01.初日〜初登校 | ナノ

初日・登校










木々の蕾も、未だ見ぬ未来への希望も膨らむ春。
文次郎は只々憂鬱であった。



今日は高校の入学式。
今年で16歳になる文次郎は、その式典の主役の一人である。
周囲には、同じく式典の主役である新入生達が真新しい制服に身を包み晴れやかな笑顔を浮かべ、同中卒の旧友や、初対面の新しい友と会話を弾ませながらの初登校を行っている。


そんな中、文次郎は全身から負のオーラを滲み出しながら、一人きりで歩いていた。

めでたいはずのこの日に、何故そんな態度なのか。
それは、これから三年間を過ごす学校生活に対する、ある不安要素のせいであった。



「それでさーあいつがさー…っ痛!ごめんなさい!」

重々しい足取りで校舎へと向かう文次郎の背中に、友人との会話に夢中になっていた女子生徒がぶつかる。
それなりの勢いでぶつかった女生徒は、反動で少しよろけ、すぐに我に返って目の前の文次郎へと謝罪した。
文次郎が、女生徒の方へ振り返る。


「ひぃっ…!」

その文次郎の顔を見た女生徒が、引き攣るような悲鳴を上げた。
恐ろしいものでも見たように、その顔が蒼褪めていく。
そのまま固まってしまった女生徒に対して、文次郎は言葉を掛けることもなく前に向き直り、再び歩き始めた。

後ろから、駆け寄るような足音が聞こえる。
恐らく、固まったままの女生徒に、文次郎とぶつかった際に話していた友人達が駆け寄って来たのだろう。
ひそひそと、背を向け離れていく文次郎に聞こえぬよう女生徒達が囁く。
小さな声のそれは、鮮明には聞きとれない。
しかし、文次郎には長年の経験から、どのような会話がなされているのか予想が出来る。
恐らくは、文次郎に対してあまり好意的ではない内容だ。

それが分かっていても、文次郎は足を止めない。振り返らない。
先程よりも歩を早め、脇道へと入る。



人気のないそこに、身を隠すように滑りこみ

(や…やばかった…)

文次郎は、壁に手を付き項垂れた。



先程の女生徒とは、ほんの少し身体がぶつかっただけ。
それなのに、文次郎の心身は極度の緊張状態に陥っていた。

早鐘のようになる心臓を抑え、深呼吸をする。
ほんの一瞬で額と背に噴き出した汗が、日陰の脇道に吹きこむ風にあたってひんやりと体温を奪う。
顰められた眉と見開いた眼は、文次郎の尋常ではない動揺を現していた。
時間をかけて深呼吸を繰り返し、心臓と心が落ち着くのを待つ。



ずるずると、壁に手を付いたまましゃがみ込む。
文次郎は頭を抱えた。

「…こんなことでどうする」

途方に暮れるように、自らの情けない姿を恥じるように、文次郎は呟いた。
頭を抱えた腕の隙間から周囲を見遣る。
細い脇道の中は静かで薄暗く、先程までいた表通りは登校していく新入生達でにぎわっている。

一人蹲る文次郎に気付く者は、誰もいない。








「…なんで共学なんだ」

今まで何度呟いたかも分からない言葉を。
それでも呟かずにはいられない呪詛のようなその言葉を、文次郎は溜息と共に溢した。



文次郎の憂鬱と負のオーラの元となっているもの。
この状況の原因となっているもの。
それは、これから通う高校が『共学』であるという、その一点だ。

『共学』というのは、『男女が同じ学び舎で共に学ぶ』という意味であり
文次郎にとって問題なのは、その『男女』の『女』の部分である。




文次郎がこれから三年間通い続けることになる公立高校は、『男女共学』の高校である。

その高校は、つい最近教育方針を変えて、男子校から共学校へ変わった。
なんて事はなく、数十年と続く歴史の中、開校当初からずっと共学を通している学校だ。

そんな学校を自ら志望して受験したのならば、その段階で共学云々に文句を言う資格はないだろう。
しかし、文次郎の本来の志望校はここではなく、遠く離れた県外の、私立の男子校であったのだ。


偏差値の高い進学校であるその高校に、文次郎はどうしても入学したかった。
その為に、中学時代の文次郎は必死に勉学に励んだ。
時間をかけて説得して、両親の承諾も得た。
中学の三年間を、その為に捧げたといっても過言ではない。

