死よりも強く痕を残す 2 | ナノ

よりも強く痕を残す

《10000hit感謝企画》









ぴしゃりと。
あの時に目の前で閉じられた襖の合わさる音が耳に蘇り、そして文次郎は目覚めた。





眠りではない。気絶からだ。

感覚としては、夢から覚めたに近い。

霞掛かる視界。
気だるい思考。
力の入らない四肢。

そして、たった今まで脳内で再生されていた一年前の記憶。


けれど今は任務の最中である。
眠ることなど出来る筈もなく、当然夢も見ない。

この状況で見るのならば。それは走馬灯とでも呼ぶべきか。
死の間際に己の生涯が一瞬の内に駆け巡るという。
縁起でもないし笑えもしない。けれど、それが最も近いのだろう。


それにしては、随分と局部的で、しかも物語の中心に居たのは己ではなく、今も昔も気に食わない犬猿の男だったような気もするが。





僅かに身じろいだ拍子に、腹に当てていた手が滑る。
酷く緩慢な動作でその掌を返し見てみれば、その全面はぬらりと光る朱に塗れていた。

それは、先程までの夢のような走馬灯で、一年前の食満が纏っていたのと同じ色。


(…止まらない、か)

随分と身体が冷えた気がしたのは、この出血のせいであった。
一応気を失う前に出来る限りの止血はしたのだが、やはり不足だったらしい。
けれど、今の文次郎にはそれ以上の処置のしようがなかった。












先程までの記憶は、今から一年前のもの。
現実の世界はその一年後。文次郎は五年生へと進級していた。





文次郎たち五年生は、進級してすぐに任務と称した実技試験を言い渡された。
その内実は、四年生初期に行われた試験とそう変わりはない。
更に難易度が跳ね上がり、今度は教員達の監督もサポートもほぼないという、その変更点を除いてはだ。


文次郎と他一名の生徒、計二名に与えられた課題は、ある城への潜入任務。

本来ならばそれは、五年生に上がったばかりの忍たまに与えられるような任務ではない。
しかし、現在その城は数年前から隣り合う領地を持つ他の城と幾度も中規模の戦を起こし疲弊しており、更には近隣で起こった農民の一揆の鎮圧の為に、兵と忍隊の大部分を外部へ放出していた。
それこそが他に漏れていはいけない重大な情報ではあるのだが、全てに置いて一流である忍術学園の教員達はその情報を掴み、攻略難度の下がった今の時期の潜入を試験課題とした。


それでも、この難度の城を攻略するには倍の人数は必要である。

けれどこの試験の裏に含まれた課題は、不測の事態で仲間の支援を失った場合にも最小限の人数で任務を達成することが出来るかを見るものであった。
忍びたるもの、どんな状況でも決して諦めず、与えられた任務は完遂せねばならない。そう、文次郎達はこの五年間に教わってきた。


作戦は単純に。
一人が陽動役、一人が潜入役となり、隙も無駄もない最小限の動きでそれぞれの役割を果たすのみ。
打ち合わせの結果、総合的能力で勝る文次郎が潜入を、身軽さで勝るペアを組む同級生が陽動役となった。



文次郎は、ほぼ完璧に己の役割を果たした。
与えられた情報。自ら集めた情報。それらを掛け合わせ不足部分を補い、手筈を整え、誰の目に留まることもなく内部へと侵入し、目当てである品を頂戴することに成功した。
正直、入手した品は特に戦略的価値のない只の置物に見えた。文次郎にそう見えるというだけで、見るものが見れば違うのかもしれないが、そういった方面に目利きではない文次郎には分からない。品自体の価値はどちらにせよ、文次郎にとってそれは潜入を成し遂げたという証拠になる、重要な品だった。

残る課題は、再び警備の目を掻い潜り城を脱し、陽動役をこなした同級生と合流、共に帰還すること。
ある程度学園の近くまで戻ればそこで教員達が待っている。その地点まで無事に指令の品を守り辿り着くことが出来れば、試験は終了したも同然だった。



しかしそこで問題が起こった。
陽動役をこなした同級生は、完全に追っ手を撒き切っていない内に城を抜け出してきた文次郎と合流してしまったのだ。

突如現れた文次郎の姿を見て、追っ手である敵忍は文次郎が城に潜入し、何らかの情報、或いは品を持ち出したことに感づいた。
即座に、城の周囲をうろつく不振人物の監視、威嚇というそれまでのやや温い追走態勢から、敵方の間諜の捕獲、或いは抹殺という追撃方針へと切り替えた追っ手の気配が文次郎たちへと迫った。



