なく児と百千鳥の唄 黒狐 | ナノ

なく児と百千鳥の唄 黒狐










「勘弁して下さいよ!」

作兵衛の泣きの入った叫びが響く。




「いやぁ、お前の反応はいつまで経っても初々しく、新鮮だな。とても私好みだ。それでこそ脅かしがいもあるというものだ」

「…だからってな、作を泣かすな。今回はやり過ぎだ」

嬉々とした笑みを浮かべて歩み寄ってくる仙蔵に対して、食満は作兵衛を自分の背に隠すように前に立った。




「もう、登場の度に毎度毎度毎度毎度!いい加減にして下さい!!」

普段は常に目上の者への敬意を忘れない作兵衛だが、今は恐らく、本気で仙蔵に抗議している。尊敬する先輩である食満の前で、みっともなく動揺し、涙目で悲鳴をあげる姿を見られてしまったのだから、それもしょうがないのだろう。



狐妖である仙蔵は今回のように二人の前に現れる度に、あの手この手を使って化かしてくる。そしてそれがまた、悪戯にしては異常なほど手が込んでいる。若い狐妖の中でも指折りの実力者であるというのに、その力を無駄に消費している。
仙蔵との付き合いの長い食満は、すぐにその気配や手口を察することが出来るが、仙蔵と出会ってからまだ間もない作兵衛には、いつどんな風に化かされるのか全く分からない。

そもそも作兵衛は、ごく普通の人の子である。
只一点、普通の人の子には見えない筈の、『この世の影で生きる様々なモノ達』が見えてしまう、という点を除いては。

それに気付いた幼い頃から、今までの人生の中で。その力のせいで恐ろしい目にあったこともあった。悲しい経験もした。
だから、こういった現象には、無意識に心が過剰反応をしてしまうのだった。




「すまん、すまん。だが、これは私にとっての愛情表現なのだぞ。お前は私の愛情に対して、いつもいつも期待以上のものを返してくれる。ならば、私もそれ以上の愛情を持って接しなければお前に失礼というものだ」

一方の仙蔵は、けろりとこう返す。
これくらいの抗議で仙蔵の悪戯心が抑えられるのならば、食満を含めた仙蔵の幼馴染達が、とっくの昔に止めさせているだろう。

救いであるのは、仙蔵は自分のことをよく知るものにしかそういった悪戯をしかけないこと。必ず頃合いを見て術を解くこと。危害を与えるようなことはしないこと、であろうか。
やはりこれは仙蔵の言うとおり、仙蔵なりの一種の愛情表現ではあるのだ。
はた迷惑な表現方法ではあるが。




「いっそのこと、お前も我が立花家の一員にならんか。うちの連中は最近皆スレてしまってな。もう碌に反応すらせんようになって、実につまらんのだ。そうすればわざわざこちらに来ずとも済む。うむ、それがいい」

「どこがいいんですか!」

その容姿も相俟ってか、何処か芝居がかったように聞こえる仙蔵の言葉は、何処までが本気で何処からが冗談なのか、非常に読みにくい。
食満から見るに、今の言葉は4割程冗談で、6割は本気で提案している。
食満の背に隠れている作兵衛は、その提案の恐ろしさに鳥肌を立てて抗議する。毎日毎日、仙蔵の悪戯に巻き込まれる様子を想像してしまったのだろう。スレて仙蔵の悪戯に反応しなくなってしまったという立花家の者たちの気持ちもよく分かるというものだ。




「もちろんその際には食満、お前も喜んで立花家に迎え入れよう」

妖艶な笑みを浮かべた仙蔵は、食満の顎に指を添え、顔を寄せる。


「私は何処ぞの甲斐性なしの鍛錬馬鹿とは違うぞ。立花家に迎え入れたものは、全て私の嫁だ。責任を持って養おう。お前も誰の影響か知らんが、近頃はつまらん反応ばかりだが大丈夫だ。私直々に教育し直して、昔のあの愛らしく、素直で遊びがいのあったお前に戻してやろう」

