ノイズの中に混じって聞こえたのは、人の声だった。重なりあう声の中でひとつ、はっきり聞き取れたそれ。
『愛してるよ、ティア』
胸が詰まるような、それでいてぽっかりと穴が空いたような、虚しい気持ち。
ティア、って誰だろう。
確か、
「……ん」
目が開いた。しかし目の前に広がるのは薄暗い闇だけ。寝転んでいる地面には水のようななにかが浅く張っているようで、背中がひやりと冷たい。
わたしは、なんでこんな所にいるんだっけ。
思い出そうとするが、途端に頭が殴られたようにひどく痛んだ。頭がズキズキするので、とりあえず別のことを考えることにした。
「ティア……わたしの名前、だよね」
自分で唱えてみて、なんだかしっくりきた。それならわたしはティアという名前なんだろう。無理矢理納得してうんうんと独り頷いた。
その他に色々と考えてみるけれど、何もわからない。記憶のあちこちに白いもやみたいな物がかかっているようではっきりしないのだ。
ふと、どこからか音楽が聞こえてきた。それはオルゴールの音色で、聞いたことのあるような不思議なメロディだった。泣きたくなるような、それでも心が満たされるような旋律。
(これ、知ってる)
ティアはその音に呼ばれているような気がした。
「行かなくちゃ」
呟くと、闇の中に一筋、切れ目が空中に現れた。そこから射し込むわずかな光に、ティアの身体は包まれて、
*
浮遊感のあと、後頭部に強い刺激。
「いだっ!?」
思わず飛び起きて、後ろを振り向くと、そこにはレンガが転がっていた。
「なんでレンガなんか……」
後頭部を押さえながら顔を上げると、地に沈んだ建物の残骸、宙に浮く人形──そんなものがあちこちに見えた。まるで玩具箱の中にいるような感じだ。そう考えていると、宙を漂っている人形の目玉がぎょろりとティアのほうに向いた。
『ティアガ起キタ!!ティアガ起キタ!!』
「!?」
人形がいきなり喋りだした。驚くティアの周りに人形たちが集まってくる。
『ティア、オハヨウ!』
『キット彼ガアヴィスニ堕チテキタカラ起キタンダネ!』
人形たちはケラケラと笑う。
「アヴィス……って、ここが?」
『ソウダヨ!』
そんな馬鹿な。アヴィスはこんな所じゃ、
「ていうか、うざいし!寄ってこないで!」
ティアは群がる人形たちを手で振り払う。
と、その時、
「お前達、邪魔だ!どけぇぇぇぇぇっ!!」
声が聞こえた。同時に水の跳ねる音が慌ただしくこちらに向かってくる。
『ビーラビット!』
『ビーラビットガ来タゾ!』
人形たちは四方に散っていき、息苦しさから解放されてホッとしているティアの腹に、
「ぐえっ」
「ぎゃああっ!?」
誰かが躓いた。
「この!邪魔だと言ってるだろう、が……?」
それは、ひとりの少女だった。少女はじろじろとティアを見つめる。
「何だ、お前」
「何、と言われても……」
「……チェインの匂いがする。お前、チェインなのか?」
「匂いがするなら、チェイン……なんじゃないの?」
なんだそれは、と少女は首を傾げた。そんなことよりもお腹が痛いんですが。
「人間にそっくりな姿だな」
「はあ」
「私は【血染めの黒うさぎ】。お前は?」
「ええと、わたしは……ティア、かな」
名前を名乗ると、少女は驚いた顔をした。
「それは、名前か?」
「え、まあ」
「ほう……名前があるのか。話が通じるチェインも珍しい。不思議な奴だな、お前……ティア」
にこりと笑って頷く少女。
「そういえば、あなたは何を急いでたの?」
ティアがそう訊ねると、頷いていた少女の動きが止まり、
「……あぁぁぁぁー!!」
叫んだ。
「忘れていたぞ、あいつを……!」
で、走り出した。
「え、ちょっと!?」
本能なのか、せっかく話ができる相手を見付けたのに追いかけないわけにはいかないと思ったティアは、少女の後を走っていった。
*
「はぁ、はぁ……」
あの子めちゃくちゃ走るの速いな……どこ行ったんだろ。たぶんこのドレスが水分を含んで重くなっているんだろう、そう考えながらティアは周りを探した。
「げ、何あれ」
少し向こうに、巨大な顔に蜘蛛の足が生えた様な生き物が見える。
「気持ち悪っ……」
通り過ぎようとしたとき、そいつの体が爆発したのが視界に入った。驚いてつい二度見する。
よく見ると、そこにはさっきの少女と1人の少年。
「くくく……違うな小僧。契約してください、だろう?」
少女はそう言い、少年の顔を近付け、唇を重ねた。
「うわ!?」
(何やってんのあれ!!)
ティアがわたわたしている間に、少女の体がだんだん薄くなり、やがて消えていく。
「……ふふ……やっと手に入れたぞ!!私の躯だ!!」
突然、残された少年が笑いだした。
「これで力を解放できる……ここから出ることが出来る!!」
少年は大きな鎌を空中にぶつける。そこに大きな亀裂が入り、光が溢れて──
「……あれ?」
少年の姿は無くなっていた。
「今、何が起こったの」
辺りを見回すが、少年はどこにもいない。そして、少女も──見失ったようだ。ティアは大きくため息をついた。
「そんな……」
項垂れている遥か遠くで、人形たちの笑い声が聴こえた気がした。
←