やがて綻ぶ 04 | ナノ

やがて綻ぶ










「ほれ」

文次郎が手を差し出す。


「…ん」

意地を張って跳ね除けることもなく、素直に食満は手を伸ばしそれを握り返した。



「酷い面だな」

ぐいと腕を引かれて、よろけた訳でもないのに腰に手を沿え支えられて、抱きとめるような形で文次郎は食満を見下ろした。


「うっせぇ…」

食満はずぅと鼻を啜りながら、顔を逸らして目元を擦った。


「擦るな、腫れる」

ごしごしと袖で目元を擦り続ける食満の腕を文次郎が押さえる。

もう腫れている。食満はそう言い返したかったが、止めた。
あれ程泣いたのだ。今更擦ろうが擦らまいが対して変わらないだろう。



察して欲しかった。
目を腕で覆ったのは涙を拭うためではない。隠すためだ。
あんな姿を見せて、あんな台詞を口にした後で。
どんな顔をして文次郎を見ればいいのか、食満には分からなかった。


しかし、そんな困惑から拗ねたような表情を作り顔を背け続ける食満には構わず、食満の腕を取り外させた文次郎の無骨な指は熱を持った食満の目蓋をなぞる。
荒れた指先が、腫れた目蓋の表面に触れて少し痛い。
けれどそれ以上に、胸に込み上げてくるこの感情がむず痒かった。

これ以上刺激してくれるな。溢れ出して止まらなくなる。
そう心の中で願っても、目蓋をなぞる文次郎の指先や、腰に添えられたままの手、そして見下ろす視線に込められた隠す気もない愛慕の情は、長く冷え固まっていた食満の情をも溶かし晒し出していく。

こいつのせいだ。
口には出さずに言い訳をして、食満は両手を文次郎へと伸ばした。
背に回すまではまだ出来ないから、文次郎の忍服の合わせを軽く掴む。
たったそれだけで、食満に触れる文次郎の手から伝わる熱が高まった。

これだけで良いのか。お手軽な奴め。
そうは思いながらも、顔を背けたままの食満の顔にも、熱が篭っていく。

堪らないこの空気。
けれど、それは不快な空気ではなかった。

そのまま二人は、強く触れ合うことも身を寄せ合うこともない、なんとも微妙な距離でお互いの熱を感じあったまま、暫くの間佇んでいた。












「なあ」

前を行く文次郎の背を追いながら、食満は声を掛けた。



二人は忍術学園へと戻る途中であった。

文次郎が促したのだ。
泣き腫らした目をさっさと冷やさないと酷いことになるぞ、と。

確かに、先程の場所から町へ下るよりは学園に戻った方が早い。
明日には食満はまた新しい任務の依頼人のところへ顔を出しにいかなければいけなかった。
第一印象も重要な、信用第一のフリー家業。
だというのに、依頼人との初対面の場で、忍者らしくもない、明らかに私事で何か揉め事でもありましたと言わんばかりの顔で現れてはその場で依頼を取り下げられかねない。


けれど、こんな酷い顔で学園に戻り、後輩や先生方に顔を合わせるのもどうかと食満は躊躇った。


「俺に泣かされたことにすればいいだろう」

と、文次郎は言った。

けれどそれはそれで、食満のプライドが保てない。
涙の痕は明らかに食満の方が色濃いのだ。
対する文次郎はほんの少し目尻を赤く染めているくらいで、よく見ない限りは普段と何ら変わらない。

文次郎は在学中の時のように、自分達がまた懲りずに喧嘩したように見せればいいと言いたいのだろうが、これでは食満の方が喧嘩に負けて、一方的に子供のように泣き喚いたようにしか見えない。
しかも涙以外には大した怪我もないのだから、一体どんな喧嘩をしたのかと疑われでもしたらどうする。


幾ら文次郎と自らの感情を受け入れたとて、年季の入った文次郎への対抗心、負けん気まではそう簡単にはなくせない。
ぶすりと膨れてそう溢してみせた食満に、文次郎は食満の腫れた顔を覗き込みながら、ふむと頷いた。


「確かに。お前のその顔じゃ、『泣いた』というよりは『啼かされた』かのようだな」

一人納得して呟く文次郎の言葉の違いに、運良く食満は気付くことはなかった。





そんな食満をさて置いて、文次郎はしつこく食満を学園へと連れ戻りたがった。

学園内には入らず外で冷やせばいい。その為の水と手拭くらい用意してやる。
元々は後輩達の所にも顔を出すつもりだったのだろう。
顔は出せずとも遠目から様子を見るくらいしてやればどうだ。
そういえば俺の学級の子らもお前に会いたがっていたぞ、と。
やけに押し強く、文次郎は食満に提案した。