まるで睦言を囁くかのような甘い口調だが、その内容は酷いことこの上ない。
食満は、顎から頬へと移動してきた仙蔵の白い手を、呆れたように払いのけた。


「しんべヱ、喜三太も一緒でいいのなら喜んで行こう」

「この話はなかったことにしよう」


仙蔵に対しての魔法の言葉、食満の可愛い後輩達の名前を出す。
その名前を聞いた瞬間、仙蔵が食満から距離を取る。心なしか顔も青褪めている。
失礼な反応だと、食満は思う。あんなに可愛い子供達に懐かれているというのに、あの二人を苦手としている仙蔵は嬉しくないらしい。仙蔵の悪ふざけを中断させるよい抑止剤になるが、その反応は少々腹が立つ。








「で、今日は何の用だ?」

溜息一つと共に気持ちを切り替え、食満がこの場を仕切り直す。漸く落ち着いてきた作兵衛も、食満の隣に並び仙蔵を見上げる。


「初めに言っただろう。暇そうなお前達に仕事を持ってきてやったのだ」

「仕事?」

確かに作兵衛を脅かしたあの術の中で、老人の妖が何度か言っていた。『主からの大切なお仕事』と。




「なに、そう難しいものではない。ちょっとした捜し物だ」

「何をだ」

「里の老人達からの頼まれものなのだがな。少々特殊な事情により、我々狐妖だけではそれを見つけにくい」

捜し物の具体名を聞いた食満に対して、仙蔵はあくまで詳細な事情は話さない。依頼を受けなければ教えることは出来ない、そういうことであろうか。

食満は、少し考え込む。




「…俺の本業は修理屋なんだがな。失せ物捜しは得意じゃない」

「これは、富松作兵衛に依頼したい」

「作兵衛に?」

「お、俺ですか!?」

食満と仙蔵の間で交わされるやり取りを聞いていた作兵衛は、突然出てきた自分の名前に驚いた。



「無理です!そんな、妖にも見つけられないものを、俺がなんて!」

「お前は、化かされた時の反応の初々しさもそうだが、私が今まで会って来た人間の中ではずば抜けて感覚が鋭く、目も良い。自分の周囲の中に紛れ込む異物への防衛本能とでも言おうか。ならば、失せ物捜しもきっと得意なはずだ」

全力で否を示した作兵衛に仙蔵が笑みを向ける。先程までのからかうような笑みではなく、我が子を見つめる母のような、穏やかな笑みだ。
食満から見れば、何とかしてその気にさせて丸めこもうとしている笑みのようにも見えるが、仙蔵からの慣れない笑みと賛辞の言葉に、作兵衛は思わず頬を染めて照れてしまう。



しかし、食満からしても、仙蔵の人選には納得がいった。
失せ物捜しならば作兵衛はかなりの適任だろう。
人ならざるものを、異質なものを感知する能力ならば、作兵衛は食満より上だった。


「作兵衛、どうする?」

食満は、作兵衛の意志を尊重する。どうすべきか考えあぐねている作兵衛に、嫌なら断れと、その目で伝える。

「もちろん、私が共に同行し作兵衛には万が一にも危害が及ばないよう目を配ろう」

仙蔵が続けて告げる。
仙蔵は、約束を決して違えない。食満の周囲の者にも危害を加えない。それに関しては、絶対の信頼がある。


「作兵衛」

「…受けます!」

促すように食満に名を呼ばれ、意を決した作兵衛が声をあげる。
真っ直ぐに、意志を固めた目で食満を見上げる。



「…よし」

食満は、そんな作兵衛に目を細めて笑い返す。くしゃくしゃと、胸の辺りの高さにある作兵衛の頭を撫でた。その仕草は、まるで父親のようだ。





「…でも、やっぱり俺も付いて行こうか?」

「相変わらず過保護な奴だ。私がついているから大丈夫だと言うのに」

「大丈夫です!でも、道中さっきみたいな悪戯は勘弁して下さい」

「善処しよう」

「…念の為、しんべヱだけでも一緒につけてやろうか」

「一切しないと誓おう」










「じゃあ、仙蔵、作兵衛を頼んだぞ」

「待て、お前にも別で依頼がある。修理の依頼だ」

「修理?」

話は終わったものと思い、出発する二人を見送る体制に入っていた食満に、仙蔵から待ったがかかる。


「そうだ。そもそもそれが使えなくなったせいで、今回作兵衛の力を借りざるをえなくなってしまったのだ。全く、私だけでなくお前や作兵衛の手まで煩わせるとは…甲斐性がないだけでなく、空気も読めん」