その甲斐あって、もう少しで推薦枠に滑りこめるという段階まで行ったのだが
中学三年のある日、文次郎の父が『リストラ』にあってしまった。


それなりの企業の管理職から、小さな部品を扱う小会社の派遣社員へと。
一気に転落してしまった父を、家族全員で支えなければいけない。
その為には、県外で寮住まい、学費のバカ高い私立高校などに文次郎を通わせる訳にはいかない。
そんな母親の説得を受けて、文次郎は泣く泣く志望校を変更した。


それでも諦めきれない文次郎は、志望校変更の意を担任に伝えた日から、口癖のようになってしまったこの言葉を呟き続けているのだった。








何故、そうまでして共学を嫌がるか。男子校に行きたがったか。
その理由は、ただ一つ。
『異性』というものから、出来るだけ離れたかったからである。



文次郎は、『女性』が苦手だった。
それは、女性慣れしていない想像力豊かな男子学生が、同世代〜妙齢の女性と上手く接することが出来ない、なんて思春期にありがちなものではなく。
もう生理的に、精神的に、完璧に駄目なのだ。

遠くから姿を見るだけや声を聞くだけなら、まだ辛うじて耐えることが出来る。
だが、先程のように間近に近付かれたり、僅かでも触れたりしてしまうのは、完全にアウトだ。
心も身体も一斉に警告信号を発し、酷い時には何らかの症状が出る。
これは立派に『女性恐怖症』と呼ぶに相応しいものだろう。




文次郎がこうなってしまったのには、理由がある。
幼い頃の、あるトラウマ的事件だ。


文次郎は幼い頃、それはそれは愛らしい子供だった。らしい。
本人には一切覚えがないが、親や、周囲の人たちが皆口を揃えて言うのだ。
「昔はあんなに可愛かったのに」と。


その言い草から察せる通り、今の文次郎にその名残は一切ない。
順調に二次性徴を迎え、平均並に成長を重ねた文次郎は、愛らしさや可愛らしさとは真逆の容姿へと育った。

それに加え、文次郎は自らの容姿に手間をかけるということをしていない。
周囲が次々に思春期を迎え、異性の目を気にしてお洒落に目覚めていく中、文次郎は頑なにそれらから離れる道を選んで来た。
勉強に打ち込み、鬱憤は身体を動かすことで発散し、同性の友とばかり一緒にいた。
そのせいで、何度か周囲に有らぬ誤解や噂を立てられたこともあったが。
それでも文次郎は貫き通した。



何故、そんなことをするのか。
それも全て、トラウマが原因だ。

幼い頃、誰よりも愛らしかったという自分の容姿。
そのせいで降りかかった、身の毛もよだつ恐ろしい経験。
それ以降、家族を除く、全ての異性が文次郎にとっては恐怖対象となった。
そんな恐怖対象である異性の気を引くようなことなど、したくもない。
むしろ、嫌って避けてもらいたい。


先程の女生徒は、文次郎の顔を見て悲鳴を上げた。
きっと物凄い顔をしていたのだろう。
意図してやっているわけではない。
無意識にこみ上げる感情を抑え込もうとしているのが、滲み出てしまうのだ。
相手にしたら、ちょっとぶつかった位でそんな顔をされるのは不当だと感じることだろう。文次郎自身も、相手に対して申し訳ないと思う。

それでも、無意識に動く表情筋は制御出来ない。
謝罪の言葉を返そうにも、回転を止めた脳内からは言葉も出て来ない。
せめてお互いが長く不快な思いをしないようにと足早にその場を去れば、文次郎はちょっとぶつかっただけで物凄い形相で睨みつけ、無言で威圧し、謝罪も無視して立ち去る、嫌な男にしか見えない。



そんなことを幾度か繰り返せば、周囲の認識ははっきりとする。

文次郎に話しかけてくる異性はいなくなる。
実際中学時代はそうだった。
初期こそ苦しいものの、最後は楽だった。
最終的に文次郎の周囲にいるのは、文次郎の恐怖症を知る気心の知れた悪友達だけだったからだ。


高校でも、それを目指せばいいのだ。
そう自分に言い聞かせてみても、胸に圧し掛かる重りは消えない。
自分の周囲に異性が近づかなくなるまでは、多少なりとも接しなければいけない。
それがいつなのか。いつになれば、皆が自分を嫌って近寄らなくなってくれるのか。そうなるまで、自分の心身はもつのか。

