なく児と百千鳥の唄 百千鳥の唄 中編 | ナノ

なく児と百千鳥の唄 百千鳥の唄 中編










「まあ、落ち着け」

きつく握り締められた食満の拳に、ひやりと冷たい指が重ねられる。




「…仙蔵」

いつの間に傍に来ていたのか。それは、食満の背後に回った仙蔵の手であった。

食満が肩越しに振り返り、仙蔵を見遣る。
その眼を見て、仙蔵がふと表情を緩める。緩やかに微笑んだようにも見えるその表情。食満の拳に重ねられた仙蔵の手が、促すようにそこを軽く叩いた。


「落ち着け」

もう一度、仙蔵が言う。


「…ああ」

食満が、声を潜めて応える。握り締められた掌が、ゆるりと開いていく。
指の間から覗いた宝玉は無事であった。そのまま開かれた食満の掌から、宝玉が滑り落ちる。連なる赤い紐に引かれ、かちゃりと小さな音を立ててそれが文次郎の胸の上に落ちた。



仙蔵からも、文次郎からも顔を伏せて食満が立ち上がる。
その際に、食満に駆け寄る際に文次郎が脇に置いた、平太の本体の人形を掬い上げる。

「…どうなった?」

「上手くいったぞ」

文次郎には理解出来ない会話を、二人は成立させている。
仙蔵の答えを聞いて、食満が小さく息を吐いた。強張っていた食満の身体から僅かに力が抜けたのを見て、仙蔵が労うようにしてその肩を叩く。

「お前のおかげだ。助かった」

食満が仙蔵の横を抜けて歩き出す。
その先から、平太をおぶった作兵衛が駆けて来る。



唐突に開放された文次郎も、遅れて地面から身を起こす。
作兵衛と平太の方へと向かっていく食満の背を文次郎が視線で追っても、食満は振り返ろうともしない。まるで、文次郎を拒絶するかのようなその背中は、今日の昼間に食満が見せたものと同じだった。ひどく腹を立てている。けれどただ怒っているだけではない、何かを感じさせるその背中。

文次郎には、やはりその何かの部分が分からなかった。
食満が何を思っているのか。自分の何が食満の心に作用し、そして先程の行動に繋がったのか。


というか、分かるはずがない。先の食満の行為は、自殺行為だ。
この首飾りを壊すなど、自分で自分の魂を傷つけると同義だ。
首飾りから開放された魂が、元通り食満の元へと戻るのならば良い。けれど、もしもそれと共に消滅でもしてしまえば。

思い巡らせて、カッと文次郎の頭に血が昇る。思わず衝動のままに立ち上がり、追いかけようとする。それを、仙蔵が前に立って引き止めた。


「…おい」

「お前も落ち着け」

強烈に睨み付けてくる文次郎に対して、仙蔵は冷静に諭すような態度を崩さない。
文次郎の高揚した感情にも引き摺られない仙蔵の冷然とした瞳は、強制的に相手にもそれを促すだけの力がある。
気勢をそがれ踏みとどまった文次郎の、その肩口の傷を仙蔵が見て、呆れたように息を吐いた。


「…先ずは手当てだ。説明は後でしてやる」









文次郎を地面に座らせ、手際よく着物を脱がせた仙蔵は、肩口とその他の細かい傷の具合を確認し始める。
仙蔵の応急的な手当てを受けながら、視線だけを離れた位置の食満へと向ければ、あちらはあちらで、大層慌てた様子の作兵衛に懇願され、治療を受けている最中のようだった。
文次郎と同様に地面に座らせられた食満の腕の中には、作兵衛から受け取った平太と人形がある。平太を横抱きに膝の上に抱えた食満の顔は、髪に隠れて文次郎のいる位置からは伺うことが出来なかった。



「『傷つけるな』と言っただろうが」

食満へと意識を向ける文次郎の手当てを続けながら、仙蔵が言う。
先程よりも少し砕けたその口調は、若干の不機嫌さを滲ませていた。

言い訳も、謝罪も口に出来ず、文次郎が黙り込む。
その反応を見て、仙蔵がぺしりと文次郎の頭を叩いた。

「…何すんだ」

痛くはないが、理不尽な攻撃。
それに不満を持って口を開けば、ほとほと呆れ果てた、と言わんばかりの表情で仙蔵が言い返す。

「阿呆。やはり分かっておらんのだな。私が言ったのは、留三郎のことだけではないぞ」

「は?」

意味が分からない、そう表情で示した文次郎に、仙蔵が続けて言う。


「私は、私の『友』を傷つけるなと言ったのだ。留三郎もお前も。どちらがより上かなどない。より大事かなどない。どちらも等しく、私にとって唯一無二の友であり宝だ。
それなのに、二人揃ってこんなボロ雑巾のようになりおって…。私が何より嫌いなのは、私のモノに許可なく傷をつけられることだと、忘れたのかお前は」