「…その修理品ってのはどこだ?」

やれやれと大げさに首を振って呆れたような格好を取る仙蔵の言葉から、薄らと嫌な予感を感じながら食満が問う。
途端、仙蔵が今日一番の笑みを浮かべて、空を指差した。食満も、つられて上を見上げる。仙蔵の空を指差した指が小さく円を描くように動いた。




すると、何もなかったはずの空中に、何かが現れた。
現れた一瞬だけ空中で停止したそれは、すぐさま重力に従って落下してきた。
落下予想地点は、丁度食満の頭上。目前に迫って落下してくるそれを、食満は一瞬でなんであるかを理解した。
苦虫を数十匹程一気に噛み潰したような表情を浮かべた食満は、その場からスッと退く。脇に避けた食満のすぐそばに、それなりの勢いをつけて、その何かが落ちてきた。

着地に失敗したらしいそれは、声もなく地面に叩きつけられる。

その衝撃に、作兵衛は肩を跳ねさせて驚き、食満は舞い上がった土埃に眉を顰め更に距離を取り、仙蔵は至極満足そうにそれを見ていた。



「仙蔵、悪いが俺にはこれは修理出来ない」

土煙の中にうつ伏せで倒れるものを見て、食満が仙蔵に言う。

「そう言わずに診てやってくれ。最近は私の調教も効き目が薄くなってきてな。偶には懐かしい刺激も必要だろう」

「断る。俺は今も昔も、そういった特殊な嗜好に目覚めたことはない」

「幼い頃のお前たちはあんなに仲睦まじくじゃれ合っていたというのに?」

「今すぐ記憶から消せ!というかじゃれ合ってない!とにかく引き取ってくれ。馬鹿は死ぬまで治らない!」






「…お前ら、何を勝手なことを喋ってやがる」


地面の上で潰れていたものが唸る。
絞り出すような低い声で、自分の頭上で交わされていた仙蔵と食満のやり取りに割り込んだ。


「おい、故障中のくせに喋るんじゃねえよ。まあ、修理なんかしてやらんが」

食満が冷たく見下ろす。

「全く、あれ位の高さから着地すら満足に出来んとは。同じ狐妖として情けないぞ。何のための日々の鍛錬だ」

仙蔵がため息をつく。




「バカタレ!両手足を縛られたままでどうやって着地しろと言うんだ!」


二人のあまりの言い草に、怒号に近い抗議があがる。


今にも二人に噛みつかんばかりの勢いで、地面の上でもがき唸っているのは、大きな狐だった。
頭胴長は三尺程、尾までを含めれば五尺程。
先程の術の中で見せた仙蔵の本体が、狐らしい、細くしなやかな身体であったのに対して、その狐の身体は狼に近いように見える。
苛立ちを示すかのように地面にバタバタと叩きつけられる尾は、全部で四本。
鋭く細い両眼の下には、隈のように赤い縁取りの化粧が施され、首には淡く光る様々な石を連ねた首飾りをかけていた。

それらから、これが普通の狐ではなく、何らかの妖力を持つ狐妖であることが分かる。
何より、その毛並みは烏の尾羽のような漆黒だ。古来からこの国に住みつく動物としての狐には、あり得ない色である。


その黒狐の両足は前後で揃えて縛られていた。
確かに、これでは着地どころかまともに立ち上がることすら出来ないだろう。



「誰のせいでそうなったと思っている?」

「お前だろうが仙蔵!!」

黒狐の批難の言葉に仙蔵は、形の整った眉をぴくりと動かした。
そして、もがき続ける黒狐に歩み寄る。

足を縛る紐を解いてやるのかと思えば、その首根っこを鷲掴み、遠慮なしに持ち上げた。これほど大きな狐であれば重さもそれなりであるだろうが、片手で毬でも拾い上げるような軽々しい仕草であった。



