この航海を信じたなら

 たった一言のわかりやすい言葉を告げてから数拍。何も返事がないことに柄にもなく戦々恐々としていると、少し遅れて反応があった。いや、だがこれは、嗚咽?

「っ……う、うう」
「ナマエ?」
「なんで、なんで……」

 抱きしめる力を緩め腕の中の彼女の様子を伺えば、ナマエはなぜか声をあげて泣き出してしまった。参ったな、泣かれるとは思わなかった。クロリンデさんも懸念していた通り、変な方向に拗れたナマエの中ではあり得ない状況だと思われているんだろう。夢でも嘘でもないのに、どうしたら彼女は俺を素直に受け入れてくれるのか。
 もう一度、今度は努めて優しく抱きしめる。彼女が出来るだけ落ち着くように、怖がらないように。
 
「信じられないか?」
「ちが、でも……だって……」
「あんたが思うほど俺は優しくはない。むしろ自分勝手な方だ。今だって早く泣き止んでほしいし、俺の好意を受け取ってほしいと思ってる」

 本当に、我ながら自分勝手だ。俺は彼女から好意を向けられているという自信があるし、このまま押し切れば絶対に手に入るもんだとも思ってる。だから早く現状を認めて、俺に向き合ってくれればいいのに。まだ必要ならもっと言ってやらないといけないか。今まで言いそびれた分、何度も。
 
「好きだ、あんたが」
「……ごめんなさい」
 
 改めて口に出すと、今度は謝罪の言葉。今ナマエから謝られるのは逆に怖いんだが、その意図はまさか拒んでいるんじゃないだろうな。弱い力で胸元を押される感覚。恐らく離せという意思表示。解放してやれば、ナマエは俺から一歩距離を取り後方に下がった。嫌な予感が段々と込み上げてくる。

「だめよ、やっぱり」
「どうしてだ、あんただって俺の事」
「そうよ、好き。あなたのことが大好き。だからごめんなさい」
「……理由を言え」
「言えない」

 また、彼女から距離を取られる。やっとその壁を壊せたと思っていたのに、このままだと逆戻りどころかもっと悪化するかもしれない。そんなことさせてたまるか。こっちは彼女を絶対に手に入れると決めてるんだぞ。

「あんたが何を隠してたって俺は構わない。話したくないなら言わなくていいし、俺は無理に知りたいとも思わない。でも俺を拒むな」
「……私だって拒みたくない」
「ならいいだろ、受け入れろよ。俺はその秘密ごと、あんたのことを愛してる」

 今度こそ押し切って、心を開かせようと試みる。ちゃんと俺の本心だ。別に何を隠されてたって俺の気持ちは変わらないし、一生知らないままだって良い。それよりも、お互い好きなのに拒まれることの方が気に食わない。俺にだって話したくないこともあるし、己の過去なんか特にそうだ。どんな経緯があったにせよ俺に前科があるのは紛れもない事実で、俺が人殺しであることはもう一生変えられない。でもそれをわざわざ彼女に話す気はないし、同情や軽蔑の感情を彼女に抱かせるなんて絶対にごめんだ。だから俺は彼女の秘密を気にしないまま彼女を愛したいのに、どうすればこれが彼女に伝わるんだろうか。

「……言えないままでもいいの?」
「ああ、俺は気にしない」
「あなたを傷付けるかもしれないわ」
「俺はそんなにヤワじゃない」
「……降参よ、わかった。もう拒まないわ」

 ナマエは諦めたように微笑む。引かずに押し続けて正解だったらしい。泣き腫らしたせいか、彼女の目元は赤くなっている。手を伸ばし指の腹で撫でれば、ナマエはくすぐったそうに身を捩った。

 どうやら、上手くいったようだ。
 

prev | top | next