「基山くん基山くん」
「なに?」
「教科書見せてほしいです」
「うん、いいよ」
隣の席は基山ヒロトくんである。その容姿とそれにそぐわない人当たりの良さで男女問わず人気者だ。
今だって嫌な顔せずに机をくっつけてくれたし。王子様みたいね、と比喩する女子までいるくらいだ。
「名字さんってさ、もっとガリ勉なイメージあったんだけど全然違うね」
「ガリ勉?私が?」
「うん。でも案外抜けてるよね」
「…抜けてるはよく言われるかも」
「あはは、でしょ?」
笑う基山くんを見て、本当にいい人だなあ、と思った。だって、こんなにも優しい目をしているのだ。
*
学校が終わり、帰宅部の私はまっすぐ家へと帰る。
できれば暗くなる前に帰りたい。
なぜなら、
「名字さん!」
振り返ると、基山くんが私のもとに走ってきていた。
「基山くん?」
「体操服、忘れ物だよ」
基山くんの手には体操服を入れるバッグがあった。
「わざわざ届けに来たの?」
「うん、だって明日体育あるし」
「そっか、そうだね、ありがとう」
バッグの中を探る、と。
「……あれ」
「どうしたの?」
「服、返ってきてる!」
つい先日、学年集会から戻ると私の体操服(上)がなくなっているという事件が起こった。体育は集会のすぐ前であって、使用済みのものがなくなるというので、誰か変な趣味の奴に盗まれてしまったんだろう、という結論に至った。大体なんで私の体操服なのか。気味が悪い。
で、その体操服がバッグに入っていた。広げてみるとちゃんと『名字』と刺繍がしてあるし、私のなんだろう。しかしなぜかきちんと洗濯してある。さらに適当に詰め込んだ服までしっかりとたたんであるのだ。ますます気味が悪い。
「顔色悪いよ?」
「ううん、大丈夫」
「警察沙汰にならなくてよかったね」
「うん………あれ、基山くんって家こっちだっけ」
「まあね」
基山くんはにこりと微笑んだ。
どきん。心臓がいっそう速く脈打った。
「あのさ、基山くん」
「ん?」
「確認したいことがあるの」
「……何かな」
私は基山くんを信じてる。だから直接聞くんだ。
「…私さ、誰かにつけられてるんだよね」
「つけられてる?」
「帰り道、私の後ろをずっと歩いてるの。でも振り向いてみると誰もいなくて」
「うん」
「正直、体操服のあれもそいつがやったんじゃないかって思う」
「…うん」
「それで、この間向かいのおばさんがそいつを見たって言ったの。それが、うちの学校の制服で、赤い髪の毛だったっていうのね」
「……」
「基山くんじゃ、ないよね?」
顔がまともに見られない。それでも、彼は違うよといつものように微笑んでくれると信じていた。
「いや、赤い髪の毛の人ってめずらしいから…違うよね────」
ぐいっ、と腕を引かれた。その力強さによろめいたところを、基山くんが支えた。
「なに、」
「名前ちゃん」
耳元で名前を呼ばれた。背筋がぞわりとした。心臓の鼓動が危険だと警告している。
なぜ、基山くんが私を名前で呼ぶのか。
見上げると、基山くんが笑っていた。しかしその笑顔はいつもとは 違っていた。
逃げなければ、と思っても腕を掴まれていて動けない。
「きやま、く、」
歪んだ笑みを浮かべた基山くんが見えた刹那、頭に鈍い痛みが走り、私の視界は真っ黒に塗りつぶされた。