小説 | ナノ




大学生時代の二人。
食満先輩への気持ちをとっくに自覚済みの文次郎さんと、それに気付く余裕も無く大学生活にいっぱいいっぱいな食満先輩の、もだもだ小話。

食←文です。








「飲むぞ」

と、突然に。
ビニール袋一杯に詰め込まれた酒を手土産に食満がやってきたのは、ある休日の真昼間だった。










まだ日も高い休日の昼間。
日差しの差し込む窓はカーテンで締め切り、低めに設定したエアコンの起動音が微かに響く。


「…」

甘ったるい味が舌に残るアルコール度数の低い缶チューハイをちびちびと煽りながら、部屋に唯一のソファーに腰掛けた文次郎は先程からずっと、食満の旋毛を見下ろしていた。

その手元にある缶を煽るたびに、小さく前後へと揺れる食満の頭髪。
適当な長さで切り揃えられて黒々として艶のあるそれは、きっと指を通せば柔らかく手触りがよいのだろうと。思い浮かべると共に無意識に手を伸ばしたくなる衝動を、先程から何度も堪えている。



「…飲み終わったのか?」

そんな文次郎の視線を感じ取ったのか、食満が振り仰ぎ、文次郎を見上げてくる。
適度にペースを抑え、意図的にアルコール度数の低い酒を選び飲んでいる文次郎とは違い、対して酒に強くもないのに手当たり次第に目に留まる缶に手を付け飲み干し続けている食満の顔は、真っ赤だった。
おまけに気の抜けた風に目尻を下げて、双眸には普段の四割増しの水分を含んで。
そんな状態で文次郎の足元へと背を預け無防備に項をさらし、こちらを見上げてくる。
こいつにそんな気はないのだと頭では分かってはいても、これは何かの試練なのかと文次郎は葛藤せざるを得ない。


その心中の動揺を食満との長い付き合いの間で自然と磨き上げられてきた鋼の忍耐力で隠し通し、素知らぬ体で振り仰ぐ食満の視線を見返してやれば、顔の赤さとは反対に真白い食満の手が文次郎の方へと返される。
求めに応じて最後に一口ぐいと煽って空にした缶をそこに握らせれば、無数の空き缶と中身の入った缶とが混在する机の上へとそれを戻した食満が「次は?」と訊ねてくる。
食満には悟られぬよう、今度もなるべくアルコール度数の低そうなラベルの缶を選び指差せば、食満が代わりにそれに手を伸ばす。
途中伸ばした手が空き缶を幾つか押し退け倒したが、緩慢な動作で取った酒を文次郎へと手渡し再び自分の手持ちの酒を煽り始めた食満には、それらを元に戻そうという気はないようだった。



「…ちゃんと飲めよ」

ぽりぽりと、酒と共に買い込んできたつまみの菓子を咀嚼しながら、食満が釘を刺してくる。
返事代わりに文次郎は、室温に晒され表面に無数の水滴の浮いた缶のタブに指を掛け、カシュリと音を立てて開けてやった。








今から数時間前。
事前の連絡も無しに突如文次郎のアパートを訪問した食満は、扉が開くと同時に家主である文次郎を押し退けずかずかと室内へと入り込んだ。
慌てて後を追いリビングへと向かうと、何故か部屋の中が暗かった。カーテンが締め切られていたのだ。
手探りで灯りをつけた時には、食満は既に持参した酒をリビング中央の机の上にずらりと並べて臨戦態勢に入っており

