07.一ヵ月後〜そして暴走 | ナノ

一ヵ月後・そして










「…」

自分から声を掛けてきたくせに、食満は言葉を続けようとしなかった。
肉が薄く、形の良い唇がぎゅっと引き結ばれる。何か言いたいのを我慢しているのか、それとも何と言葉を発するべきか逡巡しているような、そんな顰め面を浮かべて、不機嫌そうに細められた食満の目が、見上げる文次郎の顔を真っ直ぐに見下ろしていた。



一方の文次郎といえば、ぽかんとして食満を見上げたまま、完全にその頭の回転は止まっていた。

(何でお前がそこにいるんだ?)

と、初めに疑問が浮かぶ。
文次郎が目を離すまで、食満は善法寺と教室の前方で話をしていたのに、それが今目の前にいる。
文次郎にとっては、まるで瞬間移動をしてきたような突然の食満の出現であったが、それに気付いて声を掛けていた仙蔵の呼び掛けを文次郎はずっと無視していた。この驚きは、ある意味自業自得の結果とも言えた。

(何でこっちを見てるんだ?)

二つ目の疑問が浮かぶ。
んなにジロジロ見てんじゃねえよ。不躾って言葉知らねえのか。お前目つき悪いんだよ。喧嘩売りにきたのか。受けて立つぞこの野郎。
等と、心中で次々と浮かぶ食満への文句は、文次郎の動揺の裏返しであった。


先程まで、というかこの一ヶ月間。
一方的にじろじろと視線を送って来たのは文次郎の方であり、直前まで『こっちを見ろ』『自分に気付け』と、そう念じていたのも文次郎である。
しかし、いざ求めていたものが真っ直ぐに自分に向けられているのを感じた瞬間、文次郎がぶつけようと思っていた食満への感情は吹き飛んだ。

ここに食満がいるということは、その片割れである善法寺も近くにいるのかもしれない。
善法寺が何処にいて何をしているのか、咄嗟に文次郎は確認しようとした。また不運なトラブルに巻き込まれるのは御免だと思ったのである。
しかし、視線は食満に縫い留められたまま動かない。顔も首も身体も動かせない。全てが食満と向き合ったまま、そこから離れるのを拒否していた。


(…なんだこれ)

まるで金縛りみたいだ。情けない自分の状態を、頭の中の冷静な部分で評する。それでも、その冷静な一部分は文次郎の現状を傍観するのみであり、固まった運動神経に命令を下したり、この状況をどう展開させるか知恵を働かせてくれはしない。



しかし、そんな文次郎の耳に入った次の言葉が
停止した文次郎の視界と身体の動きを、一気に覚醒させた。






「…仙蔵っ!」

我慢比べのような睨み合いから先に目を逸らした食満は、ぐんっと音がするような勢いでその顔を、文次郎の隣で二人の様子を観察していた仙蔵へと向け、やけくそのような大声で名を呼んだ。


「は?」

思わず、文次郎の口から声が漏れる。

「何だ、留三郎」

そんな文次郎に構わず、仙蔵が食満に応える。しかも、さらりと名前を呼び捨てにして。


「ちょっと…いいか?」

先程の文次郎の間抜けな声など聞こえていなかったように、食満は文次郎を睨みつけていた時とは打って変わり困った様に目尻を下げ、口籠るようなな口調で仙蔵に伺いをたてる。

「ああ、いいぞ」

食満に応え、仙蔵が席を立つ。
ちらりと、仙蔵が文次郎を見た。しかし、すぐにそれは逸らされ食満へと向かい、仙蔵はまるで友人に対するかのような気軽な仕草で食満の背に手を回し、二人一緒に席を離れていく。

一人残された文次郎は、ギチギチと、油の切れた機械のような動きで首を回し、離れていく二人の姿を追った。










(…何っだそれ!!!!!)

一瞬の間の後に、文次郎の頭の中で爆発が起こった。
様々な感情が一気に膨れ上がり弾ける。そして、その後には猛烈な苛立ちが文次郎を襲う。

先の叫びを心中だけで抑え込み、声に出して叫ばなかったことを褒めてほしい。しかし、誰かに褒めて欲しくとも文次郎の周囲には誰もいない。
教室中に散らばる生徒達は文次郎に対して無関心であり、進んで近付いては来ない。クラス内で唯一の友人である仙蔵は、文次郎の爆発の火種、その張本人だ。


(何であいつは仙蔵の名を呼ぶ!?)

