迎える次の朝

 腰が重い。というより全身が痛い。今日はとにかく心を無にしなければいけない。少しでも油断すれば、昨晩のことが脳裏に過ぎるからだ。

 昨晩の記憶は覚えている。できれば綺麗さっぱり忘れてここから逃げ出したいくらい鮮明に覚えていた。
 その記憶を共有した相手は私の視界の右側、自身の執務机でいつものように仕事をしている。私は何も手につかないくらい葛藤しているのに、まさか昨晩のことなんて彼は特になんとも思っていないのだろうか。
 もやもやした心のまま彼をぼーっと見ていると、私の視線に気付いたらしいリオセスリがこちらに視線を返してきた……だけでは飽き足らず、意地の悪そうな不敵な笑みを浮かべている。呑気に眺めてるんじゃなかった!

「どうかしたか?」
「っなんでもない!」

 なんとも思ってない人がこんな笑みを浮かべるわけがないのだ。明らかに昨晩のことを私に意識させようとしているのがわかる。それも、自分からは何もしないことによってだ。きっと私がこうして葛藤していることもわかっていて、その様を悠々と眺めて楽しんでいるんだろう。多分、きっとそうよ。昔はあんなに優しかったのに、こんなに意地悪な人になってるなんて聞いてない!
 彼から目を逸らして書類で顔を覆い唸っていたら、いつの間にか席を立っていた彼は二人分の紅茶を淹れ始めている。もうそんな時間だったのか。それにしても、彼が本当にいつも通りすぎて落ち着かない。

「……ねえ」
「なんだい」
「昨日の……うう、その、あれは」
「念の為言っておくが、」

 言い訳をしようとしたらすぐに言葉を遮られ、私は黙り込むしかなくなってしまった。どうしよう、何を言われるんだろう。私の失態に対して釘でも刺されるんだろうか。確かに昨日の私はお酒のせいでおかしくなっていた。ボロを出さないように必死だったのに、アルコールなんて入れるからこうして痛い目を見るんだ。私があんな甘えた態度だったから相手をしてくれただけで、彼は別に私のことなんて何とも思ってないのかもしれない。そりゃ当たり前だ、私はずっと好きだったけど彼からすれば知り合ってまだふた月にも満たない派遣の女だ。
 勘違いするなとか調子に乗るなとか、きっとそういう釘を刺されるんだと構えていたら、テーブルに紅茶を置いた彼がそのままソファに座る私の右隣に腰掛けた。

「昨晩は悪かった、俺が我慢出来なかった」
「……え?」
「あんたが嫌がることはしたくないし、忘れたいなら忘れてくれていい。ただ、俺は忘れられない」

 顔はこちらを向いていないから、前髪で隠れて表情は窺えない。でも確かにこの人は今、「忘れられない」と言った? 昨晩、私を抱いたことを?
 そんな馬鹿げたこと、あるはずない。彼と距離を置こうとしてできるだけ冷たく接していたはずだし……最近は緩んでたけど、そんな可愛げのない女に好意を抱く要素がどこにあるんだ。たまたま昨晩甘えてしまっただけで、そのくらいで絆されるほど単純な男じゃないはず。なのに。どうして。

「あ、う……えっと」
「そんなに警戒しないでくれ、嫌がることはしたくないって言っただろ」
「そ、そうなんだけど……!」

 私が狼狽えてしどろもどろになっていると、彼は笑いながらやっとこちらに視線を向けた。とんでもない爆弾発言を添えて。
 
「ま、あんたが嫌じゃなかったなら話は別だけどな」

 先ほどの意地悪な表情とは打って変わって、優しい笑みを向けられる。そんな顔で私を見ないでほしい、苦しくなるから。今ここで嫌じゃないって言ったら、一体どうなるんだろう。
 
 私はなにも返答できないまま、彼には溜息で返して書類の整理を再開した。

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