「飲むぞ」
と、再びそう言って、一つ目の缶へと手を付けた。

腰どころか目つきまですっかりと据わりきっている食満の様子から、これは抵抗するだけ無駄かと悟った文次郎は、机を挟んで食満の正面へと腰を下ろそうとした。
けれど寸前で「そこじゃない」と食満に制される。
怪訝に見遣れば、「ここに座れ」と、食満は自分が背を預けるソファーをバンバンと叩いて示した。
指示に従いそちらに周り込みソファーに腰掛け、床の上に直に座る食満をそこでは座りづらいだろうとソファーの空いたスペースへと引き上げようとすれば、自分はここでいいのだと今度はその手を振り払われる。
意図の掴めない相手の行動に、もしや既に酔っ払ってるんじゃないだろうなと多少の煩わしさを感じながら見下ろせば、文次郎の手を振り払った食満は、何を思ったかソファーに腰掛けた文次郎のその足の間へと移動した。
そうして文次郎が驚き硬直している間に、ソファーから引き摺り落とし尻の下に置いたクッションの位置を調整してすっかりとポジションを整えた食満は、文次郎へと適当な酒缶を放って寄越し、一人悠然と本格的な酒盛りを開始してしまったのだった。



そして現在。
食満は、初めに比べれば幾分かペースを落としながらも、それでもまだ新しい酒に手をつけ続けている。
時に先程のように後ろの文次郎を振り仰ぎ、文次郎もちゃんと酒を飲んでいるかを確認し酒の補充をする以外は無言で、只々、まるで酒と共に何かを胸の内へと流し込むかのように食満は飲み続ける。
そんな食満の様子を怪訝に思いながらも、文次郎もまた黙ってそれに付き合っていた。













そろそろか、と。
また暫し時間が経って、文次郎はこそりと取り出した携帯の時計を確認し、頃合を図る。



「おい」

先程までよりもまた随分と酒を口元へと運ぶペースの落ちた食満の、ふらふら揺れる後頭部へと文次郎が声を掛ける。


「……あ?」

随分と長い間を空けて、食満が反応を示した。
今の様子だけでも、食満の耳から脳への信号の伝達に随分なラグが発生し始めているということが分かる。


「これは何だ?こんな真昼間から、何の自棄酒だ」

文次郎の問いに、ぴくりと食満の背が揺れる。





「…分かってんなら聞くなよ」

不貞腐れたような、罰が悪そうなその声。
一体何があってこんな酒盛りを始めたのか、文次郎には大方予想は付いていたが、その返答でほぼ確信出来た。


「…あんなぁ…」

酔いのせいか、何処か舌足らずな調子で食満が口を開く。
何かを話し出そうとして黙り込み、また少し間が空いた。
文次郎は、辛抱強く続く言葉を待った。






「俺、…また振られた」





「…やっぱりな」

そうして漸く食満の口から吐き出された言葉に、溜息混じりに、初めから分かっていたと言わんばかりの調子で文次郎が返す。


「やっぱりって何だよ…」

それが気に入らなかったのか、食満がちらりと振り返り、文次郎を睨みあげてくる。
けれど頬を朱に染め、目尻だけは吊り上げながらも情けなく眉を下げた状態での威嚇など、腹が立つ所か可愛らしいだけ、別の意味での手が出そうになるだけだ。
文次郎は目線を逸らして食満の視線を受け流し、手に持った缶の残りを煽った。