真っ先に浮かんだ疑問は、反転すれば、何故呼ばれるのが自分の名ではないのか、という願望と同義であるが、文次郎はそれに気付かない。只々、先程食満の口から出た仙蔵の名が耳の中を木霊する。
聞き慣れた、呼び慣れた仙蔵の名。普段は特別に何か感じることもなく口にしているその名が、食満の口から、食満の声で発せられたというだけで、とても忌々しいものに感じてしまった。

文次郎は、物理的な力を持って背後から貫いてしまいそうな程の鋭さで、二人の背中を睨みつけていた。
扉側の席に着いたままの文次郎から距離を取り、反対側の窓際で向かい合って何やら話をしている二人は、文次郎の事などまるで意識にないようだ。仙蔵はもしかしたら文次郎の視線に気づいて無視をしているのかもしれないが、食満は恐らく気付いていない。頭を掻きながら、眉を下げて仙蔵に何かを話すのに必死になっている。

なんなんだ、あれは。
あんなに必死になってまで仙蔵に話すことがあるのか。あれだけ、初めに人のことをじろじろと睨めつけて来ていたのに。あんなことをされれば、自分に用事があるのかと思ってしまうのは当然だろう。
そんな誤解と、無意識に期待をしてしまっていた自分に気付き、文次郎の心に僅かな羞恥が浮かぶが、それもまた苛立ちに変換されて積み上げられていく。

それに対応する仙蔵の、普段文次郎達と相対し弄り倒している時とは違う、余裕と穏やかさを感じさせる表情も腹が立つ。
何だその気安さは。その距離は。近いんだよ。離れろよ。
距離だけであれば、一か月前のあの時に、初対面で鼻先が触れる程に近付き睨みあっていた文次郎の方がより食満に近づいたと言えなくもないが、比較も自慢も出来ない。敵意むき出しでの掴み合いの距離感と、和やかに笑みを浮かべながらの距離感では、同じ長さでも意味合いは全く違う。



そもそも、どうして食満は仙蔵の名を知っていたんだ。
しかも、仙蔵のあの態度。まるで以前からの知り合いのような距離感。
文次郎は仙蔵の広い交友関係の全てを把握している訳ではない。それでも、入学式のあの日、仙蔵は食満のことは知らないという口ぶりと反応だった。
ならば、入学式からの一ヶ月間の間に、知り合っていたというのか。文次郎の知らないところで、気取られないように、こっそりと。それでいて、仙蔵は文次郎に食満の情報を言い聞かせては、食満と善法寺の様子を見せ、その反応を見ていたのか。

何でそんなことを。分かっている。自分をからかって楽しむ為だ。いつものことではないか。

自分でも理解の出来ない感情に振り回され、うんうんとみっともなく頭を抱える自分を見て、仙蔵は遊んでいた。もしかしたら、食満にもそれを伝えていたかもしれない。伝えた上で、無様な文次郎の様子をこっそりと話し合っては、笑っていたとか。


そこまで考えて、沸騰寸前だった文次郎の頭がさっと鎮まる。
しかしそれはあくまで表面だけであり、例えるならば高温で急沸した中身が外に飛び散り、後に残った空の空気だけが際限なく温められ、どんどんと膨らんでいくかのような。そんな感覚だった。

ぎゅっと拳を握る。握りこんだ指の先端から身体中を巡る血液が、波のようにひくと共に熱を奪っていくような気がした。
胸の奥がヒリヒリと乾燥して痛む。ヤバいなと、冷静に戻った文次郎の脳の一部が警鐘を鳴らす。

激情型とまではいかないが、文次郎は頭に血が昇りやすい。
苦痛や疲労などに対する耐性は高いが、本気で怒りを抱いた時にはそれに身を任せてしまう。心身を鍛える為に始めた武道で、肉体的にはともかく、精神的には目標を達していないというのは、そういった自分の感情の制御が未だ出来ないからだ。










気がつけば、文次郎は立ちあがっていた。
きっと脳の中では、動き出した身体を席へと戻そうと必死に警告と命令を送っているのだろう。しかし、感情に支配された文次郎の手足はそれを拒絶した。

ずかずかと、未だ向き合って何やら話しをしている二人の元へと進む。
先に仙蔵が文次郎に気付いて顔を向ける。遅れて食満も。
向かってくる文次郎の表情に驚いた食満が何かを口にする前に、文次郎が食満の肩に手を掛けた。



「…何すんだ!」

食満が痛みに眉を顰める。文次郎が食満を仙蔵から引き離したのだ。
突然に勢いをつけて身体を振り回されたせいで、食満の足元がよろめく。
制服のズボンのポケットから食満の携帯がこぼれ落ち、固い音を立て床にぶつかり、その上をくるくると回った。

ギリギリと、食満の肩に文次郎の指が食い込む。
食満にとっては脈絡のない文次郎の行動に、困惑の色を浮かべながらも食満は鋭く文次郎を睨みつけてくる。自らの肩から外れない文次郎の手首を、抑えられたのとは反対の手で握り、同じく指が食い込む程の力を込める。その指先から、やけに大きく速い文次郎の脈が食満の身体にも伝っていく。
以前とは逆だ。そんな呑気な感想が、文次郎の頭の片隅に浮かんだ。



「文次郎」

一人冷静な仙蔵が文次郎を諌める。

「うるせえ」

しかし、文次郎はそれを聞き入れられなかった。
仙蔵に振りむくこともせず、完全にその視線と意識は食満へと向けられている。力を込めて睨みつけてやれば、同じだけの気の強さを込めて食満が睨み返してくる。そんな食満の視線も意識も、今は他の誰でもなく、文次郎にだけ向いている。

