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学校帰り、あたしは急いでいつもの喫茶店へと向かっていた。
さっさとチョコを渡して帰る予定だったから、サッカー部でチョコを配るのに、あんなに時間を取られるとは思ってもいなかったせいで、かなり時間をロスしてしまった。


『マスター、お久しぶりです!』

「なまえちゃん、久しぶりだね。いつもの席空いてるよ?」


先生たちがアメリカに移住してしまってからも、あたしのこの喫茶店通いは変わっていない。
もう先生とご一緒になることはないけれど、それでも思い出の詰まったこの喫茶店はあたしにとって特別な場所だ。
時間が空けば思い出に浸るようにここへと来ていた。


『すみません。今日はこの後予定があるので、ゆっくり出来ないんですよ』


思わず苦笑いが漏れたのはお客として来たわけじゃないって意味も多分に含まれているけれど、マスターとお話ししている時間が楽しくて、今日はそれが出来ないことに寂しく思っていることもある。
あたしは、夏休みのあの日に言ったみたいに本当に年の離れたお兄ちゃんの仕事場に遊びに来ている感覚でここに通っているから余計かもしれない。



『今日はマスターにこれを渡しに来たんですよ』


鞄の中からチョコの入った綺麗にラッピングされた箱を取り出してマスターへと差し出した。
大人向けのチョコレートはこれだけしか作っていない。
園子たちに特別なチョコを用意したように、あたしにとってマスターは特別なんですよって意味を込めたチョコだから。


「わざわざバレンタインチョコを届けに来てくれたのかい?」

『いつもお世話になってるお兄ちゃんへの特別なチョコですよ?』


驚いているマスターに悪戯に微笑めばマスターも「後でゆっくりいただくよ」って優しく微笑んであたしのチョコを受け取ってくれた。

あげる相手によって種類を変えて渡そうと、ここ数日はずっと家に篭ってお菓子作りをしていたので、ここにも来れなかったんだとマスターに打ち明ければ、マスターは楽しそうに笑いながら「すごい力の入れようだね」と言った後、悪戯を思いついた子供のような表情で


「工藤先生もバレンタインが終わってからアメリカに行けばよかったのに。なまえちゃんのチョコ、私は手渡しで貰ったよと自慢することにしよう。これはお兄ちゃん用の特別なんだって言われたんだってね。あの先生、相当悔しがるだろうから今から反応が楽しみだ」

『本当は先生たちにも手作りチョコ渡したかったんですけど…さすがにアメリカに送るわけにもいかないので、先生と有希子さんの分はプレゼントを用意して送ったんですよ』

「それじゃあ逆にそれを自慢される羽目になるかな?ところで何種類くらい作ったんだい?」

『えっと…友チョコと、その友たちの家族用へのケーキと、クラスの皆とサッカー部への差し入れようと、他県の友達用に送ったホールのタルトとケーキと、マスターへのチョコですから…細かいのを除けばざっと9種類ですね』

「すごいな!さすがプロ顔負けの腕を持つなまえちゃんだ。だけど、肝心の本命が入ってないよ?」

『それはいつもよりちょっと豪華な夕食と一緒にこれから作るんですよ。それじゃあ、その準備があるのでこれで失礼します』

「そこまで気合の入った本命を貰えるなんて、工藤くんは本当に幸せ者だな」


ペコリと頭を下げたあたしに、マスターは家族に見せるような優し気な眼差しで微笑みながら頭を撫でてくれたので、なんだか面映ゆい気分になった。

買うにしろ作るにしろ、本命チョコに力を入れるのは、きっと女の子なら誰でもやることだ。
好きな人に自分の気持ちを受け取って欲しい。
きっと本命チョコを渡す女の子は皆がそう思ってる。

あたしがあげるのは片思いの人ではなく、彼氏なんだから、出来ることなら喜んでもらえると更に幸せだ。

新一の反応が楽しみで、マンションに帰ったあたしは昨日の内に下準備していた材料を袋に詰めながら表情が緩みっぱなしだった。
クススの皆へ配ったチョコでも、部活のチョコでも喜んで受け取ってもらえたけど、所詮あれは「お礼チョコ」であって、本命とは力の入れようがそもそも違うんだってことを知って欲しかった。

別に他の皆へのチョコを手抜きしたつもりは毛頭ない。
あれはあれで皆に喜んでもらいたくて愛情いっぱいに作った品だ。

だけど、新一の家で夕食の準備と同時進行で作ってる本命のこれは詰め込んでいる愛情の種類がそもそも違う。
彼氏の為だけに作る、自分の気持ちをめいっぱい伝えるための本命だもの。
どれだけ腕を振るったって、あたしの新一への気持ちを全部詰め込むなんて不可能だ。

だから、その欠片だけでいい。
あたしの新一への気持ちが少しでも伝わってくれるなら、それでいい。

そう思って準備していた夕食だけど、出来上がったそれをテーブルに並べた時にはさすがにやりすぎたかなと苦笑いが漏れた。
これじゃあ、夕食というよりは晩餐だ。

でも、最後に出す本命チョコはお皿に綺麗に盛り付ける予定だからこのくらいはしないと最後のそれだけ浮いちゃうんじゃないかって気がした、んだけど…

園子に送る為の写メを撮って、改めて眺めていたら

「あんた一体どんだけやれば気が済むのよ!?」

っていう園子の声が聞こえて来た気がした。

普段は適当に受け流すことが多い癖に、こういう時だけは一切妥協するのをよしとしない自分の性格が少しだけ厄介なものに思えてきた。
だからあたしの気持ちは重いんだって昔言われたことのある台詞が蘇る。
でも、それを自覚してるのに直せない分タチが悪いよなとは自分でも思っているんだけど、今までこれで過ごしてきた性格がすぐに直せるわけもなくて。
この性格、どうにかして直せないもんかな?と真剣に考えているとふと不安が頭を過った。

新一に引かれたらどうしよう…

今まで浮かれてた気持ちが落ち着くとそんなことが浮かんできて何だか無性に不安になってきた。
あたしがお礼チョコだと言っても、同じものを自分にも寄越せと、そのつもりがないなら他の男の子には一切渡すなとまで言ってくれた新一だけど…

初めてのバレンタインだからって空回りしちゃったかな、とどうしようもなく不安に感じ始めた頃、新一が部活から帰って来たみたいで、玄関から新一の声が聞こえて来た。
胸に頭に渦巻いている不安な気持ちを振り払うように頭を振ってからいつも通り新一を出迎えに玄関へと向かった。





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