「今までの例から言って、そろそろ峠じゃないのかと思ってただけだ」

「…なんだ峠って。俺は重体患者か」

「ある意味そうだろう。で、乗り越えられなかったから今まで通り振られたんだろ。自分でも自覚してるから『また』って付けたんだろうが」

「…」

歯に衣着せずにずばりと言い当てられて、食満は反発心を抑え込むように唇を噛み締める。
その仕草自体が、文次郎の言葉を事実であると食満自身が認めている証拠だった。





せめてもの反発に食満は文次郎から視線を逸らし、拗ねるように立てた自分の膝の上に顔を埋める。

「…いつ振られたんだ」

無防備に晒される白い項をさり気無く視界から外すよう努め、文次郎が問う。


「……今日、今朝」

くぐもった声で食満が答える。随分と出来立てほやほやの傷心だ。


「…今日、出掛ける約束してたんだよ。なのに、朝になったらメール来て『今日の約束、無しにしてくれ』って。『後、もうこれ以上付き合ってもらわなくてもいい』って…」

それを受け取った当時の気分を思い出しているのか、徐々に沈みこんでいくかのような口調で、食満は交際相手から短直に送られてきたメールの内容を話す。


「…」

そして、黙り込む。
ぐすりと微かに、鼻を啜るかのような音が聞こえた。











「あーーー!!もうなんでだよ!!何でいっつも振られるんだよ!!!」

そして、唐突に爆発した。


叫びと共に、食満が飛び起きる。
急なその動きにアルコールの回りきった脚は付いてこれなかったのか、立ち上がった勢いを抑え切れずにぐらりと食満の身体が大きく傾く。
文次郎は咄嗟に腕を掴んでソファーへと食満の身体を引いた。
倒れこむかのような勢いで、文次郎の隣、ソファーの空いたスペースへと食満が着席する。
その衝撃にソファーの足が床と擦れ、ミシリと嫌な音を立てた。


「…分かんねえー。何が悪かったんだよ」

自身の身体にもそれなりの衝撃が伝わっただろうその一連の流れもまるで気にする素振りも無く、だらしなくソファーの背もたれへと凭れ掛かった食満は、そのまま天を仰いだ。
文次郎に掴まれたままの片腕を振り払おうともせず、もう片方の腕で隠すように目元を覆い


「今度こそって、俺頑張ったのに…」

続けて、先程よりもトーンを落としてぽつりと呟くようにそう溢した。



「…」

天井を仰ぐ食満の横顔を眺めていた文次郎は、無言のまま掴んでいた食満の腕を離した。
支えを失った食満の身体はずるずるとソファーの背を滑り、文次郎の腰掛ける方とは逆側の肘掛へと頭を置くような位置まで崩れ落ちる。


「…っ痛ってぇな」

そうしてソファーの反対側へと凭れ掛かった食満は、今度は空いた足で文次郎を蹴り飛ばし始める。力は余り入っておらず痛くはない。けれど煩わしい。


「何すんだ…」

「…何か言えよ」

相変わらずに顔を隠したまま、不貞腐れた、というよりは罰が悪そうに食満が言う。


「何に対して?」

「今さっきの俺の愚痴に対して!!…慰めるとか!!アドバイスするとか!!」

しれっとして聞き返す文次郎に、後半は半ば自棄状態で叫び返す。


「…自分から慰めを要求するとか恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしいわ!!お前がもっと察しの良い奴だったらこんな思いしなくてすんだのにな!!」

口調ははっきりとしながらも、先程からテンションの上がり下がりが極端に激しい食満は明らかな酔っ払いだ。

そりゃあ悪かったなと食満の文句を受け流し、文次郎はソファーを立った。
入れ違いに蹴り出された食満の足は、スカリと空を蹴る。
そのまま、先程の食満とは違う確かな足取りで文次郎はソファーを回り込み、リビングの出入り口へと向かおうとした。


けれど、それを食満が引き止める。
腕を伸ばし、文次郎が着込んだ服の裾を掴む。
加減無しに引かれて眉を顰めて振り返れば、ソファーに凭れ掛かったままの食満もまた、文次郎を睨みつけてきた。
不機嫌そうに顰められながらも何処か頼りの無い、何かを求めているようなその顔。
厚い水膜の張った双眸と視線が合い、文次郎は思わず口を開きかけた。

