誤つ不言不語

 何故彼女は、わざわざナマエが不在の時に出現するのだろうか。執務机の向こうで仁王立ちの決闘代理人様は、明らかに俺を睨んでいる。他に思い当たる節がないが、ここまで敵意を向けられているということは十中八九ナマエのことだろう。俺が彼女に手を出したことに怒っているのであれば反論はしたいところだが、一体何を言われるんだか。

「ナマエから話を聞いた」
「あんたがアポなしで訪問するならそうだろうな。それで、クロリンデさんは何が不満なんだ」
「彼女にちゃんと言葉で好意を伝えたりしたか?」
「……なんだって?」

 クロリンデさんの口から飛び出てきたのは予想外の言葉。まさかそんな事を言われると思っていなかったから、さすがに俺も少し狼狽えてしまった。同時に、質問の意味を改めて考える。ナマエに好意を伝えたか否か。彼女とは昨晩だって夜を共にしていたし、ナマエも嫌がる素振りなんて微塵も見せなかったのに何を今更。いや、待った。伝えたかと言われると、自信がないな。最初の夜から思い返してみても確かに、明確に言葉に出した記憶がない。

「あー……いや、待て、ナマエはなんて言ってたんだ」
「はっきり言っていいのか?」
「……頼む」
「優しい人だから相手をしてもらってるだけだ、と言っていた」

 クロリンデさんの返答に思わず口許を抑えた。これは、完全に俺のやらかしだろうな。言葉にしなくても伝わっていると思い込んでいた自分の怠慢だ。だからあの日からのナマエはどことなく申し訳なさそうにしていたのか。
 俺の様子にクロリンデさんも溜息を吐く。この人が伝えに来てくれて本当に良かった。このままだと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。なんせヌヴィレットさんとの賭けで掴み取った契約期間は三か月だ。もう、あとひと月を切っている。こんなことになるならもっと長い期間で吹っ掛けておくべきだった。契約更新するか、引き抜くか、どちらにせよ彼女を引き留めるための算段はつけておかないといけない。

「これ以上あの子が拗らせる前にどうにかしてやってくれないか」
「勿論、なんとかするさ」
「それにしても、結局こうなるのか……」
「クロリンデさんだって俺のこと煽っただろ」
「否定はしない」

 そもそもこの人が酒なんて押し付けてこなければ、こうはならなかったんだがな。とはいえそこに関してはかなり感謝している。結果としてナマエと急激に距離を縮めることが出来たし、それ以上の結果が出ているからだ。俺の中に溜まりきっていた靄も、形はとっくに決まっている。俺は彼女を手に入れたい。

「……もし、」
「ん?」
「ナマエのことで今後何かあっても、絶対にあの子を傷付けたり拒絶しないであげてほしい」
「どういう意味だ?」
「理由は言わない。が、約束してほしい」

 クロリンデさんの鋭い視線を感じる。これに関して譲歩は一切出来ないと言わんばかりの気迫だった。もしかしたら、言わないのではなく言えないんじゃないだろうか。ナマエ本人と看護師長が隠していることとも、恐らくは関係があるのだと直感で理解する。
 その内容を知ったところで、俺がそう簡単に彼女を傷つけると思っているのなら心外だ。ナマエが何を抱えていたって拒絶する原因にはならないし、俺はそこまで愚かじゃない。だがナマエ本人が話したくないというのなら当然別だ。彼女が打ち明けてくれるか俺自身が気付くまでは当たり前に待つ気でいる。

「あのなクロリンデさん」
「なんだ」
「俺が惚れた女を拒絶するわけないだろ」
「……はあ」

 露骨に溜息を吐かれるとなんだか癪だな。クロリンデさんは呆れた顔で俺を一瞥して、要件は済んだとばかりに執務室を出て行ってしまった。
 それにしても参ったな、まさか俺の好意が全然伝わっていなかったとは。

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