それが、文次郎は不安でしょうがない。



個人的な理由から、人に進んで嫌われるようなことをするのは、良いことではないと分かっている。
そもそも、こんなものは根本的な解決ではない。

それでも、文次郎には他に手がない。
恐怖症が治せれば、そんなことをする必要はないのに
それが出来るのならば、十年以上も、文次郎は悩んだりしないのだ。










蹲ったままの文次郎の制服のポケットの中で、携帯電話が振動する。
取り出して見れば、中学時代の悪友の一人からメールが来ている。
入学式当日になっても踏ん切りがつかず、のろのろとしか登校の準備をしない文次郎に痺れを切らして
一人先に登校してしまったその友からの、お叱りのメールだった。


―さっさと来い

短い一言。



「…分かってるっての」

いつまでもこうしてはいられない。
式典開始までそれ程時間に余裕がある訳ではない。
中学時代は推薦枠を取る為に勉学に励み、優等生を演じていた文次郎ではあったが、元々根は真面目だ。
初日からサボるという選択肢はない。



憂鬱を振り切るように、文次郎は勢いよく立ちあがる。
大分時間が経ったからか、表通りには人通りが少なくなってきていた。

(…行くぞ)

心の中で、自分自身に声をかける。
そんな自分の情けなさが嫌になる。


自分のこれが、治る日は来るのだろうか。
文次郎は、足を踏み出しながら考えた。
両親や兄弟、友人達は色々と気を使ってくれている。
一部の悪友に関しては、気を使うというよりは面白がっている傾向の方が強いが。
それでも、さりげない気遣いが有難くもあり、情けなくもある。


異性に嫌われるよう努め、避けるしか手のない現在。
しかし、それでいいはずがない。
文次郎にも夢はある。やりたいことがある。
この世界のおよそ半分は異性だ。
そんな世界でこれから数十年、文次郎は生きていく予定なのだ。
その為には、いつか克服しなければいけない。



脇道から出た文次郎の向かい側の道路を、カップルらしき男女の学生が学校へ向かって歩いて行く。

―いつか、自分も。

今は、こうやって道路の反対側からみているだけで、無意識に身構え、身体が固まってしまうが。
いつかは文次郎も、あのカップルや、友人達のように
異性も同性も関係なく、誰かに気兼ねなく話し、触れ、心を許し許され。
そして、特別に想い合えるようになるだろうか。








(…想像出来ん)

文次郎は、頭の中にそんな自分と、自分の隣にいるかもしれない相手の姿を思い描こうとして、結局直ぐにそれを断念した。
寧ろ、寒気がした。


文次郎は恐怖症を克服したいとは思っている。
しかし、異性を好きになりたいとは思っていないし、その必要も感じていない。

幼少期から全力で異性を避け続けてきた文次郎は、今まで誰かに、友情以上の情を持ったことがないのだ。
そんな関係、感情は、文次郎にとって全くの未知の世界であり、想像は難しかった。




(…いい加減、行かんと不味いな)

携帯の液晶で時間を確認し、文次郎は学校へと向かって歩き出した
その時。


「きゃあぁぁ!退いて退いてぇ!!」

背後から悲鳴が迫って来た。
鬼気迫るその声に文次郎が振り返ると、こちらに向かって物凄い勢いで突っ込んでくる自転車が目に入る。


「!!」


緩やかな坂になっている道を、何故かブレーキも駆けずに爆走してくるその自転車。
このまま進めば、確実に文次郎と衝突する。
咄嗟に避けようと文次郎が横にずれる。
その自転車の運転手も文次郎を避けようとしたのか、文次郎の動いた方とは逆にハンドルをきった。
しかし、あまりのスピードにハンドルを操り損ねたのか、自転車は横に大きく進路を変えた。
今度の進行方向のその先には、アスファルトに突き立つ、電柱があった。



(何やってんだ!)

そう思った時には、文次郎は手を伸ばしていた。
すれ違う瞬間、自転車の運転手の腕らしきものを咄嗟に掴み、力一杯にひく。
自転車からむりやり引き剥がした運転手は体制を崩して文次郎の方へと倒れ込んでくる。
自分の身体でそれを受け止めた文次郎は、勢いまでは受け止めきれず、運転手の下敷きになって道路に倒れた。


一瞬後、操縦者のいなくなった自転車が電柱へと衝突する。
硬い物が割れ砕けるような甲高い音が響き、ガチャンッと自転車がアスファルトに倒れる。
カラカラと、宙に浮いた前輪が空まわる。


(危なかった…)

人が乗ったままだったら、その光景がどのように変化していたか。
想像し青褪めた文次郎は、安堵の息をついた。



「うっ…」

道路に横たわる文次郎の上に重なって倒れた運転手が身じろぐ。

大丈夫か。危ねぇだろうが。
そう声をかけようと運転手を見上げた文次郎の顔から



血の気が引いた。












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