捩り振子 2 | ナノ

捩り振子





「そう…なんだ」

自嘲するように告げられた先の告白に短く答え、沈黙した食満に習い、伊作もまたそれ以上の言葉を続けるのを止めた。



聞きたいことは色々あった。
けれど、食満の様子を伺い少し間を置く。

何が、あったのだろう。
伊作が委員会の仕事に忙殺され、まともに食満達と顔を合わせることの出来なかったこの数日の間に。
食満と、食満が想いを告げた相手、文次郎との間に。








食満が想いを告げてしまったということに関して、正直、伊作はそれ程驚きはしなかった。
食満から秘密を打ち明けられた時から、いつかはそうなるだろうと思っていたからだ。



食満は、情の厚い男だ。
些細な事にも感じ入る、豊かな感性を持っていた。
感情の表現は相手によっては不器用だけれども、誰より素直で真っ直ぐだった。
嘘や誤魔化しなどは嫌いで、正々堂々、『勝負』と名を付けて何事にも正面から向き合うことを好んでいた。
伊作と同じくらい、忍には向かない性格だ。

そんな食満が、他の誰よりも強く、対等に、真っ向からぶつかり合うことを渇望する相手への想いを隠し続けることに、耐えられる筈がない。


いつだったか。
食満の些細な変化に気が付き声を掛けた伊作に対して、誰にも言うなと釘を刺して秘密を打ち明けてくれたあの時。

「俺は文次郎を好いているらしい」

と、羞恥に頬を染め、緊張に滲む涙を必死に堪えながらも、はっきりと食満は言った。

いつも以上に鋭い眼差しや、真一文字に引き結ばれた唇を見ただけで、それが決して冗談ではないということはすぐに分かった。
居住まいを正して告げる食満の姿のあまりの真剣さから、まるで己に対しての想いを告げられているかのような錯覚に陥り、僅かに心が揺れかけたのも覚えている。


そうやって打ち明けることが出来るようになるまで、一体どれ程の葛藤があったことか。
けれど食満は、己の感情を迎え入れていた。逃げずに向き合い、認めていた。

その姿を見た時に、必然的に伊作の頭には浮かんだのだ。
いつか、そう遠くない時に、こんな風に文次郎と向き合う食満の姿が。
胸に抱いた想いと共に、真っ直ぐに文次郎にぶつかっていく姿が。





「ねぇ、文次郎には…何て言われたの?」

項垂れ、見られるのを嫌がるように顔を隠す食満の意を汲み、伊作は食満の方を見ずに訊ねた。



伊作は、食満がいつかきっと、自ら想いを告げてしまうとは思っていた。
けれど、こんな食満の姿など予想していなかった。

伊作へと秘めた想いを打ち明け、世間一般的なものとは言えぬそれをどう伊作は受け取るのかと緊張と不安の極みで反応を待つ食満に対して。
伊作は、安堵を与えるようににこりと笑みを返した。

絶対に他言しないことを約束し、自分はこれからも変わらず食満の友であることを誓った。

だが、応援するよとは言わなかった。食満がそれを欲していなかったからだ。

応援する必要があるとも思わなかった。だって、伊作の目から見れば文次郎もまた、食満と同じに見えていたからだ。





人と人の繋がりの中で、他人に抱く感情というものは複雑なものだ。
傍から見ていれば明らかにそうでも、当人にとっては微妙な差異があったりする。そしてその微妙な違いが、決定的な溝であることもある。


だがそれでも、文次郎と食満の想いの一部は、重なり合っていた。


誰が見てもとは言わない。
食満の想いを知り、食満と多くの時間を過ごしている伊作だからこそ分かる。
食満の知らぬ、食満には見えぬ位置から送られる文次郎の視線には、確かに食満と同じ感情が込められていた。

ならばきっと、二人がしっかりと向き合うことが出来たのならば、第三者の介入など必要なしに、事は解決する筈だった。





それなのに何故、今の食満はこんなにも苦しんでいるのか。

食満からの答えは、暫く返ってこなかった。
返せないのかもしれない。内容によっては、ひどく酷な問いだから。
それでも、知らなければ話は進まない。食満をそこから救えない。