文次郎が望んだ通りの現状。しかし、文次郎の胸の中を占める苛立ちは少しも晴れない。小さく舌を打つ。小さなそれは、間近にいる食満には十分に聞きとれた。食満の眉間に、益々深い皺が寄る。

善法寺といる時の穏やかな表情とも、仙蔵に先程見せていた何処か頼るような表情とも違う。
初めて見た時に、認めたくなくとも目を惹かれたその表情が、今は文次郎の深い部分に突き刺さって痛みを生んだ。



「むかつくんだ…お前は」

文次郎の口から、無意識に呟きがもれる。
その瞬間、食満の肩が僅かに揺れた。





「…は、離せよ!」

急に食満の抵抗が激しくなる。
大きく手を振り身を捩り、文次郎から逃れようとする。 

押さえつけて、ここからどうしてやろうかなど文次郎は考えていなかった。しかし、折角押さえつけたのを逃げられるのも癪で、文次郎も同じだけの力でもって食満を押し返す。二人が、揉み合ったその瞬間。


パキンッ

文次郎の足元で、何かが割れる音がした。

耳に届いたその破壊音に、二人揃って視線を足元に向ける。
そこにあったのは文次郎の足元、その上履きの下で砕けた食満の携帯ストラップであった。


「あぁー!?てめぇ、足退けろ!!」

悲鳴に近い食満の声。咄嗟に文次郎はそれに従い足を動かしてしまう。
そこには、携帯電話本体から紐で繋がった何らかのキャラクターのストラップの、その胴体部分が粉々に砕けた破片が広がっていた。

見るからに修復不可能なその様子に、静かに沸騰を続けていた文次郎の頭が少し正気に戻る。その隙に文次郎の手を振り払い足元に屈んだ食満は、砕けた欠片ごと携帯電話を拾い上げる。


「あぁ…、あひるさん1号…」

見るからに消沈した食満が、気の抜けるようなそのマスコットの名を呼ぶ。

その手の中にあるキャラクターに、文次郎は見覚えがあった。
文次郎が、善法寺を暴走自転車から救い出した時、尻もちをついた善法寺のスカートのポケットから同じものが覗いていた。

(…お揃いだったのか)

文次郎の胸に、再び僅かな苛立ちが浮かぶ。しかし、それを覆い貸す様にして胸を満たすのは、自分の行動への後悔だ。
感情と衝動に任せて、自分は何をした。いくら気に食わない相手だからと突然食ってかかり、挙句相手の大切らしい物を壊して。そうまでして、自分は何がしたかったのだ。後になって悔いても、全ては手遅れであった。


食満は、手の中のキーホルダーをきゅっと包むように握りこむ。
俯き表情の見えない食満の様子に、何とか謝罪の意を伝えなければと文次郎が口を開く。しかし、全面的にこちらに非があり過ぎるこの現状。そして先程までの自分の行いから、逆に文次郎は何と言って謝罪するべきか迷った。その僅かな思索の間に。





「…潮江文次郎!!」

「ぐっ!!」

文次郎に勝るとも劣らない急激さで激高し立ち上がった食満が、文次郎のどてっ腹に見事な中段蹴りを入れた。
素晴らしく綺麗に入ったその蹴りに、文次郎が腹を押さえて膝をつく。
続けて、食満はすぐ傍の机の上に置かれていた四角いビニール袋を掴むと、勢いよくそれを投げつけて来た。蹲って顔を上げた文次郎の顔面に、べしゃんっとビニールが張り付く様にしてぶつかる。

腹に続いてダメージを受けた鼻を押さえた文次郎の足元に、投げつけられたビニール袋が落ち、その中身が滑り出てくる。


(…薬用シップ?)

「…この前は、俺の誤解だったから。伊作にも、仙蔵にも言われたから、謝ろうと思ってたけど…。けど、やっぱり…てめぇなんか」

足元に落ちたそれに気を取られていた文次郎の頭上から、言葉が降ってくる。ふるふると震え、弾け飛びそうな感情を抑え込むような声。


(…今、何て言った?謝る?)

足元とその声に気を取られ、文次郎は言われている内容を理解することが出来なかった。
そして全てを繋げ、理解したときには、もう全てが遅かった。



「てめぇなんかっ、俺だってむかつく!!大嫌いっだ!!」

びしりと文次郎を指差し叫んだ食満は、文次郎がその顔を見上げる前に、素早く脇をすり抜け、離れて様子を窺っていた善法寺の手を引いて教室から飛び出していった。










「…仙蔵。何だその顔」

膝をついたまま取り残され、ついでに周囲から何事かと視線を集めまくっている文次郎が呻くように言う。


「…これはな、酷く残念なモノを心の底から見下している時の顔だ」

その言葉通りの顔で文次郎を見下ろす仙蔵は、上履きの爪先で文次郎の背を蹴った。


「人の一か月の努力を無駄にしてくれおって。お前はそこで反省していろ」

苛立たしげというよりは呆れ果てたような、そんな仙蔵の言葉を投げつけられるまでもなく、文次郎はこの休み時間一杯、一人その場に蹲り続けた。












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