鳥追いの歌
 今朝の彼の顔を思い出すたびに、申し訳なさで心臓が潰れてしまいそう。わたしはあの時即答するべきだったのに、自分の中に未だ残っていた面倒臭い自己肯定感の低さが、またしても顔を出して邪魔してしまったのだ。



 何故彼は、わたしの身に起きた厄介事を経てあの発言をするに至ったのか。もしかしたらこんなアクシデントが起こるよりも前から彼は考えていたのかもしれない。でもまさか、あのタイミングで。
「結婚、かあ」
 その意味を軽く考えているわけではない。むしろ、あの時のわたしにとってはそれが酷く重い言葉に感じた。そしてその言葉を渡されてしまったわたしは、なぜか咄嗟に「考える時間を下さい」と返してしまったのだ。
 あの時のアルハイゼンさんの表情は、今までに見たことのないような表情だった。驚きというか、焦りというか。彼はわたしがすぐに了承すると思っていたのだろうか。確かにいつものわたしなら即答していたと思う。わたし自身がそう思うのだから、わたしよりもわたしの事が分かるアルハイゼンさんなら、そう確信していたはずだ。
 でも、正直に言うと、幼少期の自分に戻されたばかりのわたしにとっては、少しだけタイミングが悪かったのだ。
 
 家主のいない部屋に未だ入り浸り、午前中を考えることに費やしてしまった。アルハイゼンさんはお仕事があるから定時までは帰ってこない。その間に、彼の言葉に「はい」と言うための覚悟をきちんと決めないといけないのだ。
 何故わたしが無駄に悩んでいるのか。答えは簡単だ。自信がない、シンプルにたったそれだけ。恋人という立場は私たちの間に問題が生じればいつだって辞める事ができる。もちろんわたしも彼も今のところ辞める気は一切ないだろう。でも、結婚は違う。それはわたしたちが家族になるということだ。一度始めてしまえば簡単には辞められないし、辞めるのはあまりにも不義理だ。もしもわたしたちの間に子供なんて出来てしまえば、彼はわたしと赤の他人になることが不可能になってしまう。
 昨日は何故か六歳の子供に戻されて、わたしは久しく忘れていた幼少期のことを鮮明に思い出していた。他人の記憶ではなく自身のものだけど、追体験というのが気持ち的には正しいだろうか。幼少期に稲妻で暮らしていたわたしは、祖父母から嫌われ父親からは腫れ物のような扱いをされていた。母だけは優しかったけれど、稲妻のあの家でわたしと母の立場は酷く弱かったのだ。故にわたしにとっての家族は、母親だけ。
 
「……あの歌、すっかり忘れてたな」
 脳裏に再生されるのは、実家の祖母が口ずさんでいた歌。昨日の件で久しぶりにそれを思い出した。あれは祖母の住んでいた村で行われていた小さな行事の歌で、まるでそんな目に合わせてやろうかとでもいうように、わたしと母に向かって歌っていたのだ。
「おらが裏の早稲田の稲を、なん鳥がまくらった、雀鳥がまくらった」
 憎しみを織り交ぜたような祖母の声を思い出しながら、同じように口ずさむ。それは、田畑の収穫を奪い去る害鳥を追い返すための歌。
「鎌倉の鳥追いは、頭切って塩つけて、塩俵へ打ちこんで、セイライ島へ追ってやれ。なんて……追われたのはスメールだったけど」
 祖父母の態度に耐え切れなくなった母はわたしをつれてスメールに移り住み、ここで二人暮らしをしていた。しかしわたしが生論派に入学して間もなく、母はこの世を去ってしまった。
 故にわたしには、普通の家族というものがどんな形なのか自分ではわからない。だから、自信がない。わたしのようなただの凡人が、普通を知らない孤独な人間が。彼という天才の家族になるだなんて、そんな大役はたして務まるのだろうか。

 なんてね。そんなことをもしも言ったら、アルハイゼンさんに怒られてしまう。わたしとは経緯が違うけれど、アルハイゼンさんも家族と呼べるものを失って久しい人だ。わたしのこんな悩みでさえも、彼は全部ひっくるめてよこせと言ってくるのだろう。そんなことはもうとっくに理解しているのに、咄嗟にあの返答をしてしまったことを彼に謝らなければならない。そして、きちんと返事をしよう。
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