スウェーデンの続き
2013/11/20 19:16

「アンスガル」
 フランスの聖職者。北欧の使徒と呼ばれる。
 820年代末、第一回北欧キリスト教伝道でビルカに訪問。約2年滞在し、ビルカがローマ教会の司教管区に編入される。849年にハンブルク・ブレーメン大司教に叙任され翌年ビルカを再訪問。

ただし、古ウプサラの異教の大神殿が温床で、スウェーデンの異教は長期間続き、12世紀初頭で漸くキリスト教が普及。古ウプサラに教会建設。

 1103年スウェーデンの南部のルンドに大司教座が、1163年ウップサーラに大司教座が設置される。
 1319年マグヌス・エーリクソンがスウェーデン王位に就き、ノルウェー王位も兼ねる。1323年ネーテボリ条約でフィンランドのカレリア地方をロシアと二分。1350年頃には最初の全国法『マグヌス・エーリクソンの全国法』が制定される。

「司教」
カトリック教会の聖職の1つ。司祭の上に位し、司教区を統轄する。
順番として下から司祭→司教→大司教→枢機卿→教皇となる。

「貴族(中世)」
中世ヨーロッパの封建社会では戦士身分として僧侶とともに領主層を構成し、土地と農民を支配した階級。

【中世後期】
当時のスウェーデンは選挙王制で、貴族や聖職者が王を選んだ。なお、他国の者が王になる時もあり、1364年にはドイツ人のメクレンブルク家のアルブレクトがスウェーデン王位に就いた。

「ハンザ同盟」
ハンザとは商人の仲間という意味。13世紀から17世紀にかけて北欧の商業圏を支配した商業同盟で、また軍事力を持っていた。

「聖ビルギッタ」
ヨーロッパの共同守護聖人。スウェーデンのフィンスタで生まれ、両親は王家に連なる貴族の出身だった。修道者から霊的指導を受け聖書を学び、アルヴァストラシトー会修道院を創設。1349年にはローマへの巡礼の旅に出、1391年聖女に列聖される。

「カルマル同盟」
デンマーク、ノルウェー、スウェーデン三国の同君連合。1397年エーリクがこの三国の王になる。

「エンゲルブレクト」
スウェーデンの鉱山主。財政の為に重税を課したエーリクの政策に反感し、1434年に反乱を起こす。多数の貴族と農民が参加する大規模のものとなった。
 1435年に身分制議会が成立し、王国の司令官職に。しかし翌年、暗殺される。これにより、反乱は貴族であるカール・クヌートソンにより継続され、1439年エーリック王廃位。

「身分制議会」
貴族、聖職者、商工業者、農民からなる議会。


 1448年三国の王クリストファが急死し、デンマーク・ノルウェーではクリスチャン1世(オエンボー朝)が即位、スウェーデンはカール・クヌートソンが国王となる。が、後に王位を追われる。(しかしまた王位に就いた)
 1470年スティーン・ステューレ(大)が王国統治者となり、翌年ブルンケバリの戦いでデンマークを破る。77年に大司教がウップサーラ大学を創設。

 1479年、デンマーク・ノルウェー王のハンスがスウェーデン王となりカルマル連合王国復活。1501年ハンス1世がスウェーデン王を廃位され、スティーン・ステューレ(大)が王国統治者に。

「ストックホルムの血浴」
デンマーク王クリスチャン2世のスウェーデン王即位直後の1520年11月、カルマル同盟反対派がストックホルムの城前広場で大量処刑された事件。これが原因でスウェーデン人はデンマーク人を嫌いになる。クリスチャン2世はスウェーデン史上暴君として知られることに。


1521年グスタフ・ヴァーサはスウェーデン王国の摂政になり、1523年にスウェーデンはカルマル連合から独立しグスタフ・ヴァーサが国王に選出される。

【グスタヴ・ヴァーサの時代】
 1526年オラウス・ペトリが新約聖書をスウェーデン語に翻訳。一方グスタヴは、本来なら法王がする、全教区から税の徴収を行い、ローマ教会から絶縁する体制をとる。1527年には宗教改革国会が開かれ、国王がスウェーデン国教会の長となった。
 1544年にはヴァーサ王朝が成立し、世襲王制になる。1560年、グスタヴが60歳で死去。彼の息子、エーリック14世が即位する。

---
うわぶっ続け疲れる
---

【北方7年戦争】
デンマークとスウェーデンの対立。1563年開始。戦争の背景には、バルト海の支配権と三王冠問題があった。
 同年9月に要塞エルヴスボルィがデンマークによって陥落、10月にはデンマークがポーランドと結んだ。翌年にロンネビーの血浴が起こった。
 エーリック14世が幽閉され、弟ユーハン3世が実質的に王位に就き、戦争を早期終結させる。1570年シュテッティン講和条約により北方七年戦争が終わる。講和の内容は、デンマークが優位。

 1592年ユーハン三世が死去。翌年、ウップサーラの宗教会議で副音ルター主義の堅持を決議。スウェーデンは新教派が広まる。
 ヨーハン三世の息子でありポーランド王のジグムント三世が1594年、スウェーデン王位にも就く。しかし、カトリック信仰であったため、1599年スウェーデンの議会は彼を廃位させる。1600年摂政カールがシーギスムンド派を処刑、この事件はリンシェーピングの血浴と呼ばれる。カールは1604年、カール9世として国王に即位する。

---
次はグスタヴ2世です。でも腹が減ったので先に飯を食います。

(0)



prev | next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -