記憶の順序
「本当にごめんなさい」
 事の詳細を説明したのち頭を下げて謝罪をした草神様の姿に、俺もカーヴェも顔を見合わせることしか出来なかった。

 時は遡り、数十分ほど前。夜分遅くに訪問してきたクラクサナリデビ様は、俺の腕の中にいる彼女に近付き「よかった」と呟いた。この様子だと、彼女が小さくなった件に関して十中八九この草神様が関わっているのだろう。となると、やはり人間には手出しの出来ない領域か。調べる手間が省けた事には安堵したが、そんな厄介事に彼女が巻き込まれている事態には憤りを隠しきれず、俺は本日何度目かも分からない深い溜め息を吐いた。頼むから俺達の日常を返して欲しい。
 
 向かいのソファに座りカーヴェが用意した茶に口を付け、それから居住まいを直した草神様は漸く口を開いた。
「結論から言えば、その子が小さくなってしまったのは私のせいなの」
「……どういうことだ?」
「ええと、順を追って説明するわね」
 それから、草神様は自身と世界樹の仕組みを改めて話し始めた。この国の地下には地脈を通して世界のあらゆる情報や知恵が保管される「世界樹」があり、その管理をしているのが樹の化身である草神ブエル、クラクサナリデビ様だ。あらゆる情報というのは、テイワット上に存在する全ての生命や物質に関するデータである。そしてその世界樹へアクセス、操作する権限は神だけが持っている。というのはスメールの学者であれば誰もが持ち得ている知識だが、改めて説明を受けた時点ですぐに一つの仮説を立ててしまった。
「……彼女の情報を操作したのか」
「情報?」
「察しが良いのね、その通りよ」
 首を傾げるカーヴェはまだ理解が出来ていないらしいが、クラクサナリデビ様は申し訳無さそうな表情を浮かべている。この仮説を立てたはいいが、一番の問題はそれが意図的な行動か否かだ。そもそも何故クラクサナリデビ様は彼女の情報を操作したのだろうか。二人は特に個人的な接点はない筈だが、ただの学者である彼女に草神様が興味を向けるような物は……いや、あるな。ひとつだけ、しかも比較的最近の話だ。
 神妙な面持ちでクラクサナリデビ様に改めて視線を向けると、次は露骨に目を逸らされてしまった。やはり当たっているのだろう。草神様は彼女が提出したあのレポートを絶賛していたと噂になっていたのだから。
「あれのせいか……」
「本当に察しが良いのねえ。とても興味深くて、素敵なものだったわ。貴方たちは、あたたかな恋をしたのね」
「ん? ああ、例のレポートか! 僕も読んだが、途中でやめてしまったな。なんか……実態を知ってるとこそばゆくて……」
「……」
 一方からは微笑ましそうな視線、もう一方からは気持ちの悪い視線を感じて居心地の悪さを覚える。案の定あれがきっかけで草神様は彼女に興味の感情を抱いてしまった訳だ。あの恋文のようなレポートについては俺も思うところがあるが、それは今掘り下げるべきではないだろう。そもそもこちらとしてはプライベートな事情に対して国の主に必要以上の詮索などして欲しくはないのだが、興味を持ってしまったのなら仕方がない。気になった存在への探究心は、この国で生きる者にとっては当たり前の行動原理だからだ。
「だからその、彼女のことが気になって情報を閲覧していたのだけれど……」
「けれど?」
「うっかり……操作ミスをしてしまったの……」
 言いづらそうにしながらもそう告げたクラクサナリデビ様は、そのまま俯いてしまった。ソファの横に立ち腕を組みながら話を聞いていたカーヴェは、聞き間違いではないかとでもいうように困惑した表情を浮かべている。俺もそう思いたいが、そうではないのだろう。まあ、俗世の七執政もこの世界に存在する一種の知的生命体だ、神の権能はあれど俺達人間と変わらない部分の方が多い。であれば、ヒューマンエラーだって起きるのかもしれない、多分な。
「はあ……」
「ごめんなさい……」
「お、おい失礼だぞ」
「いや、まあ、間違いは誰にだってある。問題は彼女が元に戻るか否かだ」
 そう、肝心なことを聞いていない。今一番必要な情報は、クラクサナリデビ様の些細なミスによって引き起こされたこの状況がすぐに改善されるのかどうかだ。とはいえ悠長に説明をしているのだから、そこに関して問題がないというのは察しているが。
「あっ、それは大丈夫よ。すぐに修正をしたから明朝までには反映されるわ」
「ふむ……ちなみに、操作ミスというのは?」
「彼女の人生を閲覧していたのだけれど、こう……ね?」
 そういうとクラクサナリデビ様は宙をなぞる様に人差し指を動かした。一見意味のわからない行動だが、まるで盤上の駒を指で滑らせ動かすような仕草だった。要するに彼女の人生に関する何らかの時系列を並び替えたりしてしまったのだろうか。例えば、現在の彼女と過去の彼女の履歴を交換、あるいは上書き。何にせよ、元に戻せたのならそれでいい。
「……今後は、個人情報を閲覧する時は気をつけて下さい」
「肝に銘じるわ……」

 その後、クラクサナリデビ様は小さな包を置いて帰っていった。カーヴェが確認したところ、どうやら中身はナツメヤシキャンディのようだ。詫びのつもりだったのだろうか、神らしくない行動に少しばかりの可笑しさがこみ上げてくる。これは彼女にあげよう、甘いものが好きだから。
 いつの間にかカーヴェも自室へと引っ込んだらしい。明日には戻るというのなら、いつまでも起きている必要はないか。
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