淀みない手つきで手当てを施しながら、仙蔵が言い放つ。


「…お前な」

文次郎は、手当ての為に片腕を取られながらも、がくりと項垂れた。その頬は僅かに赤い。
聞いているこちらがむず痒くなるような気恥ずかしい台詞を、さらりと仙蔵は口にする。


「私の周囲には、捻くれ者の天邪鬼しかおらんのでな。私くらいは己に正直であることの、何が悪い」

文次郎の様子から、その心情を察した仙蔵がふんと鼻を鳴らす。
正直なのは別に悪いことではない。寧ろ美徳とも言える。
けれど、仙蔵のそれは普段から全開過ぎるような気がしないでもない。
それでも、何か文句でもあるのかと言い捨てた後に堂々と胸を張られてしまえば、文次郎は何も言い返すことが出来なかった。





文次郎の手当てを終えた仙蔵が立ち上がる。
所々が裂け血の染み込んだ着物を、それでもないよりはマシかと文次郎が着なおす。


「私は、お前がいくら危険な目に合っていたとしても、庇いなどしないぞ」

それを見下ろしていた仙蔵が、唐突に口を開く。
先の会話の続きなのかと一瞬思うが、仙蔵の口調は先程とはがらりと変わり、淡々と問い質すようなものであった。

「お前も、私に庇われたくなどないだろう?」

文次郎は見下ろしてくる仙蔵の瞳を見返した。


「…当然だ」

仙蔵は文次郎にとって、幼馴染であり、友であり、そしてそれ以上に同じ狐妖として競い合うべき相手だ。
もしも自分が危機に晒されたとしても、救いの手など伸ばされたくはない。
その手を取ることは許されない。他の誰でもなく、文次郎自身が許さない。
例え腕の一本や二本失ったとしても、自力で窮地を脱してみせる。
驕りでも過信でもなく、それは仙蔵と仲間として対等な位置にいる為の、文次郎なりの意地であった。
その想いは、仙蔵とて同じ筈だ。


文次郎の答えを受けて、仙蔵が言葉を繋げる。

「私は強い。自分の身くらいは自分で守れる。お前もそうだろう。そうだと私は信じている。これは、私からお前に対する信頼だ」

仙蔵の視線が、ついと、離れて治療を受ける食満へと向かう。

「留三郎もそうだ。あいつは妖ではないが、脆く、揺れ動きやすく見えて案外頑丈だ。身も心もな。私に守られねばならぬ程弱くはない。だから私は留三郎のことも庇わない。これも、私からあいつへの信頼だ」

ゆるりと笑みを浮かべ、そう言った仙蔵が再び文次郎へと向き直る。
その瞳は、先程までの笑みもいつものふざけた調子もなく、痛いほどに真剣だった。



「お前は、留三郎を信じてはいないのか?」

仙蔵が問う。
先程の、文次郎の行動を指して。
その結果、文次郎が招いた自身の負傷と、危機を指して。


「…そうじゃない」

「けれど、同じことだ。助け合うことと、一方的に庇うことは違う。お前は、あいつのことを格下に見ている」

「違う!」

その言葉で激昂した文次郎が仙蔵へと詰め寄る。
襟元を掴みあげる。冷えた瞳をした仙蔵は、振り払うこともなく文次郎を見返した。

違う。それだけは違うのだと、文次郎は断言できた。
仙蔵が言う、食満の強さと脆さ。
そのどちらがより勝るのかなど、誰よりも近くで食満を見、誰よりも多く拳を交えて張り合ってきた文次郎ほど知り尽くした者はいない。
信頼がないなど、格下に見ているなど。そんなことはありえない。
文次郎が食満を庇うのは。考える間もなく身体が動いてしまうのは。
そんな理由からでは、決してないのだ。


「…ならば、何だ」

額が擦れ合う程に至近距離でにらみ付けられ、このまま頭突きでもされては堪らないと、仙蔵がついと顔を逸らす。その問いに、文次郎は再び気勢をそがれぐうと言葉を飲み込む。

「違う違うと言うばかりで、何が伝わる」

襟元を掴む文次郎の手を外し、語気を緩めて仙蔵が言う。
問い質すようだった口調が、諭すようなものへと変わっていた。

「形にせずとも伝わることなど、この世には極僅かしかない。身体の傷など、命落とさぬ限りいくらでも癒やせる。それよりも優先して尊重すべき、守るべきものがあるだろう」

「…分かっている」

仙蔵の言いたいことは、理解出来る。
けれど、それでも文次郎の身体は勝手に動き、その反動と言わんばかりに口は閉ざされる。
本当に伝えるべき適切な言葉を見つける暇もなく、時間は流れていく。
そうして二人は、いつまでも同じことを繰り返す。



「…全く、お前達は、互いに傷つけ合うことばかり上手くなってどうする。留三郎にも言ってやりたいところだが、あいつを叱るのは伊作の担当だ」

そんな二人を傍で見続ける幼馴染達の心情を代表するかのように、仙蔵は深く深く、溜息をついた。









「…どうか、したんでしょうか?」


あちらの方から漏れ聞こえてくる仙蔵と文次郎の声に、食満の手当てをする作兵衛が声を潜めて言う。何を話しているのかは聞き取れないが、体勢と声の勢いから、何やら言い合いになっているように見える。

