海の向こうから
 アルハイゼンさんの家に籠っていても身体が鈍ってしまう。お腹もすいたし、気分転換に一度外に出よう。彼から鍵は借りているから、戸締りをしてわたしはシティを散策することにした。


 
 酒場でも良かったのだけれど、今は甘いものが欲しい気分だったから、わたしはプスパカフェの方へ向かっていた。店の前へとやってくると、入口の前で考え込んでいる男の人が目に入る。赤みが強い茶色の髪に、稲妻特有の形状をした羽織。稲妻人の旅行客だろうか、それにしては彼の表情はなんだか焦っているような、切羽詰まっているような。同郷の人だからなのかわからないけれど、彼の姿に不思議と憧憬を感じてしまい、わたしは彼から目が離せずにいた。
 見つめすぎてしまっていたからか、彼は顔を上げわたしの視線に気付く。彼の赤茶色の瞳が見開かれたその瞬間、わたしは薄ら嫌な予感がした。
「姉さん?」
「……え?」
 わたしのことを「姉さん」と呼んだ彼は、こちらへ駆け寄ってきてわたしの肩を両手で掴んだ。冷静に人違いではないかと言えれば良かったのに、彼の顔を間近で見たわたしは動揺してしまう。どこか雰囲気が似ているのだ、昨日思い起こされた記憶の中にいた父に。
「姉さんを探していたんだ、ようやく会えた。ああよかった!」
「ええと、」
「突然わけがわからないって顔だ、ごめんね。でも貴女は姉で間違いないよ。貴女の父親は鳥追武だろう? 僕は鳥追家の現当主、名は渡。君の異母弟だ」
 鳥追。確かにその名は父方の商家の名前だ。家系図から名を消されているわたしにとってはもう赤の他人の家だけれど、わたしには確かにその家の血が流れている。渡と名乗った彼の言っていることは全て事実なのだろう。つまり彼とわたしの中には同じ血が流れている。だからって、なんで今更。
「どうしてわたしを探しに……?」
「そりゃあもちろん、貴女を家に連れ帰るためだよ」
「な、」
「そのために僕は成人してすぐ当主の座を手に入れたんだ。僕はもう姉さんを追い出した祖父母を黙らせられる、貴女を父さんに会わせてあげられる。貴女は家族を取り戻せるんだ。だから帰ろう、姉さん」
「急に、そんなことを言われても……」
 そういえば、最後に父に手紙を送ったのはいつだったか。再婚したとは聞いていたが、その後子供ができたという話は一切聞いていなかった。跡継ぎを隠されていたのか、言う必要がないと思われていたのか。確かに何度も異母弟妹が存在する可能性は考えていた、でもわたしはもう鳥追の家と関わることはないと思っていたのに。

 彼は私の手を取り歩き出そうとする。おそらく向かう先は船着場だ、さすがに突然稲妻に連れて行かれるのは困る!
「ちょっと待ってください!」
「何だい?」
「わ、わたし結婚するんです!」
「え?」
 ぱっと手を離され、それから渡くんは振り返ってわたしを見つめた。困惑、というよりはありえないものを見るような目。「どうして」と言いながらもう一度肩を掴まれ、次はわたしを揺さぶりだしたのでびっくりして硬直してしまう。ど、どうしたらいいんだ。
 直後、わたしの背後から聞き慣れた声がわたしの名を呼んだ。振り返れば顔の横を高速で何かが掠めていき、同時に渡くんの悲鳴が聞こえた。声の主はカーヴェくんで、渡くんにぶつかっていったのはどうやらメラックくんのようだった。わたしが知らない人に問い詰められているような状況に驚いたカーヴェくんは、咄嗟に彼を引き剥がしてくれた。
「一体何をしてるんだ!」
「あんた誰だ?」
「それはこっちの台詞だ!」
 わたしを庇うように立つカーヴェくんとメラックくんを、鼻を押さえた渡くんが睨んでいる。顔面を強打して痛かったのか、遮られたことに怒っているのか、彼は苛々した表情を隠そうともしない。そんな渡くんに向かってメラックくんは「ピポ!」と可愛らしい鳴き声で威嚇している。か、可愛いなあ。なんだか気が抜けてしまう。
 カーヴェくんから小声で「彼は?」と聞かれたので、わたしは素直に「弟らしいです」と返せば、カーヴェくんは驚いたように目を見開いた。
「もしかして、その男がそうなのか?」
「ん? 何の話だ?」
「あんたが姉さんをたぶらかしたのか? 結婚なんて僕は認めない!」
「……は!?」
 結婚という言葉にカーヴェくんが更に目を見開いてしまった。そんな顔でわたしを見ないでほしい、この流れだとカーヴェくんに即座にバレてしまう。なんでわたしは咄嗟にあんなことを口走ってしまったんだ。まだ返事もできてないし、わたしたちの事情がカーヴェくんに伝わるのはやっぱりまだ恥ずかしいのだ。
「もしかして君アルハイゼンにプロポーズされたのか? あんなことがあった直後に!?」
「今それ聞かないでください!」
「アルハイゼン? そいつが姉さんについた悪い虫なのか……?」
「ふふっ……待ってくれ、面白くなってきたな……あいつは仕事か?」
「カーヴェくん!」
 渡くんの態度がよほど愉快だったのか、カーヴェくんは面白そうに笑い出してしまった。彼がアルハイゼンさんに対して別に友好的でないのを忘れかけていたな。このまま渡くんがアルハイゼンさんと邂逅してしまったら面倒なことになるのは目に見えているのに、カーヴェくんは恐らくそれを期待しているのだろう。アルハイゼンさんが仕事を終える前に、どうにかして渡くんを説得して稲妻に帰ってもらわないと。
「と、とにかく! わたしは稲妻には帰りません、お引き取りください」
「駄目だ、認めない。姉さんには家に帰ってもらうし、その男とも別れてもらうよ」
「なんでですか?」
「家族なら一緒に暮らすべきだろう」
「……はぁ」
 もしかしたら話の通じないタイプの人間かもしれない。家族という言葉、意味に対して彼は歪んだ認識をしている気がするのだ。非常に興味深いけれど、それはそれとしてこの状況はとても困る。

 わたしが頭を抱えていると、渡くんとわたしを交互に見たカーヴェくんが口を開いた。
「とりあえず、カフェが目の前にあるんだから腰を落ち着けて話さないか?」
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