しかし、それを悟られぬように飲み込み、代わりに溜息を一つ吐いて


「お前が毎回女に振られる理由なんか俺に分かる筈がないだろうが。こうして自棄酒に付き合ってやるだけで満足しろ」

表面上は至極面倒そうに言い捨てる文次郎の口調。


「…彼女いない歴=年齢のがり勉君だもんな。お前は」

それに、食満はわざと煽るように言葉を返す。


「悪いか。興味が無いだけだ。逆に気楽で良い」

けれど、文次郎は見え透いた食満の挑発には乗らない。


「…それでいいのかよ」

文次郎の言葉に、食満は僅かに目蓋を伏せる。


「俺は構わん。無理して作ろうとする方がおかしい」

「…だって伊作が」

「…あ?」

食満の口から久しぶりに耳にする名に、文次郎が反応を示す。


「…何でもない」

食満はそれを誤魔化した。
目線を完全に逸らし、引き止めていた文次郎の服の裾からも、力が抜けて指か滑り落ちる。

その様子に悟られぬように眉をしかめて、文次郎は食満を置いてリビングを出た。










+++



薄手のタオルケットを手に文次郎がリビングへと戻った時、食満は完璧にソファーの上で潰れていた。

歩み寄り、無防備に仰向くその顔を何度か小突く。
むにゃむにゃと何とも聞き取り難い言葉が返ってきただけで、食満は起きなかった。

仕方が無く持ってきたタオルケットを食満の身体の上へと掛けてやる。
だらりとソファーからはみ出た手に握られていた酒の缶を中身が毀れる前に取り、エアコンの風量とスイングを調整する。
そうして先程までは食満が敷いていたクッションに座り、食満が占領するソファーへと背を預ける。



ソファーからはみ出た食満の手が、文次郎の肩に触れそうで触れない、そんな位置でぶらぶらと揺れていた。
その手から取った飲みかけの缶。殆ど中身の残っていないそれを、文次郎はぐいと煽る。

一口程で飲み干し口から離し、手の中で遊ばせながらぼんやりと眺める。
気まぐれにほんの少し力を込めれば、パキンとよく響く音を立てて側面が凹む。

歪な形になった缶を、無数の缶が転がるテーブルの上へと置く。
新しい酒に手をつけようかと少し考え、結局何も取らずに手を引き戻した。

深く溜め込んでいた息を、文次郎はゆっくりと吐き出す。
そうして身体の力を抜き、沈み込むように背をソファーへと預けた。








文次郎の肩先で漂う食満の指先。
そこから続く先の、無防備な食満の寝顔を見上げて

相変わらずの馬鹿だこいつは、と文次郎は心中で詰る。



食満がいつも女に振られる理由。
そんなものは簡単だった。
食満は、無理をして女と付き合っているからだ。

食満の交際が始まるきっかけはいつも同じ。
元々大して意識もしていなかった相手と、告白をされたからと付き合い始める。
そして、相手の気持ちに応えねばと自分も相手の事を好きなのだと思い込もうとする。

『彼氏』としての食満は、相手の望みを叶えて、希望を受け入れ、自分から何かを要求することはなく、自分の意見は押し付けない。
それは一見、『理想の彼氏』の姿として周囲には見えるだろう。

けれどそんなものは只の上っ面だけだと、己を取り巻く人間、特に男の感情の機微にやたらと敏い女達が気付かない筈がない。

本心から食満は自分を好いていない。
傷つけまいと気を遣い、自分を押さえ込んでいるだけ。
そのくせ心の奥底では相手を受け入れることが出来ていないから、真の意味で特別な関係への一歩を踏み込んではこないし、踏み込ませもしない。
そんな関係に、女達が虚しさや苛立ちを感じない筈がない。


だから食満は女に振られる。女がそれに気付き、我慢が出来なくなった時点で。

その理由を食満は自覚していない。
『頑張ったのに』と、先程食満は言った。けれど、『頑張らなければ』続けていくことの出来ない交際などに、続けていく意味はないのだということが、食満には分かっていない。


食満はきっと誰かにに指摘をされるまで、その理由に気付く事はないのだろう。
だから文次郎はそれを訊ねられても先程のように「自分が知るか」としらを切り、口を閉ざし続ける。