「私のせいだと?」

仙蔵が、自分の顔と同じ位置まで吊るしあげた黒狐に言う。
その仙蔵の顔を見て、黒狐と、その影から仙蔵の顔を覗き見た食満、作兵衛の動きが止まる。


「文次郎、もう一度言ってみろ。これが私のせいだというのか?」

仙蔵の顔は笑顔だ。今日見せた笑顔の中で一番美しい。しかし一番恐ろしい笑顔だった。


「どうしてこうなった?誰のせいで私は食満達に協力を乞いに来た?勝手に暴走して突っ走るのは誰だ?それを毎度毎度補助してやっているのは誰だ?こいつ等の手は借りないと駄々を捏ねるお前を縛って吊るして頭を冷やさせてやったというのに、まだ分からないのか?」

仙蔵のあまりにも恐ろしい笑顔。そして言葉責め。
文次郎と呼ばれた黒狐は何か反論をしたいのか、しかし何も言い返すことが出来ないのか、口を開閉するのみだ。



二人の力関係をはっきりと表わす目の前の光景に、先程は仙蔵と一緒になって冷たくあたっていた食満も、僅かに同情心が湧いてきた。


「食満」

ぐうの音も出なくなった文次郎の様子を見て、仙蔵が食満を呼ぶ。
なんだと返事をする間もなく、ぶんっと文次郎の黒く大きな身体が投げて寄越される。


「「!?」」

先程は避けた食満だが、今回は咄嗟に受け止める。
両手で受け止めた文次郎の身体は見た目通りにずしりと重く、勢いで尻もちを付き、ついでに内臓も圧迫されて呻きが漏れる。

作兵衛が慌てて駆け寄り引き起こそうとしてくれるが、文次郎を腹の上に乗せたままではそれも儘ならない。
仙蔵が文次郎の両足を縛る紐を指差し、また小さく円を描いた。すると、きつく縛られていた紐がするりと解けて消える。
消えると同時に、文次郎は飛び上がって食満の上から退いた。



「手前…」

食満の腹を足場にして飛び退いた文次郎に、食満が青筋を立てる。


「これ位持ちこたえられんとは、鍛錬が足りんのだ、バカモノ」

「うるせぇ!鍛錬馬鹿が!お前が図体でけぇ上に筋肉ばっかで重いのが悪いんだ!その無駄に分厚い毛皮剥ぎ取って軽くしてやろうか!」

先程一瞬でも憐れに感じて受け止めてしまった自分が馬鹿だったと、食満は後悔する。ツンとすまして顔を背ける文次郎が憎々しい。






「さて、無駄な時間を使った。そろそろ行こうか」

睨みあう文次郎と食満をさておき、涼しい顔で仙蔵が告げる。


「うわっ!」

「作兵衛!」


今にも文次郎と取っ組み合いを始めそうな食満を必死に宥めていた作兵衛は、気がつけば仙蔵の脇に抱えられて屋根の上にいた。



「それでは作兵衛を借り受けていくぞ。約束は守る。用が済めば、お前のところまで送り届けよう。食満、そいつは今妖力を粗方使い尽くしていてな。大した能力も使えはしないが、まぁ、番犬位にはなるだろう。回復するまで傍に置いて、まぁ癒してやってくれ。なあに、接吻の一つでもしてやれば一気に力を取り戻すだろう」

「「誰がやるか!!」」


仙蔵の言葉に、食満と文次郎が声を揃えて怒鳴り返す。

二人の息のあった怒声に、仙蔵はくすりと笑い



「ではな」


風に乗って、瞬く間に去っていった。









あとがき
ようやく文次郎さん登場。(人型ですらなく酷い扱いですが…)
仙蔵様と作兵衛がお話の大半を占領してますが、次からは食満先輩と文次郎さんの二人がメインになる(はず)ので。
このお話での仙蔵様は、こんな性格です。




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