やがて綻ぶ 02 | ナノ

やがて綻ぶ










(…腰抜けた)

文次郎からもたらされた先の衝撃に腰を砕かれ、食満はその場にへたりこんでしまった。


少しでも距離を取りたかったこちらの意も介さず、文次郎も食満を追ってしゃがみ込んでくる。
柔らかく膝を地につけ完璧に座り込んでしまっている食満と違い、文次郎は片膝を立て、跪くような体制を取っていた。
頬に添えられた手も、寄せられた額もそのままだ。

どうあっても離れる気はないらしい。
すっぽんがもう一匹ここにいた。
こちらは、食いつかれたが最後。サインを書いて寄越す位では解放してはくれなさそうだ。


するりと、文次郎の掌が頬を滑る。
先程強く引かれたのと、食満が文次郎から逃れようと暴れたせいで緩んだ髪紐をするりと解かれる。
在学時よりも多少伸びた髪が音もなく首筋を覆って落ちる。
近頃は女装の任務も減り、碌に手入れもせずに伸びるに任せっぱなしの髪を一房、文次郎が手で掬う。
何をするのかと、半ば現実逃避気味にぼんやりと眺めていれば、文次郎はそれをゆっくりと口元へと運ぶ。

溜まらずに、その口を食満が両手で押さえた。
文次郎が眉を顰める。
掬った髪が掌から流れ落ちる。
邪魔したことを咎める意図か、頬に添えられたままだった手の指が、食満の耳朶を軽く引っ掻いた。
甘痒いような僅かな刺激をもたらすだけのその仕草は、更に食満の頬に朱を散らせただけだった。


文次郎の手が頬に戻って、食満も口を塞いでいた手を外す。

「…何をする」

「…こっちの台詞だ」

憮然とした文次郎の声に、何とか返事を返す。
これ以上の恥ずかしい真似は勘弁してくれ、と心の中で呟いた文句は、気が抜けたせいか声にして口から出てしまっていたようだ。



「お前に触れることの、何処に恥を感じる必要がある」





殺される。
こいつは俺を、殺す気だ。

こうなると思っていたから、顔を合わせるのを避けていたというのに。
文次郎は見事にその予想通りの行動を取ってくれた。
別に期待などしていた訳でもないというのに。


さらりと告げられた言葉に、食満は思わず頬に添えられた手を振り払って、両手で顔を覆って俯いた。
掌で隠した自分の顔は、まるで火鉢の側面に手を触れているように熱かった。

そんな熱を持ったモノに触れ続ける文次郎の掌には、今頃火傷のあとでもついているのではないかと馬鹿なことを考える。
しかしそんな食満の気遣いもお構いなしに、再び文次郎の手が頬に添えられ、食満の顔を無理矢理に上向ける。





目を逸らすことを許さない、文次郎の強い意志の籠った手と瞳。
それをうっすらと涙の滲んだ目で食満は見返した。

十年前よりも隈が薄まり、その分雄々しさの増した文次郎の瞳は、ただ只管に一つの想いを告げてくる。
食満はその愚直な程真っ直ぐに向けられる想いを知っていた。
その想いを、既に言葉として伝えられていた。


しかし、知っているからこそ食満は困惑する。
その想いに自分は何を返せばいいものか。

食満は未だに、その解を見つけられずにいた。












食満は、文次郎を好いていた。


初めて出会った時から。
今も変わらず、この胸の中でずっと。

同級生としての潮江文次郎に。
犬猿の仲としての潮江文次郎に。
誰よりも強く忍であろうとしていた潮江文次郎に。
誰よりも厳しく己を律していた潮江文次郎に。
忍びになった潮江文次郎に。
教師になった潮江文次郎に。

食満は、そんな全ての文次郎にあらゆる種類の情を抱き、求め続けてきた。
その心が追う事を許し、そこに留め続ける事を許し、そして片時も忘れることを許さなかったのは、二十六年の歳月を生きてきた中で、未だ文次郎ただ一人であった。



しかしそれは、食満の心の奥底で固く封をされ、仕舞い込まれた感情だった。
誰の目に晒される事も出来ず許されず、食満だけがその存在を知る感情だった。

学生時代には、終ぞ口にせずに終わった。
学園の門をくぐり、別々の道を歩み、意識をして連絡でも取らぬ限り戦場位でしか巡り合うことの無い身となってからも、変わらず封はきつく締められていた。
封の内側で膨れ上がり続ける感情は、絶え間なく解放を望む叫びを上げた。
厳重にし過ぎた封が、食満の心自体を引き裂きかけたこともあった。
それでも食満は、それを誰にも開けてみせることはなかった。

潮江文次郎という男を、自らの人生から少しでも長く失わずにいられる方法を考えて導き出した、最良の方法がそれだったからだ。



しかし、幾月か前に。
食満と文次郎は、思わぬ再会をした。

食満は城仕えの戦忍から、フリーの忍者へと。
文次郎は、かつて語っていた目標の通り、忍術学園の教師へと立場を変えて。


卒業のあの日皆で言葉を交わし別れた時から、明けても暮れてもこの胸の中心にある場所から消えることのなかった男は、食満の想像通りの成長を遂げていた。

記憶としては何度繰り返したかも分からない。けれど、この生身の感覚で受け入れるのは随分と久しいその姿、その声、その動き。
ただ一つ想像外だったのは、お互いに十年の歳月の間に見つけた自制心によって、昔よりも随分と落ち着いて接し合うことが出来るようになったこと。
しかしそれは、食満にとっての喜びにしかならなかった。

