合わない視線

 ヌヴィレットさんから事務が得意な部下を借りて早五日が経つ。太陽が降り注ぐパレ・メルモニアとは打って変わって陽光が届かぬ薄暗いこの要塞に来る羽目になった『可哀想な被害者』は、目を引くほどに"美しい"という言葉が似合う女性だった。それは単純な美醜の観点からくる言葉ではなく、身嗜みや立ち振る舞いから日頃の努力が垣間見えるような、人としての美しさを感じるような。初対面の女性に対して褒めすぎたろうか。とにかく、俺が彼女に感じた第一印象は、そんな好感を持てるような感想だった。
 
 ……はずなんだが。

「……」
「……」

 時折紙が擦れる音が聞こえ、ペンを走らせる音がそれに続く。ちらりと端のテーブルに視線を向ければ、無表情の彼女が黙々と報告書の整理をしていた。
 ナマエさんが来てから丸五日間、ずっとこの沈黙が保たれている。彼女はほとんど俺と会話をしようとしなかった。何度も声を掛けたことはある、それこそ毎日のルーティンに組み込まれたティータイムの時間には、ナマエさんにも欠かさず紅茶を振る舞った。礼儀正しい彼女はその度に礼は言ってくれるが、休憩のお供に世間話に花を咲かせる……といった空気には未だ持ち込めていない。なんせ、俺がどんな話を吹っかけても二、三往復して終わってしまうからだ。最初は口下手なのかと思っていたが、話しかけながら彼女の様子を伺うと、どうやらそれは違うらしい。ふと我に返ったような表情を一瞬だけ浮かべ、話を切り上げようとする。まるで、俺との会話を避けているように。

「……」

 気まずい。いや、気まずいと感じているのは俺だけなのかもしれない。現に彼女は集中して仕事をこなしている。真面目なのか得意なのか、彼女の書類処理能力は非常に高く、データの整理に関しては俺が手をつけるよりも当然早い。そこはやはり慣れの問題があるだろう。普段の俺なら、もう少し上手いやり方で彼女と打ち解けられる展開に持ち込めると思うのだが、何故かどんな手も浮かばない。あまりにも露骨な壁を作られているからだろうか。先日初めて会った時は、彼女からもう少し好意的な雰囲気を感じ取っていたはずなんだけどな。

「なあ、あんたヌヴィレットさんの下で働いてどのくらいなんだ?」
「……ええと、十五年くらいかしら」
「十五年?そんなに働いてて、一度も俺と出くわしたことがないなんて逆に凄いな」
「……在宅業務が多いの」
「そりゃあ、すれ違うこともないか」

 一瞬こっちに目を向けてくれたナマエさんは、これ以上掘り下げられたくないとばかりに軽くため息を吐いて、書類の整理に意識を戻してしまった。こんな感じで、本当に彼女との会話が続かない。
 そういえば、看護師長は彼女と仲がいいんだったか。最初に聞いていた印象と違うことも含めて、一度看護師長に相談してみるか。

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