それは文次郎の望みの為。文次郎自身の願いの為。

それにも食満は気付かない。
だから馬鹿なんだと、再び文次郎は詰る。








「毎度こうやって酔い潰れるくらいなら、女と付き合うのなんかやめちまえ…」

眠りの中にある食満の耳には届かぬと知っていて、文次郎は呟いた。


これは文次郎の本心だった。
けれどほんの少しの嘘も交じっていた。

文次郎は、食満から新しい交際相手が出来たという報告がある度に
『その交際が上手くいかぬよう』『早く別れが訪れるよう』に願っている。

けれど、その願いの通りに食満と相手との間に別れが訪れた時には
『また同じ事を繰り返せばいい』とも願っていた。

そうすればいつか食満は異性と付き合うということ事態を忌避するようになるのではないか、という思惑があるからだ。




友人という立場でありながらそんな願いを抱くというのは、『最低』だと。
助言を与えられる立場にありながら敢えて黙秘を続け同じ失敗を願うのは、『卑怯』だと。
文次郎の真意をもしも知る者がいたのならそう詰るだろうし、文次郎自身が自覚もしていた。


頭では分かっていた。

今の食満は必死なのだ。
今まで依存してきた伊作という壁を失い、自分自身の力で人間関係を築こうと。
その為に周囲からはみ出まいと、合わせようとして、好意を持ってくれた人間には好意を持って返そうと。そうしなければならないのだと。

食満がそんな行動を取るようになったきっかけを作ったのは、他の誰でもない文次郎だ。
だからこそ、何より、誰よりも文次郎が理解している。



けれど、それでも願ってしまうのだからしょうがない。
食満が再び誰かに依存するようになれば、と。
その誰かが自分であれば、などと。

漸く、伊作という最大の壁を引き剥がせたのだ。
今というチャンスを狙わずどうすると、友人としての顔を保とうとする理性を抑え、食満を欲しがる本心が膨れ上がる。





膨れ上がった本心、もう欲望といってしまっても差異無いそれは、こうして二人が互いに大学へと進学し、伊作が傍に居らず見知らぬ人間ばかりの環境に無意識の不安とストレスを抱いている食満が、その反動のように近場に残っている文次郎へと心を許すようになってから、際限なく広がり続けている。

このままではいつか理性の枠ごと決壊して、衝動のままに『取り返しのつかない』事を仕出かしてしまうのは確実だった。



だから文次郎は、開き直ることにした。

食満の交際が長く続かない理由は、食満自身の欠点のせいだ。
愚かなのは、食満の上辺だけを見て全てを知った気になり簡単に想いを告げたりする女達だ。
自分は何もしていない。ただ傍観しているだけだ、と。

文次郎は理解している。
今の食満には、誰か特定の一人を、唯一の特別として心の中に留め置く余裕などない。
今の食満の心は、誰にでも与える友愛という種類の愛情以外を持てないし受け入れられない。


だから文次郎は、まだ想いを告げない。
文次郎は、食満にとってのその他大勢の友人の中に紛れるつもりも、今まで食満に想いを告げて散った女達のように虚しい心配りを受けるつもりもない。

文次郎は、食満自身が欲しい。
それを手に入れる為に、今は何も行動しないと決めた。
こうして女に振られる度に自棄になって酒を煽る食満に付き合う度に、傷付き落ち込むその姿を見る度に心にじくじくと響く苦しさからは目を逸らす。
そう、決めたのだ。












+++



「んあ?」

暫く経って、随分と間抜けな声が食満から上がった。



文次郎が後を振り向けば、ごしごしと目元を両手で擦る食満の姿が目に入る。

「やめとけ。腫れるぞ」

「あぁー……。俺、寝てた?」

言葉で制止すれば目を擦る食満の手は止まったが、返ってきた言葉は先の文次郎の言葉には繋がっていない。
どれくらい寝てた?と食満が問うてくるので、文次郎は携帯を開き、大凡の経過時間とついでに現在の時刻を伝えた。
二人きりでの酒宴が始まってからも結構な時間が経っていることを知り、食満が起き上がろうとする。


