結局、今日の部活はどこか上の空で集中出来ずに終わった。
昼間のことを引きずってるのは自分でも分かってる。
けど、こればかりはいくら俺が一人で頭を捻ってても答えが出るはずもない。
それならいっそのこと、本人に聞いちまおうと思った。
飯の後の珈琲タイムの時にでも聞くとするか。
そう腹を括って、一度気合を入れなおしてから玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
『おかえりなさい!』
今日も空腹の腹を刺激するいい匂いと共にエプロン姿のなまえが玄関まで出迎えてくれた。
これも父さんたちがいなくなってからの俺の新しい日常の一コマだ。
なまえはいつも部活で腹を空かせて帰ってくる俺の為に、帰宅時間に合わせて晩飯の用意をしてくれている。
そして、わざわざ玄関まで出てきて笑顔で出迎えてくれるんだ。「おかえりなさい」って。
『新一?どうかしたの?』
「え?」
『なんか今日は元気ないみたいだけど…何かあった?』
もういつもの癖になってしまった玄関先で洗濯物の入った部活の鞄を預けて靴を脱いでいたとき、なまえは心配そうに俺のバッグを抱きしめたまま俺の顔を覗き込んできた。
なまえはいつも俺の変化に敏感だ。それがどんなに些細なことでも見逃すことはない。
それなのに、俺は…
「そんなことねーぜ?部活で暴れまくったから腹減っちまってさ」
『じゃあ、早くご飯にしよう?もうすぐ出来るから、着替えたら下りて来てね』
きっとなまえには俺が話を逸らしたことなんてお見通しだろう。
それでも、深く追及されることはない。
いつも俺が言いだすのを待っていてくれる。
それがなまえの優しさだと分かってはいるが、話すタイミングを見失ってしまうこともしばしばだ。
だけど、そういう時は決まってなまえが話すタイミングを作ってくれる。
『そういえば、今日のお昼、新一たちのグループやけに盛り上がってたね?』
「…聞こえてたのか?」
『まんま新婚じゃん!ってあれだけ大声で叫ばれたらクラス中に聞こえてたんじゃないの?』
俺の淹れた珈琲を飲みながら、その光景を思い出したのかなまえはクスクスと楽しそうに笑っていた。
クラス中に会話筒抜けだったのかよ。あいつら、明日ぜってーシメる!
『新一がゆでだこになってたから、園子が混ざりに行きたそうにしてたのよ』
「あんにゃろー」
『新一が怒るだけだから辞めときなって止めたんだけどね』
そこまで言うと、なまえは俺の言葉を待ってくれているようだった。
あんだけ騒いでた後に真面目な話をしてて、その後の俺の様子がおかしくなったとくれば自然とそこに原因があったんだろうと結びついたんだと思う。
「あいつらに言われたんだよ」
『何を?』
歯切れの悪い俺の言葉にもなまえは急かしたりしない。
園子あたりだったらさっさと言えって五月蠅いに違いないのに。
こんな時はなまえが大人に見えてしまう。
「オメーと一緒に暮らせばいいのにって」
『へ?』
「俺ん家にオメーの部屋があるって話したら、どうせ親公認の交際なんだから一緒に暮らせばなまえも楽なんじゃないか?ってよ」
『楽?』
なまえはきょとんとしたまま首を傾げた。
この反応を見ただけでも分かる。
こいつが無理してたわけでも、今までの生活を苦にしてたわけでもねーって。
だから、安心して次の言葉を続けられた。
「俺ん家とオメーん家、二つの家管理するのは大変だろうってさ。一緒に住めば往復もしなくて済むだろ?だからオメーの負担減るんじゃねーかって話が出たんだよ」
『別に通えない距離じゃないじゃない。そりゃ、毎日新一に送ってもらうのは悪いとは思ってるけど』
「そんなの気にすんなって。俺が心配でなまえ送ってるってのもあっけど、あの時間は俺の楽しみの一つなんだぜ?」
『それなら何も問題ないじゃない。あたしも家事が苦だってわけでもなければ、苦手ってわけでもないんだし。それに、明日香たちと遊びに行く約束してるときはこのお屋敷の掃除が手抜きになることもあるしね』
なまえは最後の言葉を少し悪戯に笑ってそう締めくくった。
掃除くれー業者に頼めばいいと俺は言ったんだけど、俺ん家の家事を全て引き受けると言った以上、そんな妥協案はなまえには存在しないらしい。
なまえが一人暮らしをしてる以上、俺の不安が全部なくなることはねーんだろうけど、それでも俺は今の生活が最高に幸せだった。
『そういえば』
二人で後片付けをしている時に、なまえが思い出したようにそう呟いた。
「どした?」
『夏休みに初めて二人で洗い物してた時も、新婚みたいだねって話にならなかった?』
ガシャン
あの時、そのセリフを言ったのは俺で、皿を割ったのはなまえだったけど、今は状況がまるっきり逆だ。
しかも、今日は昼に同棲だの新婚だのの話をしている分、俺の動揺は激しかった。
『大丈夫?あたしが片付けようか?』
「いや、危ねーから俺がする」
ドキドキドキドキ。心臓がやけに煩い。
いつも片づけは二人でやってる癖に、どうやら今日は「新婚」の言葉に過敏に反応してしまったらしい。
いきなり何言い出すんだよ!こいつは!!