戸惑うような作兵衛の問いに、食満もちらりと視線を向けた。
仙蔵に掴みかかり、詰め寄る文次郎。
食満は、二人が己のことを話していることは知らない。
只、文次郎が自分に対してはぶつけようとしなかった感情を、仙蔵に、他の誰かにぶつけているということが気に入らなかった。

気にしなくていい、と作兵衛に返して顔を逸らす。
言い聞かせるようなその言葉は、寧ろ自分自身に向けたものでもあった。



焼け爛れた右手に持参していた包帯を巻いて手当てしてくれた作兵衛に礼を言い、食満は腕に抱えた平太の様子を見た。

眠るように、というよりは、死んだようにと表した方が、もう近いのかもしれない。
精気の戻らない青白い顔で目を閉じる平太の胸の上には、野狐から取り戻した人形が乗っていた。顔の半分が崩れ、身にまとう衣装の大部分がボロボロに溶けてしまっている人形は、それでもあの酸の塊のような野狐の身体の中に囚われていたとは思えないほど、十分に形を保っていた。
野狐が吸い取り損ねた力が内から守ったのか、それとも食満たちへの切り札として人形をとっておこうとした野狐の理性が残っていたのか。

食満は、その人形の崩れた着物の前合わせ部分にそっと指を入れる。
作兵衛が驚き止めようとしたが、食満の真剣な眼差しに思わず口を噤む。
食満の腕の中で横たわる平太は、変わらず力なく目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。

ぱりぱりと剥がれ崩れてしまいそうになる布地を慎重に指で除け、胴体部分へと触れる。
そこから更に、野狐が外へと出る際に空けた布地の穴の中へと指を入れる。
なるべく穴を広げぬようにと、慎重に大鋸屑の詰まった胴体の中を探る。

そこに、手当てを終えた文次郎と仙蔵もやってくる。
人形の腹に手を入れる食満を見て、文次郎が声を上げようとする。
それを仙蔵が制する。何故と、そう視線で訴えてくる文次郎に、仙蔵は明後日の方向を指差してみせた。

「説明してやると言っただろう。平太は留三郎に任せろ。私達はこちらだ」





集中して人形の中を調べる食満とそれに付き添う作兵衛を置いて、仙蔵が文次郎を導いたのは、先程食満と野狐が飛び降りた屋根の、丁度真下にあたる地点だった。


「…これは?」

そこに、一体の人形が倒れていた。
文次郎が飛び降りた時には、食満の姿ばかりを探していたせいか闇に紛れて気付かなかった。
見覚えのある色鮮やかな着物を着込んだそれは、野狐が最初に姿を現した子供部屋で、平太の本体と共に並べられていた女児型の人形の一体だった。
しかし、その人形が何故ここに?
訝しげに人形を見下ろす文次郎をおいて、仙蔵がひょいと身を屈め人形を掴みあげた。

「野狐は、この中だ」

人形の背についた土砂を払ってやりながら、さらりと仙蔵が口にする。

「封じられたのか!?」

あれ程に荒れ狂っていたものを、と文次郎が目を剥く。
改めて仙蔵の手の中の人形を凝視し、その内部に意識を向けてみれば、確かに何かがいる気配は感じられた。
けれど、一見しただけでは分からないほどに、その封は完璧だった。

一体どうやって。時間も術具もなかったはずなのに。
そんな文次郎の顔を見て、仙蔵はまるで悪戯を成功させた童のような笑みを浮かべた。





「…あった」

それとほぼ同時に、食満の声が届く。

二人が駆け戻れば、食満は人形の腹からゆっくりと指を引き出すところであった。
慎重に、食満が手を引く。ぱらぱらと、人形の胴に空いた穴の隙間から大鋸屑が少量零れ落ちた。


皆が見守る中、食満の指に挟まれ人形の腹から出てきたのは、小さく折り畳まれた、古ぼけた紙だった。



「…それは?」

食満の傍で、共にそれを覗き込んでいた作兵衛が問う。
文次郎も、傍に膝をつき覗き込む。
手元の人形に意識を集中していた食満は文次郎の接近に今気付いたように、ぴくりと一瞬肩を揺らすと、ふいと顔を逸らしてしまった。
眉を寄せる文次郎を無視し、作兵衛に向かって食満は答える。




「これが…本当の、平太の本体だ」









あとがき
短めですが、ここで区切り。
このお話は、基本的に文次郎さんと食満先輩の成り行きを見守る形で進んでいくので、仙蔵様や周りの方々が、とても出来た人のように見えるかもしれません。
多数の人の心情を交えた、複雑な展開のお話つくりというものにも憧れますが…
素人の管理人には、たった二人の心の動きを追うことだけで一杯一杯です。



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