「寝とけ。どうせ歩けんだろう」

文次郎がそう言ってやれば、億劫そうに上体を起こした食満はあぁー…と返事なのか唸りなのかよく分からない声を返してきた。


「…喉乾いた。酒くれ」

寝起きのせいかアルコールのせいか、少し腫れぼったくはっきりと開かない目を瞬かせ、食満が掠れた声で迎え酒を要求する。

「バカタレ。水飲め、水」

文次郎は、差し出される手を跳ね除ける。
手近なテーブルの上には食満の買い込んできた酒類しか飲み物は無く、今の食満は恐らく足腰が立たない。
仕方が無いと、文次郎は水を取りに立ち上がろうとした。

けれどそれを遮り、食満が身を乗り出してきた。
不安定なソファーの淵へと手を掛け、酒の乗ったテーブルへと反対の手を伸ばす。


「お前、危なっ…!」

文次郎が危険を察知し食満の身体をソファーへと押し返そうとした時には既に遅く、ふらつく自分の身体を支える力もなかった食満の手がソファーの淵からずり落ちる。
そのままぐらりと大きく傾いていく食満の身体に、文次郎は咄嗟に手を伸ばした。








ごん、という固い音。
べちゃり、という生身の肉を打ち付ける音。
そして、ガチャリガラガラという何かが倒れ転がる音が同時に鳴り響く。



「…てめぇ…」

ソファーから転がり落ちた食満を抱きとめその反動で床に転がり後頭部を打った文次郎は、痛みを受け流すのに暫しの時間を要した後、青筋立てて腕の中の食満を睨みつけた。


「いってー!!びっくりしたー!!すっげいてー!!」

文次郎の上に上体で圧し掛かっている食満は、射抜くような文次郎の視線を受けているにも関わらず、けらけらと笑い声を上げていた。
あと少しで硬質なテーブルに身体を打ち付けるところだったというのに。
文次郎に抱きとめられているという現状にも気付いていないのか。受け止められなかった下半身はモロに床に打ちつけ、鳴り響いた音の通りにかなりの痛みが走った筈だが、酔いのせいでそれも感じていないのかもしれない。




「…重い。さっさと降りろ、留三郎」

文次郎は、咄嗟に抱きとめてから食満の身体に回したままだった腕を離した。

文句は山のようにあった。
けれど、未だ酔っ払い状態の食満に言ったところで全て無駄であると諦めた。
それよりも、今のこの状態は不味かった。

形だけを見れば、押し倒されたような。抱き合うような。
身体の半分以上を重ねているというこの状況は、文次郎の心情的に、理性的に、身体的に、耐え難いものがあった。




「いーじゃねぇかよ。別に重たくなんかねえだろ。お前鍛えてんだし」

だが、相変わらずにけらけらと笑い続けている食満は、文次郎の要求を跳ね除ける。
食満の言う通りに鍛え上げられた文次郎の胸板に頬を寄せ笑うその振動、その吐息が薄手のシャツ越しに伝わって、思わず身体が疼く。


予想外の事態に逸る胸と、正直な反応を示す身体を必死に鎮めながら、文次郎は額に手を当てた。

(…勘弁しろよ)

心中でぼやく。
その対象は食満と自分だ。

食満が文次郎の上から退く気がないのならば(多分、自分で動くのが億劫なだけだ)文次郎が強制的に退かせれば良い。今の食満の状態ならば簡単だ。

けれど、文次郎にはそれが出来ない。したくとも出来ない。
食満を手放したくないと、もっと触れていたいと欲望を曝け出す脳の一部が、理性の指示を遮るからだ。


そうしてせめてもの思いで、自分の身体の上で至極機嫌良さげに笑む食満を視界から外そうと目元を覆って天井を仰いでいれば


「なんだ?お前頭ぶつけたのか?」

と、何を勘違いしたのか食満が手を伸ばしてくる。

文次郎の後頭部へと伸びた食満の手は、そのままそこを摩る。
文次郎の短く硬い質の髪を掻き分け、頭皮に触れる手の感触。
動きの途中に不意に耳裏の皮膚の薄い敏感な部分を掠めていくそれに、文次郎の自制心がぐらりと大きく揺れる。

