけど大丈夫かな。今日返しに行けないからって今朝預かって…」

「だ…大丈夫」


まさか本当に願いが呪文になって…!?なんて浮かれた思考が頭を過るくらい幸村くんの登場に動揺している。
つい先程、まじないの本に乗せられて願った相手からすっと差し出された本の借り主は柳くんのようだった。今朝、と言う単語に朝練終わりの昇降口が思い浮かぶ。おまじないよりも随分前に決まっていたことだとわかっても、偶然だけで片付けるのはなんだかもったいない気がした。


「じゃあお願いします、苗字さん」

「え!」

「、?」

「あ、いや…覚えててくれたんだなぁって、思って」


へらりと笑って見せる表情の裏で、にやけていないか確認のために然り気無く頬に指で触れた。覚えてくれていた事と会話が出来た嬉しさに、自分でもわかるくらい声に喜びが滲んでいた事は誤魔化しようがないけれど。


「ふふ、覚えてるよ。最初に話し掛けた時も“魔女のハシバミ”を見ていただろう?」

「“も”…?最初って、昇降口の横の木だよね…?」

「そうそう」


目を細めながら、幸村くんは「その呪文が…って書いてある本についてる木もそうだろう?」と私の膝の上を指差した。開いたままだったまじないの本、右下に描かれた木。写真ではなくて絵だし、木についての記載もない。よくわからなくて頷くことが出来ずにいると、彼は何かに気付いた様子で小さく笑った。


「そっか、花言葉までは知らないよね」

「…マンサクに花言葉があるの?」

「あぁ、1年の時にここで借りた本についてたよ。何て言う本だったかなぁ」

「植物関連の本?探してみようかな」

「なら今度一緒に探すよ」


せっかくの繋がりだと思って本の特徴を聞こうかと考えた矢先、思わぬ言葉に返却カードに押した印がずれてしまった。けれど今はそんな小さいことに構っている場合ではない。逃してはならないチャンスが目の前にある気がして、咄嗟に「今週はずっとここにいる!」なんて図書委員の当番を晒していた。いや、晒すのは構わないのだけれど、私の当番を知りたい訳ではないだろう幸村くんが困るのでは。焦ったのが裏目に出てしまったと内心項垂れた。


「なら金曜にまた来るよ。ミーティングだけだから早めに部活終わるんだ」

「!う、うんっ…待ってるね!」


なにこの展開!そう心で叫んだ音量のまま、声に出した言葉までも大きくなってしまった。加えて図書室という静けさに私の声は空間にじんわり拡がる。幸村くんは少し驚いたようにパチリと瞬くから、その反応と私へ集まった視線にどうしようもなく慌てれば、彼は可笑しそうに声を殺して笑いながら自分の口元に人差し指を立てた。


「ふふ、慌てすぎ」

「ご、ごめんなさい…!図書委員の私が…!」


向けられた視線に一通り頭を下げても、幸村くんの笑いは収まらなかった。好きな人に小さく笑われ続けるというのは中々複雑だけれど、好きな人の笑顔を見れるのは悪くない。そんなことを頭の隅で思いながら、私は膝の上に置いたままの本を、動揺を隠すようにパタリと閉じた。




花言葉が綴られた本を幸村くんとふたりで覗き込み、その距離の近さと1年まともに話していなかった彼が横にいる。その現実に口から心臓が飛び出そうになりながら、花言葉の中に“呪文”という単語を発見して、まじないの本を借りようと秘かに思い定めるのは、まだ3日後の話。
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