飢えてやせ細り、水すら受付けられぬような干乾びた心に、再び感情が戻って来た。
やはり自分はこの男を好いているのだ、と。
十年の間に少しは色褪せ、思い出に変わってくれているものだと思っていた想いが溢れ出した。


だから、その別れの時に。
ついぽろりと、零してしまった。
固く固く封をし続けた感情が、溢れ出してしまった。


その時は後悔などしていなかった。
二度と、会うつもりはなかったからだ。
記憶の深部に焼き付けた、その姿さえあれば良いと。
この再会の一時で満たされた感情のみでこの先数十年を生きていけると、自身に言い聞かせ。

驚愕に目を見開いた相手を置いて、一人満足して食満は文次郎の前から姿を消した。









それなのに、文次郎は食満の前へ再び現れた。
誰に聞くこともなく、行方を晦ました食満を己の足で探し当てた。


そして告げてきた。

己も、食満と同じもの抱き続けていたのだと。
己は、その封を解いたのだと。

そう言って、文次郎は食満の封をも解きにかかった。



食満は、狼狽した。
そんなことをされては困る、そんなつもりで告げたのではないと、情けなくも、幼子のようにただ首を振って拒否をした。

食満の中にある感情は、食満だけが存在を知っていればいい。
何処にも行かなくて良い。昇華されなくて良い。誰も触れなくて良い。
解放を望む声には耳を塞ぐ。心を切り刻む刃の痛みにももう慣れた。
温かく自分を支えてくれる部分にだけ頬を寄せ、包まれ生きていく。
ただ、それだけで良いと。そうすると決めていたのだ。


食満は、逃げた。
己の心を開放しようとする文次郎から。

どうすればいいかなど分からなかったからだ。
長く仕舞われ過ぎていたせいで封の中で錆びついたそれは、突然に外気に晒され油を挿され、さあ望みの場所へ歩み出せと放りだされても、とっくに歩き方など忘れてしまっていた。
望みを捨て、本来の目的を忘れ、ただ少しでも長くこの心に居座り続けることだけを目指すようになった感情は、既に文次郎のそれとは異質なものになってしまっている。

そんな状態で文次郎の手を取るなど、許される筈がなかった。



それなのに、文次郎は諦めなかった。
情けなく、惨めに背を向け逃走した食満を、文次郎は追いかけるようになった。
そうして食満をその手に捕らえると、文次郎は身を寄せて伝えてくる。

この感情は同じものだと。
歩み方を忘れたのなら、自分の真似をすれば良いと。
だから早く、その封を解けと。

その囁きは墜落への甘い誘惑か、それとも解放への導きか。
文次郎の熱い腕に絡め取られる度に時を止めてしまう食満の頭では、判断することが出来なかった。












「留三郎」

文次郎が呼び掛ける。


苛立ちと、焦燥と、痛みと、僅かな悲しみを抱いたそれ。

自分とお前は同じだろうと。
この胸に抱くものを共有できるのは、この世でただ二人だけだろうと。
言葉よりも雄弁に語る瞳と熱。

そうなら良いな、と。誰より強く望んでいるのは食満の方だ。
けれど、そうであるはずがないと。誰より強く打ち砕く槌を振り下ろすのも、また食満自身であった。




「俺の顔など、見たくはないか」

そんな筈ないだろうと、食満は心中で答える。
出来ることなら、この網膜に焼き付けておきたいほどに。
何処にいても、何をしていても、求める姿は文次郎一人だった。



この首を横に振って、封をした内側の感情に素直に身を任せれば。
きっと文次郎は笑うのだろう。
その顔に浮かぶ痛みと悲しみを、取り除くことが出来るのだろう。

でも、食満には出来なかった。
請われたところで、そんな簡単に解ける封ではないのだ。
何年も何年も掛けて、何度も何度も掛け直した封は、どこから手を掛ければいいかも分からない位にガチガチで。
性急に、猪突に求められても、すぐには答えられない。




いっそ軽蔑してくれ。侮蔑してくれ。俺のことなど忘れてくれ。
そう心では願っても、口に出して懇願することは出来なかった。
本当にそうされてしまった時に自分が耐えられないからだ。
何と小狡く、浅ましい。そんな自分の醜さに耐えられず、また食満は逃げる。

どれだけ求められても身動きの出来ない己の愚鈍さがもたらす、文次郎の痛みと悲しみの表情をそれ以上見たくなくて、食満はぎゅっと目を瞑る。


その瞼から、滲み出た涙がぼろりと溢れた。









あとがき
管理人の癖なのか、甘々にするつもりで書いていた話でも、気が付けばシリアス街道まっしぐらに。
どんなシリーズでも、必ずどっちかは悶々、めそめそしてしまいます。

…一度でいいので、素直にいちゃつく文食満を書いてみたいです。



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