辛抱強く、伊作は食満の答えを待った。





「…何も、言われてない」

じっと待ち、漸く食満が口を開く。
その声の震えには気付かない振りをして、伊作は聞き返した。



「何もって…」

「…何もだよ。俺が言って、あいつは何にも答えずにどっか行っちまった。それからずっと顔も合わせてない。姿さえ見てない。…避けられてんだろうな」

そう言って、顔を覆っていた食満の両手がゆっくりとずり落ちた。
膝についた肘から先、力を失った指先が、だらりと地に垂れる。

そっと、伊作は食満の方へと顔を向ける。

食満の頬は、濡れてはいなかった。
けれど、色を失ったその瞳はとても空虚で、焦点の定まらない瞳が、ただ前方に広がる闇の中へと向いていた。

そうして、ぽつりぽつりと、食満は話し出す。




「返事なんか、期待はしてなかった。元々勢いで言っちまったようなもんだったから」

「ぶん殴られるかと思ってた。気持ち悪いって。何馬鹿なこと言ってんだ正気かお前、なんて顔顰めて文句言われて、それで終わりだと思ってた。跳ね除けられるならそれで。冗談で済まされるならそれで。あいつの反応に合わせようと思ってた」

「でもまさか…無視されるとは思ってなかった。言っちまった後は追えなかった。後からあいつを探したけど何処にも居なかった。それで、今日も探してた」

「みっともねぇって分かってる。探して、見つけて。それで何したいのかもよく分かんねぇ。無視はねぇだろって、むかつく気持ちもあったが。言ったこと、取り消す気はねぇから謝るのも何か違う気がする。とにかく、反応が欲しかった」

「でも、何処にも居ねぇ。廊下でもすれ違わねえ。教室にもいねえ。会計室にもいねえ。ここまで完璧に避けられるとは思わなかった。で、やっと分かった。顔も見たくねえって思われるほど。俺の言ったことは、あいつにとってそんだけ気分の悪いもんだったってことだ」


話す内に、少しずつ食満の声は普段の調子を取り戻していく。
言葉を繰り出す速度も少しずつ上がって、声を聞くだけならば、普段の会話の調子と変わらない。

食満が伊作の方へと向き直る。
久しぶりに合わせた気のする目線。

「…俺、俺が思ってた以上に、あいつに嫌われてたみたいだ」

そう言って、食満は泣き出しそうな顔で笑った。












伊作は弾かれるように手を伸ばし、食満を抱き寄せた。

突然の行動。
けれど食満は抵抗する素振りも見せず、引かれるがままに身体を傾ける。

両手で食満の頭を抱え、胸の中へと。
ぎゅうぎゅうと押さえ込むように強く、伊作は食満を抱きしめた。


「…何だよ」

突然のそれに然程動揺も見せず、平淡とした調子で食満が問う。
伊作は何も返さずに、食満の頭を抱える腕にただ力を込めた。

くつくつと、食満がまた小さな笑みを溢す。
その振動が触れる部分から伊作へも伝わった。


「わるい…な」

声をくぐもらせ、機嫌を伺うように語尾を上げて、食満は伊作の背へと回した手でそこをとんとんと叩いた。
ゆっくりと、弱く。それは普段、落ち込む伊作を食満が慰める時の仕草に似ていた。



きっと食満は、伊作は自分を慰めているのだと思っているのだろう。
そして食満の心を想って己の心を痛め、掛ける言葉も見つけられずに只抱きしめるしかない伊作を、逆に宥めようとしている。

けれど違うのだ。

これは慰めの為の抱擁ではなかった。
これ以上そんな食満の顔を見ることに、伊作自身が耐えられず逃げ出しただけなのだ。

何の言葉も発することも出来ないのは、言葉に詰まっているからではない。
逆に言葉ならば、感情ならばいくらでも絶えず胸の中から湧き出てくる。
只その言葉達は、一つ残らず憤怒に塗れたものにしかならないと感じたから。それを向ける相手は食満ではないと分かっていたから、口を噤んでいるだけなのだ。





そう。
今伊作の胸の内は、文次郎への怒りでいっぱいであった。

伊作は食満の想いを知っていた。
当人から打ち明けられ、以降ずっと食満の想いを見守ってきた。
それに伴う痛みも苦しみも、直に心を痛める当人には及ぶべくもないが十分に感じていた。

だからこそ許せなかった。
文次郎が、食満の想いに背を向けたことが。



想いを受け入れなかったことを怒っているのではない。
それは強制するものではないからだ。
心とは。想いとは。好意とは。愛情とは。
受け取りたくなければ、受け取れなければ、それでいいのだ。
寧ろ、同じだけのものを帰す決意が無ければ受け取ってはいけない。伊作はそう思う。

