今日も新一に家まで送って貰って、最近習慣になってしまっている二人分のお弁当箱を洗っていた。
工藤家ではのんびりとした時間を過ごしていても、宿題やらなんやらお互いにすることがあるので、新一は前のようにあたしの部屋に上がり込むこともない。
でも、不思議と寂しいと感じることはなかった。
その分、新一の家で一緒に夕飯を食べてほんわかとした幸せな時間を過ごしているからかもしれない。
洗い物を済ませると、宿題に手をつけ、それが終わればのんびりとお風呂タイムを過ごしながら明日はどんなお弁当を作るか考えるのももう恒例になっている。
新一が成長期真っ盛りで運動部に所属していることも、勿論お弁当の中身を左右している原因ではあるのだけど、それとは別に手を抜けない理由があたしにはあるのだ。
「やぁ、なまえ君。元気にしてるかい?」
『えぇ、勿論元気にしてますよ。先生はお変わりないですか?』
先生たちがアメリカに行ってしまってからのあたしの日常。
寝る前に先生とライヴチャットをしていること。
これがあるからこそ、あたしは先生たちがいない寂しさを紛らわすことが出来ているといっても過言ではない。
時差があるから難しいとは思うが…、アメリカに発つ前にそう先生はおっしゃっていた筈なのに、先生は毎日あたしをライブチャットに誘って下さる。
「どうも、なまえ君の声を聞かないと一日が始まるという実感が湧かなくてね…。私の方がホームシックになってしまったかな?」
『私も先生と話せないと一日が終わる実感がないのでお互い様ということでいいんじゃないですか?』
いつも先生との会話はこんな感じで始まる。
そしてその日にあった出来事を先生に報告していると、必ず有希子さんが乱入してくるのだ。
「優ちゃーん!朝ごはん出来たわよ?あら、なまえちゃん!久しぶりね!元気にしてた?」
『有希子さん、毎日話してるんですからあたしが元気ないときは一発でバレてしまいますよ』
苦笑で返しているのも仕方ない。
毎日同じやり取りをしてはいるが、この夫婦はあたしの変化に敏感で何かあるとすぐにバレてしまうのだ。
その度に、本当にお二人には敵わないと実感する。
「それにしても昨日のお弁当もお夕食もとっても美味しそうだったわ!新ちゃんばっかりズルいわよ」
「それは同感だな。新一ばかりなまえ君の手料理を堪能してるとは許し難い。なまえ君の手料理もだが、私もそろそろなまえ君の手作りのお菓子が恋しくて仕方ないんだ」
『私の記憶に間違いがなければ、私がいるから新一の食生活の心配をしなくて済むっておっしゃっていたのはお二人だったはずなんですが…』
そう、これこそがあたしが新一へ出す手料理に手を抜けない最大の理由だ。
初めは「今日の夕食はこんな料理作ってみたんですよ」とか「今日のお弁当にはこれを入れたんですけど、好評だったみたいで嬉しかったです」なんて他愛ない話の一つだった筈が、いつの間にやら有希子さんに「なまえちゃんの手料理写真で撮ってメールして!」という話になり、今では食べてもいないはずの有希子さんや先生から感想までいただいている。
しかも、「次はどんなお弁当作るの?」なんて期待を込めたキラキラした瞳で問い詰められれば否が応でも手を抜いてガッカリさせるわけにはいかなくなるって話だ。
『そういえば、今日新一が友だちに“どうせなら一緒に住めばいいじゃないか”みたいなことを言われたらしいですよ?あたしの部屋が工藤邸にあるのバラしちゃったみたいで』
「ほう?」
「そうなの?」
二人が目を細めて臨戦態勢に入ったのを見て、この話題はマズかったと悟るがもう遅い。
新一、この後二人にこってり絞られるんだろうな…迂闊に口滑らせてごめんね、と心の中で謝罪した。
『あたしが自分の家と新一の家を往復してるのと一人暮らししてるのがマズかったみたいですね。一緒に暮らした方があたしも楽なんじゃないかって進言されたみたいなんですよ』
「それで?新一は何か言って来たのかい?」
『将来の楽しみがなくなるけどいいの?って言っておきました』
「相変わらずなまえ君は話のすり替えが上手いみたいだね」
『新一にはバレなかったからいいんですよ』
いつもの先生の口調になったことに安堵しながら、やっぱり先生には誤魔化しは効かないんだな、と再確認した。
「まぁ、新一がもう少し大人になってからの話ならともかく、今から同棲したいなんて言いだせばなまえ君のアメリカ行きが現実になっていたんだから、私はそれでも構わなかったんだが…」
『あたしが構いますよ!今でもアメリカで先生たちと過ごすのはかなり魅力的な話ですけど、やっと今の生活に慣れてきたところなんですから!』
先生たちがあたしのアメリカ行きを諦めてないことはサッカー部の人たちに聞いて知っていた。
あたしがバッサリと断れたらそれが一番いいことなんだろうけど、アメリカのスクールの資料を見た後では興味が全くないといえば嘘になる。
新一との二人の生活も確かに幸せを感じているし捨てがたいのも本音だが、正直これから経験することなんてないだろう海外の生活に思いを馳せているのも事実だ。
「なまえ君もこっちで暮らすことに躊躇いがあるわけでもないんだろう?」
『はい。それはそれで刺激的で実りのあるものだと思います。何より先生たちと一緒に過ごせる特権を手放すのは惜しいです。ですけど、その場合日本に残った新一が一人でちゃんとした生活が送れるかどうかの心配もあるんですよ』
「普通、その心配をするのは親の仕事だと思うがね」
楽しそうに笑ってらっしゃる先生には言われたくない。
でも、先生も有希子さんもあたしの心配をしてくださっているのは明確なので何も言えない。
同じように新一の心配もしてあげればいいのに、この二人ときたら「その時はなんとかなるだろう」くらいにしか思ってないのが分かるあたり恐ろしい。
「おや?もうこんな時間だね。そろそろ寝ないとなまえ君が寝不足になってしまう」
『そうですね。それではまた明日』
時計の時間を見ると既に話し始めてから1時間近く経っていた。
新一のお弁当を作る時間を考えると、そろそろ寝ないと睡眠時間が削られてしまう。
『先生、春休みにそちらに行った際には思う存分腕を振るうので、あんまり新一を苛めないでくださいね?』
「先手を打たれてしまったか。ただ、勘違いしないでもらいたいんだが、苛めてなんかいないさ。寝起きの悪いあいつを起こしているだけなんだからね」
起こす為だけにわざわざ毎日1時間以上話してるんですか?
新一の怒鳴り具合知ってます?
あたしが朝ごはんを作ってる間中怒号が聞こえるんですよ?
「それじゃあ、おやすみ。明日も写真楽しみにしているよ」
『期待に添えるかはわかりませんが、またメールしますね。おやすみなさい』
毎日先生とライヴチャットしてるとかバレたら新一荒れそうだな。
でも、定時のこれに出ないとアメリカに強制連行されることが決まっているから、このままバレなければ問題ないか、と気軽に考えて眠ることにした。
先生たちからいただいたブレスレットを外してワンコからクリスマスに貰ったぬいぐるみの傍に置いてある小さな籠にしまうとすんなりと夢の中へと誘われた。
先生が毎日チャットの最後に言ってくれる「おやすみ」は今日一日に幕を閉じるあたしだけの魔法の言葉だ。
明日もいつものようにブレスレットをつければ一日を気持ちよく始められるだろう。
先生たちがアメリカに発たれてからもパソコン越しに毎日会える贅沢なひと時は、新一と二人で過ごす幸せとはまた別の意味であたしを幸せで満たしてくれる。
今日もいい夢が見られそうなそんな予感を感じながら眠りに就いた。
戻る