すぐにそれを察知した二人は、全力で逃げにかかった。
もしもこれがプロの忍び相手であったならば、いくら上級生とは言え所詮忍たまである文次郎たちに成す術はなかった。
けれど、文次郎たちが潜入した城にはドクタケのように城独自の忍びの養成機関があり、主要戦力の抜けた城に残っていたのは、そんな文次郎たちと同じ忍の卵とも言える年若い忍び達であった。

気配や追跡の速さから察するに、相手の力量は文次郎達と同程度か僅かに下。しかし向こうには地の利があった。
忍術学園の敷地へと近づけばその利は逆転するが、そんなところまで追っ手をぶら下げたまま帰還することは出来ない。忍術学園に残る下級生達を危険に晒すことになるからだ。

なんとしてもここで処理しなければいけない。
そして更に運の悪いことに、ペアを組む同級生は陽動として逃げ回る間に利き手を負傷していた。





思索の末、文次郎は足止め役を買って出た。
追っ手は二人。体力に余力を残し敵との戦闘にも万全の準備を整えてきた文次郎ならば、時間を稼ぎ、上手くいけばこれ以上の追撃を止められるかもしれないと。

自らの失態が招いた危機に動揺し、怪我も重なり戦意を喪失していた同級生は、このまま逃げ切るべきだと反論した。
教員達が待つ陣地まで逃げ、手を借りるべきだと。

しかし、それを文次郎は跳ね除けた。
そんなことをすれば、文次郎達の班は問答無用でこの試験を不可となる。
ここまで来てそんなことは出来ない。文次郎には、何としてもこの試験を合格しなければならない理由があった。

文次郎は自分の案を押し通した。
入手した品を相手に預け先に行かせ、そうしてたった一人で追っ手達へと立ち向かった。












結論から言って、文次郎のその判断は誤ったものであった。



確かに文次郎は、二人の追っ手を相手に十分な時間を稼いだ。
更には一人の命を絶ち、もう一人にもそれなりの傷を与えてきた。

しかし、傷を負ったのは文次郎も同じだったのだ。



年若い敵忍と対峙し、幾度かの斬り合いを経て好機を得て、一人目の首にクナイを突き立てようとした瞬間に、横から割り込んだ二人目の短刀に腹を割かれた。
恐らく、仲間を守ろうと差し込んだのであろうその刃は、文次郎にそれなりの痛手を加えたが、本来の目的を達することは出来なかった。
口布の上部から血を溢れさせ崩れ落ちる仲間に気を取られ、残った敵忍は文次郎の腹を割いた短刀を引き戻すのが僅かに遅れた。
その隙を見逃さず、文次郎は腹に食い込む短刀を掴み返し、体勢を崩した敵忍の目へ隠し持っていた寸鉄を打ち込んだ。
視界を失った敵忍が声を上げる前に、頚椎を力任せに殴りつけ意識を失わせた。
そして、二人重なるようにして倒れた敵忍に止めを刺そうとしたところで、文次郎の身体を異変が襲った。


毒だと。
気付いた時には遅く、裂けた腹の傷口から血が流れ出るよりも早く、全身に痺れが回った。

文次郎は二人目の生死を確認する余裕もなく、その場から離れざるをえなかった。
血の痕跡が残らぬよう必死に傷口を押さえながら、即効性らしきその痺れ毒が全身に回りきる前に、少しでもこの場を離れ、身を隠さねばならなかった。


上がる息を殺し、動悸を抑え、身を隠すに相応しい洞を見つけ転がり込む。
手持ちの道具で止血を施し、痺れ毒の類に効果のある解毒剤を飲もうとした。けれど、既に指先にまで回っていた痺れのせいで止血は完璧には施せず、薬を飲み込もうにも震える舌では喉の奥へと押し込むことも出来なかった。
仕方なく奥歯で解毒の丸薬を噛み砕く。麻痺した舌は何の苦味さえも感じなかった。

砕いた破片が奥へと流れ落ちていくように首を持ち上げる。
しかし、既にそれだけの動きを支える余力さえなく、傾けた頭の重さに耐え切れず文次郎は洞の中で倒れこみ、そして意識を失ってしまったのだ。