そんな押しの強さに裏を感じて、食満が詰問の言葉をぶつければ

「何よりお前をこのまま帰すのは惜しい。少しでも長く共に居たいと、お前は思わんのか?」

文次郎は、こうさらりと誘いの真意を晒して見せた。
そんな言い方はずるいと、食満は本日何度目かも分からない赤面を晒して唇を引き結んだ。

それは下心を白状したように見せて、疑問系で訊ねたように見せて、実は全く違う。
確信して誘導して、結局は一つの答えしか残していないではないか。

卑怯者と、叫びたかった。
けれど引き結んだままの口からは、食満の意思から離れてどんな言葉が飛び出してくるか自分でも予想することが出来なくて、結局食満は文次郎が求める通りに首を振るしかなかった。





そんなこんなで、二人連れ立って学園へと戻る道中。
学園へと辿り着くまでの時間を引き延ばすかのように、やけにゆっくりとした足取りで進む中。
食満はふと気になっていたことを思い出し、文次郎へと声を掛けた。


「なんだ」

食満の前を歩く文次郎は、先程食満に手を繋ぐことを拒否されてから、若干不機嫌なままだった。


「何でお前、鼻なんか噛んだんだよ」

少々つれないその返答に、若干の罪悪感を覚えながら食満が続ける。



先程文次郎に噛み付かれた鼻背。
時間が経ってより濃く浮かび上がってきていたその痕も、食満が学園へ戻ることを渋った理由の一つだった。

食満には、何故あそこで噛み付かれたのか未だによく分からない。
前後のやり取りを思い出してみて、あの時の食満はそれは大層情けのない姿を晒しており、文次郎の気にも障るようなことをつらつらと吐き出していたという自覚はある。
それに対する文次郎の怒りの発露があれなのだとしても、何も噛み付く必要はないだろうと思う。

普通に一発殴ってくれれば、まぁそれを受けて大人しくしていられる自信はあまりないが、そうしていれば何の気を遣う必要もなく、学園へと戻っていられた。
片方ばかりが泣き腫らし、鼻背なんてなんとも目立つ場所に立派な噛み跡まで残しているなんて、やはり一体どんな喧嘩をしてきたのだお前達はと疑われない筈がない。



先の問いと、それに続いた食満のぼやきに、文次郎は足を止め振り返った。
同じように足を止め、こちらを見遣る文次郎を見返した食満を見て、深く息を吐く。


「…なんだよ」

疲れたような、呆れたようなそのため息。
思わず食満が眉を吊り上げ問い返せば


「いや…。俺の自制が及ばなかったが故だ。悪かったな」

「は?自制?何を?」

文次郎の謝罪。しかし、食満にはその謝罪の意味も自制の言葉の対象も判らなかった。
再び首を傾げて問い返す。


罰が悪そうに頭を掻いた文次郎は、再びため息を吐いて食満へと手を伸ばす。
解れた髪を結い上げ直し、剥き出しになった食満の首筋へと先程と同じように文次郎の手が添えられ、ぐいと引かれる。
先のように反動で首が後ろに反るほどの力ではなかったが、ふいのそれに体勢を崩し、食満はとっさに文次郎の胸に手を付き身体を支えた。

上向きのまま固定された顔に、文次郎の顔が近づいてくる。
あの時の痛みを思い出して、遠慮無しに近づいてくる文次郎の顔のアップに驚いて、食満は息を飲み動きを止める。
ごつりと、文次郎の額が食満の額へ押し付けられる。
じっと、食満の瞳を見据えて文次郎が口を開く。



「焦がれる程に好いた相手が、目の前で俺への想いに身を震わせ、涙を滲ませ見上げてくるのだぞ。自覚無しに上げられた据え膳に食いつかず耐えるのに、どれ程の忍耐力がいるか分からんか。このバカタレが…」