けれど、それならばそれでやり方というものがある筈だ。
こんな風に、そのもの全てを無視するように背を向けるなどあまりにも惨い。あまりに心無い。

差し出した掌の上で、受け入れられることも拒絶されることも出来なかった心は行き場を失い、その想いを断ち切るきっかけすら失う。
そして、想いを差し出し空っぽになったその人の胸の内は空っぽな痛みに苦しみ続ける。
正しく、今の食満のように。


そのような苦しみなど、相手に対してほんの少しの情でもあれば味わわせようとは決して思わない。

というか、文次郎は食満に対して、ほんの少しどころではない情を抱いていた筈なのに。
同級として、友として、好敵手として、そして想いを重ねる相手として。
勘違いではない。絶対にそうだった。
なのに何故、どうして食満から逃げる。食満の想いから目を背ける。食満を苦しめ続ける。

それを思うと伊作の胸はざわめき粟立つ。
今にも駆け出し学園中を探し回って、文次郎の姿を見つけたのなら胸倉掴んで捻り上げ、それらを問い質したい衝動でいっぱいだった。





伊作はその衝動を必死に抑え込んだ。

今、友として優先すべきは食満の傍に居ることだ。食満が望むのものもそれだ。
だから食満は伊作に打ち明けてくれた。今もこうして身体を預けてくれる。
誰よりも強い信頼を、傍に居ることでの安堵を感じてくれている証拠ではないか。

しかしそう言い聞かせて見せても、ざわめく胸は、少しも静まらなかった。





「伊作」

食満が名を呼ぶ。
背を叩いていた手が位置を変え、食満の頭を抱える伊作の二の腕を軽く叩いた。
促されるに従って、伊作は力を抜く。


「…どうした伊作?」

伊作の腕の中から抜け出た食満は、伊作の顔を覗いた。


「何でお前…、泣きそうなんだ?」

驚いたように食満が問う。


「…分からないよ」

伊作は首を振って答えた。

自分はそんな顔をしていたのかと、今更になって自覚する。
けれどきっと今の伊作の顔の本当の意味は、涙を抑えるものではなく、湧き出す感情を必死に押さえ込んでいるものなのだろう。


「君が…笑うから」

伊作は続けて答える。
食満には、今自分が胸の内に溢れさせる感情を知られたくないと何故か思ったから、別の理由で誤魔化した。

けれどその理由も、嘘ではない。
食満は未だ薄らと笑みを浮かべたままだった。
何を笑うことがあるのかと。どうして笑えるのかと。
それもまた、伊作の胸をざわつかせる、苛立ちの原因ではあったのだ。



伊作の言葉に、ぴくりと食満は肩を揺らした。

「…伊作」

再び、食満が名を呼ぶ。

食満の顔が、こちらに近付く。
ごちりと、額同士がぶつかる。
頭巾からはみだした前髪が、目蓋を擽る。
目前に近付き、影に入った食満の顔はよく見えない。
辛うじて追えるのは、唇の動きだけだった。


「…ごめん。お前には、正直に話す」

ひそりと、囁くように動く食満の唇。
伊作の視線は、その動きに吸い寄せられた。


「駄目なんだ。笑ってないと…笑い飛ばしてないと、誤魔化せない。お前以外の前では、文次郎に避けられるようになってからも上手くやれてるんだ。でも…お前の前では、意識して笑ってないと、すぐに緩んでなし崩しになりそうになる。だから…」

「なんで…?僕の前でなら緩ませられるのなら、そうすればいい。からかったりなんかしないよ!」

荒立ちそうになる語気を抑え、伊作は言う。
頼れる相手と思われていないのならしょうがないが、そうでないのなら頼って欲しい、打ち明けて欲しい。決して自分は文次郎のように背を向けたりはしないから。
心から、伊作はそう思っていた。


「分かってる。でも駄目だ。お前は優し過ぎるからな。俺なんかの、どうしようもない失恋話に同調して泣きかけるくらい」

けれど、食満は了承しない。
再びその唇が笑みの形に持ち上がり、短く笑う、吐息が毀れる。
それがどうしようもなくもどかしく感じられて、同時に食満から漏れた吐息には、何故か胸が逸るように鳴った。



「…失恋だと、思うの?」

ふと、伊作は聞き返していた。
話を始めてから、はっきり『失恋』と、食満の口から聞いたのはこれが初めてだった。


「…思うしかないだろう?」

少しの間を置き、食満は返した。
その間は、一体何の思案の間なのだろう。





「じゃあどうして…、文次郎を探してるの?」

文次郎が自分を見る眼差しに、そこに確かにあった熱には気付いていなかった食満は、背を向けられた時点で、己の恋の終わりを理解したのか。

でもならば、これ以上文次郎を追いかける必要などない筈だ。
無駄に傷を抉り、増やす必要などない。
向こうは食満のことなど何も考えてはいない。気にかけてはいない。だから無視して避けているのに、何故。
そう思ったら、無意識に口調は強まっていた。