『さっきの話なんだけどね』
「ん?」
落ち着け、落ち着けと必死に自分に言い聞かせながら、気のない返事をしてはいるが、何を言われるのか想像出来ない分、情けない話だが鼓動は早くなるばかりだ。
『将来の楽しみにとっておくのもいいと思うよ?』
「は?」
割れた皿を片付けている手が完全に止まった。
将来の楽しみ?何の話だ?
『新一のお弁当に、毎日一緒に食べてる夕食。新一が帰って来た時のお出迎え』
皿を洗う手を止めて指折り数えるなまえに、何の話なのかさっぱりついていけない。
『後は、いってらっしゃいって新一をお見送りしたり、休日に一緒にそのままお出掛けしたりとか…』
「さっきから何の話してんだよ?」
『だから、今のあたしたちの生活が周りから新婚生活に見えても一緒に住んだりしたら本当に新婚になった時の楽しみが何にもなくなっちゃうよ?ってこと』
にっこりと俺に微笑むなまえに、俺はまたしても固まる羽目になった。
つい頭ん中でいつも俺を「おかえりなさい」と笑顔で出迎えてくれるなまえを思い浮かべて、想像までしてしまった。
大人になった俺が、仕事に出かける時に「いってきます」と家を出ようとしたら玄関先まで出てきて「いってらっしゃい」と笑顔で送り出してくれるなまえを。
それは最高に幸せな1日の始まりになること間違いなしだ。
「今一緒に暮らしたら、見送ってもらえねーのか…」
『そうだよ?同じ学校に行くんだもん。当たり前でしょ?お弁当も家で新一に渡すことになるし、それに送ってもらうこともなくなるから、手を繋いでのあの帰り道もなくなるってことだよ?』
それは勿体ないな、と素直に納得した。
朝一でなまえから弁当を貰うあの瞬間も幸せだが、なまえを家に送る過程の手を繋いで他愛ない話をしながら過ごす時間は部活で忙しい俺には癒しの時間であり、プチデートみたいなもんだ。
その時間がなくなるのは正直寂しい。
「じゃあ、将来の楽しみを残しとく為にも今は新婚生活のリハーサルでいいよな!」
『新婚生活のリハーサル?』
「あ、いや、それは!」
ついつい昼飯ん時のノリで返したら、なまえに不思議そうな顔をされた。
ヤベっ!ここであん時の話を全部話すことになったら俺…
『いいんじゃない?新婚生活のリハーサルってことで』
「え?」
『だって新一が言ってくれたんだよ?あたしがもう少し家族ごっこさせてよって言った時に“オメーは将来うちに来るんだからごっこじゃねぇだろ?”って』
俺、そんなこと口走ってたのか!?
ってかなまえもそんなこと一々覚えとかなくていいっての!
『まぁ、それまであたしが新一にフラれてなければの話だけどね』
「誰がオメーを手放すかよ!」
やっと邪魔者だった父さんたちがいなくなったんだ。
これからのなまえの居場所は俺の隣なんだろ?
だったら、これからも俺の傍を離れんなよな。
なんだかんだで始まったばかりの二人の生活に幸せを噛みしめてる俺のとある一日。
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