体温が上がる。肌の上に朱が走る。
幸いだったのは、寝起きで酒の入った食満の手肌にも同程度の熱が篭っており、それに気付かれなかったことだ。




「…あ〜、だりぃ…」

動き出そうとする手足を必死に押し留める文次郎の葛藤も知らず、気の抜けた声でそう言った食満の手が文次郎の頭部から離れて床の上へと落ちる。
文次郎の上へと乗り上げていた上半身も、弛緩したかのように凭れ掛かってくる。



急に増した胸の上の重みに思わず視線を向ければ、そこにある食満の瞼は半分近く閉じられていた。

水はどうした。ここで寝るな。寝るなら退け。
口にしたい言葉はいくつもあった。

けれど、心地良さげに緩んだその表情に、伏せられた睫毛の影に、僅かに開いた唇に目が吸い寄せられる。



「お前温いなぁ…」

うっとりとするかのように、食満が言った。



気が付けば、文次郎は手を伸ばしていた。
先程は触れるのを我慢した食満の頭髪が、無防備に胸の上で散っていた。
文次郎の手が、食満の顔の上に影を落とす。











「…伊作に」

しかし、眠りに落ちる寸前の食満の口から再び毀れた名に、触れる寸前の中空で文次郎の手は静止する。



「伊作に…紹介するつもりだったんだよ。今度こそ…ちゃんと彼女出来たぞって。あいつ、相変わらず俺の心配ばっかりしてるから…。留三郎なら、ちゃんと良い人が見つかるよって、だから…。でも…また駄目だったから、あいつにまた心配されちまうな…」


まどろみながら毀れる食満の言葉。

静止していた文次郎の手が、固く握り締められる。
食満の顔の上から影が退き、天井の照明の光が目に入ったのか、眩しさに目を細めた食満が文次郎の胸の上へと顔を押し付ける。


「…お前にも、悪いな。いつも付き合わせて。余計な面倒かけて。…お前、色々文句言いつつ付き合ってくれるからさ…伊作みたいに…」



「…俺は伊作とは違う」

両手を床の上へと下ろし、天井を見上げながら文次郎は答えた。



「当たり前だろ…。あいつには…こんな風に…したことねー…」

そう言って食満の言葉は完全に途絶えた。








すぅすぅと、静かな食満の寝息だけが耳に届く。

感情が鎮まるのを待って、文次郎は握り締め続けていた拳を漸く開いた。
力を込めすぎて少し強張るその手を、食満を胸の上に乗せて横たわったまま、ソファーの上へと伸ばし、指先に触れたタオルケットを引き摺り落とす。

それを食満の身体の上へと掛け、タオル地の上から腕を回し抱きとめて、そのまますぐ傍の床の上へと下ろした。


文次郎は身体を起こし、食満を見下ろした。
眠りが深いのか、食満に目覚める様子はない。

その身体の脇に両手をつく。
顔だけでなく、食満の全身を文次郎が作る影が覆う。


そのままゆっくりと顔を近付ける。

何も気付かず眠り続ける食満の顔。
それを視界に入れ続けることに耐えられず、寸前で目を閉じた。

内心で荒れ狂う感情の激しさとは裏腹に、触れるだけで離れたその行為はひどく優しかった。












…力尽きました。

文次郎さんが、寝ている食満先輩に初めて手を出す話でした。

私の文章力、思考力不足で食満先輩がひどい人のようになっている気がして切ないです。
もっと、二人の間のもだもだを上手く表現、お伝え出来ればと、ギリギリしながら書きました。


っていうか、恥ずかしい!
甘甘ラブラブはやっっぱりまだ敷居が高いです…_ノフ○ 




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