「お前らー!!」
「んぐぉっ!?」
「何やってんだー。教室行かないのか?遅れるぞ!」
突然の呼び掛けと同時に、文次郎の後頭部に衝撃が走る。
前頭部まで突き抜けるその衝撃で前方につんのめった文次郎は、前列に並んでいたパイプ椅子の背に強かに額を打ち付け、頭の前後から襲いかかる痛みに声もなく悶絶した。
「おぉ、小平太。お前、式典に間に合ったのか」
「ギリギリだ!でも、結局全部寝てたけどな!家で寝ているのとあまり変わりなかったな!」
「こういうものは、参加することに意義があるのだ。つまらん教員の長話など聞き流していいさ」
「?長話なんてあったか?」
背後からの不意打ちラリアットを文次郎の頭部に決め
悪気の欠片も感じられない無邪気全開の笑顔で仙蔵と向き合った小平太は、胸を張って答えた。
全く胸を張れるような発言ではない。
が、三分以上の長話を聞くと自動的に脳みそが活動を停止してしまう、底なしの体力馬鹿こと『暴君』七松小平太には、どんな突っ込みも無意味である。
「…小平太、お前なnバッ!?」
その暴君の突然の暴挙に、何とか復活した文次郎が涙目になりながら振り返る。
文句の一つでも言ってやろうと開いた口からは、また別の叫びが漏れた。
「なあなあ!だからお前達は移動しないのか?初めてのHR始まっちゃうぞ!!」
「いっ…から、小、平太!落ち着け!イ、スの背もたれ掴んで跳ねるな!!」
文次郎の言葉が、身体と共に跳ねる。
文次郎の座る椅子の背もたれに背後から手をついた小平太が、待ちきれなくて堪らない、とでもいうように、それを掴んだままぴょんぴょんと跳ねるのだ。
内から溢れ出るエネルギーを消費したくて堪らない、という気持ちの表れなのか、軽快に跳ねる小平太は楽しげだったが
椅子ごとがくがくと揺すられずり落ちかけながら必死に制止の声をかける文次郎の姿は、周囲から見れば滑稽なことこの上ない。
漸く小平太の手を椅子から外し、床の上に両足をつけて落ち着けた時には、文次郎は一人ゼェハァと息を切らしていた。
文次郎たちがいるのは、未だ入学式典の行われた講堂の中。
式典はとっくに終了しており、周囲の学生達は学期一番初めのHRに参加する為、各教室へとぞろぞろと移動を始めている。
そんな生徒達の集団を横目で眺めながら二人は、新入生用に講堂の前方に並べられたパイプ椅子に座ったまま話しをしていた。
「こいつが席を立たんのでな、付き合ってやっていたのだ」
「そうなのか。ちなみに、私は爆睡し過ぎていて周りの皆に置いて行かれたぞ!」
小平太が、元気いっぱいに答える。
もう一度言うが、それは胸を張って言うことではない。
二人の会話に混ざる気力もない文次郎が、せめてもの思いで小平太を睨みつける。
文次郎が席を立たなかったのは、あの生徒達の集団に混ざりたくなかったからだ。
只でさえも、鬱血した顔にボロボロの制服と目立つ格好をしているのだ。
文次郎にとっての恐怖対象がワラワラと入り乱れている集団には近寄りたくない。
ある程度皆が移動を終え、人気が少なくなってきたところで移動を開始しても、HRまでには十分間に合う。
それはまではひっそり、目立たないように席にいようと思っていたのに。
それも、小平太登場のせいで台無しである。
高校に進学しても、中学三年男子生徒のノリからは卒業出来なかった小平太の悪目立ちっぷりは相変わらずで。
ギリギリまで自宅で惰眠を貪り、先程の式典最中も爆睡をかましていたという小平太の、短髪の癖に獅子のたてがみのように爆発したワイルド過ぎる頭髪や
よれよれで曲がりまくったタイやワイシャツは、とてもじゃないが高校一年生には見えない。
その上、あの元気が有り余り過ぎた振る舞いと、早速振り回された文次郎の醜態。
注目を集めるなという方が無理である。
「ちなみに小平太、教室に移ってHRの後は、新入生最初の学力テストだぞ。準備は出来ているのか?」
「大丈夫だ!転がす鉛筆はちゃんと揃えて来たぞ!」
「…ちなみに、部活勧誘は明日からだ。今日は新入生は何処の部活にも参加出来ないぞ」
「何!?それが一番の楽しみだったのに!!長次と一緒にサッカー部に行こうって言ってたのに!!」
「あいつは文化系の部活にすると言っていなかったか?」
「初日だけは私に付き合ってくれると言っていたんだ!だから、サッカー部と野球部と陸上部とテニス部とバレー部とバスケ部を梯子して勝負して、どれか一つでも私が長次に勝てたら兼部を考えてくれると約束したのに…」
仙蔵の指摘を受け、目に見えて小平太がしょんぼりとし出す。
何処までも感情をストレートに表現する小平太の姿は、先程のはしゃぎ様からの落差が激しい。
先程まで振り回されまくっていたのに、そんな姿を見せられるだけで絆されてしまいそうになる。
つっこみ所は盛りだくさんだというのに。
こんなだから、いつまで経っても小平太は文次郎に対してやりたい放題なのだ。
仙蔵に対してもそうだが、文次郎は自分が幼馴染の旧友達に対しては甘いと、自覚していた。
どうしても、強い態度に出られない。
当然、不愉快な言動を受ければ怒鳴りもするし、窘めもする。拳を交えてぶつかり合うことだってある。
しかし、結局最後には自分の方から折れてしまうのだ。
対人関係において色々と問題点を抱えている文次郎にとって
