小さな芽を摘んでほしい

 肌寒さを感じて意識を覚醒させる。重い瞼をひらけば、視界には少し跳ねた黒い髪が映り込んだ。ああ、今日はまだ彼も起きていないのか。私は上体を起こし、自分の服がどこに投げ出されているのかを確認した。
 
 あれから私たちは、こうしてずるずると関係を持ってしまった。もう何回目だろう、彼の寝室に招かれるのは。多分五回目?さすがに執務室でそういうことをするつもりはないらしく、私としてもそれは少し助かっている。
 とはいえ、あの日からこうして求められている現状に私は猛烈な不安感を覚えていた。この営みを欲しているのは彼なのか、それとも私なのか。どうやら私のこの想いは間違いなく彼に伝わってしまっている。この人はとても優しいから、あの日言っていた寂しさを埋めるという建前で相手をしてくれているだけなのかもしれない。考えれば考えるほど虚しくなる。身体を重ねられたところで心は遠いままだ。

「どうしてこうなっちゃったかな……」
「……ん、」
「あら、おはよう」

 目が覚めたらしい彼は、上体を起こしたままの私をぼんやりと見つめていた。寝起きの彼はいつもの調子を保てていなくて、なんだか少し可愛いなと思ってしまう。声をかければ少しだけ掠れた声で「おはよう」と帰ってきた。困る、なあ。
 服を拾って身につけ、一度自室に戻る旨を伝えるとまだ眠気が残っているのか鈍い返事が帰ってきた。こんな姿あまり見せ付けてこないでほしいな。離れがたくなる。



 次の休日、昼下がり。カフェでのんびり読書をしている私の元に来客がやってきた。「久しぶりね」と声をかければ、大きな溜息を吐きながらクロリンデが向かいの席に腰を降ろす。彼女も今日は非番らしい。

「いつの間にメロピデ要塞に行ってたんだ」
「あれ、なんで知ってるの?」
「ヌヴィレット様に聞いた。あー、リオセスリ殿からも」
「勤務状況が筒抜けね……」
 
 まあ、いつもパレ・メルモニアにいるはずの私がいなくなっていたら彼女は当然確認を取るだろう。休日には一緒に出かけるし、休憩時間が合えば昼食に同行するくらいには頻繁に彼女と時間を共にしていたのだから。
 クロリンデとはそこそこ付き合いが長い。決闘代理人である彼女とは公私での関わりが多かったからだ。趣味も合うし話しやすいし、私にとっては貴重な友人の一人でもある。そんな彼女に出向の件を伝えられていなかったのは、ヌヴィレット様のせいということにしておこう。

「彼と会って大丈夫だったのか?」
「大丈夫……じゃないのよ……!どうしたらいいかわからなくなっちゃった」
「相談なら乗るから、話してくれていい」

 クロリンデは私の事情を知る者の一人でもある。というよりは、ヌヴィレット様とシグウィン先輩と彼女しか知らない。私が彼の義妹であることも、私がどういう経緯でヌヴィレット様の部下になったかも、クロリンデには全てを説明していた。話しておいてよかったな、こんな時に相談できる相手は彼女しかいない。
 メロピデ要塞勤務を始めてからの二ヶ月間で起きた事を大体全て話すと、クロリンデは何故か私に向かって頭を下げて謝罪してきた。な、何?

「すまない、責任の一端は私にある」
「どういうこと?」
「リオセスリ殿に酒を押し付けたのは私だ」
「……はい?」

 酒。心当たりがありすぎる。あの日飲酒なんてしなければこうはならなかったと何度も後悔していた。きっと向こうだってそう思っているはずだ。いつものように紅茶を飲んで仕事を上がればよかっただけだって。
 その原因の、酒?

「……そ、そう」
「あの男、酒の勢いでそこまでするとは思わなかった……待て、それは無理矢理か?それなら裁判でもなんても」
「……合意ですねぇ」
「ナマエ」
「はい……」

 直前まで謝り倒していたとは思えないほどじっとりとした視線を向けられる。彼女の言わんとしていることはわかる。私の意志が弱かったのも事実だから。クロリンデはカフェラテが注がれたカップに口をつけ、それから頭を抱えてしまった。

「でも、それだと認識が食い違うな」
「なにが?」
「本当に彼からは何も言われてないのか?一言も?」
「そうね。まあ、褒め言葉はもらうけど……彼が現状をどう思ってるのかは何も知らない」
「……はあ、わかった」

 私にはよくわからなかったけれど、クロリンデは何かに納得したらしい。「話が聞けてよかった」と言い残し、彼女は早々に席を立ってしまった。一体何だったの、あのクロリンデにしては珍しく忙しないなと思いながら、私は仕方なく読書を再開した。今日は自宅に戻って寝泊まりするし、水の下でのことは一旦忘れて自分の時間を堪能しておこう。

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