「私、苗字さんってなんか苦手なんだよね」
教室に入ろうとすると聞こえてきた言葉。扉を開けようとして、やめた。
「あー、分かる! なんか頑張ってますアピールしてる感じが、私も苦手ー」
言いがかりだ、そんなアピールしてない。というか、私、女の子に嫌われてるなんて、知らなかった。
「雑用とかやって、先生に気に入られようとしてるところ、嫌だよね」
そんなつもりで、雑用をやってるわけじゃない。ただ断れないだけ。先生に気に入られるとか、そんなの…。
聞きたくないのに、聞いてしまう。離れたいのに、離れられない。ちょうど今も、先生から頼まれた雑用を片づけて帰ろうとしたところ。
放課後の教室ではこんな会話がされているんだ、となんだか知らなくていいことを知ってしまったような気がする。
「内申点稼ぎってやつ?」
クスクス、と笑う声が聞こえる。教室に、鞄を置きっぱなしで、入らないと帰れない。早く話を終わらせて、帰ってよ。
でも私の願いは届かず、会話は続く。
「しかも、この間の席替えで鳳くんが苗字さんの隣になったでしょ? 苗字さん、鳳くんと話すとき、いつもと声色違うんだよ」
「うわ、本当に?」
どうしようか、と途方に暮れる。女の子たちの会話は、終わりそうにない。とりあえず、ここから離れよう。もう、これ以上は聞かない。聞きたくない。
くる、と方向転換する。私は俯いて、歩き出す。
「わっ…」
すぐに、誰かにぶつかりそうになった。小声で「すみません」と謝り、でも止まらずに歩き続ける。
「苗字…さん?」
…この声は、鳳くん?
「大丈夫? なんか、元気ないけど…」
__鳳くんと話すとき、いつもと声色が違う。
私は、彼女たちの言葉を思い出してしまう。いつも通り、普段通り、と意識して「大丈夫」とだけ返す。
「そう…、それならいいけど。でも、何かあったら相談してね! 俺じゃ頼りないかもしれないけど…」
そんなことない、と言いたかった。だけど、そんな場面をまた見られたら…と思うと私は言えなかった。
でも、黙っているとなんだか苦しくなってきた。誰かに愚痴ってしまいたい。
「…え、苗字さん!? ど、どうしたの?」
ぽろ、といつの間にか涙が溢れていた。それに気づいた鳳くんが、慌て出す。鳳くんは何も悪くないのに「ごめんね、俺何かした?」と聞いてくる。
「ちが、う…。大丈夫、だから…」
「でも…」
身長の高い鳳くんは、屈んで私の目線に合わせてくれる。心配してくれているのが、鳳くんの表情で分かる。分かって、嬉しくなる。
「わっ…。鳳くん!?」
ぐいっ、と腕を引かれて、どこかへ連れていかれる。なんとなくいつもより強引で、ドキッとしてしまう。
ああ、このままどこか遠くへ連れていかれても、いいかも。鳳くんと2人で、2人だけの世界へ。
なんて、妄想していたら、鳳くんが立ち止まった。人気のない校舎裏。
「人がいないところの方が、いいかなって」
「え…?」
「泣き顔なんて、人に見られたくないだろうから」
にこ、と微笑む鳳くん。優しい、鳳くんは、本当に優しい。
あれくらいで泣くなんて、本当は嫌だ。なんだか、負けたみたいで。
でも、鳳くんの顔を見ると、涙が出てしまう。優しくて、優しすぎて。
「苗字さんはいつも頑張ってるから、疲れたのかな? 我慢しなくていいよ」
ぽん、と鳳くんの大きな手が、私の頭の上に置かれる。頑張ってる、それだけなのに、なんで私はこんなに嬉しいんだろう。
それは、鳳くんの口から出た言葉だから? 優しい声色が、心地いい。
「鳳くん、ごめんね」
ようやく落ち着いて、鳳くんに謝る。よく考えれば、鳳くんは部活中のはずだ。私のせいで、怒られたりしないだろうか。
「もう、大丈夫?」
「うん、ありがとう」
やっと、私も笑えた。彼女たちの言葉も、もう気にならなくなった。
単純なやつだ、と自分でも思う。鳳くんの言葉1つで、立ち直れてしまう。
「鳳くん、部活…行かないと」
「え? ああ、そうだね。じゃあ、もう行くよ」
また明日、と鳳くんが言ってくれて、私もまた明日、と返す。また、だ。
鳳くんの言葉で、ドキドキしてしまう。ずるい、どうして言葉1つで、心を乱すの?
鳳くんの言葉は、まるで…魔法みたいだ。
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