傷口から流れ出た血の量から、気を失い目覚めるまでにはそれなりの間があったことを察する。
その間全くの無防備であった文次郎がまだ生きていることを考えると、新たな追っ手はかけられてはおらず、文次郎の逃走の痕跡も見つけられてはいないようだ。
もしも止めを刺し損ねた二人目が意識を取り戻し仲間を呼んでいたらと危惧していたが、向こうもそれなりの出血量であったし、気を失ったまま命を閉じたのかもしれない。

だがそれもあくまで文次郎に都合の良い希望的観測でしかない。
確実に絶命したことを確認できなかった追っ手の存在がある限りに、気を抜くことは出来ない。



意識を取り戻したのならば、一刻も早く再度止血を施し、早急にここを出て学園へと帰還しなければならなかった。
自分の今の状況が極めて危険なものであると、文次郎は自覚していた。

短刀で裂かれた腹の傷自体はそこまで深いものではない。しかし、不十分な処置で出血が収まる程の軽いものでもなかった。
身体を襲う倦怠感、そして体温の低下。それだけでも、かなり危険な線まで体外に血を流してしまったことが推し測れる。

けれど、それを毒による痺れが邪魔をする。
即効性の毒の効き目は総じて長くはない筈だが、全身を覆う痺れは薄まる様子もなく、手当たり次第に流し込んだ解毒剤の効果も未だ現れない。



周囲の気配を探ろうにも、朦朧とする意識では感覚も鈍り、耳を澄ましても目を凝らしても、世界ごと全てが不安定に揺れ動いているようだった。

霞む視界がゆっくりと白んでいく。
臓腑から何かが込み上げてくるかのような不快な衝動に耐え兼ね、きつく目蓋を閉じた。

一度閉じてしまえば、再度持ち上げるにはかなりの労力がいる。
今の文次郎には、その為に搾り出す労力さえも残っていなかった。


目を開こうとする意思が沈んでいく。引き寄せられていく。
ゆるやかに、けれど強い強制力を持って文次郎の意識を引くそれは、強烈な睡魔のようだった。

抗うことが出来ずに、文次郎の身体から力が抜けていく。





何故、こんなことになったか。ぼんやりと霞む思考で考える。

仲間と別行動を取ったこと。
一人で敵を迎え撃ったこと。
毒に気付かなかったこと。
止めを急がなかったこと。
意識を失う前に、十分に止血処理を施せなかったこと。

数え上げればキリがなかった。



それらの失態に繋がった原因は何か。その時々の自身の心情を思い出す。

ミスを犯し、戦意を喪失していた仲間を疎ましく思ってしまったこと。
試験の合否に響くことを嫌い、功を焦ったこと。
敵を自分よりも格下と見て油断したこと。
このような事態に備えての準備が不十分であったこと。

それもまた、いくらでも理由を挙げることが出来た。



では、それら全ての大元となったのは何か。











《約束だ》

文次郎の頭に、試験開始当日のある場面が浮かび上がる。



《今度こそ》

木々の緑に溶け込む常盤色の制服ではなく、闇に紛れ地を這う為の漆黒色の装束に身を包み、二人は対峙していた。



《お前と俺》

文次郎は、いつかと同じ口上を、一言一句違えず相手に伝える。



《どちらが先に》

一年間、胸にわだかまり続けていたその言葉を漸く吐き出すことが出来た文次郎の表情は、心には、何の束縛もなく、制約もなく、ただ一心に相手にだけ向かう強い決意があった。



《どちらが上か》

文次郎の言葉に静かに耳を傾けていた相手が、頷きを返す。







「勝負だ」

文次郎と同じだけの決意を言葉に込めて、食満が口上の最後を繋いだ。


口布を口元まで引き上げ、食満が背を向け去っていく。
数歩歩き、足を止め振り返る。
立ち尽くし、食満を見遣っていた文次郎を見返す。


口布の下で、食満の唇が動く。
けれど、何の音も届かなかった。


文次郎が聞き返す前に、食満は再び背を向けた。
その背が、急に視界から霞むようにぶれる。
そして、次に映ったのは一回りほど小さくなった、食満の背だった。

文次郎から遠ざかる食満の装束からは、何かの水滴が滴り落ちて地に導を残す。
それは、あの日学園の門扉の横で呆然と見遣った雫と同じ形をしていた。





薄れ行く文次郎の意識の中に、再び、懐かしいというには未だ強烈過ぎる、一年前のあの日々の映像が蘇ってきた。










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