猫を暴け

 今日も今日とて、黙々と書類の整理をし続ける彼女を定期的に盗み見ていた。相変わらず静かに真面目に仕事をしているが、テーブルに置かれた書類の量を見る限りさほど書類は残っていない。つまりこの後、彼女は俺が仕事を渡すまで手持ち無沙汰になるわけだ。勿論これは俺が故意的に作り上げた状況であり、彼女の仕事スピードであれば昼休憩の時間を強引に合わせることも可能だろう。それこそが俺の狙いであり、このチャンスを駆使して彼女と打ち解けるつもりでいる。その為に看護師長にも根回し予定を空けてもらっているのだから、彼女にはいい加減にその壁を取り払って貰いたいところだ。

「……あら」
「どうした?」
「今日はなんだか少ないとは思ってたけど、もう何もないの?」

 彼女は物足りないとでも言うような表情で、ソファから立ち上がり書類を俺の机へと提出しに来た。追加の仕事を催促するような雰囲気を醸し出しているから「残念ながら今日はこれだけだ」と告げれば、彼女は困ったような顔で「別に残念ではないけど」とぼやきながら軽く伸びをした。

「この後看護師長と昼飯を取るんだが、ナマエさんもどうだい?」
「シグウィン先輩と?」
「看護師長はユリアナさんにも同席してほしいそうだ」
「……ええ、いいわよ」

 了承の返答の割に彼女は浮かない顔を俺に向けた。いや、違う。何か不満がある、そんな表情だ。

「何か俺に文句でもあるのか?」
「……敬称、嫌いだなって」

 そう言った彼女は先程まで浮かべていた不服そうな顔から打って変わって、我に返ったように目を丸くしながら両頬を手で押さえて慌て出した。みるみるうちに白い肌が頬だけでなく耳まで赤く染まり、それが照れているのだと瞬時に理解できる。初めて見る彼女のひどく可愛らしい姿。ああ、これが看護師長がいつも見ている彼女なのか。羨ましいことこの上ないが、今こうして俺に見せてくれているということは、多少なりとも心を開こうとしてくれているのだろうか。
 そんなことより、敬称?

「ごめんなさいなんでもないの」
「……ナマエ、でいいのかい?」
「っ、」

 言われた通りに呼び捨てにしてみると、彼女はより一層慌てた様子で顔を覆っている。それがあまりにも可愛いものだから思わず笑い声を上げてしまえば、彼女はまた俺に見せたことのないような、大きな怒りの声を上げた。

「笑うことないじゃない!」
「いや、敬称が嫌だって言ったのはあんただろ……っくく……」
「あ、あなたがこの前しっくりこないって言ったのと同じ話!」
「へぇ、しっくりこないのか?」
「……そうよ、苦手なの」

 なんだ、こんな風に感情を表に出せるような女性だったのか。今までこの姿を隠されていたことは腑に落ちないが、このまま押し続ければ彼女はいずれ猫を被ってなどいられなくなるだろう。兆しが見えたことに俺は少しだけ安堵した。

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