「…」

食満は、答えを返さなかった。
触れ合っていた額が、僅かにずれる。食満が、顔を逸らしたのだ。

その沈黙と動きこそが、食満の答えと今の気持ちの何よりの現れだった。





食満が、徐に動き出す。
額が離れ、二人の身体も少しずつ離れていく。

伊作は、思わず手を伸ばした。
無意識に引きとめようと。何かを言い募ろうとしていた。
脳裏に、それを告げた後の食満の顔が浮かんだ。
目を見開き、色を無くし、言葉を失うような。
しかし、その光景の抑止力よりも更に強い衝動に駆られ、伊作は食満へと手を伸ばしていた。








「…どうした伊作?」


その手が触れる寸前に、伊作の身体は小さく揺れて、動きは止まった。
何も気付かなかった食満は、座り込んだままの伊作に声を掛ける。

伊作は食満を見上げる。


「ねぇ、留さん」

震えそうになる身体に気付かれまいと、笑みを作って貼り付け




「まだ…文次郎のことが好きかい?」

そう、問い掛けてみた。








「…聞いてくれるな」

そう言って、食満は笑った。
くしゃりと歪んで、崩れたその笑顔。
それは、今日見た中で最も泣き顔に近い笑みだった。















静寂だけが漂う縁側に、一人伊作は残り、腰掛けていた。

食満は食堂へと向かった。
話を聞いてくれたことと薬湯への礼と、食器や湯のみの片付けを引き受けてくれたのだ。

伊作は、申し出を有り難く受けた。
食満が一人になりたがっていることを察したからだ。







伊作は、抱えた膝の上に顔を埋め、俯いていた。
身じろぎもせず、小さくなって丸まる。

何も見たくなかった。考えたくなかった。それなのに。






「何やってんだ」

殻に篭るように蹲る伊作に声を掛けたのは、文次郎だった。





「…君ってほんと、無粋だよね」

顔を上げないまま、唐突に伊作が言う。


「…いきなりなんだ」

憮然として文次郎が答える。


「その上乱暴で、我が強くて、自分勝手で、冷たくて、ついでに汗臭い」

「…悪口か」

「悪口だよ」

自分の言葉に文次郎が顔を顰めようとも、頑なに俯いたままの伊作は構わず話し続ける。


「白々しいよね…。わざわざ今戻ってきましたみたいな風を装うなんて」

「装うまでもなく、今鍛錬から戻ったんだ」

「嘘つき。そこらに忍んで盗み聞きして、只の同級生に本気の殺気向けて牽制するような鍛錬、どこにあるのさ」

「『只の同級生』には殺気など向けん」

「向けただろう」

「お前は違う」

「何が?」





「あいつに、変な気を持って触れるな」

相手を視界に入れることを拒絶し、俯いたまま言葉を交わし続けていた伊作の耳元で、文次郎が言う。



伊作はきつく拳を握り込み、込み上げる感情を堪えた。

「…君に命令される謂れも、権利も無い」

「ある。あいつが好いているのは、俺だ」

文次郎の声が遠ざかる。



「その留さんの気持ちを、無下に扱ってるくせに」



「…お前には、分からん」

ぴしゃりと、静か過ぎる空間に、異様過ぎる程の鋭さで障子を閉じる音が響く。





「…分かりたくもない」

最後の最後で揺らぎを見せた、文次郎の言葉。
その揺らぎの意味など汲み取ってやるものかと思考を止めて、伊作は俯いたまま、何も知らぬ食満が戻ってくるのを待ち続けた。









あとがき

大丈夫かなー、萌えるのかなーこれはー:(;゙゚'ω゚'):
そもそもこれだけ文食満のお話を書いていて未だにキスシーン一つないのは同人サイトとして異常かなぁー( ;∀;)
とぷるぷるしながらも、いつもの如く勢いに任せて書きました。
皆様のコメントに支えられて最後まで書けたようなものです。

本来の予定以上に、伊→食傾向が強くなってしまいました…(大丈夫でしょうか?)

実は、この話はここで終わりにするつもりだったのですよね…
でも、このままではあまりに中途半端、文次郎さんが酷い人なので、文次郎さん編も書くことにしました。(そのうち)

ハッピーなエンドになればいーなー(´ε`)


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