潜めるように囁いて、文次郎が額を離す。
呆然とする食満を置いて前へと向き直った文次郎は、固まったままの食満の手を取って歩き出す。


「心配せずとも、お前の気持ちが追いついてくるまでは手は出さん。…但し、覚悟しておけ。俺が耐えた分は、残さず溢さず、全てお前に受け止めてもらうからな」

食満を振り返らず、文次郎が言う。
無駄に背筋を伸ばし堂々と言い切ったその言葉には、何やら並々ならぬ決意のようなものが漂っているように見えた。
文次郎に引かれながら、食満は文次郎の先の言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼する。
漸く食満がその意味を察し真っ赤に染まって暴れ出すまで、文次郎は掴んだ食満の掌を堪能したのだった。












ここで待てと文次郎に言いつけられ、食満は学園の門から少し離れた塀に寄りかかり、座り込んでいた。

塀に背を預けたままの状態でずるずると座り込み、立てた膝には伸ばしたままの両腕を乗せる。
開いた隙間に顔を俯け、必死の思いで顔どころか全身を覆うほどに高まった熱を冷ます努力をする。


けれど駄目だった。
少し気を抜けば思い出してしまう。

文次郎の溢した言葉、その意味。
そして、なんだかんだで結局は学園に辿り着く寸前まで繋がれていた掌の感触を。


食満は、うなり出しそうになるのを必死に堪えた。

一体あいつはどうしたってんだ。好き勝手にやりやがって。恥はないのか。キャラじゃないだろう。男の手なんか。固い身体なんか。触れでも楽しいことなどないだろうに。

八つ当たり気味に考える。
しかし、それは意味のないことであった。
いくら文句を並べても、全ては自分に返ってくる。

違うのだ。数刻前、食満を追いかけ始め捕まえる前と文次郎は変わっていない。変わったのは、食満の方であった。

文次郎のそんな行為に、言葉の一つ一つに、あからさまに示される情に。
湧き出る喜びを、もう食満は押さえつけておくことが出来なかった。



あれ程苦しんだというのに。
これからも苦しみ続け、それと共に生きていくことを覚悟していたというのに。

たった一言。文次郎に引き出され、言葉にし、そして受け入れられた一言の威力というのは、ここまでのものなのかと感嘆する。

たった一念。漏れ出すことすら許されず、何年も同じ形の封の中に仕舞われていたこの感情は、これ程の大きさまで膨れ上がっていたのかと驚愕する。

後悔は、していない。
とんでもないことをしてしまったのではないかと、この先を思うと胸は騒ぐ。
けれど、そんな騒がしささえ今食満を満たす感情には敵わなかった。



食満は、力なく膝の上で伸ばしていた掌を引き寄せた。
つい先程まで文次郎と繋がっていたその手を、もう一方の手で包み額に当てる。
その手に残る感触が消えるのを惜しむように、ぎゅうと握り、祈るように掲げる。


「…覚悟なんて」

それをするのはお前の方こそだと、食満は心中で呟いた。

溢れた想いは、募るだけだ。
募って募って、それが向かう先もただ一人だけだ。

もう二度と手放せない。
望んでも、望まずとも。逃げても、拒まれても。
文次郎が口にした先の言葉を、そっくりそのまま返してやりたい気分だった。


無骨で、不器用で、頑固で。
人の話を聞かなくて、負けず嫌いで、癇に障る。
お世辞にも容姿はそこまで良くもない、正直むさ苦しい筋肉達磨の鍛錬馬鹿だけれど。
それでも、何より。誰より。



「お前が愛しいんだ…」

呟く食満の閉じた目蓋から、再び涙が溢れ落ちた。


変わる。変わっていく。急速な速さで自分が変わる。
それはやっぱり恐ろしい。けれど、隣にいてくれる者がいるのなら大丈夫だと、今なら思える。

だから、早く戻って来いと。
ほんの数瞬の別れすら今の食満には耐え切れず、文次郎を想い待ち続けた。









あとがき
終わりー☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ

最後は短めですが、これが、現在の管理人にとっての甘々の限界です。

こんな文章を(夜中に)書いている自分が恥ずかしくてしょうがなかったです。
夜明けと共に襲ってくる羞恥心に抗いきれず、何度バックスペースキーを長押ししかけたことか…。
(けれど、わざわざ感想下さる方々のおかげで勇気を搾り出せました!。・゚・(ノ∀`)・゚・。

未来文食満シリーズでは、リクエスト頂いていた分も含めてあと何話か、書きたいなと思っているものがあるので、興味を持っていただけたのならば、のんびりと日記更新をお待ち頂けると嬉しいです。

ここまで御付き合い、ありがとうございました。



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