何の気兼ねなく接せられる相手である幼馴染達は、口にはせずとも文次郎の中で大きな位置を占めている。
「それじゃあ、私も二人に付き合ってやろう!何の話しをしていたんだ?」
ころりと笑顔に変わった小平太が、文次郎とは反対の仙蔵の隣の椅子に飛び乗り、仙蔵に尋ねる。
「ふむ、それがな」
仙蔵が、早速先程の話の内容を小平太へ話す。
実に楽しそうに、ウキウキとした表情で。
…文次郎にとって幼馴染達は大事な存在ではあるが、こいつらにとって自分はどうなんだろうと、ふと考えてしまうのはこんな時だ。
適当に扱われているとは思わないが、只のネタ扱いなのではないかと。
他言無用とも、ここだけの話とも何も言っていなかったが。
どうせ、幼馴染である自分達の間に隠し事は無駄だと分かっていたが。
こんなにも速攻で言いふらさずともいいではないか。
もう、どうにでもなれ。
そんな諦めのような、僅かに涙が滲んできそうになるような気持ちで、文次郎は項垂れ、周囲から集まる視線から顔を隠した。
「いいなぁ、文次郎。いきなりそんな出会いがあって、ラッキーじゃないか!」
話しを聞き終えた小平太は、子供のように口を尖らせ、すねるような声を出した。
女性恐怖症の文次郎。
我が道を行く仙蔵。
それに対する小平太は、一般的な15歳男子高校生らしく異性への興味は深々である。
しかし悲しいかな、仙蔵とはまた違った意味で個性的すぎるその性格と行動のせいで、『彼女』ポジションに名乗りを上げる異性は今のところ現れる兆しがない。
異性からの人気はある。しかし、それは『友人』としてであり。
小平太に対する周りの認識は
『クラスに一人居てくれるだけで賑やか』
『ちょっと離れたところから見ているだけで十分(お腹一杯)』
『付き合ったら彼女というよりお母さんポジションになりそう』
というものが大部分を占め、それらの意見を聞くだけで、七松小平太という男がどういう風に周囲に認知されているか窺い知れるというものだ。
小平太自身も
「可愛いのも綺麗なのも柔らかいのも固いのも全部好き!」
と色々と引っかかりを感じる好みを公言して憚らないが
何故か積極的に彼女というものを作ろうとしている様子はない。
「今は彼女とか作るよりも、幼馴染のいつものメンツで集まって、仙蔵や長次と遊んだり、文次郎で遊んだりする方が楽しいな!」
とは、中学時代のある日の夕暮。
散々文次郎をお気に入りのバレーボールに付き合わせた後の小平太の台詞だ。
鮮やかな夕日をバックに、いつも通りの無邪気な笑みを浮かべながら何処か寂しげにも見える小平太の背中は、他の二人にとっては大層印象的に映ったらしかったが
息も絶え絶えに、地面の上で大の字になって完全にバテていた文次郎は
(…『で』って何だよ!『で』って!)
と、心の中でつっこむので精一杯だった。
「…文次郎、先程の話の女生徒、名は何と言った?」
「あ?…確か、『いさく』とか呼ばれてたような…」
「男の方は?」
「…『とめさん』とか言ってたな」
「…ふむ」
「いさく?女の子にしては変わった名前だな?名字かな?」
「名字だとしてもあまり聞かんだろう」
「じゃあ、渾名?」
「…どんな経緯でそれが渾名になったか想像もつかねぇな。男の方は渾名かもしれんが」
「そうだな。なんか男女逆の方がしっくり来そうだ!」
「…」
「仙蔵?」
文次郎から名を聞いた仙蔵は、手の中にあるプリントを眺めながら黙りこくる。
その目は何かを探しているかのように、プリントに書かれた文字を追って上下に動いている。
「何だそれ?」
「クラス分けの紙だぞ!学校の入口に貼ってあったけど、個人用にも配られたんだ。文次郎はギリギリで来たから貰いそびれたんだな」
相変わらず黙りこくった仙蔵に変わり小平太が答える。
そういえばあったな。文次郎は時間がなかった為、自分や仙蔵達が何処のクラスか位しか確認していないが。
ちなみに、文次郎と仙蔵は同じクラス、小平太は隣のクラスだったはずだ。
不意に、プリントの上の文字を追っていた仙蔵が二マリと笑みを浮かべる。
「行くぞ、お前達!」
唐突に仙蔵が立ちあがる。
相変わらず笑みを浮かべたまま
「さあ行くぞ、すぐ行くぞ、さっさと立たんか」と二人を急かす。
「仙蔵…そのプリントちょっと貸せ」
仙蔵の突然の行動に、何かを察知した文次郎が言う。
しかし、仙蔵はプリントを丁寧に折りたたむとそのまま胸ポケットにしまってしまう。
「ちょっ…!」
「いいから行くぞ。お楽しみは後にとっておくものだ。時間もそろそろギリギリだろう。人も少なくなってきたし、早く立て」
「よし行くぞ!長次も先に行って待ってるしな!」
文次郎が睨み上げても、仙蔵は笑みを浮かべたまま。
登場時の小平太のように、その様子は逸る気持ちを抑えきれないとでもいう雰囲気だ。
仙蔵がそんな生き生きとした表情を浮かべる時には、文次郎にとって嫌な事しか起こらない。
そしてそんな予感は、高確率で当たるのだ。
案の定。
教室へ向かった文次郎達は、その扉の前で一組の男女と出くわした。
「「「あ」」」
重なる三つの声。
一つは単純に驚いたように。
二つは何でこいつが、と顔を顰めながら。
そんな三人の再対面の現場を
仙蔵は心底愉快そうに、状況のよく分かっていない小平太は取り敢えずの笑みを浮かべながら見物していた。