心臓に似た言葉で話をしよう

 翌日。午後からの出勤にしてもらっていた私は昼前にメロピデ要塞へと戻ると、執務室にリオセスリの姿がなかった。何処かへ用事があって不在なのかと思いつつテーブルへ戻り仕事の準備をしていると、鉄製の螺旋階段を登ってくる音。足音の感じからして部屋の主だろう。

「ああ、戻ってきてたのか。おかえり」
「た、ただいま……って、どうしたの?」

 いつもと明らかに違う様子にさすがに狼狽える。濡れたコートを腕に抱えた彼の髪からは水滴が滴っており、肩には白いタオルがかけられていた。潮の香りはあまりしないから洗い流したんだろうけど、どこか水中にでもいたんだろうか。それからよく見れば、うっすらと肌に異変を感じる。ところどころ赤みが目立つその肌は、なんだか私を不安にさせた。

「水質調査、って言えばいいか」
「あなた自ら? でもその湿疹みたいなもの、何があったの?」
「原始胎海についてはわかるか?」

 その単語に私は顔を顰める。わかるもなにも、ヌヴィレット様からはこのメロピデ要塞の本来の用途について聞かされていたからよく知っていた。この要塞は囚人を収容することと機械を生み出すこと以外に、特殊な用途があるという話。それに対し、管理者である彼が調査を重ねていたこと。私が彼を陰から支えて生きていくのならと、本来なら機密事項である話をヌヴィレット様は私に教えてくれていた。
 つまり、この要塞の地下深くにある禁域に異変が生じ始めたということ。例の予言も含めて、もうじきこの国によくないことが起こってしまう。

「その顔は、ヌヴィレットさんから聞いてるんだな」
「ええ、ある程度は聞いているわ」
「……禁域のメーターが動いていた。温度や水圧であってくれと実験しても全く動かなかったのにな。だから要塞の周囲を泳いでみたんだが、ご覧の有様だ」
「体調は平気?」
「問題ない、ただこうして人体に影響は出ている。やはり胎海の水が染み出してるんだろうな」

 リオセスリは湿ったコートを執務机に投げ置き、考え込むように顎に手を添えている。果たしてこんな問題にまともな対策なんて出来るのだろうか。

「そんなことより」
「うん?」
「昨日クロリンデさんが来たんだが」
「……う」

 彼女、カフェを足早に去っていったと思ったらここに直行してたってこと? どうしよう、余計なこと言ってないでしょうね。いや、何事もはっきりと物申してしまうクロリンデのことだから、どう考えても彼になにか突きつけていてもおかしくない。参ったな……一度ここから逃げる?

「ええと、ごめん私ちょっと一旦自室に」
「逃げるなって」
「わっ」

 彼の横を通り抜けて螺旋階段に駆け込もうとしたけれど、当たり前のように捕まってしまう。こうして彼の腕の中に閉じ込められるのも、もう何回目なのか。表情を伺おうと恐る恐る見上げれば、彼は予想外に申し訳なさそうな顔をしていた。

「あんたを悩ませてすまなかった」
「……えっと」
「伝わってると思ってたんだ、だから俺が悪い。でもなナマエ、俺はそんな不誠実な理由であんたに手を出したりはしない」

 そういうと彼は私に覆い被さるように抱きしめてきた。不誠実な理由だなんて、とんでもない。私がこんな甘ったれてるから、相手してくれてただけじゃないの? もしそうじゃないのなら、いやでも。う、嘘よ。
 自分の鼓動が異常な速度になっているのと同時に、何故か彼からも似た速さのそれが鳴っていた。触れたところから、うっすらと聞こえてくる。でも、そんな夢みたいなことが本当にあるの? 私がこの夢を享受してしまっていいの? ヌヴィレット様もシグウィン先輩も大丈夫だなんていうけれど、私は彼にとって苦い記憶そのものなのに。
 私にとっていちばん都合のいい航路に行き当たり、そんなことしちゃいけないと否定をしようとした瞬間に、退路を断つような言葉を彼は私の耳元で囁いた。
 
「俺はあんたに惚れてんだよ」
 

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